かりそめマリッジ

ももくり

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<零>

その33

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 …………
 本日のお勤めはこれで終わらせて
 いただいても宜しいでしょうか?

 それを口にせず目で問うてみたが、お疲れなのか課長は目を細めるだけだ。なのでスフィンクスの如く上半身を起こし、ベッドサイドの時計を確認しようとしたところ、再び課長の腕の中に引き戻された。

「俺と一緒にいるときは、時間を気にするな」
「でも、タイム・イズ・マネーなので…」

「もっと俺に夢中になれよ!そうすれば時間なんかイヤでも忘れるはずだ」
「ここに来ると朝はジョギングさせられるので、もう寝ますね」

「おいこら、零!人の話を聞けと言うのに。分かった、ジョギングは免除してやるから、もう一回抱かせろ」
「だったらジョギングする方を選びますよ。ハイ、おやすみなさい」

 本日二度目となるグイグイとグイグイの攻防。

「いいか?結婚式まで当分出来ないんだから、ヤリ溜めさせろ」
「そんなもの溜めておけるワケ無いでしょう?私はもう体力を使い果たしましたッ」

 課長の手が私の腰あたりに伸びて来たので、その人差し指を素早く掴む。

「い、いでででっ、折れる、折れるじゃないか。結婚式に包帯グルグル巻きで出させるつもりか」
「もし折れても手袋をすればいいと思いますっ」

「アホか?!和装の時はどうすんだよッ」
「というか、女の細腕で折れてしまう指なんか根性が無さ過ぎでしょ?カルシウム不足ですよ」

「はあ?!根性有りまくりだっつうの。ていうかさ、体力を使い果たしたって嘘だろ。いや、もし本当だったとしても、もう一回頼む。俺、すっごく仕事頑張ったからご褒美くれよ」

 ち、ちくそ。
 そんな頼み方をされるとグラグラ来るし。でも、肝心な時に素直になれない私はどうしても『はい』とは言えなくて、掴んでいた課長の指をそっと口に含む。ゆっくりと舐めていると、意味が伝わったのか課長の目が妖艶に輝き出す。

「ああ、もうほんとこのまま孕ませたいな」
「な、何をトチ狂ったことを言うんですか。それは契約違反ですから絶対にダメッ!!」

 一瞬だけ課長の目が哀しそうだった気がする。だけど、そんなはずは無いと自分で自分に言い聞かせながら瞼を閉じた。

「お前にいったいどう言えば伝わるんだ?ったく、何から何まで思い通りにならないな」
「またまたご冗談を。課長ほど全てを意のままに操っている男はどこを探してもいませんよ」

 瞼を閉じているせいで表情は見えないが、逆にその声から感情が伝わって来る。

「全てなんかじゃない。一番欲しいものは未だに手に入れていないんだ。零…お前の心だけがどうしても手に入らないよ」

『またそんな思わせぶりなことを言う』…そう突っ込みたかったが、止めておく。

 人間というのは摩訶不思議な生き物で、信じようと思えば信じられるし、大嘘だと思えばその通りになる。

 要は自分の匙加減なのだ。

 きっと私は、
 この恋が壊れることが怖いのだろう。

 両想いになって幸せに暮らすという妄想よりも、幸せイッパイの状態がアッという間に崩れ去り、不幸になるという妄想の方が容易いのはきっと育ってきた環境のせいかもしれない。

 両親からの愛情をたっぷり受け、兄と弟と私の3人でキャッキャと笑っていた幸せな生活は、たった1日で激変してしまった。

 叔父さんの家に引き取られ、こんな可哀想な私を絶対に皆んな優しく労わってくれるはずだと期待したのも束の間、壮絶なまでの虐めに遭い。

 仲の良かった友達からも心なしか距離を置かれ、その理由が『一緒にいると気を遣う』とかいうもので。両親の死や、叔父宅で虐げられていることが彼女たちには重すぎたのだと。

 自分の存在価値が分からなくなった…って、何だかここまで来ると尾崎豊の歌詞みたいだな。そう言えば『15の夜』で100円缶コーヒーで温まるという歌詞が有ったけど、いま幾ら?

「ねえ…課長」
「な、なんだ?」

「缶コーヒーって幾らでしたっけ?」
「かっ、ん…コー…ヒー…??」

 この状況でおかしな質問をしているという自覚は勿論ある。しかし、疑問を抱えたままで眠りたくはないいぃ~(※尾崎豊ふうに)。

「はい、金額を教えてください」
「零、おま、お前…。俺の切実な想いをだな…」

「は?どんな想いですか?」
「いや、聞いていなかったのなら別にいい。あ、缶コーヒーの値段だったな、130円前後かな」

「分かりました。有難うございます」
「…ん」

 課長の切実な想いとやらは、聞かなかったことにしておこう。などと考え、再び瞼を閉じた私の髪を課長がそっとそっと撫で続ける。

 好きな人から優しくされることが、
 こんなにも辛いだなんて。

 あまり多くは望むまい。課長の為に出来ることは、仕事をやり易くして、出しゃばらず、健康に気を遣う程度のことだ。

「零、もう寝たのか?」
「…はい」

「って、起きてるだろう、おい」
「…いえ、寝てますよ」

 こんなバカバカしいやり取りも、いつか楽しい思い出になるのかもしれない。

 そんなことを考えながら、私は眠りに落ちた。

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