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砂浜とビーチーボール

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 ちょうど午後を回ったところで、四人は砂浜へと降り立った。
 天には太陽を遮るものはなく、直射日光が襲ってくる。気温も上昇し続け熱中症になってもおかしくない。

「はやく入ろうぜ」

 上半身裸になった灰城がすぐにでも海に飛び込む勢いだった。体つきがよく、腹筋もわずかだが割れていた。日頃から鍛えているのだろう。

 それに比べて山井の方は可もなく不可もなく、といった体形だ。腹が出ているわけではないが筋肉があるわけでもない。見事な寸動体だ。
 普段外に出ないのか肌が白く、焼けている灰城と並ぶとまるでオセロの駒のようだ。

「先行っててよ。日焼け止め塗るから」

「私も」

「俺も」

 提案した比嘉を筆頭に、二人も日焼け止めを塗ることにしたようだ。

「家で塗ってこいよな」

 皆が塗り終わるのを待つのかと思いきや、灰城はすぐさま海に向かって猛烈に走っていった。
 運転しているときはサングラスも相まって大人っぽく見受けられるが、まだ中身は若い。私が全速力で走ったことがあるのはもう数年以上前だ。

「誠、あんた白すぎ~」

 三人の中で一番透明感のある肌をしている山井の腕を、比嘉軽く触った。
 ボディタッチというわけだが、比嘉は何のためらいもなかった。灰城が離れたとはいえまだ目が届く距離だ。

「くすぐったいよ」

 急に触られて驚いた山井は、すぐに手を振り払った。嫌がっているわけではなく、とっさに反応しただけのようだ。

「トモも触ってみなよ」

 比嘉は茶化しながら新垣友美の手を掴んだ。そして、山井のお腹のあたりへと無理矢理近づけさせた。トモこと新垣は男性に触れるのが慣れていなのか、少し恥ずかしそうにしていた。

 触られる方の山井はというと、なんというか何も感じていない表情だった。照れるわけでも嫌がるわけでもない。
 急に触れられると反射的に動いてしまうが、触れること自体にはなんら問題がないようだ。

「ぷにぷにだね」

 大型犬の腹を撫でているかのような幸せそうな顔になっていた。私には感触はわからないし、触ってみたいとも思わないが。

「筋肉つけようかな、っとは考えてるんだけど」

 山井は自分の腹をすすりながら、表情はあまり変化がなかった。言葉で言っているほど、鍛えようとは思っていないのだろう。

「そのまんまでいいと思うよ」

 新垣はほほ笑みながらもう一度、腹を触った。それに便乗して比嘉も何度もポポンッと叩いていく。
「もういいでしょ」と山井が困惑し、夢中になりすぎたと彼女たちは誤った。

 そんなことをしていたので、日焼け止めを塗るのが遅れていた。

 先にいった灰城はそんな三人をせかすことはなかった。一人で黙々と海の中を泳いでいるからだ。

 彼らが今いる一帯は、このビーチの中でも人がほとんどいない場所だ。浜辺の端の部分であり、別荘から一番近いのだ。

 ここに人がいない理由は二つある。一つは純粋に砂浜がだだっ広く続いているから。観光地として夏になると賑わうが、広さはあるので人がある程度ばらけるようだ。

 そして、二つ目は逆側の端が、駐車場や駅に近いからだ。海の家などもそちらに集中しているようで、わざわざ歩いてまでこっちに来る人はいないようだ。

 逆に彼らからしたらこんなにベストな海辺スポットはない。人がいないので思う存分遊べることに加え、別荘から徒歩数分。
 買い食いなどは難しいが、別荘から持ってくれば問題はない。今日の夜はべーばキューを予定しているようで、海は皆で遊べれば目的達成のようだ。

「ビーチバレーやろっか」

 発案したのは日焼け止めを塗り終えて準備万全の比嘉だ。すでに持ってきていたボール入れから、それようのボールを取り出している。

 そんなアグレッシブな彼女の水着は、意外にも露出が少ない。決して私個人が残念に感じているということではないことをご理解いただきたい。
 いわゆるキャミソール型の水着で、胸と腰回りは水着で覆われている。エスニック調の黒柄で、幼さの抜けない彼女を大人の女性にみせていた。

 理由はダイエットが間に合わなかった、からだそうだ。長く交際しているとはいえ、満足のいかない姿を彼氏や周囲に見られるのは恥ずかしようだ。

 反対に清純さが輝く新垣の方が、だいたんな格好をしていた。水色のビキニを着ており、スタイルの良さを前面に出している。胸囲もありくびれもあるので、まるで今から写真撮影が始まるのかと思わされる。
 子どもの頃から、毎年海に行っているせいか、水着を着て肌をさらすことには抵抗感がないようだ。グラマラスな彼女だが、男性陣は見飽きているのか、さほど目を奪われていない様子。
 それよりも、新垣を嫉妬の感情で睨む比嘉が目立っていた。

「おっけー、やろうぜ」

 いつのまにか水びたしの灰城が砂浜に帰ってきていた。かなり一人で泳いだようで、すでに呼吸が乱れている。それなのにすぐさま他のスポーツをやるのだから、若いというのは羨ましい限りだ。

 四人は男女混合で別れてチームを組んだ。灰城と比嘉のカップルチームと、美男美女の新垣と山井チームだ。さすがにネットまでは用意していないようだが、全員遊びで行うといううよりも、真剣に試合をするといった目つきだ。

 そのため、試合は長い接戦となった。カップルチームは主に灰城が猛烈にボールを弾き飛ばしていくスタイルで、比嘉はサポートに回っている。敵側は双方ともに運動神経が悪くないので、交互に攻めと守りを交代していく。

 その戦略の差が出たのか、後半は灰城の体力が削られていき攻撃の手が緩みだしてしまった。点数は僅差で、カップルチームが敗北した。

「まけたー」

 力尽きた灰城は砂浜に背中から倒れた。今の彼の体は海水よりも汗で濡れている。

「ほら、いくよ健」

 比較的体力の残っている比嘉が、無理やり灰城の体を起こした。それを嫌がる灰城の姿はまさに、朝寝坊して母親にたたき起こされる子どものようだ。

 実はこの勝負に負けたら、反対側の海の家のある場所に出向いて、勝った方の飯を奢らなければいけないのだった。
 始めて海に訪れた数年前の灰城が、遠く離れた海の家を眺めて考えたルールだった。今回もそのルールは適用されるようだ。

「俺は、やきそばがいいかな」

「あ、じゃあ私も同じので」

 勝利した二人が昼食をオーダーした。買い出しだけならそれほど苦ではないらしいが、激しく動いた後だと倍以上に距離が長く感じるそうだ。

「おっけー、すぐ行ってくる」

「いやだー」

 駄々をこねる灰城だが、母親、いや彼女の比嘉に強引に連れ去られていった。その道中彼らは口喧嘩をしていた。

「お前がもっとボールをとれば勝てた」

「健が泳いで疲れたせいでしょ」

 などと終わりの見えない論争を繰り広げた。そんな敗北者たちの背中をみつめる勝者たちは、戻ってくるのはも当分先だなと感じたそうだ。

「また喧嘩してるよ」

 遠ざかっていく二人の背中に浸りながら、山井がぼそっと呟いた。

「でも、なんだかんだ仲がいいよね」

「うん、確かに」

 残された山井と新垣は、あきれた様子で話した。しかし、二人の間に流れる空気は青空ほど晴れていなかった。

 恋人たちを待つ勝利したはずの二人は、どこか表情が曇っている。

 まるで、それはこの後起きる悲劇を予感しているかのようだった。


八月十六日 金曜日 天気 曇り 午前九時ごろ

 昨晩、千葉県全域はひどい大雨に見舞われた。津波の心配はなかったが、海は現在もあれている。昨日の天気が嘘に思えるほど、空に青はなかった。

 海で遊びつくした四人は、そのあと予定通り別荘の裏庭でバーベキューを行った。ある程度お腹も膨れたところで、急に大雨が降ってきた。
 そのため、四人はリビングでテレビを見ながら酒を飲み明かした。

 そして今は、リビングで朝食の準備をしている者がいた。

「トントン」と、軽やかなリズムが聞こえてくる。まな板の上で野菜を切っている音だ。調理をしているのは、今日一番速く起床した山井だ。
 一人暮らしをしているので、料理スキルが高いそうだ。

「う~ん、美味しい~」

 ソファでは新垣が満面の笑みでスイカを頬張っている。三日月形に切られたスイカを、先に種をスプーンですべて取り除いてから食している。

 このスイカは、山井が貰って来た大玉スイカだ。テーブルには新垣のとは別に、大量のスイカが大皿に残っている。
 酒を飲んで寝たせいで水分を欲しているのか、新垣は丁寧にいくつもかじっていく。まだ起きていない二人のために、山井は一玉全て切って出したらしい。
 が、これでは全て新垣が食べつくしてしまう勢いだ。

「誠くんは食べないの?」

「あー、俺はもう食べたから」

 キッチンにいる山井誠は、すでに中身のないスイカの皮をその場から新垣に見せた。自分の分は台所に置いてあるようだ。

「そっか」

 山井の分があることを理解すると、食べるスピードがさっきよりも速くなっていく。やせ形の彼女だが、酒や食べ物は人よりも食べているそうだ。まだ、これとは別に山井が作っている朝食があるというのに。

 曇り空ながら室内で優雅に過ごしていると、二階からやっともう一人起きてきた。一瞬誰かわからないが、比嘉希恵である。化粧が落ち酒をたらふく飲んだせいか顔色が悪く、まるで別人だ。

「気持ちわる」

 腹をさすりながら、新垣の隣へと座った。完全に二日酔いだ。彼女はそれほどアルコールが強くないのに、人よりも摂取してしまうというたちの悪い飲み方をする。
昨日も飲み会がお開きになる深夜一時ごろまで、ずっと飲み続けていた。結果、今のような悲惨な結末にたどり着く。

「スイカ食べな、水分は大事だよ」

 食欲はなさそうだが、比嘉はゆっくりとスイカを口に運ぶ。一口食べると急に目が覚めたように食らいついていく。体がなんでもいいから水を欲していたのかもしれない。

「はい、朝ごはん」

 山井が野菜の盛り合わせが付いた目玉焼きと、トーストを彼女たちに運んできてくれた。特別なものはないが、男子大学生が作ったと考えると立派なものだ。

「こんなに食えないよ。う、まだ吐き気するし。トモ、代わりに食べて」

「せっかく作ったんだからさ」

「大丈夫、私二人分食べれるから」

 すでにスイカ半玉分を食べたとは思えない勢いで、用意された朝食にも手を付けていく。宣言通り比嘉の分までも平らげる。

「そういえば、健は? もう十時になるよ」

 灰城健も比嘉と同等の酒を摂取したようだが、彼はアルコールに強いそうだ。なので、二日酔いで寝込んでいるとは考えにくい。山井はせっかく作った朝食が、再び新垣の胃袋に入りそうで心配している。

「確かに遅いね。希恵ちゃん、様子見てきなよ」

「え~、めんどくさいよ~」

「一応彼女でしょ」

 腰の曲がった比嘉を無理やりソファから立ち上がらせる新垣。

「わっかりました~」

 軽い口調で嫌々階段を登っていった。
 その間、新垣は再びスイカに手を付けていた。それにはさすがに、引いてしまった山井だった。
 そして一分ほど経過し、灰城の部屋にたどり着くであろうという瞬間だ。

「きゃぁぁぁぁぁ」

 二階からリビングにまで響く悲鳴が聞こえてきた。その声は間違いなく二階に上がった比嘉のものだ。
 突然の悲鳴に新垣と山井は顔を見合した。どちらも現状を理解できないといった表情をしている。

「希恵ちゃん?」

 心配になった新垣たちは食事を辞めて、二階に駆け上る。灰城の使っている部屋へと入ると、衝撃的な光景がそこには映っていた。

 押し入れに向かって灰城がうつ伏せで倒れていた。その近くで、動揺し続けている比嘉が座り込んでいる。

「け、健!」

 山井が叫びながらすぐに灰城の体に触れる。そして、すぐさま目を見位開き固まってしまった。

「ね、寝てるだけだよね……? そ、そうだよね!」

 新垣が何も言わない山井を見て、恐る恐る聞く。三人全員、灰城の姿を見てすぐに感づいてしまったのだ。何故なら、彼の後頭部が異様にへこんでいることに気付いたからだ。

「し、死んでるよ」

 その言葉を聞いた比嘉は、再び泣き叫んだ。愛する恋人が朝起きたら息をしていないのだ。彼女だけではない、他の二人も頭が追い付いていけていない様子だ。

 こうして、友人たちと謳歌するはずだった夏休みは、一気に殺人事件へと変貌していったのだった。
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