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第二章
コンチェルト 3
しおりを挟むそんなもん、言えるワケないし。だって自分の恋愛話なんて裸になるより恥ずかしいよね??焦りながら私がそう答えると、石原さんが真顔で反論してきた。
「私は全然恥ずかしくありません。だってその経験を積み重ねて出来上がったのが現在の私なんですよ」
「えっ、まあ、そうなんだろうけど…」
「信じて、裏切られ。裏切られてもまた信じて。そんな自分を褒めてあげたい!ていうか褒められたいんですっ!」
「えっ…?ええ…ああ…」
どうやら何かのスイッチを押したらしく、石原さんは激熱モードに突入したようだ。
「いいじゃないですか。だってどんな結末であれ、“恋”とはそれ自体が美しいのです。そしてその美しい物語は、一生のうちにそう何度も綴れません。だから自分以外の物語を知りたくて、映画を観たり小説を読んだり。それでも飽き足らずに、こうして身近な人から話を訊くのです。
恋は魔物!
恋こそすべて!
恋って最高!
そうやって自分で自分を鼓舞しないと、恋することに臆病になってしまうから。いつその機会が訪れても、怯えないよう慣れておきたいんです」
石原さんはネゴシエーターの才能を備えているのではないだろうか。さすが、あの口の重い光正から恋愛話を訊き出しただけのことはある。なんと表現すればいいだろう?“単なる興味本位”でも“興味の有るフリ”でも無くて、心の底から知りたがっているのがこちらにも伝わってくるのだ。
>アナタの恋愛を知りたいんですよ!
>それを私の糧にさせてください!!
…うん、そういう感じだ。私なんかだと恋愛を斜に構えていて、そっち関連の話をすることに罪悪感を抱き、常に傍観者の立場でいようとするのに、石原さんは堂々と真ん中にいようとする。恋愛をバカにしていないし、むしろ恋愛を崇拝し、焦がれているのだ。
この違いは大きい。なんだかもう『話してもいいかな』と思い始めていた。あの頃は無我夢中で分からなかったけど、多分3人共キラキラと輝いていたはずだ。みっともなくて、哀しくて、不安に押しつぶされそうで、そして途方もなく美しかった私達の恋。仲間に入れずスネる唯には、お気に入りのアニメ映画を見せておいて。陽気なオープニング曲をバックに私は静かにゆっくりと語り出す。
…私と芳と、光正の物語を。
若くして不治の病に冒された元カレと、一途に自分のことを想ってくれて転職までしたと言うもう1人の元カレ。2人の間で揺れたものの、結局選んだのは病気の方の元カレで。周囲の反対を押し切って結婚し、程なくして彼は天国へと旅立った。…簡潔にまとめると、ただそれだけの内容だ。
考えてみれば人は誰しも必ず死ぬように出来ているのだから、決して私達だけが特殊なのでは無い。むしろ、ありふれた話だと思う。だからありふれた話にならないよう、必死で私はエピソードを付け加えるのだ。芳がしてくれた数々のことを。私の為に身を引き、私に向けられた悪意を排除し、私が幸せになるよう見守り続け…そして間近に迫っていた死を受け止め、必死で恐怖と折り合いながら毎日笑っていた彼のことを。
不思議と涙は出なかった。絶対に忘れないという気持ちと、前を向いて生きなければという真逆な思いが哀しみを中和したのだろう。残念なことに記憶の中の芳は少し不鮮明で、考えてみれば彼が姿を消してからもう3年もの月日が経つのだ。その声も匂いも、どこか朧げで自分の薄情さに思わず笑ってしまう。あんなに好きだった人をこうして徐々に忘れてしまうだなんて。
まったく時というのはなんて残酷で、
そしてなんて優しいのだろうか。
そんなことを、ポツリポツリと話した。もう伝えることが無くなって、どう締め括ろうかと悩んだその時。石原さんが言うのだ。
「井崎さん、私は番匠さんからの目線で3人の話を既に聞いています」
「うん、そうなんだよね。どう?やっぱり私目線だと違うのかな」
「井崎さん目線だと、井崎さん自身が何の変哲も無い平凡な女性に映りますが、番匠さん目線だと全然違うんです」
「えっと、どんな風に?」
「暗い少年時代を過ごし、生きる意味が分からなくなっていた男に初めて差した、光。…アナタはそんな存在なんだそうです」
「や、やだなあ、そんな大ゲサだよ」
何かが胸の奥から込み上げて来る。まるで枯れ枝が芽吹くように、不思議な感覚に襲われる。
「番匠さんから見た井崎さんは、強くて、真っ直ぐで、輝いているんです。初めて会ったその日から、それは変わらないそうですよ。番匠さんは私が出会った中で一番素敵な男性です。どうしてそんなに素敵なのか?それは井崎さんに愛されたかったからではないでしょうか。ほら、やっぱりアナタは光なんです。番匠さんをキラキラと輝かせている、光。もっともっと近づいて輝かせてあげてください」
クサイことを言うよなあ、
若いって恥ずかしいよなあ。
…そう思いながらも、それが無性に有り難かった。狡い私は、理由が欲しかったのだ。このままでも十分満足だが、敢えてそれを変える為の言い訳を。もしかして、その変化は今よりずっと幸せになれるのかもしれないし、逆に全てを失うことになるかもしれない。1人ならば身軽に挑戦出来るが、私には唯がいるのだ。
言葉を慎重に選んでいると森嶋くんが会話に割って入ってきた。
「でもさあ、理想と現実は違うから。好かれていると分かってて番匠さんの元に行かなかったってのは、多分それなりの理由が有るんだろうよ。だって人は幸せになろうとする生き物で、まあ、中には拗らせて苦労好きな人間もいたりするけどさ、それはごく一部だよ。ん?えっと、何を言いたいかというととにかく常に最良の選択をするはずで、だから現状から考えてみると今の雅さんにとって番匠さんが最良じゃない…ってことなんじゃないのかなあ?」
心の中が一斉にザワザワと波立つ。それは、森嶋くんの意見に対して素直に頷けなかったからだ。
違う、そうじゃない!
私にとって光正は特別な存在で、彼のいない人生なんてもう有り得ない。なのに彼の元へ飛び込めないのは芳に対する罪悪感のせいだ。1つ1つ丁寧に言葉を選んで2人にそう伝えると、森嶋くんがボソッと言う。
「雅さんの旦那さんって、そんなちっさい男じゃないでしょう」
「…え?」
「それほど強烈な生き方をした男だし。『ちょっとやそっとじゃ、俺のことを忘れられないだろ!』くらい思ってそうですけどね」
「あ…ああ、そうかも…」
面影の似ている森嶋くんがそう言うと、まるで芳本人からそう言われているみたいだ。
>なあ、雅。
>お前、ちょっとやそっとじゃ
>俺のことを忘れられないだろ!
「心の中の旦那さんのスペースを全部、番匠さんに譲るワケじゃないでしょう?きちんと旦那さんのスペースを残して、空いたところに番匠さんを入れればいい。2人の男を共存させる愛し方もアリです。それにきっと旦那さん、雅さんに幸せになって欲しいだろうし。あんまガチガチにならずに、もっと人生を楽しまないと」
すかさず石原さんも同意する。
「そうですよ!きっと井崎さんだけじゃなくて、唯ちゃんも番匠さんも幸せになれます。人間なんていつ死ぬか分からないんだし、そう考えるといつ死んでもいいようになるべく幸せでいなくちゃ。アナタは旦那さんからそれを学んだんじゃないんですか?」
ああ、2人とも若いなあ…と思って。10年前までは私も、時間はたっぷり有ると信じていながら何故か駆け足で生きていた。とにかく少しでも前に進むことを望んでいたはずが、それが今ではすべて真逆だ。時間には限りが有ると知りながら、前に進む速度はゆっくりで。足踏み状態でも厭わなくなってしまっている。
「ふふ、若さに感化されてみようかな」
「なに言ってるんですか、日本女性の平均寿命87歳のご時世に。雅さんなんて半分にも満たないんですよ。まだまだヒヨッコですよ、ヒヨッコ」
その言葉が、妙に胸に染みた。そうか、私はあと50年も生きるのかと。50年をどう生きるかは自分次第で、楽しく生きるのも、寂しく生きるのも、私自身が好きに選べるのだ。
>雅、本当に愛してるよ。
>どうかどうか、幸せに…。
呪縛のように感じていた芳の言葉が、今では別の意味になって心に響く。
ねえ、芳。
私、幸せになっていいの?
ううん、ならなきゃダメなんだよね。
アナタの分までうんと幸せに。
「…ごめん、森嶋くん、石原さん。ちょっと出掛けてくるわ。唯のこと、見ててくれるかな?」
「はい!喜んで」
少し遅れて森嶋くんも手をヒラヒラさせながら言う。
「いってらっしゃい、お幸せに~」
そりゃそうか、行き先なんて言わなくてもバレてるよね。
「すう、はあ…」
エレベーターの中で前髪を整えながら私は小さく深呼吸する。目的地は8階の角部屋だ。
「雅?どうした」
「……」
言葉より先にゴクリと喉が鳴った。
「ちょうど良かった、俺も話が有ってさ」
「え?な、何かな」
「その…取引先の社長のお嬢さん…まあ、お嬢さんと言っても、もう40過ぎてて、とにかくその人が俺を気に入ったとかで」
「ふ、ふうん…へえ、そうなんだ?」
えっと、光正、チラチラと視線が泳いでるんだけど。
「いや、今まではそのテの話はきちんと断わってたんだけど、今回だけはどうにもしつこくてさ。しかもかなり大口の顧客だから無下に出来なくて困ってるんだよ」
「そ、そうなの?」
ほらまたチラチラ、チラチラ。ふふっ、そっか、そうなんだね。
「だから…その…、雅に」
「いいよ、結婚しよう!」
「えっ?!付き合うとかじゃなくて、け、結婚??なっ、雅、どうした?!」
「光正に愛されまくって死にたい。そして、私も光正を愛しまくりたい。…そんな理由じゃダメかな?」
知ってた?光正って嘘を吐く時に必ず視線をチラチラさせるんだよ。『雅に嘘は吐かない』と断言したはずなのに、突破口を見出そうと頑張って嘘を吐いたんでしょう?
ねえ、光正。
今まで諦めないでいてくれて
本当にありがとう…。
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