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<零>
その8
しおりを挟む見た目はそれほど変わっていないようだが、よく考えてみたら2年も経っていないワケで。
さすがにカット中だから振り返ることも出来ず、鏡越しに静観していると慎也は挨拶を終えても尚、こちらに向かって微笑み続けている。
『久しぶり』ってそんな親しみを込めた感じで私に話し掛けて大丈夫なの?だって隣りにはあの長田くんがいるんだよ?…などと突っ込みたいのは山々だったが、私は課長の婚約者で、しかも課長の友人である相良さんが傍にいるので無難な挨拶を返す。
「本当にお久しぶりですね」
秘儀、オウム返し!
などと心の中でだけ陽気に振る舞ってみても、とんでもない虚しさに襲われただけだ。
ううう、会いたくなかったなあ。この人のせいで男を…ううん、人間を信じられなくなったというのに。全人類を信じていないワケでは無いが、ごく一部の人間は平気で他者を傷つけるのだとこの人のお陰で学べた気がする。
ええ、とっても勉強になりました。だからもう私に近寄るのはヤメてください。…心の中はグチャドロなのに、努めて明るく微笑んで見せる。そんな健気な私に仙人・長田は言うのだ。
「良かったな、松村さん。大好きな慎也と再会出来て。でもまあ、どんなに好きでも慎也が相手にするワケないけど。コイツの家、母親がメチャ厳しいからなあ。釣り合う家柄の女じゃないと付き合えないだろ。あはは、貧乏な松村さんは愛人にでもして貰え」
「っ、な、何を言うんだよ、理人!」
母親が厳しくて、貧乏人とは付き合えない…。そっか、じゃあ最初っから私とは遊びだったか。こんな爽やかそうなのに、この人って腹黒だな。
ていうかコワッ、貧乏人になら何してもイイと思ってたってこと?いや、正確には貧乏人でボッチの女なら、弄んでも誰からも文句を言われないと?
ついでに長田くんの名前って理人だったっけ?『理』という漢字は物事の筋道を意味するのに、この人って筋道が全然通っていないよね?なんかもう、日本中の理人さんに謝って欲しい。
脳内で怒りがプリズムのように屈曲しまくって、最終的にはどうでもよくなっていた。だって今日はたまたま会っただけで、もう接点は無いだろうし。
面倒臭い男の相手は、課長だけで充分だ。
そう言えば課長、遅いナー。…などと思っていると視線を感じ、その発信元を辿って行くと案の定、慎也だった。そして何をトチ狂ったのか長田くんや相良さんがいる前で愛の告白を開始するのだ。
「零、ずっと会いたかった…。
どうしていきなり拒絶したのか教えてくれよ。俺、何回か零のアパートにも行ったんだぞ?でもその度に零のお兄さんから追い払われて。
今なら言える…キミに一目惚れだったんだ。
L1号館裏で会ったのも偶然なんかじゃなく、こっそり零の後を追い続けていた結果なんだ。
理人の手前、堂々と付き合えなかったけど、現在の俺はあの頃の俺とは違う。無事に親の家業を継いで、ある程度の選択は任されているからね。
だからもう一度、俺と付き合ってくれ!!」
「お断りします(キメ※課長の真似)」
即答。それも『付き合ってくれ!!』の語尾に思いきり重ねてやった。
「…え?ど、どうしてっ?!」
なぜ驚く??
逆にこっちの方が驚くわっ。
ああ、若かったんだなー、私。
長田くんから迫害されて卑屈になっていた時にちょっと優しくされたものだから、なんかもうイチコロだったんだなー、私。
貧乏女との交際は母親がイイ顔しないだろうと。だから2人の関係を長田くん経由で母親に知られては困るからとひた隠しにし、そして私に『好きだ』と言っておきながらも長田くんの私に対する仕打ちは見て見ぬフリで、一緒に嘲笑う演技をしてみましたと。
…何が優しいものか。
鬼だよね、鬼。
どこから突っ込んでいいのか悩んでいると、いつもの調子で長田くんが口を挟んできた。
「そう言えば松村さん、婚約者がいるんだとさ」
「ええっ?!だって、俺と別れて2年足らずなのに??」
「まあ、いいじゃないか慎也。底辺は底辺同士でくっつくんだよ。ところで松村さん、婚約者の勤務先ってどこ?」
「なっ、なんでそんなことを言わなきゃいけないんですか」
課長の身分から考えると、グループ企業のお荷物会社に名前を偽ってまで働いているのは何か事情が有るはずなのだ。長田くんと慎也もそれぞれ父親が社長だから、どこでどう繋がっているか分からないため、適当に誤魔化しておこうと考えたのである。
ところが、この返答が長田くんを活性化させてしまったらしくイキイキと質問を重ねてきた。
「はあん?!言えないのかよッ。どれだけ小っせえ会社なんだっつうの。あはは、もしかしてアレか?パチプロとか。それともまさか犯罪者じゃないだろうな?」
「ちっ、違うし。帯刀フーヅで営業課長やってますゥ」
バカか私!!
どうして正直に答えてしまうのだッ。
激しい後悔に苛まれていると、案の定、長田くんが鬼の首を取ったような顔をする。
「っぷぷ!マジかよ?ウチの親父が言ってたぞ、帯刀グループの中でも帯刀フーヅは万年赤字でグループ全体の足を引っ張るお荷物なんだとさ。そんなクソみたいな会社で課長やってんのかあ。あはは、お先真っ暗だよな」
一応、私にも愛社精神はあるので、思わずキッと長田くんを睨んでしまう。すると、仙人・長田はこう言うのだ。
「そんな男と結婚するのはヤメとけよ。見たところもう慎也に未練は無いみたいだしさ、な、なんなら俺が付き合ってやってもいいぜ」
「無理(キメ※再び課長の真似)」
「は、はああっ?!こ、この俺と付き合えるんだぞ??普通の女なら大喜びでOKするのにッ」
「いやいや、普通の女じゃないし、ソレ」
長年の鬱憤を晴らせる好機がとうとう訪れた!
躍る心をどうにか静めたのは、相良さんが手を止めて話に聞き入ってるからだ。
「どういう意味だよッ」
「長田くんってよく自慢しまくっているけど、その内容の殆どが自分の成果じゃなく、有能なお父様の恩恵に与っているだけだよね?」
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