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<茉莉子>
その97
しおりを挟む「は?もう暫く掛かるのですか?ええ、ええ。そう…なら仕方ないですね」
ふう、と溜息を吐きながらスマホを手放す。
日課の電話が今日は遅い時間に掛かってきて、このあと更に3日ほど帰れないと。榮太郎の声はそれなりに寂しそうだった。
私は私でバイト先のドルチェ担当なんぞに昇格してしまい、しかもソムリエの資格保有者だとついウッカリ漏らしたことでワインの仕入れに関する相談まで店長から持ちかけられ。
要するに、忙しかったのである。
相変わらずお義母様には、バイトのことを隠していた。なぜなら反対されるに決まっているからだ。帯刀家の嫁が、小さな個人経営のレストランで働くなんぞ許して貰えるはずも無く。いや多分、大手チェーン店でも無理だろうが、とにかくトラブルは避けたかったのである。
「あら、茉莉子さん。今日もスポーツジムに行くの?頑張るわねえ」
「はい、お義母様。バレエエクササイズの後にスイムトレーニングもする予定です」
「あまり根を詰めないでね。アナタの顔、最近疲れているわよ」
「はい、ご心配掛けて申し訳ありません。何事もすぐ夢中になってしまうもので」
週3がほぼ連日になったことを誤魔化すため、スポーツジムに通っているという設定にした。そのお陰で疲れて帰宅しても、あまり不自然には思われていないようだ。
「おはようございます」
「ああ!待ってたよ、茉莉子ちゃん。Aランチに付けるドルチェなんだけどさ」
雇われ店長の新見さんは、32歳独身。世間一般ではかなりイケメンの部類だと思うが、残念なことに私のイケメン標準値は榮太郎のせいで急激に上がってしまったらしく。だから、こんなに接近されてもビクとも動じない。平気の平左なのである。
とにかくこの店長、客商売をしているせいか嫌味なところが全然無く、物腰も柔らかだ。いつでも微笑んでいるように見えるのは、そういう顔の作りだからだろう。タイプ的には榮太郎に似ているが、あれを水で薄めた感じだと思って欲しい。
店長とは言えメインシェフも兼ねているのだが、この店では対等に話し合える人がいないらしく。そこそこ料理の知識が有る私に、簡単なことだけ相談してくるようになった。
店長の他には見習いシェフが1人、ホールスタッフの女性が3人という構成だ。人気店なのでこの人数で回すのはかなり厳しく、皿洗いを募集したのも当然だろう。
「じゃあ桃のスープにしちゃおう。セロリを少しだけ混ぜるとは、さすがだね」
「甘味を抑え、口当たりが爽やかになるんです」
「うう、やっぱ夜も来て欲しいなあ。茉莉子ちゃん、絶対に無理?毎日が難しければ、金曜の夜だけでもいいけど」
「そ、それって今晩からってことですか?」
「うん、出来れば」
「今晩…」
おねだり上手な店長が、上目遣いで私を懐柔してくる。
「あ、じゃあさ、お願い、今晩だけ!予約がミッチリ入ってるからって断ったのに、オーナーのコネとかで無理矢理1組追加されて。こんな時に限って実夕ちゃんが病欠なんだよね」
実夕ちゃんというのはホール担当の女子大生だ。ううむ。どうせ榮太郎はいないし、1日くらいだったらどうにか誤魔化せるだろうと。
この決断が間違いだった。
初めての夜の部勤務で、私はドルチェを作り、皿を洗い、盛り付けの補助をし。とにかく裏方に徹していたら、ホール担当のアヤさんが慌てながらやって来た。
「…ま、まま、茉莉子さん!いま入ったお客様、まるで王子なんですけどッ」
「あー、そうですかー」
まったくもう、仕上げの粉糖をふっている時に話し掛けないで欲しい。
「ちょ、何なのその興味なさそーな感じ!来て!そして一緒に感動してッ!」
「えっ、やだ、アヤさん、そんなヒマが有ったらドルチェを運んで…ん?」
手首を掴まれ、ホール全体を見渡せる位置まで誘導された私は、自分で自分の目を疑った。
…何故ならそこに、
榮太郎とコトリさんが座っていたからだ。
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