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<茉莉子>
その106
しおりを挟むゴクリ、と渇いた喉を唾で潤し、私は何とか言葉を振り絞った。
「あの…、榮太郎のケガはどの程度の…?」
「幸い、内臓には達していませんでした。皮膚を深く切った程度…と申し上げておきます。
とにかく大事にしたくないという榮太郎さんの要望に従い、医師免許を持っている私が呼ばれ、4針縫っただけで済みましたが、感染症の恐れも有りますので連日消毒は欠かせませんでした。暫く発熱もしていましたし、痛かったはずです。
それでも奥様…この場合は榮太郎さんのお母様のことですが、彼女に知られた場合、離婚させられるかもしれないと仰り、回復するまで自宅に帰らなかったのです。
茉莉子さんは本当に愛されていらっしゃる」
愛されていらっしゃる。
愛されていらっしゃる。
愛されていらっしゃる。
まるでエラー状態みたく、その言葉が脳内で反響する。
「わ、私、てっきり榮太郎はコトリさんのことが好きなのかと思ってた…。だって、その…仕事で帰れないと言っておいて、アナタとこの店で食事していたし、だから…」
バン!…とコトリさんがテーブルを豪快に叩き、しかもどうやらそれが予想外に痛かったらしく、涙を浮かべながら私を睨んでこう言った。
「おいこら、ブス!!一緒に食事したら浮気になんのかよッ?!お前もあの親父と同じで頭の中、沸いてんのか。あれは私が責任感じて、退職すると言ったのを榮太郎様が説得してくださっただけだっつうの」
>大丈夫~、ブスじゃないよ~、
>茉莉子ちゃんはとっても可愛いよ~。
…スススッと店長が傍に来て、まるで通行人の独り言のようにして私を励まし。そして風のように去って行った。
もお!
今はそこんとこどうでもイイんだってば。
話の腰を折らないで!
ウインクも禁止だから!
店長をギンと睨みながら、私は堰を切ったように想いを伝える。
条件だけで選ばれた陰気で社交下手な自分より、明るくて愛され上手なコトリさんの方がきっと帯刀の嫁に相応しいのではないかと。
あの気難しいお義母様ですら、コトリさんが来ると楽しそうにしていると。もし榮太郎がそう望むのならば、私は喜んで緑色の紙に記入しますよと。
「緑色の紙って、何?」
「離婚届のことですよ」
未婚のクセに即答する剣持さんに向かって『ハアン?!』と顔を歪め。それからコトリさんは、私に向けて溜め息を吐く。
「あんたさ、そこそこ頭はイイらしいけど、人間としては落第だよ。
奥様が私と一緒にいる時に楽しそうなのはね、“部外者”だと思っているからでしょうが!
外部の人間をもてなしているから余所行きの顔を見せているだけなのッ!!反対にあんたは身内だと認められているから、素を見せているだけ!!
ったく、そんなことも分かんないの??
それにね、榮太郎様はあんたのことが本当に死ぬほどダイスキで、あんたの話をする時はトロットロで甘々の顔をしてんのよッ。私に気が有るのなら、毎日あんなバカ面で惚気ないわよ!
『茉莉子に食べさせてあげたいな』とか、
『茉莉子が待ってるから早く帰る』とか、
マリコマリコうるさくて仕方無いの!
他の女のことを考える隙なんて、もう絶対に有るわけないでしょおおおおッ!!」
最後は、鼓膜が破れるかと思うほど大絶叫だった。
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