真冬のカランコエ

ももくり

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第二章

三人目のパートナー 2

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 一瞬、聞き違いかと思ってシパシパと瞬きを繰り返す。

「あれ?聞こえませんでしたか?雅さん、俺と付き合ってみましょうよ。俺、人付き合いとか本当に苦手だけど、貴女となら上手く話せるんです。いや、たぶん貴女としか話せないんだな」

 余りにも軽く言うので、思わず固まる私。

 何だかもう異星人と一緒にいるみたいだ。10もの年齢差とか、職場では一応上司だとか、夫を亡くしたばかりだとか、まだ小さい子供がいるとか。そういう数々の懸案事項をこの人は全く気にしていないらしい。いや、別に結婚までは考えていないんだろうけど、それにしても呑気過ぎないだろうか。…そんなことを考えていると、森嶋くんはダメ押しでこう付け加えた。

「あ~、大丈夫ですよ。一応、結婚とかも視野に入れてますんで」
「は、はああ?!何を言ってるか分かってるの??け、結婚って。何を、な…」

 動揺し過ぎて言葉が見つからない。鯉がハプハプと水面に口を出して呼吸するかの如く、思わず光正の方に視線を飛ばす。しかし残念ながら彼はプリンを食べ終えた唯から怒涛のお喋り攻撃を受けていて、こちらの事件は耳に入っていないようだ。仕方なく私は頭の中で言葉を繋ぎ合わせ、丁寧にそれを口から取り出した。

「10歳も若い森嶋くんから、そんなことを言われるなんて嬉しいけど。でも、私はまだそんな気になれないの」
「そんな気って…。あまり深刻に考えず気軽に付き合えばどうですか?」

「そうはいかないよ。私くらいの年齢になると、遊び感覚じゃ付き合えないの」
「別に俺、遊び感覚じゃないですし、こう見えてワリと本気なんですが」

「だって森嶋くんってモテるよね?わざわざ私なんかと付き合わなくても、選び放題でしょ」
「…それ、本気で言ってます?」

 その笑顔が余りにも自虐的に見えて思わず言葉に詰まると、静かに森嶋くんは話し続けるのだ。
 
「俺、前にも言ったと思うんですけど、人と話すのが本当に苦痛で。その言葉の裏に隠されている意味とか、いちいち汲み取るのかクソ面倒で。例えば大抵の人って一番伝えたいことを会話の終盤あたりに持ってくるでしょ?『ああ、実は自慢したかったのか』とか、『卑屈な自分を隠したかったのか』とか、そういうのを読み取るのが嫌なのに、俺って人間は無意識に読み取ってしまう。声のトーンだったり、表情だったり、そんなことすら気にして、相手の話を真剣に聞いてしまうんです。

 その結果、物凄く疲弊する。大袈裟かもしれませんが事実なんだから仕方ない。こんなに誰かと一緒にいることで疲れるのなら、一生ひとりでいいかと。そう思っていた時に雅さんと出会った。厳密に言うと、以前から知っていたけど、より深く話す機会が増えた。…なんかね、貴女ってラクなんです。駆引きとか面倒なことを一切しないし、しつこく立ち入って来ないクセにさり気なくこっちを見守ってる。そのバランスが実に絶妙で。俺、こんな女がいたんだと素直に驚きましたよ」

「それは恋では無いでしょう?あのね、結婚というのは本当に好きな相手とするものなんだよ」

 一瞬、驚いた表情を見せたかと思うと、森嶋くんは呆れたように言うのだ。

「雅さん、この世の中に本当に愛し合っている夫婦なんて何組いると思いますか?愛とか恋じゃ、人の心は繋ぎ止めておけない。永遠なものなんて何も無いんです。それでも誰かと一緒にいられれば、寂しいと感じる時間が少なければ、人は幸せな人生だと言う。そんな感じの結婚が有ってもいいんじゃないですかね?

 俺は、アナタといると苦痛じゃない。ここにいる番匠さんや石原さんとも、間に雅さんがいれば普通に接することが出来る。多分それ以外の人間とも、間に雅さんを挟めば俺は平気なんです。どうしてかは分からないけど、何と言うか、緩和剤みたいな感じかな。…とにかく俺には合ってるんだと思う。

 亡くなったご主人が忘れられないなら、そのままで構わない。俺を熱烈に愛してくれなんて言いません。ただ、一緒にいてくれればいい。よく考えてみてくださいよ。雅さんの身に何かあれば、唯ちゃんは1人ぼっちになってしまう。でも俺と再婚しておけば、唯ちゃんを1人にすることは無い。そういう保険として俺を使っても構いませんから、ね?」

 そんな考えも有るんだな…と思って。でも、たぶん私には無理なのだ。遠い将来、いつか再婚するとしても愛し愛されて結ばれたい。

 そうでなければ芳に申し訳ない。

「いい加減な生き方はしたくないの。だから、ゴメンね森嶋くん」
「あー、全然大丈夫です。そんなスグOK貰えると思って無いんで」

 …ふと私は思い出していた。独身時代に『好きだ』と告白してくれた涌井さんのことを。あの人も人付き合いが凄く苦手で、私にしか心を開かなかった。森嶋くんといい…あっ、よく考えると光正なんてその代表格かも。きっと私、こういう系統の人達から気に入られるように出来ているのかもしれない。



 暫くして男性陣は帰り、後に残された私は唯をお風呂に入れ、石原さんはネットで不動産情報を検索していた。そうこうしているうちに遅い時間となったので唯を寝かしつけ、リビングに戻るといきなり石原さんから深々と頭を下げられる。

「…あの、井崎さん、本当にごめんなさい!!」
「え…っ?どうしたの」

「本当は私、女友達の所に泊まろうと思えば泊まれるんですけど、あわよくば番匠さんの部屋に泊まらせて貰えるかもと期待して…その…、誰も泊めてくれないと嘘を吐きました!」
「そ、そうなの??」

「でも今さら本当のことは言えなくて、番匠さんと同じマンションの別階だから、もしかして朝晩一緒に通勤出来るかもと甘い期待なんかもしてしまっています。図々しいお願いだと分かっているんです。でも暫くの間、何もかも承知の上で居候させて貰えないでしょうか?」

 そんなの言わなければバレないのに。正直者なのか、さり気ない牽制なのかを判断しかねて、つい黙り込む。

「井崎さん…怒っちゃいましたか?」
「えっ?ううん、怒ってはいないよ」

 いや、多分その両方なのだろう。人には言って良いことと悪いことを振り分ける能力があるはずなのに、稀にそれを他人に委ねる人がいる。それも計算ではなく、天然でだ。私の前で堂々と光正を好きだと言ってのけるのも、そのくらい本気だというアピールなのかもしれない。

「もう時間が無いんです。だって番匠さん、あと1年でいなくなるでしょう?」

 一瞬、言っている意味が分からなくてそのまま反芻する。

「…1年で、いなくなる…」

 誰が?と聞こうとしてすぐに気付く。どう考えてもこの話の流れだと光正だ。

「知らなかったんですか?1年後に出来る北陸支店に営業部長として配属予定なんです。かなり規模の小さい支店だけど38歳で部長なら異例の昇進ですよね。遠距離恋愛でも構わないので、出来ればそれまでに少しでも進展したくて、だから形振り構わずこうして行動しているところなんです」

 驚き過ぎて、声が出なかった。転勤になること自体もそうだが、それをなぜ私に教えてくれなかったのか。そしてなぜ石原さんが知っているのか。同じ営業部でしかも仕事を教えている立場なのだから、石原さんが知っているのは当然だと頭では分かっている。でも、それよりも先に知っておきたかった。誰よりも先に私が、知っていたかった。

 石原さんの入浴中に光正へ電話しようと何度もスマホを手にしたが結局、掛けることは出来なかった。きっと私が何を言っても転勤することは事実だろうし、その事実が変えられないのであれば、光正のタイミングで報告してくれるのを待とうと思い直したのだ。大丈夫、お陰で覚悟は出来たから。…そう強がってみるものの、やはり内心では悲しくて仕方ない。

 >それでも誰かと一緒にいられれば、
 >寂しいと感じる時間が少なければ、
 >人は幸せな人生だと言う。

 必死で頭の中から消そうと思っていた森嶋くんの言葉が、妙に染みた。

「寂しい…」

 口に出した途端、その言葉が蔦のように絡みつく。

「寂しくなんか…無い」

 嘘でも自分にそう言い聞かせると、重い何かに押し潰されそうだ。



 ブブブブ…

 そんな闇から私を救ってくれたのは、
 光正からの電話だった。

 
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