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難事件の入り口

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 八月十六日 金曜日

「とまあ、だいたい概要はこんな感じだ」

 千葉県警の刑事 斉田学が私に事件のあらましを教えてくれた。
 彼は事件が難航していたために、探偵である私、いや私たちに捜査協力を依頼してきた。
 同年代の彼とは飲み仲間であり、よく捜査協力を頼まれている。彼の目の下のくまが、出会うたびに悪化していることを私はひそかに心配していた。

 現在私は事件が起きてしまった別荘のリビングで、事件の流れを整理しているところだった。
 リビングには被害者の恋人である比嘉希恵、友人の山井誠と新垣友美が下をうつむきながら座り込んでいる。
 大切な人が別れの挨拶もないまま死んだのだ。彼らが笑顔を見せるのは、当分先になりそうだ。

「なるほど。それじゃあ今回は殺人事件ってことでいいんですよね?」

 斉田刑事とはプライベートでも会う中だが、仕事ということで一応敬語を使うようにしている。しかし、彼の方はいつも通りの喋り方だ。

「ああそうだよ。死亡推定時刻は深夜の二時から四時で、二階の被害者が使っていた部屋で後頭部を殴られ死亡。犯人はまだ見つかってない」

「撲殺ですか。容疑者は……彼らの誰かと言うことですね?」

 私は言葉に詰まった。容疑鞘と言われていい気分になる人はいない。案の定、私の言葉が反感を買ってしまったようだ。

「探偵か何か知らないですけど、俺たちの中に健を殺す奴なんていませんよ」

 立ち上がって私を睨みつけてきたのは被害者の親友 山井誠だ。彼だけではなく他の二人も、突然現れた探偵の私を警戒しているようだ。

 彼らには申し訳ないが、灰城健を殺した人物はこの中にいると私は考えている。

「お言葉ですが、その可能性が一番辻褄が合うんですよ。まだ現場を見ていないので断言できませんが、彼は入ってすぐにある押し入れに頭を向けて倒れていた。つまり、扉に背を向けた状態で殴られてたと考えられます」

「それがどうしたっていうんですか?」

「灰城さんは、部屋を訪れた人物に気付いていながら背中を向けているということになります。もし入ってきたのが、見ず知らずの侵入者なら警戒して背なんて向けないでしょう」

「……犯人から逃げている最中だとしたら?」

 彼の言いたいことはわかる。パニックになった灰城が部屋の奥へと逃げようとして背を向けた瞬間に、背後から撲殺した。

「その可能性は否定はできません。けれど、昨日はそもそも外から侵入するには困難な状況なんですよ。この辺りは夜間はずっと雨が降り続いて犯人の体が濡れていた可能性がります。しかし、玄関や現場の部屋に不審に濡れている箇所はなかった。そうですよね?」

 私は別荘を隅々まで把握した斉田刑事に確認をとった。

「間違いないよ。昨日は記録的な豪雨だったから、傘を差したぐらいじゃ全身は守れない。カッパを着ていたかもしれないけど、それをしまっている最中に玄関が濡れているだろうね。今は俺たちの濡れた足で汚れているけど、到着した瞬間は綺麗なままだったよ。あと追加で言うと、窓ガラスは割れていなかったし、玄関のドアがピッキングされた形跡はなし」


「やはり、聞いた限りだと、外から侵入して灰城さんを殺害するのは困難だと私は考えています」
「……」

 言い返したい気持ちを押し殺して山井は再びソファーに座った。自分たちの中に殺人犯がいるとは考えたくもないのだろう。

「まあその、昨晩不審者がいなかったか、聞き込みはしてますし、絶対ではないですから」

 重くなった空気に耐えられなかった斉田刑事が、気休めなことを言った。不審者の線は低いと思われるが、ありえないということを証明するのは難しい。

「些細な疑問なのですが、何故旅行は今日だったんでしょうか? 天気予報で今日が大雨だったということは分かっていたと思うんですが」

 関東で深夜にかけて急な大雨が降り続くのは、ニュースでさんざん言われていた。社会人の夏休みならまだしも、大学生の長期的夏休みなら日程をずらしてもおかしくないと感じたのだ。

「本当は月曜日からここに来ようと予定してました。けど、け、健くんが急なバイトで来れなくなって、調整した結果この日にしたんです。雨が降るのは夜と言っていたので、大丈夫かなと」

 混乱しながらも新垣友美が丁寧に説明してくれた。確かにそれなら、雨の降る今日を結構日にしたことは頷ける。

「それでは、続いて事件についての質問です。皆さんは昨日、灰城さんと最後にあったのはいつですか?」

「最後にあったのは、飲み会が終わった深夜の一時頃だったと思います」

 再び答えてくれたのは新垣だった。というより、彼女しか答えてくれないの間違いか。残っているのは、私にいら立ちを見せた山井に彼氏を失ったことでふさぎ込んでいる比嘉希恵だ。

「皆さん、飲み会が終了した後はすぐに部屋へ戻ったんですか?」

「そうです。お風呂などは皆済ませてたので、片づけをした後全員で二階に上がりました」

「つまり、全員が二階の廊下で解散してそれぞれに部屋に戻っていった。そのあとは、部屋を出ましたか?」

「いいえ、出てません」


 彼女はきっぱりとそう答えた。他の二人も声を出すことはなかったが、首を横に振っていた。

「つまり、皆さんにアリバイはないと?」

 三人全員、さらに表情が険しくなった。彼らが容疑者呼ばわりする私に対して、それほど強い言葉を使ってこない理由が判明した。

 さっきの山井がすぐに反論をやめたのもそうだ。彼らには無実を証明するものが何もないのだ。部屋に鍵はかかっていないので、誰でも訪れることができる。
 撲殺ということだが、何か道具を利用すれば女性の力でも灰城の頭を殴ることは可能だ。

「……!」

 そこで私は気がついた。これまで事件について話してきて、一度も出てこなかったワードだ。ここで私は、何故斉田が探偵を呼んだかを理解できた。
 警察が探偵に協力を求めるということは、難事件ということだ。
 けれど、アリバイのない三人に、密室でもない殺人現場。とても難事件とは言えない。

しかし、ある一点だけが不明なのだ。

「斉田刑事、灰城さんが頭を殴られたときに使用された凶器は何ですか?」

「問題はそこなんだよ」

 私の予想通り、斉田刑事の顔が強張った。かなり頭を悩まされているようだ。

「まだ見つかってないんですね」

「ああ、不思議なことに部屋のどこを探しても発見されないんだ。どこか遠くに捨てた可能性はあるけれど、昨日は大雨だったから彼らも出かけたとは考えにくいんだよ」

 雨は今朝の七時ごろまで降っていたという。殺害したあとにすぐに外に出て凶器を捨てれば仮の侵入者同様、大雨に打たれて濡れる危険性がある。
 雨が止んだ七時以降に出掛ければ、目覚めた誰かに感づかれる危険性もある。

「今も周辺を探し回ってるんだけど、それらしいものの報告はなし。成人男性の後頭部をへこますほどの大きさと重さが必要だから、すぐに見つかると思ったんだけどな」

 凶器が見つかっていないとなると、犯人を見つけることは困難だ。凶器が判明しないということはどうやって殺人を犯したのかが判明していないということだ。

 つまり、証拠がないのだ。

 逆に凶器が分かれば犯人特定に大いに役立つ。その凶器を持ってくることができたもの、その凶器を扱えるもの。このように条件が絞れれば、おのずと犯人像が見えてくるのだ。

「凶器のない殺人事件。なるほど、これは厄介ですね」

「どうした~名探偵。私が先に解いちゃうぞ~」

 場の雰囲気を壊すほど明るい口調の女が、勢いよくリビングの扉を開いた。突然のことに、その場にいた全員がそちらに釘付けとなってしまう。

 その女はこの場にふさわしくない派手な服装をしていた。これでもかと装飾された派手な赤いドレスを身にまとっている。パーティー会場でもあるまいのに。

 彼女は毎回このような場違いな格好でやってきてしまう。スーツを着ている私が間違っているのかと思わせるほど、堂々と着てくるものだから迷惑だ。

「来てしまったか」

「今日もまた一段とお綺麗で」

 あからさまに嫌な顔をする私とは真逆に、斉田刑事は鼻の下を伸ばしていた。
 彼女は派手な服装を着こなすだけの顔とスタイルを持っている。化粧は濃いが、美人の分類には入るだろう。

「どーも、刑事さん。あと、岸も」

 彼女は私よりも五つほど年下と言うのに、私のことを苗字の岸と呼んでくる。生意気な女である。

「な、なんなんですかこの人」

 ずっと黙り込んでいた比嘉希恵が、彼女の派手さに圧倒されてついに口を開いた。

「初めまして、空想探偵の才色賢美でーす。よろしく」

 礼儀知らずな喋り方で彼女は軽く自己紹介をした。

 彼女、才色賢美は才色財閥と言う日本有数の財閥の末娘。かなり甘やかされて育っており、一般庶民の常識はほとんど持ち合わせてないといっても大げさではない。

「探偵って、二人呼んだんですか?」

 彼女が私と同じ探偵を名乗っていることに、新垣が疑問に思ったようだ。ただでさえ探偵と言う普段合わない職業なのに、二人目が現れて驚いているのだろう。

「二人だけじゃあないぜ」

 新垣の質問に答えたのは、私でも才色でもない。それは、低い声の似会う容姿をしているもう一人の探偵だった。
 才色同様リビングに突然と姿を現したもう一人の探偵。
 年齢は五十代半ばで、髭を生やした男性。こげ茶のスーツにハットをかぶっており、顔が強面なので渋いという言葉がぴったりの見た目だ。

「い、一党さん! ご無沙汰しています」

 才色の時とは一変して、背筋を伸ばして敬礼をする斉田刑事。斉田からすると、この人は大先輩にあたるからだ。

 「斉田、いつにもまして顔色悪いなぁ。忙しいのはわかるが、しっかり栄養とれよ」

 斉田刑事と彼が話しているのを呆然と眺めている容疑者の三人。インパクトのある人間がもう一人増えたので、声を出すのを忘れているようだった。

「この方は、動機探偵の一党良打さんです。突然のことで驚かれてると思いますが、今回はこの三人で捜査を進めるのでどうかご了承ください」

 状況についていっていない人のために、私は丁寧に説明をした。山井あたりが口を挟もうとしてきたが、探偵の数に圧倒されたのか口を開くことはなかった。

「探偵,S、やっとそろったね」

「遅れてきたお前が言うんじゃない」

 私は基本的に誰に対しても敬語を使用するが、才色に対しては使おうとすら思っていない。

 彼女の言った探偵,sとは、私や才色たちのほかに十人ほどが在籍しているチームのようなものである。在籍といっても正式な会社などではなく、事件が起きると連絡を取り合って捜査に協力するだけのものである。
 それぞれが個人事務所経営や副業をしており、都合の合う探偵たちが、今日のように集合するのだ。

 ちなみにこれまでの私や斉田刑事の会話は、携帯電話の通信機能で遅れてきた二人には伝達してある。

「それじゃあ全員揃ったことだし、本格的に捜査を再開しますか。いいよな、名探偵」

「ええ。私は、殺害現場である灰城さんが使用していた部屋を見に行きます」

 話に聞いただけで、私はまだ詳しい殺害状況を把握していない。部屋を確認すれば、消えてしまった凶器の謎に何らかの進展があるかもしれない。

「じゃあ、私もついていく~」

 殺人事件だというのに、才色からは緊張感が感じられない。本音を言うなら、一番関わりたくない人種だ。しかし、残念なことに私には彼女が必要なのである。

「新垣さん、一応家主と言うことで詳しいことを聞きたいので、一緒に来てもらってもよろしいでしょうか?」

「は、はい。役に立つかは分からないですけど」

 彼女が戸惑っているのは私に話しかけられたからではなく、才色も一緒についていくからだろう。彼女だけではない。才色と初対面の人間は、誰だって会話に困るものだ。 

「それじゃあ、俺は彼らに話を聞くとするよ」

 一党さんはここに残って、山井と比嘉に事情聴取するようだ。一党さんなら才色と違って、一人にしても何ら問題はない。

「じゃあ、俺も詳しい説明したいんで、二階に行きます。一党さん、何かありましたら、いつでも声かけてください」 

 これでもかというぐらい引く腰で、斉田刑事は一党さんと話している。

「ああ、その時は頼むよ」

 こうして、探偵三人によるそれぞれの捜査が始まったのだった。
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