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第二章
Echo 1
しおりを挟む泣かないで
俺が幸せにしてあげる。
大丈夫、ずっと傍にいるから。
だから、泣かないで。
────
3年後。
「だからね、雅の方からも注意してよ。今年に入って2人も退職したんだよ?ここまでくると新人ブレイカーだわ」
そう言って祐奈は頬を膨らませたが、指導してどうにかなるくらいなら私だってとっくの昔にやっている。
「でも、ほら、男女の色恋沙汰にあれこれ口を出しても…さ?」
恐る恐る顔色を伺いながら答えると、クワッと牙を剥き出しにして反論された。
「はあん?!色恋沙汰なんかじゃないでしょ?一方的にヤリ散らかしてるのよッ。悔しいことに見た目だけは本当にイイからさ、世間知らずの若い女のコはコロッと参っちゃうんだって。どうせヤルなら社外でヤレって言ってよ。アイツ、雅の部下なんでしょ??」
“アイツ”こと森嶋啓太は私と同じ商品開発室に所属し、一応というか本当に部下である。無愛想だが仕事は出来るしそこそこ信頼しているのだが、如何せん、女にだらしない。それも社内の人間に平気で手を出し、別れる際にたびたび揉める。私と同様、祐奈も出産を機に残業の少ない人事部へ異動しているのだが、退職志願者へその理由について聴き取りを行なったところ、若い女性社員の中からチラホラと『森嶋さんともう顔を合わせたくない』と回答されることが有ったとかで、その度にこうして私が叱られるのである。祐奈いわく、商品開発室の部課長は研究畑の人間のせいか浮世離れしていて会話が噛み合わないのだと。それには異論が無いのだが、だからと言って毎回責められる私の気持ちにもなって欲しい。
「あの、でも、祐奈…。前回も同様のことがあって注意したら、森嶋くんいわく付き合う前に『俺を好きになるなよ』と一応は前置きしているんだってよ」
「…それ、付き合ってないよね?好き同士じゃないのにヤルことはヤッてるってことでしょ!」
バンッとテーブルを叩かれ、思わず肩をビクリと震わせる。さすが男の子2人の母親、随分と逞しくなったものだ。終業後にこうして祐奈とゆっくり話していられるのは、今晩が歓送迎会だからで。唯の面倒は人にお願いして有るため焦って帰宅しなくても良いのだ。ちなみに歓送迎会の主役の1人、入社1年目にも関わらず早くも退職する坂口さんが森嶋くんに弄ばれたと訴えている女性社員だ。残念ながら彼女も私の部下なので、主任という立場から考えると監督不行届なのは間違い無いだろう。
「分かった。後で森嶋くんに注意するよ」
「雅ならそう言ってくれると思った!じゃあ、宜しくねーん」
人事部の簡易応接室を後にし、私は重い足取りでオフィスへと戻る。残念ながら森嶋くんは離席中で、代わりに営業部の女性社員が数名いた。たぶん、商品についてのリサーチの為に誰かが来るようにと依頼したのだろう。もしかしてそのまま歓送迎会にも参加するよう誘ったのかもしれない。残念ながら商品開発室には、圧倒的に若い女性社員が少ないのだ。
もちろん、その原因は森嶋くんで。
次から次へと若いコに手をつけるせいで退職しても新人は補充されず、他部署の中堅が異動してくるようになり。若い女性層の意見が欲しい時に、わざわざこうして営業部の女性陣を借りることになってしまったのである。…うん。確かに今迄プライベートなことだからと見て見ぬ振りを続けてきたけれども、よく考えると業務にも支障が出ているな。祐奈の言う通り、上司である私がガツンと注意すべきなのかもしれない。そんなことを考えていたら、営業部の女性社員達が試食用のお菓子をつまみながら雑談する声が聞こえてきた。
「番匠さん、今日もカッコ良かったねえ」
「でも今年で38歳だってよ」
「私、全然あれならイケる!」
…相変わらず、光正はモテモテだな。
「でも今日さ、用事が有るからって物凄い勢いで帰って行ったよね」
「そりゃあ、オンナじゃない?いないワケないよ、あの人に」
「ええっ?じゃあ梨乃は?付合うかもとか言ってたじゃん、あのコ」
梨乃というのはこの春、営業部に中途採用された石原さんのことだろう。光正とは頻繁に顔を合わせているが、そんな話は初耳だったので軽くショックを受けてしまう。石原さんは確か27歳だっただろうか。光正がその指導係を務めており、美しくてとても聡明な女性だ。よし、後で訊いてみよう。取り敢えず今晩の光正の相手が石原さんで無いことだけは知っている。
…なぜなら唯の面倒を見てくれているからだ。私達は同じマンションの6階と8階に住んでいて、たびたび一緒に食事しており。そのお陰で唯が『ミツくん』と呼んでとても懐いているため、飲み会などがある時は彼に面倒を見てもらっているのだ。うーん、光正にそんなロマンスが?でももう若く無いし、そろそろ結婚を意識してもおかしくないのか。そっか、そうだよな…。少しだけ寂しくなったその時、どこにいても目立つその男が戻って来た。
「あ、ちょっと、森嶋くん!」
「はい、何ですか?」
明らかに不機嫌そうな顔だ。私だってこんなことを言いたくは無いが、言わせるアナタも悪いのだと心の中で思いっきりボヤく。
「えっと歓送迎会、一緒に行きましょう」
「は?何でですか??」
「2人きりで話したいことが有るの」
「ああ、はい、そういうことでしたら」
…という会話の10分後。なぜか私は路地裏に連れ込まれ、濃厚なキスをされていた。驚くべきは、その手際の良さだ。一緒に並んで歩いていたはずなのに、いつの間にかその手はさり気なく背後から回され、そうと意識していないうちに路地裏へと誘導されてしまい、気付けば自販機の陰に隠れて向かい合わせで立っていて、次の瞬間にはもう唇が触れていた。
こんなのパニックになって当然だ。あまりにも久しぶり過ぎるその行為になぜか芳の姿が脳裏に浮かび、それでようやく冷静になれた。
ああ、こんなにも違うのか…と。
>雅、本当に愛してるよ。
>どうかどうか、幸せに。
芳、やっぱり私は貴方のキスじゃないと反応しないよ。芳、逢いたい。逢っていろいろ話したいのに。でもそれは叶わないことなんだよね。まるで条件反射のように涙がボロボロと零れてくる。何年経っても変わらない。私が芳を想う気持ちは、一向に薄れる気配が無いようだ。
「なんで泣いてるんですか?」
「森嶋くんになんか教えない。っていうかさ、意味不明なんだけど」
「意味不明?」
「そうよ、なんで私にキスしたの?」
その表情は驚くほど変化せず、業務報告をしてくる時とまったく同じ口調で森嶋くんは答えた。
「『2人きりで話がしたい』ってのは、てっきりそういう意味かと思ったんです」
「そ、そういう…意味??」
「雅さん、旦那さんが亡くなってもう3年も経つでしょ?そろそろ人肌恋しい時期なのかなと」
「ふざけてんの?」
「いや、真剣ですけど」
「絶対にふざけてるよね?」
「でも、3年も男ナシでいるのって、尋常じゃないです」
「それは森嶋くんの固定観念だよね?」
「いや、一般論ですけど」
「随分と狭い『一般』ね」
…段々と虚しくなって来た。なんだろう、この手応えの無さは。何を言っても相手の心には届かず、返ってくる言葉も私の心には響かない。この人、毎回こんな感じで女のコと付き合ってるの??
「これじゃあ、誰とも長続きしないわ」
思わず口から零れたその言葉に、初めて感情のこもった答えが返ってきた。
「余計なお世話ですよ。そんなの他人にとやかく言われたくない」
「でも、人事部の方から苦情が来てるの。森嶋くんが若い女性社員を食い散らかすのを何とか止めてくださいってさ」
「俺だけの責任じゃなくて、向こうが勝手に言い寄ってくるんです。こっちは断るのが面倒で適当に相手をするだけだ」
「うーん、あのさ、森嶋くん。貴方も26歳になるんだし、青臭い言い訳はそろそろ通用しないわよ」
明らかにムッとした表情で森嶋くんは私に反論する。
「…こっちだって困ってるんです。会社前で勝手に待ち伏せされたり、行きつけの店で待機してることもあるし、どこからか電話番号を調べて掛けてくる。ネクタイだの手作り弁当だの欲しくも無いのに強引にプレゼントされて、しかもその見返りを求められるんですよ。俺が彼女を作らないのは、そこまで本気になれる女がいないからだ。でも、そのせいで狙われるんです。取り敢えず適当にあしらっておけば暫くの間は平穏を保てる。俺だって犠牲者だと思うんですけど、違いますか?!」
…ふと、誰かを思い出した。そっか、そうだ、光正だ。あの人も若い頃はモテまくっていて、いつでも困った顔をしていたっけ。世の中には必死でモテようとする人間もいれば、こうして本人の意思とは関係無くモテまくってしまう人間もいる。
顔かなあ??
顔だよねえ。
ちょっと翳のある男って若い女のコの大好物だし。しかも女にだらしないという噂を聞けば、敷居が低くなった気がして『もしかして自分でもイケるかも』とか勘違いしちゃうよねえ。私は何となく森嶋くんを光正に会わせたくなって、歓送迎会の後で早速それを実行するのである。
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