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続・甘すぎない生活
しおりを挟む「ふうん、あの人が武内杏奈さんですかァ」
「あー、うん、そう」
そう問い掛けたのは俺こと石本静流で、
返事をしたのは先輩の佐和さんだ。
俺は佐和さんを崇拝している。
何故ならこの人はとてもメンタルが強いのだ。30歳を目前にして5年間付き合った彼氏に振られるなんて、どう考えても大惨事なのに、佐和さんはズタボロになりながら仕事だけは手を抜かなかった。それどころか哀しみを笑いに替えて自らピエロになることに徹したのである(※佐和さんはピエロになったつもりはありませんが、石本くんからはそう見えたようです)。
俺はこう見えてメンタルが弱い。
理由は…とにかく可哀想な俺の話を聞いて欲しい。
父は有名企業の総合管理職で、とにかく転勤続きだった。最初は同行していた母も末っ子の俺が小学校に入学した時点でそれを止め、父を単身赴任させるようになる。祖母、母、姉2人と俺。5人での生活はとにかく賑やかで、祖母は母の実母だったことも有り、とにかくベラベラよく喋った。もしかして子供たちに寂しい思いをさせまいという優しさだったのかもしれないが、祖母と母のマシンガントークは休むことなく日々繰り返され、それを見て育った姉たちも輪をかけてよく喋った。
普通だったら、ここに無口なお父さんがいて、新聞なんか読みながら威厳を示していたのだろうが、残念ながら我が家にはそのお父さんが不在だったというワケだ。幼いながらに俺は、取り敢えず喋っておけば安心…的な誤った考えを植えつけられ、とにかく暇さえあれば口を動かしていた。学校では話す対象となる友人たちが大勢いたため拡散されたというか、誰か1人に集中して話し続けることは無かったので自分が異質であることに気付けなかったのだと思う。
…ところが。
中学に入り、それなりに彼女なんかも出来て、そして俺はとうとう知ってしまうのだ。あれは初めて付き合った彼女と一緒に帰ろうと思い、彼女のクラスまで迎えに行った時のことだった。
「もう辛い。男のクセにあんなペラペラ喋るなんて異常よ。私、このままじゃ頭がおかしくなりそう」
「えっ、石本くんってそんななの?!ヤッバーイ」
ショックだった。
小動物のように可愛らしい彼女が、顔を歪めて憎々し気に俺のことを貶す。そしてそれを友人たちが嬉しそうに同調していることが。自分が普通じゃないという事実よりも、なぜ辛いのなら直接この俺に言ってくれないのか、どうして当事者ではないその他大勢に相談してしまうのかが理解出来なかった。
…人には裏表が有る。
そのことを初めて実感したのかもしれない。
聞かなかったことにして、暫く彼女と付き合い続けたものの不信感はどうにも拭えず、天使のように笑うその陰で自分の悪口を言っているのかと思うと反吐が出そうになり。こんな女ばかりじゃない、そう期待して彼女と別れた後も何人かと付き合ってみたが、結果は皆んな同じ。自分で言うのもナンだが、そこそこ見映えのする容姿らしく、向こうから言い寄られて付き合うのに、やはり俺の会話量に耐えられないのだと。セーブしようと努力してみたことも有るが、酸素の足りない金魚の如く、息苦しさの方が強くなってきて。喋らない俺なんて偽りの姿でしかないと開き直り、最後にはこちらから別れを切り出してしまう。
これはもう病気だという自覚は有る。
多分きっと『おしゃべり病』だ。
相手に嫌われまいとして、黙る。なのに沈黙が怖くて喋ってしまう。そして相手の反応が気になり、また黙る。この沈黙に相手が困っている気がして、また喋る。そんなループに何度でも陥ってしまうのだ。いつしかこれ以上自分が傷つかないようにと『軽い男』を演じるようになり、その『軽い男』に本来の自分を乗っ取られそうになった時、佐和さんが言ってくれたのだ。
「石本くん、喋り過ぎ」
「えっ?」
「後で聞いてあげるから30分だけ黙ろうね」
「あ、はいっ」
陰口じゃなく、面と向かって言われたことに驚いて。ポカンとする俺に佐和さんは続けた。
「沈黙が怖いなんてまだ子供だねえ。よし、今晩飲みに連れてってやるから思う存分喋らせてやろう」
「あ、ありがとうございます」
それからも佐和さんは、平気で俺に向かって文句を言ってくれた。
>もっと短く纏めなさいよ、その話ッ。
>石本くん、これ以上喋り続けたら殴るよ!
>ベラベラうるさい!舌を引っこ抜くからね!
そんな悪態をついた日は決まって、飲みに連れて行ってくれて。俺の話を思う存分聞いてくれるのだ。
……
「んあっ、もっと、うん、うん、気持ちいいよお」
「佐和さん、好き、大好き、愛してます」
「私も、沢野じゃなきゃダメなの、沢野だから気持ちいいの」
「ん、知ってる、だって俺もそうだから、あああ、いい、んッ」
ミーティングルームで獣みたいに愛し合っている先輩たちの声を聞いて最初は驚いた。でもそれは次第に不思議な感情へと変わる。えっ、どうしたんだ俺?この気持ちはいったい…。
ああ、そうか、
羨ましいんだ。
今までの俺は、本当に適当で。まあまあの見た目のコと何となく惰性でセックスしていた。それはそれで気持ち良かったけどあの2人はそんなんじゃない。体はもちろん心まで繋がろうとしている。あんなの気持ちいいに決まってるじゃないか。
だって、心の底から愛し合ってるんだから。
そしてハッとした。俺って『愛のあるセックス』をしたことが有るか?うわ、嘘、無いよな?えええっ、マジで?いや、それ以前に本気の恋愛自体していないかも。
したい…。
いや、しよう、本気の恋愛を!!
というワケで、崇拝している佐和さんの紹介なら絶対に素敵な相手に決まっていると思った俺は、気恥ずかしさを隠すため相変わらず『軽い男』の仮面を貼り付けたままで懇願してみた。
>俺もしてみたいんですよね、オフィスエッチ!
>誰か社内の女性を紹介してくださいよ~。
…そして引き合わされたのが杏奈ちゃんで。これがなかなかの掘り出し物というか、俺の喋りに何時間でも平然と相槌を打てるという稀有な存在で。顔もなかなか好みだし、イイジャンこのまま付き合っちゃおうぜ!と思っていたはずなのに。
ふと俺は考えたのだ。
佐和さんが結婚したら、そんなに飲みに連れて行ってくれなくなるよな。ってことは、俺の話し相手をしてくれるのはこの杏奈ちゃんだけになってしまうワケだ。で、男女の仲になって、もし別れたら?俺の話し相手すらしてくれなくなるんだぞ?!
うわっ、そんなの無理!
俺、末っ子で寂しがり屋のお喋り小僧だもんッ。
じゃあ、最初から深入りしない方がマシなのか。
…というワケで。
杏奈ちゃんに手出しすることを己に禁じ、
苦悩の日々を過ごすこととなるのだ。
--END--
※続編である『甘ずっぱい生活』は明日投稿します。これにてシリーズ完結ですよ。わ~パチパチ。
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