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これまでのこと

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 妹が、死んだ。
 
 父と妹と私。
 私たちは3人家族だった。
 
 母は私が小学校に入ると同時に近所のスーパーで働き始め。もともと綺麗な人だったがそれがより一層綺麗になったなと思っていたら、ある日突然姿を消してしまうのだ。幼い私にはよく分からなかったのだけれども、父が悲しそうな表情でこう教えてくれた。『お母さんは他に好きな人が出来て、そっちに行ってしまったんだよ』と。
 
 いま思えば不倫の末に離婚しただけの話だが、相手はそのスーパーの店長で、しかも向こうも既婚者だったことを考えると相当揉めたに違いない。それでも『本物の愛に出逢った』と言って母は相手の奥さんに慰謝料を払い、父も店長から慰謝料を貰って痛み分けとしたらしい。母は店長と共に遠くへと引っ越し、無事再婚。
 
 勿論こちらは無事では無い。心を病んだ父と、幼い妹。この2人をなんとかしなければという義務感のようなものを抱いた私は、笑いたくもないのに笑い、根性で家事をこなしながらひたむきに頑張った。

 とにかく幸せだったあの頃の家族に戻ろうと必死だったのだ。コッソリ隠れて泣くことも有ったが、それを悟られぬようにと細心の注意を払って耐え忍んだ。そんな怒涛の日々を過ごし、走り続けていたその足を少しだけ緩めようと思ったのは、妹のマユが大学に入り、私も社会人として生活が落ち着いてきた頃だ。
 
 私には高校時代から7年間交際していた一之瀬直也という彼氏がおり、このままいけば結婚だろうと周囲の誰もがそう思っているほどの仲だったが、それは驚くほど呆気なく壊れた。

 …直也が繭を妊娠させたのだ。
 
「ごめん、お姉ちゃん。私が全部悪いの!」
「悪いのは俺だ!勿論、責任を取って結婚するからどうか繭を責めないでくれ!」
 
 繭は当時大学2年で、私たち姉妹は外見しか似ておらず中身は真逆だとよく言われたものだ。社交的な姉と、内向的な妹。でも、本当は私も内向的な性格で、母親代わりに買い物をしたり近所付き合いをしていくうちに社交的なフリをせざるを得なかっただけなのだが。
 
 よく我が家を訪れた直也にずっと片想いしていたという繭は、勇気を出して自分から直也に迫ったらしい。『姉の恋人だと知っているのに、どうしても貴方のことが諦め切れません』と。『一度だけでもいいからデートしてくれませんか?』と。その想いに応えた直也は、一度が二度になり、二度が三度になってそれが定期的に続けられ、最後はとうとう一線を超えてしまったそうだ。
 
 大好きな2人に裏切られ、この世の終わりだとすら思った私だったが、そうは言っても繭のお腹には新しい命がどんどん育っていくワケで。仕方なく全てを許し、2人は結婚した。

 …しかし、話はここで終わらない。

 妊娠中に繭が若年性乳ガンだと判明するのだ。
 それもかなり進行している状態だと。
 
「ふふ、罰が当たったんだわ。悪いことは出来ないようになっているのね、お姉ちゃん」

 そう言って妹は赤ちゃんを優先してガン治療を諦め、出産したその僅か1年後に亡くなった。…23歳という若さで。

 これが私こと吉川桂ヨシカワ カツラの身に起きた、悲しい顛末である。
 
 
 
 

「…へ?ゴメン、意味が分からないな」
「はい、じゃあもう一回説明しますよ」

 私の勤務先はいわゆるIT関連で。どこぞの御曹司(※でも三男なので結構自由)である社長と、その親友の副社長が起業した歴史も社員も若い会社だ。私はその中で一番の稼ぎ頭であるデジタルコンテンツ部に所属している。この部署は男が大勢いて、誰でも選び放題だけど、私は敢えてリアリティを重視することに決めたのだ。

 地味…じゃなくて、えと、コホン。そう、ほどほどの顔立ちで、性格も温厚。年齢も1歳差とちょうどイイ!!貴方だったらきっと彼も納得してくれるハズだから。ごめんなさい、ややこしい話をしてしまって。もう一度改めて説明しますよ…と意気込んで口を『わ』の形に開いたところ、清水さんはいつもの落ち着くバリトンボイスでこう言い直した。

「うん、概要は分かったんだ。そんな経緯にも拘らず元彼…あ、形式上は義弟に当たるのか。とにかくその直也さんと接触を断つことが出来なかったと。直也さんの母親は当時、曾祖母を…そして曾祖母が亡くなったら今度は姑が脳梗塞で倒れてその介護をしているせいで孫の面倒まで見る余裕が無かった。しかも直也さんは一人息子で他に頼れそうな人がいなかったから、見るに見かねた吉川さんが姪っ子の日向ひなたちゃんの面倒を見てあげたということなんだよね?」
「はい、そうです」

 なんだ、よく分かっているじゃないの。でもまあ、私も既に就職していたので、出来ることは平日の夜や休日に面倒を見るくらいだったが。

「偉いよね、自分を裏切った男にそんな温情をかけてあげるなんて。なかなか出来ることじゃないと思うよ、俺は」
「いやあ、そんな、私なんて全然」

 …しかし、幾らそんな事情が有るとは言え、昔付き合っていた私が当時は実家住まいだった直也の元へ通っていることを知った人々の中には口汚く噂する人も一定数いて。直也の両親の耳にもそれが入ったらしく、ある日『桂さんは直也と復縁するつもりなのか?』と訊かれてしまうのだ。もちろん私は『無い』と即答したが、彼らいわく『それでは困る』と。

「妻に先立たれてすぐ、その姉を家に連れ込む冷たい男だという悪評が広がっているんだよ。これでは将来、直也の再婚が難しくなってしまうからね。今後は遠慮して貰えないだろうか?」

 こっちだって遠慮したいのは山々だが、じゃあ代わりに面倒を見れる人はいるのか?と問うとそれはいないと答える。直也の仕事柄、月に数回ある出張は断れないし、接待で遅くなることも非常に多い。何せ直也は就職したばかりなので、上司も事情は把握しているものの、余り融通が利かないのである。

 まあ、もともと直也の両親…特に母親の方は繭との結婚に大反対だったし、それはまだ大学生なのに授かり婚をしたということも有るが、一番の理由は介護で心身共に疲弊していて、これ以上自分に対する荷物を増やしてくれるな…という一点に尽きるだろう。私だってSEという職種柄、残業や休日出勤も多いのだ。それを何とか調整して時間を作っているのに、そういうこちら側の都合なんてこの人たちにはどうでもいいに違いない。しかし、だからと言って『はい』と素直に受け入れることも出来ず、悩んだ挙句直也は実家を出てマンション住まいとなり、私はそこへ通うことに。そしてそれを機に外見も変えたのだ。

 そう、出来るだけ野暮ったく見えるように。髪を伸ばし、メガネを掛けて化粧もしない。服装だって流行遅れな感じのものを箪笥から引っ張り出して着てみた。それは周囲への牽制というより、直也への牽制だったと思う。『私は貴方なんかに興味が有りません』『日向の面倒を見ることが目的なので私を女として扱わなくても結構です』と。自分でも言うのも何だが、それまでは美人だと評判だった私は跡形もなく消えてしまい。そこに残ったのはみすぼらしく不幸そうに見える女だけ。

 不幸そう…いや、実際に不幸だったのだが。結局、私は日向のため時間に融通が利くフリーランスの仕事へと転職し、必死に頑張ってアッという間に5年の月日が過ぎてしまった。このまま平穏な日々が続くと思った矢先、私は再び直也の両親から呼び出しを受けてこう言われたのだ。『息子に再婚話を薦めたところ、自分のせいで桂が婚期を逃したのに、その自分だけが幸せになるなんて心苦しいと断られてしまってね。だから桂さん、早く誰か良いお相手を見つけて結婚してくれませんか?』と。

 …は?そんな理由で私に結婚しろと??あまりの動揺に思わず『はい』と答えてしまった私だが、その後じっくり考えてみた。確かにこの先、私が直也と結婚することは有り得ない。だがそうなると日向の新しいお母さんも見つからないということに繋がる。かと言って私にそんなスグ相手が見つかるはずも無く。悩んだ私は取り敢えず転職してみたのである。
 
 
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