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<零>
その6
しおりを挟むそんなワケで土曜日。
いつもは千円カットに行っているので、こんな宮殿みたいなお店…緊張する…。もちろん課長の行きつけの店だとかで、本来は私なんぞの入れる場所では無いのだが。
「美容院なんて半年ぶりに来ましたよ」
「かなり時間が掛かるらしいから、俺はその間に母の好きな和菓子を買って来る」
訊けば課長のお母様はかなりの和菓子マニアで、お気に入りの栗蒸し羊羹を手に入れるには1時間待ちの行列に並ぶこととなるらしい。
「まずは頭皮マッサージから始めますね」
「はっ、宜しくお願い致しまするっ」
武士のような返事になったのはご愛敬だ。期間限定とは言え、課長と結婚したらこういう場所に慣れないといけないんだろうな。
「こんなに健康的な黒髪を見たのは初めてです。普段からよくお手入れされているんでしょうね」
「いいえ、そんな、とんでもない」
おほほ…と笑いながら軽く首を傾げた。
本当に手入れなんかしてないし。節約のため、たまにコンディショナーを使わず薄めた酢で代用しているのが良いのだろうか。まさかそんな貧乏臭いことは言えないので、アンニュイに視線を漂わせてみた。
なぜなら私は人前で鏡を直視出来ないのである。しかし担当美容師が熱心に話し掛けてくる為、鏡越しに視線を合わせなければならず。何度目かの鏡直視で、新たに来店してきた顧客らしき男性と偶然目が合ってしまう。
「あーっ、松村さん?!うっわ、なんでココにいるの??」
「な、長田くん…」
ご安心あれい。
この人は元カレなどでは無い。
元カレの友人…いや、そもそもあの男は彼氏ですら無かったはずだ。
私は目の前のこの人がとても苦手で。挨拶だけで去ってくれることを心底願ったのに、残念ながら『お知り合いなら隣りの席へどうぞ』などと美容師から粋な計らいをされてしまった。
そんなワケで、聞きたくも無いのに長田くんと美容師との会話が耳に入ってくる。
「ところで松村様とはどういった関係ですか?もしかして別れた元カノとかだったりして~」
「ぷぷっ、単なる知り合いだよ。俺がこんな女とどうこうなるワケ無いだろ?」
長田くんは大学時代の知り合いだが、当時から私にだけ塩対応なのだ。
おそらく、ホームパーティーだの飲み会だのに招待されたのを断ったのが原因だろう。『この俺の誘いを断るなんて、お前ごときが生意気な』と言わんばかりの目で睨まれ、それ以降はワザと聞こえるように中傷されまくったから。
というかさ、そりゃあ私だって楽しい宴に行ってみたかったよ。だけど、我が家のお財布事情がそれを許してくれなかったんだって。
とにかく、中心人物的な存在の長田くんに嫌われたせいで、私に声を掛けて来る人は激減し。あっという間にキャンパスライフは灰色一色。それでも仲の良い友人は数人いたし、さほど苦にはならなかったが。
…いま思い返すと胸アツな時代だったな。
「では松村様、ヘアカラー剤を塗りますね」
「はい」
最初は私が長田くんと会話すると思ったらしく、遠慮がちになった担当美容師も、隣に顔を向けもしない私の態度で察したようで、元どおり話し掛けてくれている。
「本当にお任せで宜しいんですか?何かご要望があれば今のうちですよ」
「はい、もう信頼していますので。好きにしてください、絶対に文句は言いません」
「ははっ。ではもう好きにしちゃいますよ」
「どうぞどうぞ」
物腰柔らかなイケメン美容師に、ようやく心を許し始めた頃。
「なあ、松村さん、なあってば!」
「…え?ああ、はい」
身を乗り出して長田くんが話し掛けて来た。
「お前、なんでこの店にいんの?よく考えたらさ、紹介制なんだわ、ココ。誰に紹介されたワケ?まさか慎也じゃないよな」
慎也というのは例の元カレもどきである。
どう答えても嫌味を言われそうだが、美容師たちの手前、言葉を吟味していたら無意識に長田くんを凝視してしまったようで。
「なっ、おい、なに見てんだよ?!お、お前みたいなブス、俺を見る資格無いしッ」
…ブスって。
そういう貶し方、本当に子供っぽいと思う。
悔しいことに軽く傷ついていると、イケメン美容師が笑いながら口を挟んでくる。
「ふっ、ふふふっ。そっか、そうなんですね。長田様は松村様のことが好きなのに、どうしても素直になれないのかな?でもそんな態度ばかり取っていたら、逆に嫌われてしまいますよ。ああ、分かります分かります。松村様、すごく可愛らしいですからね」
す、すげえ。さすが客商売だな!!
こっちの方がアンタに惚れそうだよ。
イケメン美容師がこの場を収めてくれたのに、何故か長田くんはギャンギャン吠え続ける。
「か、可愛くなんかないでしょ、コイツ!やだな相良さん、眼科に行った方がいいですよ」
「えーっ、でも本当に可愛いから。綺麗なだけの女性だったらよくいますけど、パッと見ただけでドラマ性を感じると言うか。きちんと中身が詰まっていそうで、すごく魅力的な女性ですよ、松村さんは」
う、うおおおおおっ。
恥ずかしいいいいっ。
私もう、アンタの嫁になるううっ。
…ハッ、左手薬指に結婚指輪!残念んんッ。
思わずニマニマしていると、長田くんは予想外の方向に暴走し始める。
「い、言っておくけど俺は松村さんのことを好きとかそんなじゃないからッ。えっと、あ!そうだ、慎也を呼んでやろうか」
「…はぁ?!なんでッ」
「元々アイツと一緒に昼飯食べる予定だったし、松村さんがいるって言ったらきっと来るよ」
「会いたく無いし、呼ばなくていいからッ」
「またまた~。一時期イイ雰囲気だったよな?聞くところに寄ると、松村さんって慎也のこと好きだったらしいじゃん。改めてフラれろよ!」
「いや、好きじゃないし、会いたくもないから」
なんて性根の捻じ曲がった男だろうか。
懇願する私を嘲笑うかのようにして、長田くんはその場で電話を掛け始めた。
「慎也?俺だけどさ、いま美容院にいるのな。で、隣に誰がいると思う?…松村さんだよッ。あはは、驚いただろう??久々に会いたくないか?うん、うん、そっか、分かった~」
不幸が私に忍び寄って来る予感がしたので、その元凶に向かって質問する。
「ま、まさか来ませんよね?」
「んああ?すぐに来るってよ」
く、来るっ?きっと来る??(BY貞子)
いや、もうそんな拷問ヤメて欲しい。
だってほら、逃げられないしッ。
頭にサランラップ巻かれてて、髪に優しいヘナなんとかのヘアカラー剤がパンケーキの生クリーム並みに乗ってるしッ。いや、それよりも課長!鉢合わせたらきっと面倒臭いことになるッ。
シミュレーションしたいけど、どんな行動を取るのか予測不能で読めないから、全然対策を練れないんですけどッ。
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