ドラマティック・ラブ

ももくり

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別れたら、交際を申し込まれました。

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「ごめん、美晴、本当にごめん」
「もういい、みっともないから謝るのはヤメて。なんだか私の方が悪者みたいに思われるでしょ」

 社会人になってから付き合い出した3つ年上の裕作は、大手商社のエリート社員で。それなりに見た目も良く、とても優しかった。2年間、上手くやっていたつもりだったが、こんな優良物件を他の女が見逃すワケも無く。彼女の座に胡坐をかいてユッタリ構えていたら、あっさり奪われてしまったらしい。

 職場に入って来た派遣社員の女とやらに迫られまくった裕作は、酔った勢いで手を出し。挙句の果てに妊娠させてしまったとかで、その責任を取って結婚するのだと。プロポーズされるに違いないと勝手に思い込み、全身それ仕様で固めて来た自分の勘違いっぷりが今更ながら悔やまれ、恥ずかしさに身悶える。

 >本当に酔っていたから…。
 >俺は美晴のことを心の底から愛していて…。

 とにかく自分は悪く無いんだと、必死でアピールする姿にどんどん冷めていく。こう言ってはなんだが、たった1回で妊娠するなんてドラマじゃあるまいし。絶対、何度もしたに違いないではないか。それを『たまたま偶然、1回で!』と強調するその厚かましさに心底、萎えてしまう。要するに誠実さをアピールして、自分は悪者にならず事態を穏便に済ませたいだけなのだ。

 ああもう、どうでもいいなあ…。

 日曜夕方の人もまばらな喫茶店で、私はいつもの優し気な笑顔のまま答える。

「もういいよ、私のことは忘れてその女性と幸せになってください」
「美晴…ごめん。じゃあもう俺は行くよ。今まで…本当に有難う」

 その背中に向けて、思わずシッシッと手で払ってしまう。

「ったく、だらしない下半身しちゃってさ」

 先程まで『うふふ、おほほ』と話していたクセに、裕作が去った途端、素の自分を曝け出す。だいたい向こうから熱烈アタックして来たのに、他の女に言い寄られたら『ハイさよなら』って。

 悲しくなんてないと思っていたはずが、気付けばどうやら泣いていたようだ。さすがに2年間もつき合っているとそれなりに情が湧いていたらしく、恐ろしいほどの虚無感が押し寄せてくる。

「ハイ、これ洗ってあるから」
「え?…あ、ええっ??」

 目の前に差し出されたのは、真っ青なタオルで。手首から肘、二の腕、首とゆっくり視線を上げ、ようやくその声の主の顔へと辿り着いて思わず息を呑む。

 憂いを含んだ切れ長の目、
 誰もが憧れるであろうスッキリとした鼻梁、
 そしてジッと見ていても飽きない色っぽい唇。

 恐ろしいほど整った顔立ちのその男性は、突然私の正面の席に腰を下ろしてテーブルに突っ伏している。あまりにも魅力的なその顔から視線を逸らせず、ドライアイになることを承知で凝視していると向こうの方がタオルを持ったまま座り直す。せっかく運命の出会いだと思ったのに、残念ながらその美形の彼は、

 …学生服を着ていた。

 その野性味あふれる雰囲気と、紺ブレがミスマッチでおかしいと思ったのも当然だ。だってこれ、制服なんだから。胸ポケットのエンブレムでようやく気付くとは、私もなかなかのポンコツである。えっと、この制服だと成陵高校だよね。やっぱりお坊ちゃまなのか。一応、進学校だし、頭も良いときたもんだ。ん?今はそんなこと考えている場合じゃないな。このコいったい、どこから湧いてきたんだ??

「ほら遠慮せずにこれで涙を拭きなよ」
「い、いい。気持ちだけ受け取っておく。だって洗濯して返すの面倒だしッ」

「オネーサンってもしかしてズボラ?」
「う、ぐっ、そうね、そうかもしれないわね」

 『ふああ』などと欠伸をしながらダルそうに頬杖をつくその姿さえ眼福だ。ああもう、若くてピッチピチだわ。きっとこれくらいの年頃って性欲モリモリで、毎日そのことしか考えていないんだろうなあ。…などと脳内でエロい妄想を始める私。クイッとネクタイを緩めたその襟元から、特有のフェロモンが香り立つようだ。

 もしかしてこう見えて童貞とか?
 だから私でソレを卒業したいと思ってる?

 やだ、嘘、待って。
 そんな展開…美味しいかも。

 普段ならそんな火遊びを絶対にしないのだが、残念ながら今、私の心は荒んでいる。だって交際2年のうち、裕作が私を求めて来たのは最初の3カ月だけで、それ以降はまるで老夫婦みたいな生活だったから。理由なんて訊かなくても分かっていた。清楚で従順な女を演じるために、いつでもマグロ状態だったせいだ。行為中は声を抑え、お行儀良く横たわり、ひたすらモジモジと恥じらうフリ。もし私が男だったら、あんな女は絶対に御免だ。

 しかし、私なりに傾向と対策を考えたところ、裕作が好みそうな女性像がソレだったのだ。そんな女性像を演じ続けた結果、同じベッドで寝ても朝まで手を出されなくなり、それを勝手に『性欲の弱い男』だと決めつけていた。…いま思えば他にそういう相手がいたから私に食指が動かなかっただけなのに。

 既に過去となった恋愛の反省点の多さに驚き、そっち関係のリハビリというか、なんかもう色々と前向きに勉強したいというか…。

 ああ、もう、ゴチャゴチャ言い訳してるけど、
 正直にぶっちゃけま───す!!

 目の前の色っぽい野獣高校生に、
 ムラムラしてるんで───す!!

 >ダメだよ、このコにも両親がいて、
 >大事に育てられたんだから手を出しちゃダメ。

 天使が私の胸元を『バカバカ』と言って叩き。

 >いいじゃん。こんな上玉、望むところだぞ。
 >淫行にならないように年齢は一応確認しろ。

 悪魔がアメフトのタックルみたいな姿勢で、私の背中をグイグイ押してくる。

 ダメ!いけ!ダメ!いけ!ダメ!…

 否定と肯定を交互に繰り返し、葛藤している私に、男子高校生は言うのだ。

「俺、オネーサンに惚れちゃった。ね、これからラブホに行かない?」
「ダ、ダアアアッ、ダメダメダメダメ!」

 …妄想と現実は違うワケで。なんだかんだ言って現実の私は、ごくごく普通の常識人なのである。

「えっ、なんで?彼氏にもフラれたんでしょ?失恋を忘れるには新しい恋とかよく言うじゃん」
「…恋?誰と」

「俺と」
「名前すら知らないのに?」

藤井清春フジイ キヨハル。名前どおり春生まれだから、もう18歳だよ。淫行じゃないから安心して」
「あっ…そう」

 ソコをかなり気にしていたクセに、まるで無益な情報であるかのように装う私。

「あのね、私は清春くんよりも7つも上なの」
「へえ、25歳?年相応だね!」

 動じないのはナゼだ??

「揶揄うのなら、もっと別の相手を探しなよ」
「揶揄ってなんかいない、本気だよ、俺」

 ぐいぐい、ぐいぐい、若さってスゴイ!!その眩しさに目をパチクリさせていると、彼は重ねて『俺と新しい恋をしてみませんか』と言うのだ。

「ヤリ捨てするつもりなら、人選を間違えたようね」
「だ~か~ら~、一目惚れって言ったでしょ」

 なんなんだ、この自信は?
 絶対に私が断らないとか思ってる??

「たっ、確かに私はそこそこ大手企業の顔である受付嬢に選ばれ、そこから更に華とも言える秘書となった女よ。…認めましょう、美人です。だからって、7歳も年下のコワッパに恋愛感情を抱かれるような隙は持っていないと思うわ」

 な、なに??どうして無言??

 ズボンの尻ポケットからスマホを取り出し、清春とやらはチマチマと何かを検索し始める。今どきの若者が皆んなこうなのかは不明だが、基本、テーブルに肘をつきダラダラしていて、そのだらしない感じが何と言うか…妙に和む。早い話が私もそっち側の人間で、ピシッとしているのは正直、疲れるのだ。というワケで両手を椅子に置き、脚を延ばして浅く座り直す。

 ああ、ラク!!
 ダラダラ最高!!

「コワッパ…娼家で雑用をする少女?!」

 彼の読み上げた言葉に驚きながらも、その手元を覗き込む。

「違う、ほら、他にも意味が有るでしょ?こっちの『子供や未熟者を罵っていう語』の方」
「俺、子供じゃないし、未熟でも無いけど」

 そう言いながら頬を膨らませるが、残念ながらそれすらもピッチピチ。ええいっ。何度ピッチピチだと思わせれば気が済むのだ!

「まだ親のスネを齧っているうちは、未熟のウチに含まれると思うわよ」
「でも大学に行ったら、親の仕事を手伝うし」

 どうせ社長の息子とかなのだろう。そんな息子に任せられる仕事なんてきっと大した内容じゃないだろうし、地道に頑張っている一般社員の方々の苦労を思うとつい説教モードに入ってしまう。

「仕事ってそんなに甘くないのよ。大学に通いながら片手間でやれることなんて、所詮その程度のことで。責任を負うこともそれほど無いでしょ。だからガッツリ毎日働く人の前で『俺、働いてまーす』とか言わない方がいい。もっと謙虚ぶっておくと可愛がって貰えるわ」
「謙虚ぶる…」

「そう!学生と違って職場は戦場なの。先に伝えておくわよ。政治と宗教について絶対に語ってはダメ。物凄く普通に見える同僚や顧客や得意先が、どっぷりソッチ系だったりするからね。もし何か意見を求められたら適当に流すの。避けられる摩擦は避けること!…いいわね?それと、飲み会に誘われたらなるべく参加!そこで人間関係を探るべし。派閥構成を知っておくと上手く立ち回れるから。仕事って業務内容より人間関係の方が重要なの。どんなに仕事が出来ても、仲間ハズレに遭っているだけで上司からの心証も悪いでしょ?もし私が上司だったら、仕事がバリバリ出来るけど性格に難が有って周囲とトラブルを起こす社員より、仕事はそこそこでも、周囲と上手く馴染んで職場を盛り上げてくれる社員を優遇するわ。だって、そういう人間はなかなか辞めないもの。誰でも長く続けてくれる人の方を大事にするに決まってるじゃない」

 一気に話し終えた時点でハッと気いたのだが、どうやら清春くんは笑いを堪えているようだ。

「いや、俺、実はこの店の常連で。しょっちゅうオネーサンのこと見掛けてたんだ。彼氏がいる時は清楚で可憐なのに、彼氏がトイレとか電話で席を立つと、スグに豹変して、表情まで変わるのな。オネーサン、裏表が激し過ぎて、ほんと面白い。で、別れ話されて『シッシッ』とかしておいて、その直後に号泣だろ?もう、こんな飽きない女、初めて見たわ」
 
 おのれ、“一目惚れ”などと言っておきながらかなり以前から私を知っているのではないか。

「えっとそれよりさ、こんな寂れた喫茶店にどうしてキミのような陽キャラの男子高生が通っているのか教えてくれない?」
「えーっ。俺が言う前にオネーサンの方はどうなのさ?」

「この喫茶店はね…寂れているクセして、コーヒーがべらぼうに旨いのっ!!最初はどこのカフェも満席で仕方なく入ったんだけど、もう一口飲んでトリコよトリコ!!きっと一流店で修業したバリスタがいるに違いないわ」
「あはは…だってさ、成亮シゲアキさん」

 清春くんが身を乗り出してカウンターにいるマスターにそう声を掛けた。長髪を後ろで1つに結び、お洒落とは言い難いメガネを掛けたその人は私と視線が合うとペコンと会釈をし。そのまま何事も無かったかのように業務に戻る。

「あら、マスターとお知り合い?」
「あー、うん。従兄弟なんだあ」

 目の前にいる裕福そうな男子高校生と、寂れた喫茶店のマスターが血縁関係にあるとは。世の中っていろいろだわ…などと思っていると、訊いてもいないのに身の上話が始まった。

「ラヴィアンローズ・グループって知ってる?」
「うん、結婚式場を運営している会社でしょ?CMなんかでよく見るわ」

「…それ、ウチの親父が社長なんだ」
「へえ」

「でも俺、愛人のコで。3歳の時に母親が亡くなって本宅に引き取られ、本妻の子と一緒に育てられたってワケ」
「ふうん」

 そっか、これはきっとアレだな。若い頃についウッカリやらかしてしまう、“苦労自慢”というヤツではなかろうか。男ってさ、こういう話に女は弱いと思っていて、何かと言えば伝家の宝刀みたく出してくるよね。…ということはどうやらこの男、本気で私を落としに掛かっているのか??

「いや、全然不満は無いんだよ。本妻が本当にイイ人で、実子と分け隔てなく育ててくれたからさ。でも、ある程度の年齢になると、自分のルーツを探りたくなっちゃって。実の母親のことをコソコソ調べてみたんだな。で、母方の従兄弟が喫茶店の雇われマスターをしていることを知ったワケ。…それがココだよ」

 このタイミングでマスターがコーヒーを運んでくる。すると私の手をガシッと掴んで清春くんは懇願した。

「ねえオネーサン。この店、赤字続きでヤバイんだよ。でも、このまま潰したくないよね?だったら俺と一緒になんとかしてみない?」
「へ?は?」

 …『付き合って』の部分はどこに消えたのか。

 目を細め、『付き合って』の行方を捜す私に明らかに人見知り全開のマスターが抵抗する。

「いや、そういうの、いい…から」
「なんでだよ?!俺、この店が無くなったらすっごくすっごく困るんだけど」

 それこそ『なんでだよ』と突っ込みたかったが、グッと堪えて私も口を挟む。

「確かにこの旨いコーヒーが飲めないと、私の人生は絶望的だわ…」
「だろ?オネーサンと俺で頑張っちゃおうよ!」

「うん、頑張る!えいえいおー!!」
「よっしゃ、えいえいおー!!」

 羽村美晴ハムラ ミハル25歳。
 精神年齢は男子高校生と同レベルです。

 今まで必死で大人ぶっていたのに、それを難なく自分レベルに引き摺り落とすとは。恐るべし、野獣でイケメンな男子高校生!!

「はい、じゃあオネーサン、俺と連絡先交換~」
「えっ」

 いつの間にやらテーブル上のスマホを奪われ、ロック解除をさせられた挙句、アドレス帳に藤井清春の名が登録完了。

 

 依然として『付き合って』は行方不明のままだ。

 
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