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第一章
去りゆく青春 3
しおりを挟む「ば…ううん、光正はそのまま泊まるの。あのね、私達、付き合ってるんだよ」
…本当はとっくに気付いていたのかもしれない。なのにその考えを必死で封印し、気付かないフリをしていただけで。
まったく矛盾だらけだな、俺。
雅が他の男と結婚するまでを見守ると決心しておきながら、小デブと別れた雅に迫り。番匠さんと付き合っていることを報告されてキレるだなんて。だって、これでお役御免だと思ったんだ。あの人なら安心して雅を任せられるし、俺なんて必要無くなる。そう、もう雅とは一緒にいられなくなるだろう。“生きる糧”とまで思っていたのに、こんなに容易く手放すことになるなんて。何も抵抗出来ない自分が、哀れで愛おしかった。
寂しい。
こんなにも孤独を感じるだなんて、思いもしなかった。2人でいることの楽しさを覚えたのに、また1人に戻るのか。あまりの寂しさに意識が霞んでくる。
>実は俺たち大学時代に
>1年間ほど付き合っていて…。
その後、健介や祐奈も加わった場で番匠さんと雅は馴れ初めを語り出し、それがより一層、俺を孤独にする。そっか、何でも雅のことを知っているつもりだったけど、それは俺の思い込みだったんだな。過去に付き合っていたのなら、もうそういう関係だったのだろうか。
…当たり前だ。だって健全な男が1年間も一緒にいて、手を出していないワケが無い。はは、番匠さんはこれからも雅に触れられる唯一の男になるんだな。
嫉妬とは違った、不思議な感情が湧いてくる。こんな風に隣りに座っているのに、誰よりも大切に思っているのに、触れられないなんて。雅に触れたい。すごく触れたい。抱き締めることが叶わないのなら、そっとこの手を重ねるだけでもいい。酔ったフリしてちょっとだけ。ほんのちょっとでいいから触れたい。
とうとう俺は視線を正面に向けたまま、椅子に置かれた雅の左手の小指にそっとそっと自分の小指を重ねる。微かな温もりが妙に心地よくて、なんとなく繋がっている気分になれた。うん、大丈夫だ。どうにか落ち着いた。俺は俺の役割を分かっている。
…たぶん、この頃から壊れ始めていたのかもしれない。柔らかいトマトを握り潰すかのように心が少しずつ悲鳴を上げていて。自分の存在価値を必死で見つけようとしていた。それはきっと傍から見れば異常だったかもしれない。
雅を守る為という名目で経理部の佐久間さんを排除し、そして瞳さんを追い詰めて。その結果、雅を危険な目に遭わせ、自分の病気のことも知られてしまうだなんて。階段から落ちた俺は救急車で運ばれ、精密検査を受けることとなり。久々に会った姉は、それはもう申し訳無さそうに謝罪した。
「ごめんね、芳。私、アンタの病気のことバラしちゃった。てっきり皆んな知っていると思ってたの」
…この時の俺は、自分でも驚くほどホッとしていた。もう秘密を抱え込まなくて済むのかと、漸く解放された気分だった。そしてどうやら人間というのは、一度でも解放されると欲張りになってしまうらしく、抑え込んでいたことをもっと話したくなるのだ。
自分の病気の辛さを、
心の葛藤を、
死に対する不安を。
でも分かっていた。…誰もそんな話を聞きたくないのだと。重くてシンドイそんな話、聞かされても迷惑なだけだ。それは想像では無く、経験上のことで。大学時代、酔った勢いでバーのマスターに打ち明けたところ、露骨に話をはぐらかされたり。男友達に話した途端、あからさまに避けられたリ。それが一度や二度では無かったので、さすがに俺も学んだのである。
誰もが皆んな他人の不幸まで背負いたくないのだと。
きっと明るく楽しいことだけ考えていたいのだろう。分かっていたからこそ俺は、悲愴な顔をしていた雅の前でなるべく陽気に振る舞った。…うん、これでいいんだ。だって不幸な人間には、誰も近づきたくないのだから。いつもどおり明るく元気な井崎芳を演じなくては。演じれば演じるほど、心を薄い膜が覆っていく。それはいつしか徐々に分厚い膜へと変化し、本心を見せまいとガチガチに固めてしまったようだ。
そんなことをしているうちに自分で自分の本心が分からなくなり、気付くと泣いていることが増えた。涙の理由を悩むことは無い。もし理由を見つけられたとしても、きっと解決なんて出来ないのだから。
いつしか眠る直前にその日の会話を頭の中で反芻することが日課となり、止せばいいのに今日は瞳さんの言葉を思い出してしまった。
>生きていれば、
>どんなことでもやり直せるんだよね。
>なのに芳は、
>いつ終わりが来るか分からないでしょ。
…ああ。なんて残酷なことを言うのだろうか。俺、あの時うまく笑えてたかな?でもまあ、事実だからしょうがないか。いつ死ぬか分からないって、皆んなそう思っているんだろうなあ…。
「うっ、ぐっ、ふ、ううっ」
なんだか妙に悔しかった。曖昧な自分の存在が、いつ途切れるか分からない自分の人生が。ダメだ、これ以上深く考えるな!嵌ったら抜け出せなくなるぞ!自分にそう言い聞かせ、頭の中を空っぽにした。心を無にして、ただ泣こう。そうすればきっとスッキリするはずだ。こうしてまた、俺は何かを乗り越える。そう、乗り越えられるんだ。
面会時間も過ぎていたから、思いっきり油断していた。
「…よぉし…いい…」
その声に顔を上げると、いつの間にか雅が目の前に立っていて。驚き過ぎて固まっている俺の濡れた頬をその指で優しく拭う。
「ひとりで泣かせて、ごめん。さあ、私が来たから一緒に泣こう」
「ばっ、な、泣いてないしッ。じょ、冗談言うなよ、これはちが…」
必死で誤魔化そうとする俺をギュウギュウと抱き締めたかと思うと、雅は子供みたいに声を上げて泣き出した。
「う、あああっ、芳いいいいッ」
「おい、こら、雅。もう面会時間終わってるんだぞ?!あと30分ほどで就寝時間だからそんな大声で泣くなッ」
慌てて注意すると、抱きついたままその口を俺の胸に押し当てて泣き続ける。
「ぶっふ、ぶっふ、ぶぅー」
どうやら俺の名を連呼しているらしく、あまりにも不細工な泣き顔に思わず笑う。
「あはは、なんだよお前。すげえブスだぞ」
「ひ、ひどい…、芳って鬼なのッ」
こんな時に笑わせてくれるなんて、雅、お前は本当にスゴイ。思わず抱き締め返すと、突然ドアが開き。
…そこに番匠さんが立っていた。
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