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第一章
きみと生きたい 2
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数日後。
芳は無事に退院し、暫く私と住むことになった。体調が回復するまで…というのは建前で、ただ一緒にいたかっただけである。それから退院祝いと称して滝沢主任が飲み会を開いてくれたので、その場を借りて芳の病気について公表することに決めた。明るい空気を壊すのが嫌だったのだろう、芳は努めて陽気に説明する。すると案の定、あちこちから同情の声が上がった。
>うわ~っ、若いのに可哀想だなあ。
>えっ、井崎、死んじゃうのか?
>なんだか悲惨すぎるぞ、おい。
「…えっと、そういうワケでして。再発しなければ、まあ普通の扱いで。もし再発したら労わってください。特別対応してくれって意味じゃないんで、今まで通りに接してくれれば嬉しいです。本日はお忙しい中、集まっていただき誠に有難うございましたッ」
そう言って深々と頭を下げた芳はそのまま私達のいるテーブルへと戻る。残念ながら光正は仕事で不在だったが、ここには主任の他に健介と祐奈がいた。真っ先に口を開いたのは祐奈で、その目には大粒の涙が浮かんでいる。
「ひっ、酷いよ、芳ッ!なんでそんな大事なことを黙ってたの?」
「うーん、なんでだろ~。そんな風に泣かせたくなかったからかな」
「こ、これは芳が可哀想で泣いてるんじゃないしッ」
「ははっ、じゃあ、何なんだよ」
「は、反省してるのっ。私、ずっと芳のこと誤解してた。雅が芳のことを好きだと知ってて、なのに無視してる鬼畜みたいな男だって」
「そっかあ、あはは」
「こんなクソ男なんかとっとと捨てて、早く番匠さんに乗り換えろって念じてた」
「うわ、実は嫌われてたんだな、俺」
「雅のことを弄ぶ芳が大嫌いだったのッ」
「うーん、弄んではいなかったぞ?」
「ごめんっ、本当は病気のせいで泣く泣く雅を諦めていたんでしょ?そんなの知らなかったから。ゴメン、ゴメンね、芳ぃ」
「…えーっと、それで報告があります」
そう言って、芳は隣に座る私の肩を抱く。
「おい、何だよ、まさかお前たち…」
滝沢主任が半笑い状態で、なぜか健介の背中をバンバン叩き出す。ワザとおどけた表情で、芳は次の言葉を続けた。
「紆余曲折を経て、俺達、付き合うことになりましたーっ。このまま結婚まで突っ走りたいけど、色々と障害が多そうです。いきなり死んでしまうかもとか、もし子供が出来たらとか、そんな不安だらけの状態なんで…。その…何かの時には、雅の力になって欲しいんです。勝手なお願いだとは思いますが、どうか宜しくお願いしますっ」
「あ…じゃ、ば…」
そう言い掛けた祐奈がハッとした表情で口籠ったので、私の方からそれを答えた。
「うん、光正とは別れたんだ。あっちフラフラ、こっちフラフラで気を遣わせてゴメンね。へへっ」
口を一文字にギュッと結びながら、祐奈はブンブンと頷く。その微妙な空気を変えるかのように健介が芳へ布おしぼりを投げつける。
「ちょ、危ないなあ健介!グラスが倒れるところだったぞ」
「うるせえぞ、バーカ!!なんでもっと早く言わないんだよッ。水臭いじゃないか、バーカ!!」
少し酔っているのか、いつも冷静でオトナな健介とは思えない態度だ。
「気を遣わせるのが嫌だったんだよ、バーカ!!」
「蚊帳の外の方が嫌だっつうの、バーカ!!」
発言の度に布おしぼりが激しく行ったり来たりしている。
「言っとくけどな、病人扱いすんなよ」
「俺はそんなに優しくないから安心しろ」
そんな強がりを言いながらも、芳を見つめる健介の目は寂しそうで。それを悟られまいとしていることがすごく伝わって来る。穏やかで観察力が鋭い健介と、社交的で人気者の芳。全然タイプは違うのに何故かこの2人はとても気が合い、よくツルんでいた。人見知りな健介の良さを芳が周囲にアピールしたことで健介はどんどん明るくなり。逆に冷静に物事を考える健介に倣い、芳の視野はとても広がった。
お互いがお互いを認め、共に愚痴を語り合える良きライバルの2人。相手の立場になって考えられる健介だからこそ、渾身の笑顔でこう言うのだ。
「でも、まあ…良かったな、雅とのこと」
「…ん、有難う。いろいろ心配掛けたな」
「なあ、芳。俺は病気のこととかよく分からないんだ。頑張れと言うと負担になるそうだし、頑張るなと言うのも何かシックリこない。その気持ちが分かると言っても、逆に分からないと言っても、当事者からすればムッとするんだろう?
…でも、力にはなりたいんだ。
雅を助けるのなんてそんなの当然だと思ってるからさ、それ以外で何かあれば遠慮なく言えよ。俺、現世で徳を積んで極楽浄土に行きたいし」
最後の方は照れ隠しだろう。それを分かっていて、芳はまた布おしぼりを健介に投げつける。健介が泣きそうな顔をしていることに、そこにいる誰もが触れなかった…。
…………
このまま何も起こりませんように、
今日も1日、芳が無事でありますように。
そんな風にして祈るようにして過ごしているうち、季節が1つ、2つと移っていき。芳と改めて付き合い出してから半年が経過した。
最初は『階段から落ちた芳の体調が元に戻るまで』などと言い訳していたけれども、結局そのままズルズルと同棲を続け。結婚のために行動を起こすことが、何となくハードル高いなあ…などと思っていた頃に綾さんからの電話が掛かってきた。これまでも弟である芳の身体を心配して定期的に連絡は有ったのだが、今回の内容はいつもと違ったようだ。なぜなら芳の声が明らかに困っている。
「…え?ああ、でも…なあ。俺を見ると病状悪化するんじゃないか?会うたび泣かれるとさあ、何て言うか俺もヘコむんだよ…」
何となく芳のお母さんのことかなと思い、そのまま耳を澄ます。
「うん、うん…。あー、でも…。ちょっと待って」
スマホから耳を遠ざけながら芳は私に向かって言う。
「雅、ウチの母さんが退院したって。それで姉ちゃんが一回様子を見に里帰りしませんかって言ってるんだけど。お前も一緒に行くか?」
えと…それって…。目だけで問うとすぐに答えが返ってくる。
「うん、結婚のことも相談しようと思う」
“報告”ではなく、“相談”なのは仕方ない。ひとつひとつ壁を超えて行かなければ、私達は目的地まで辿り着けないのだから。
「行く」
「よし、分かった」
芳のお母さんは入退院を繰り返している。退院出来たのは回復したからではなく、あまりにも入院を希望する患者が多いためローテーションと化しているからだそうだ。半年入院すると、次の半年は自宅療養。そしてまた1年入院し、再び自宅療養。そんな状態を5年以上も繰り返しているのだと。
きっと今、芳は葛藤しているはずだ。原因である自分が姿を見せて良いのかと。変わり果てた母を見ることも苦痛に違いない。綾さんとの電話が終わったあと、呆けたような顔をしている芳を私は明るく励ました。
「大丈夫だよ。オバさんは息子を不幸にさせたのは自分だと思って悩んでるんでしょ?でも今、その息子は幸せだからね。私と一緒に里帰りして、ラブラブなところを見せてあげようよ」
雅は呑気だなあ…と芳が笑い、私もつられて笑う。本当は怖かったけど言葉にすると負けてしまいそうで。
とにかく前に進もうと
自分で自分を奮い立たせたのだ。
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