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第二章
コンチェルト 2
しおりを挟む「ざーっす」
「おはよう、森嶋くん」
あんな積極的に迫って来たクセに、余りにも変わらないその態度に思わず拍子抜けしてしまう。…ん?貴方の席は2つ向こうのシマですよ。澄ました表情で森嶋くんは私の隣席に腰を下ろし、それから手にしていた紙袋からゴソゴソと丸い物を取り出す。
「えっと、メロンパン?」
「違いますよ。期間限定販売の瀬戸内レモンパン」
「レモン…パン…」
「メロンの部分がレモンなんです」
「いやいや、メロンの部分ってどこよ」
「アミアミのとこですよ」
「いやいや、分かったけどなんでココで食べるの?」
「自席で食べたらきっと、百田さんが半分くれって言うし」
百田さんというのはポッチャリ系の中年男性で、食べ歩きブログを毎日更新するような食いしん坊キャラの人である。
「ああっ、そうやってポロポロ零す~!それ、平さんに見つかったら殺されるよ。すっごく神経質だからね、あの人」
「雅さんって、朝からよく喋りますよね」
も、森嶋くんって…なんだか新人類みたいだ。『結婚前提で付き合いましょう』と言って一旦は断られているのに、いったい何なの、この態度??ドライ過ぎて引くわ。むしろ私の方が気を遣うっつうの!
「珍しいね、朝からパンとか食べるの。いつも朝食は食べない派じゃなかったっけ?」
「あー、えっと…。女から貰ったんです」
「女??」
「だって雅さん、相手してくれないから。あれから適当なの見繕って呼び出したら、ソイツが朝早く起きて買って来ちゃって」
やっぱり理解不能!この男の頭の中はどうなってるの??
「うわ…」
「あ、やっぱ引いてます?だって雅さんが訊いてくるから…」
「うわ…うわ…」
「そういう反応されると傷つくなあ」
あまりにも軽いその生き方を、全て否定するワケでは無い。多分この人は自分に正直なだけなのだ。
「ねえ、人との付き合いは苦手なんじゃなかったっけ?」
「うーん、別に喋らなくてもそういうのは出来ますし…」
訊かなきゃ良かったと激しく後悔し、ふと背後に気配を感じて振り返るとそこに営業部の新人女性が立っていた。見るからに若くて可愛いその人は、笑顔から一転、怒りの形相へと変化する。
「この…クソ男ッ、ふざけんな!!」
バシャッ!
止める隙も無いほどの素早さで、彼女は手にしていたバケツの水を勢いよく森嶋くんにかけた。
「…ふうん、そっかあ。森嶋の女グセが悪かったせいで、俺のデスクがこんな風になったワケだ」
「はい、あの…平さん、すみません」
平さんは私より1つ年上の既婚男性だ。席替えで隣りになり真っ先に思ったのは、粗相しないようにということで。そのくらいこの人は隙の無い感じなのだ。バケツの水をぶちまけた新人女性は早々に営業部の部長へと引き渡され、対する森嶋くんの方もウチの室長から事情聴取を受け、コッテリと説教をくらった後でこうして平さんに謝罪に来たのである。
幸いなことにノートパソコンは、蓋を閉じてあったお陰か無事で。念の為に代替機にデータを移した上で、点検に出すことになったそうだ。その手に鞭を持っていたならば、確実に森嶋くんを何度も打っただろうというくらい、平さんは怒っていた。しかも痴情の縺れが原因だと分かり、更にその勢いは増しているようだ。
「パソコンが無事だとは言え、この辺りに並べてあった貴重な参考資料、それにリサーチ結果なんかが全滅だよ。いったいどうしてくれるのかな?」
「えと、そ、それは…。俺に出来ることがあれば言ってください、本当に何でもしますから!」
ちなみに今回の事件はこんな流れだったらしい。…昨晩、帰宅した森嶋くんは手当たり次第に女性を誘ってその中の1人からOKを貰う。ところが梶さんという名の例の女性社員が、返事もせずにいきなり彼の部屋へ向かったせいでレモンパンの女のコと鉢合わせしたそうで。自分は付き合っていると思い込んでいた梶さんが烈火の如く怒り出し、それを面倒だと感じた森嶋くんが遊びだとカミングアウト。一旦は素直に帰ったかに思えた梶さんが翌朝バケツに水を入れて登場し、大惨事になったと。
まあ、その経緯を聞いても皆んな『やはり』としか思わないのだが、それは自分達に支障が無いからで。被害を被った平さんはさすがに思うところが有ったらしい。冷徹そうなそのイメージとは真逆の、こんな課題を森嶋くんに出したのだ。
「愛について考えてみなさい。そしてレポートを提出するんだ。原稿用紙10枚分にきちんと手書きで。今までの女性との付き合い方を反省し、これからどうするかも書くんだよ。僕が納得出来なければ、何度でも書き直させるから。…いいかい?森嶋くんの周りには、様々な愛のカタチが有ると思うんだ。だから自分自身じゃなく、他の人たちの考えも参考にするといい。こら、そういうイヤそうな顔をするな。キミはもう26歳だろう?そろそろ自分を見つめ直して、真剣な恋愛をしてもいいはずだ。素敵なレポートを期待しているよ」
予想外の展開に森嶋くんは言葉を失い、私はそれを見て思わず笑ってしまった。
「…だからなんでこのご時世に手書きなのかってことですよ。一部訂正とか出来ないし、漢字とかいちいち調べるのがすげえすげえ面倒でッ」
翌週の土曜日。
突然、我が家にやって来た森嶋くんはクシャクシャに丸めた原稿用紙を丁寧に伸ばしている。それを見て唯が笑った。
「『がんばりましょう』になったんだね。ウチのクラスでそれになる人って、すっごくダメな子なんだよ~」
「うう…。唯ちゃんまでそんなことを…。俺的には『よく出来ました』のつもりで提出してんのに、平さんが厳し過ぎんの」
平さんいわく、学生時代にバイトで塾の講師をしていたそうで。当時のことを懐かしみつつ、デキの悪い生徒の為に心を鬼にして書き直しを命じているらしい。それをそのまま森嶋くんに伝えると、白けた感じで目を細めながら言うのだ。
「だからって人が心を込めて書いた物を、こんな風にクシャクシャにするのって…。なんか違う意味で鬼ですよね?!」
その原稿用紙をひょいと掴み、ササッと内容を確認してみる。
「森嶋くん、コレどこから文章拾った?」
「え?ああ、ネットで適当に検索して、それっぽく繋いでみたんですけど。やだな、そんなバレバレですか?」
>愛とは許すことである。
そんな言葉から始まったそのレポートはひたすらキラキラした言葉が続く。これはもう、思わず突っ込みを入れずにはいられない。
「いやいや、森嶋くんは許す側じゃなく、許して貰う側だよね??」
「あはは、言われてみればそうですね」
>右の頬を打たれたら、
>左の頬を差し出せ。
「ちょ、ところどころ聖書も混ざってる」
「え?それって聖書なんですか?雅さんって博識ですね」
じょ、常識だしッ。まったくもう、この新人類め!!読めば読むほど自分の言葉が1つも無い。これじゃあ平さんも呆れるわ。そう感想を述べたところで、洗濯を終えた石原さんがやって来た。
「やだ、森嶋さん、また来たんですか」
「な、何だよ今更ッ。いつも来てるのに突然そんなイヤそうに」
「だって森嶋さんはオンナの敵だって。我が営業部の中では、警戒レベルMAXに格上げされちゃいましたよ」
「女ってすぐにそうして徒党を組むよな。なんかそういうのって低俗…」
この言い争いを止めようと、私は思わず手にしていた原稿用紙を石原さんに渡してしまう。
「…なんですか井崎さん、これ」
「例の事件に関する制裁で森嶋くん、反省文を書かされてるのよ。しかもテーマが『愛について』ですって」
至極マジメな表情でそれを受け取り、黒目を動かしながら読んでいた彼女は次第に眉をひそめる。
「酷い…。なんですかこりゃ。こんな男に愛を語る資格は有りません。森嶋さんはすぐ傍に井崎さんという愛のレジェンドがいるのに、どうして感化されないんですか?」
「やだ石原さん、私を巻き込まないで!」
まるで女子みたいにキャッキャすると、真顔で森嶋くんは訊いてくるのだ。
「えっと、じゃあ教えてください。雅さんと旦那さんの馴れ初めを」
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