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第一章
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結婚式は、秋晴れの日に行なわれた。
職場からは部長、課長と滝沢主任、後は健介と祐奈だけを招きごくごく普通の結婚式だったと思う。
…途中までは。
「芳さん、雅さん ご両家の皆様、本日は誠におめでとうございます。新郎新婦の同僚で橋口健介と申します。ここからは普段通りの呼び方で呼ばせていただきます。芳と雅とは同期入社で、新人研修の頃からの付き合いです。2人が復縁するまでの経緯は、先程新婦の友人代表として、中原祐奈さんが話したので割愛します。
実は私と中原祐奈さんは交際中でして。彼女と一緒に外食していた際、隣のテーブルで女子大生が言いました。『最近、付き合っている彼とマンネリでもう飽きてきちゃったの』と。それを聞いた私は思ったのです。悲しいことですが人はどんなに好きだと思う相手でも、何度か会っていくうちに慣れてしまう。その女子大生が言うことは、決して突飛なことでは無く、むしろよくある話でしょう。だからサッと聞き流そうとしたのですが、一緒にいた祐奈がこう言いました。
『私ね、芳と雅のことを知ってから健介と過ごす時間が貴重に感じるの。今こうしていること自体が奇跡だと思うことにしたんだ。当たり前だと思っていたことが、当たり前じゃないと気付けたの。同じ日常を繰り返しているといろんなことに鈍感になってしまうけど、それじゃあダメなんだよね。今日も傍にいてくれて有難う、今日も貴方が無事に暮らせますようにと思えること自体、素晴らしいんだって。雅と芳のお陰で、早く気付けて良かった。健介、今日も幸せにしてくれて有難う』
…芳、雅、俺も気付きました!!だから今ここで彼女に結婚を申込みます。どうか会場にいる皆様も、見届け人となってくださいッ。祐奈、こっちに来てくれるか?!」
場内が騒然となっているのに、半笑い状態の祐奈がこちらに向かって歩いて来た。何故か私と芳にピースサインをして、それからゆっくりと健介の前に立つ。
「中原祐奈さん!!俺と結婚してくださいッ。そして芳と雅に負けないくらい、幸せな家庭を作りましょう」
「はい、喜んで!!」
…前代未聞の披露宴ジャック。でも、あちこちで拍手が鳴りやまず、私と芳も大笑いしていた。
挙式後の芳と私は、一日一日を噛み締めるように過ごした。新婚だからと浮かれることもなく、それでも独身の頃とは全然異なる生活を手探り状態ながらも楽しむよう努力して。もちろん、心無いことを言う人もいた。『わざわざそんな男と結婚しなくても』『そういう状況に酔ってるだけだよ。確かに井崎さんはカッコイイけど、私だったらそんなハズレ物件ゴメンだわ』。
親戚の年配男性や他部署の若い女性社員。耳に入らないだけで、もっと多くの人がそう言っていたのかもしれない。そんな言葉に容易く傷ついたが、それでも支え合って生きていた。光正とは多少の距離を置いたものの、同僚としての関係は変わらず。そのうち私の方が商品開発室へと異動し、次第に接点は無くなってしまう。
>今日も無事だった。
>なんとか明日も頑張れますように。
…まるで儀式のように毎晩祈りながら眠っていたある日、芳に腫瘍が見つかる。彼に明るく『大丈夫』と言われても、心配で眠れなくなり。大騒ぎした挙句、呆気なく手術は終了。良かった良かったと胸を撫で下ろしたその僅か一年後、…再び芳に腫瘍が見つかり、私達は静かにその事実を受け止める。
「俺はもう、満足してるから。むしろ去っていく方よりも、残された方が寂しいってよく言うだろ?雅の人生はまだまだ続くんだから、絶対に諦めるなよ」
『何を?』と問う私に、芳は笑って答えるのだ。
「あのさ、『生きるって何か?』とか俺がそんな壮大なテーマで悩むのはおこがましいとは思うんだけど。でも一応、考えてみたワケだ。取り敢えず死ななきゃ生きてるんだよな。で、例えばだぞ?子供の頃に飛行機に乗って、それが密林に墜落なんかしちゃって、誰にも存在を知られず80歳で死んだ…なんて人間もいるかもしれない。それでも『生きた』ってことになるけど、すごく哀しいことだよな。だって誰の記憶にも残らないんだぞ?
なあ、雅。俺は、短い間しか生きられなくても誰かの心に残りたい。毎日思い出してくれなくてもいいんだ。通りすがりに花を見つけたり、懐かしい曲に涙したり、そんな時にふと俺の顔が浮かんだらすごくすごく嬉しいと思う。もし俺が死んだら、雅はもっとたくさんの人と出会うといい。絶対に生きることを諦めるなよ?俺みたいに、最後の最後でサプライズが貰えるかもしれないからな」
「サプライズって?」
「決まってるじゃん」
そう言って芳は座っている自分の膝にぐいぐいと頬をこすり付けている小さな背中をポンポンと叩いた。
「おとーやん!呼んだっ?!ユイのこと、いま、呼んだっ?!」
満面の笑みで芳に抱き着くのは、今年3歳になる娘の唯だ。本当に顔も中身も芳ソックリで、私がヤキモチを妬いてしまうほど、お父さん大好きっ子である。
「呼んでないよ。でも、可愛いですねという意味で、ポンポンと撫でたんだ」
「ぐふ、ユイね、ユイね、おとーやん、好きッ」
「おとーやんも唯、大好き」
「ぐふ、ぐふ、ぐふふ」
サプライズ…か。
確かに子供は欲しかったけど、まさか結婚してすぐに出来るとは思わなかった。妊娠を機に、接待や時間外勤務が多い営業部から比較的残業の少ない商品開発室へ異動し。周囲に助けて貰いながら子育てしてきたのだが。これから芳が入院するとなると、もっと忙しくなるだろう。
「ごめんな、雅」
「バ、バカ!謝らないでよっ。芳は全然悪く無いんだから、謝るくらいなら頑張って一分一秒でもいいから長生きして」
…残念ながら今回の腫瘍は、厄介な場所に出来てしまったのだと。取り除くことは難しく、医師が言うには長くて余命1年だそうだ。覚悟はしていたものの、日に日に芳は衰えて行き。歩くこともままならず、車椅子での生活を余儀なくされた。ドラマや映画とは違い、現実はやはり厳しくて。『もしかして』なんて希望すら抱けず、ただ淡々と死に向かって準備を進める。
芳は今のうちにと葬儀社からエンディングノートを取り寄せ、病室でもあまり話さなくなった。この先、意識が無くなり意思の疎通すらままならなくなるのだ。いつそうなるのかすら分からずに、だからと言って仕事を休むことも出来ず、芳が不在で情緒不安定になった唯をなんとか騙しながらの生活は、思った以上に心を疲弊させた。
そのうちお義母さんが上京してきて芳の付き添いと唯の面倒を見てくれたが、それなりに気を遣うことも増えて常に神経を尖らせていた気がする。仕事終わりに病室へ行き、数時間だけの滞在で帰宅し、休日には唯の面倒をお義母さんに頼み、私だけ泊まり込みで付き添う。
入院して半年が経った頃に珍しく芳が手を握ってきて、にっこり微笑みながらこう言った。
「もう、唯を病室に連れて来るな。これ以上、弱っていく姿を見せたくない。アイツの記憶の中ではいつまでも明るい“おとーやん”でいさせて欲しいんだ」
「…うん、分かった」
そんなことを聞きたく無かったが一番辛いのは芳だと思い、素直に頷く。
「本音を言うと、雅にも見せたくなかったな。ずっとカッコイイ男でいたかったけど、こればっかりはしょうがない」
「い、いつまでも芳はカッコイイよ。私の中では世界一なんだからね!」
「はは。お前、ほんと俺のこと好きだな」
「うん、大好き。すごくすごく好き」
「…ちょっと先に行くだけだ。雅も遅れて後から来るんだよ。唯のこと、頼んだぞ」
「そんな、これでもう最後みたいなこと言っちゃヤダ」
芳はやはり笑顔のままだ。
「子供なんて要らないと言い続けたけど、ごめん、今では良かったと思ってる。…雅を1人にせずに済む。俺が死んでも、唯がいるからな」
「そんなこと…言わ…ないで…」
ポロポロと流れてくる涙をそっと指で掬い、芳は私を手招きした。
「キスしよう、雅」
「う、うん」
柔らかく温かい唇が触れて、その間を涙がスウッと通った。
「雅、愛してるよ。絶対に幸せになるんだぞ?じゃなきゃ俺、死んでも死にきれない」
「芳、私も愛してるよ。だから死んじゃヤダ…」
両手で抱き締めようとしてくれるのに、右手でしかそれは叶わない。下半身どころか左手も動かなくなり、もう長くないことは分かっていた。
「雅、本当に愛してるよ。どうかどうか、幸せに…」
…この数日後、芳の意識は無くなり、
植物のように呼吸するだけとなった。
更にその1カ月後、
静かに芳は亡くなる。
享年33歳。
医師の宣告より5か月も早い死だった。
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