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「赤き稲妻」第1章:平和の時代(ユートピア)
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私達が乗っている船は、上海を2つに分ける黄浦江を東に進んでいた。川の片側には高層ビルが立ち並び、もう片側には昔ながらの「古き良き」と形容したくなるような町並みが広がっている。
一方、我々が向う人工島…通称「亡命者地区」は、そのどちらとも違う。
「ところで、何かね、その格好は?」
甲板のデッキチェアに座って本を読んでいた博士は私とテルマを見てそう言った。ちなみに、博士が読んでいたのは、何故か、日本で出版された相撲専門誌だ。
もっとも「日本で出版された」と言っても、使われている言語は世界共通語だ。出版にも民生用電脳を使うのが一般的になってから、「世界政府」の勢力圏内では、真性人類系の言語以外の出版物は減る一方だ。こうなる事を承知の上で、電脳情報の規格が定められたのだとしたら、劣等言語を淘汰する巧い手段と言えるだろう。
「いや、これ、中国の服ですが……」
「土産物屋で買ったものだろ」
そうだ。テルマが土産物屋で見付けて欲がったので、私とテルマの分を買って店の中で着替えさせてもらった。コ事務官にも勧めたが、その返事は、世間知らずを見る憐みの視線だった。
「でも、日本でキモノを着るようなものでは?」
「君は、日本でキモノを着てる西洋人を見た事が有るかね?」
「ええっと……」
「今時、日本人が日本国内でキモノを着るのも、結婚式や葬式ぐらいだろう?『日本でキモノを着るようなもの』だと言うのなら、君は、友人の結婚式か、親類の葬式にでも行くつもりかね?」
「目立ちますか?」
「当然だよ。どう見ても、軽薄な観光客、俗に言う『お上りさん』だ。『田舎者』と呼んでも良いな。……いや、待て、それが却って偽装に役立つかも知れんな」
「どう言う事ですか?」
「身分を隠してる者が、『私は田舎者の軽薄な観光客です』と云う格好をしていると考える者は逆に少ないだろう」
「博士、流石に鋭いな。それを目的にして、この格好を選んだのだ」
テルマは無表情にそう言った。
「本当かね?」
「本当ですか?」
「あ……あ~……」
やがて、我々が乗っていた客船は「亡命者地区」の2つの港の内、上海の他の区域との行き来に使われる西側の港に到着した。
太陽は、黄浦江の上流に沈みつつ有る。
明らかに、匂いが我々が少し前まで居た高層ビル街とは違う。心地良い香りには程遠いが、少なくとも人間が生活している場所の匂いだ。
元々は画一的で無個性だったであろう建物が並んでいるが、その建物の1つ1つに後から様々な様式の装飾が付け加えられている。
同じ造りだったであろう建物が、ある建物には朝鮮風の、その隣の建物は東南アジア風の、更にその隣はアフリカ風の装飾がされ、中には、窓の庇は日本の瓦を思わせる装飾が、玄関のドアにはインド風の飾り付けが、屋上にはモスク風の小さな建物が作られているものまで有った。
看板や交通標識は、中国語・英語・日本語・朝鮮語・アラブ文字・インドや東南アジアの文字が使われている。
道行く人々の人種や服装もバラバラだ。
だが、この混沌とした治安も悪いであろう場所の方が、先程まで居た高層ビル街より、何故か安心出来た。あちらで暮す者達は、仮に善人だとしても私には理解出来ない者達で、ここに住む人々は、仮に悪人だとしても、私の理解出来る範囲内の「悪人」でしか無いだろう。
「ビル街の方で見掛けた小型電脳を使ってる人が居ませんね……」
タクシー乗り場に向かって歩いている途中で、私は何げなく博士とコ事務官に言った。
「あぁ、あれは身分証も兼ねてるので、永住権や帰化の審査中の人間や、あえて帰化を選択しない亡命者には配布されないらしい。そして、あの小型電脳はテレビやラジオや新聞の代替物でもあるので、逆にあれを持って居ない人間が一定数居る地域では、これが必要になるらしい」
博士は、そう言って、街頭テレビを指差した。
「あれ?」
コ事務官が街頭テレビを観ながら首を傾げる。
「どうしたんですか?」
「日本語や朝鮮語の表示で……意味が判らないのが有るんですよ」
「えっ?」
街頭テレビにはニュース番組が写っていた。アナウンサーがしゃべっているのは中国語……私には北京語か広東語かまでは判別出来ないが……だが、画面の片隅には、様々な言語でニュースの概要説明らしきものが表示され、その中には、日本語や韓国語と思われるものもあった。
世界共通語や英語の表示を見る限り、どうやら、五〇年前に、中国がソ連から満洲を奪還した事を記念する式典のニュースらしい。
「聞いた事も無い単語も有るし、言葉遣いも、複数の方言を出鱈目に混ぜたような変な代物です」
私の胸に同情の念が湧いた。彼女は、自分達の民族が分断されている現実を思わぬ形で目の当たりにしているのだ。もちろん、その責任は独立運動を名乗るテロ組織に有る以上、彼女もまた犠牲者である事は言うまでも無い。
「日本や朝鮮半島から中国に亡命した人達の『日本語』『朝鮮語』は、もう既に日本や朝鮮半島で使われてる日本語や朝鮮語とは違うものになりつつある、とは聞いていましたが、ここまでとは……」
そして、タクシー乗り場についた。タクシーと言っても、モーターサイクルにリキシャを取り付けた「オートリキシャ」だ。運転手の人種はバラバラで、女性も4割近く居る。
私達が、女性の運転手2名を指名したい事を乗り場の係員に伝えると、アジア系と黒人が1人づつ名乗り出た。「アジア系と黒人」とは言っても、2人とも、他の人種の血も混っているようだ。
そして、私達は、「亡命者地区」のもう1つの港、香港へのフェリーの発着所である東側の港への向かった。
一方、我々が向う人工島…通称「亡命者地区」は、そのどちらとも違う。
「ところで、何かね、その格好は?」
甲板のデッキチェアに座って本を読んでいた博士は私とテルマを見てそう言った。ちなみに、博士が読んでいたのは、何故か、日本で出版された相撲専門誌だ。
もっとも「日本で出版された」と言っても、使われている言語は世界共通語だ。出版にも民生用電脳を使うのが一般的になってから、「世界政府」の勢力圏内では、真性人類系の言語以外の出版物は減る一方だ。こうなる事を承知の上で、電脳情報の規格が定められたのだとしたら、劣等言語を淘汰する巧い手段と言えるだろう。
「いや、これ、中国の服ですが……」
「土産物屋で買ったものだろ」
そうだ。テルマが土産物屋で見付けて欲がったので、私とテルマの分を買って店の中で着替えさせてもらった。コ事務官にも勧めたが、その返事は、世間知らずを見る憐みの視線だった。
「でも、日本でキモノを着るようなものでは?」
「君は、日本でキモノを着てる西洋人を見た事が有るかね?」
「ええっと……」
「今時、日本人が日本国内でキモノを着るのも、結婚式や葬式ぐらいだろう?『日本でキモノを着るようなもの』だと言うのなら、君は、友人の結婚式か、親類の葬式にでも行くつもりかね?」
「目立ちますか?」
「当然だよ。どう見ても、軽薄な観光客、俗に言う『お上りさん』だ。『田舎者』と呼んでも良いな。……いや、待て、それが却って偽装に役立つかも知れんな」
「どう言う事ですか?」
「身分を隠してる者が、『私は田舎者の軽薄な観光客です』と云う格好をしていると考える者は逆に少ないだろう」
「博士、流石に鋭いな。それを目的にして、この格好を選んだのだ」
テルマは無表情にそう言った。
「本当かね?」
「本当ですか?」
「あ……あ~……」
やがて、我々が乗っていた客船は「亡命者地区」の2つの港の内、上海の他の区域との行き来に使われる西側の港に到着した。
太陽は、黄浦江の上流に沈みつつ有る。
明らかに、匂いが我々が少し前まで居た高層ビル街とは違う。心地良い香りには程遠いが、少なくとも人間が生活している場所の匂いだ。
元々は画一的で無個性だったであろう建物が並んでいるが、その建物の1つ1つに後から様々な様式の装飾が付け加えられている。
同じ造りだったであろう建物が、ある建物には朝鮮風の、その隣の建物は東南アジア風の、更にその隣はアフリカ風の装飾がされ、中には、窓の庇は日本の瓦を思わせる装飾が、玄関のドアにはインド風の飾り付けが、屋上にはモスク風の小さな建物が作られているものまで有った。
看板や交通標識は、中国語・英語・日本語・朝鮮語・アラブ文字・インドや東南アジアの文字が使われている。
道行く人々の人種や服装もバラバラだ。
だが、この混沌とした治安も悪いであろう場所の方が、先程まで居た高層ビル街より、何故か安心出来た。あちらで暮す者達は、仮に善人だとしても私には理解出来ない者達で、ここに住む人々は、仮に悪人だとしても、私の理解出来る範囲内の「悪人」でしか無いだろう。
「ビル街の方で見掛けた小型電脳を使ってる人が居ませんね……」
タクシー乗り場に向かって歩いている途中で、私は何げなく博士とコ事務官に言った。
「あぁ、あれは身分証も兼ねてるので、永住権や帰化の審査中の人間や、あえて帰化を選択しない亡命者には配布されないらしい。そして、あの小型電脳はテレビやラジオや新聞の代替物でもあるので、逆にあれを持って居ない人間が一定数居る地域では、これが必要になるらしい」
博士は、そう言って、街頭テレビを指差した。
「あれ?」
コ事務官が街頭テレビを観ながら首を傾げる。
「どうしたんですか?」
「日本語や朝鮮語の表示で……意味が判らないのが有るんですよ」
「えっ?」
街頭テレビにはニュース番組が写っていた。アナウンサーがしゃべっているのは中国語……私には北京語か広東語かまでは判別出来ないが……だが、画面の片隅には、様々な言語でニュースの概要説明らしきものが表示され、その中には、日本語や韓国語と思われるものもあった。
世界共通語や英語の表示を見る限り、どうやら、五〇年前に、中国がソ連から満洲を奪還した事を記念する式典のニュースらしい。
「聞いた事も無い単語も有るし、言葉遣いも、複数の方言を出鱈目に混ぜたような変な代物です」
私の胸に同情の念が湧いた。彼女は、自分達の民族が分断されている現実を思わぬ形で目の当たりにしているのだ。もちろん、その責任は独立運動を名乗るテロ組織に有る以上、彼女もまた犠牲者である事は言うまでも無い。
「日本や朝鮮半島から中国に亡命した人達の『日本語』『朝鮮語』は、もう既に日本や朝鮮半島で使われてる日本語や朝鮮語とは違うものになりつつある、とは聞いていましたが、ここまでとは……」
そして、タクシー乗り場についた。タクシーと言っても、モーターサイクルにリキシャを取り付けた「オートリキシャ」だ。運転手の人種はバラバラで、女性も4割近く居る。
私達が、女性の運転手2名を指名したい事を乗り場の係員に伝えると、アジア系と黒人が1人づつ名乗り出た。「アジア系と黒人」とは言っても、2人とも、他の人種の血も混っているようだ。
そして、私達は、「亡命者地区」のもう1つの港、香港へのフェリーの発着所である東側の港への向かった。
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