真冬のカランコエ

ももくり

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第一章

去りゆく青春 2

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 自分でも意外なほど冷静に振る舞えたと思う。

 その頃、母さんの精神状態は最悪で、まるで俺を籠の中に閉じ込めて外に出すまいという感じになっていて。前々から決めていた東京の大学へ進むことも突然『許さない』と言い出し、とにかく心身共にどん底だった。

「だって東京で1人暮らしなんかしたら、倒れた時に誰も気づかないでしょ?!」
「大丈夫だって!そんなのこっちに残ったとしても俺1人の時に倒れたら同じだろ?」

「そんなこと無いよ!母さんは毎日家にいるから、芳の異変にすぐ気付いてあげられるのッ」
「外出中に倒れる場合だってあるんだぞ」

「じゃあ、母さんがいつも一緒にいるわ」
「はあ?!そんなの絶対、ヤメてくれッ。いつも母親が同伴してる男なんて、気持ち悪いって噂されるに決まってる!」

「だって心配なんだもの。母さん、芳のためを思って言ってるのに」
「あのさ、俺はまだ生きてるんだぞ?そんなにあれこれ制限されたら、ストレス溜まり過ぎで病気も悪化するよ」

「芳、酷いことを言わないで。母さん、お前に拒絶されたら…」
「ごめん、もう、本当に無理なんだ。こんな監視されているような生活、体よりも先に心の方が死んじゃうよ」


 …たぶん、病人特有の“甘え”だったのかもしれない。

 こんなに辛い目に遭っているのだから多少の我儘を言ったり、人を傷つけても許されるだろうと。そのクセ、哀しそうな母の表情にいつまでも心を痛めていたりして。進学問題は先に上京していた姉が説得し、父の了承は得られたものの、母の方が納得してくれなくて。ただでさえ居づらかった家がもっと帰り難くなってしまう。そんなゴタゴタ続きの日々に疲れ、何もかもヤケクソだった。



「…ごめん、他に好きなコが出来た」


 俺の言葉に雅は黙ったまま俯き、そして何故か小さく笑った。
 
 >嘘だよ。
 
 心の声は絶対届かないはずなのに、
 本心を見破られまいと完璧なまでに無表情を貫く。

 >好きなのは、お前だけだ。
 
 世の中にはもっと極悪人がいるのに、
 どうして神様は俺を選んだのだろう。

 >本当は別れたくなんて無いんだ。

 いつ死ぬかも分からない爆弾を与え、
 幸せを全部奪っていくなんて。
 
 >それでも雅さえいれば良かったのに。

 バカだなあ、俺。決めたはずだろう?
 雅を好きだからこそ、解放するんだって。

 足早に去っていくその後ろ姿を必死で目に焼き付けた。きっと雅は少しだけ俺を恨み、そしてすぐに何もかもを忘れて新しい恋を見つけるだろう。

 それでいい。
 それでいいんだ。

 …お願いだ、雅。
 俺のことなんて何もかも忘れてくれ。


 それからはもう、最悪の日々が待ち受けていた。手術まで服薬のみで半年間耐えろと。その薬も最初は確かに効果が有ったが、暫くすると徐々に薄れ、激しい頭痛に苦しむこととなる。そんな俺をある日突然、クラスの女子たちが呼び出す。残念ながらその時は、頭が割れそうなほど痛みが激しくて。思わず顔をしかめると、彼女たちは一斉にブーイングを浴びせてきた。

 『雅が可哀想だと思わないの?!』
 『あんな子に心変わりするなんて井崎くんのこと見損なったわ!』

 よく見れば、どいつもこいつも雅とは親しくない女達で。たぶん、雅と別れる理由として付き合い始めた真由佳のことが気に入らないだけなのだろう。どうせお前らの狙っていた男達が、真由佳のことを好きだったとかだよな?分かっているよ、恵まれた女を幸せにさせたくないだけなんだって。ほんと、くだらない。お前らに俺の何が分かる?他人の恋愛に口を出すな!…そう言えたら、どんなにラクだっただろうか。

 頭痛だけではなく耳鳴りまで加わって、そんな不快感に耐えながら俺は最後まで沈黙を貫き通した。大丈夫、真由佳とはもう別れたから。卒業を機に自然消滅する予定だったが、それよりも早く向こうから終わりを告げられてしまったのだ。『明るくて楽しい井崎さんを想像していたのに、それとは違った』と。

 …なんだかもう疲れたな。

 家族を、彼女を、友人を、そしてすれ違うだけの人でさえも皆んな笑顔にしたいと思っていたあの頃の俺はもういない。今ここにいるのは家族を苦しめ、彼女を悲しませ、友人を騙している嘘だらけの俺だ。

 生きる意味が分からなくなり、なんとなく時間を消費するだけの毎日。手術を終えるとその虚無感は更に深刻になった。上京と同時に笑うことを封印し誰とでも適当に付き合って、女なんて日替わりで求められれば誰とでも寝た。そんな乱れた生活を満喫した挙句、短期間で脳腫瘍が再発。もういっそ手術なんてヤメてこのまま消えてしまおうか?

 そう思った時に…雅を見つけた。

 身体だけの付き合いだと思ってた女が、思いのほか粘着質でそろそろ切ろうと思っていた頃のことだ。ムリヤリ連れていかれたシネコンで、観たくも無い映画のチケットを買う為にウダウダ行列に並んでいると、そこに目が釘付けとなった。

 …雅だ。

 あの頃と変わらないそのままの雅がそこにいた。駆け寄りたい衝動に駆られたが、スグに自分のしたことを思い出す。

 はは、雅…。

 大学に入ってどいつもこいつも髪を染めたり化粧したり。どんどん変わっていくというのに、お前はちっとも変わってないなあ。凛とした雰囲気もそのままに、まるで武士みたいなその背筋。ああ、懐かしい…。次から次へと楽しかった思い出が蘇り、あの頃の自分が愛おしくなってくる。

 うん、そうだ。普通の生活だと思っていたけれど、あれは俺の人生の中で最高に幸せな時期だった。不安なんて何も無くて、自分の前に人生は続くと信じていたのに。今の俺は死んでいるも同然だ。こんな繰り返しの日々を、ただ時間を消費するだけの日々を、いつまで続ければいいのだろうか?

 せっかく封印していた気持ちが、わずか数分の再会で溢れ出した。

 俺にも何か生きる理由が欲しい。俺にだって何か1つ希望が有ってもいいんじゃないか?だって雅と会えて嬉しかったって、心がそう叫んでいるじゃないか。…あまりにも絶望し過ぎていて。そんな哀れな望みを、俺は許すことにした。

 そうだ、雅と一緒にいよう。付き合わなければいいんだろう?だったらせめて友人として、傍にいさせてくれ。いつか雅が俺以外の男と恋に落ち、結婚するまでを見届けてやる。そんな自虐的とも思えることを、俺は“生きる糧”とした。

 再び雅と会えるように。元気な姿で笑えるように。その一心で再手術を受け、大学を卒業し、雅と同じ会社に就職して。最初こそ、ぎこちなかったものの次第に打ち解けて、誰よりも近い友人になれた。


 友人という選択肢しか、
 俺には残されていなかったのだ。


「なあ、芳。お前ら絶対、相思相愛だよな。なんでくっつかないの?」

 健介にそう何度も訊かれたが、その都度、適当に答えるしかなくて。きちんと自分を戒め、夢と現実の区別はつけていたつもりだ。…そう、雅と過ごす時間の方が夢で、いつ死ぬかも分からない方が現実。それが徐々に逆転し、俺の中で雅との時間の方が現実になり始めてしまった。定期検診の間隔も3か月に1回から半年に1回へと減り、自分でも体調の良さを実感していて、もう6年も再発していないのだからこのまま一生無事なのかもと。

 更にそれを後押しするかのように、トモさんから連絡が来た。久々に届いたそのメールには、俺を気遣う優しい言葉に続けて『報告が遅れましたが』の一文とSNSのアドレスが貼られており。その言葉の真意を探るため早速SNSを覗くと、幸せそうなトモさん一家の笑顔が画面いっぱいに広がっていた。慌てて過去記事を遡り、全部読みまくる。

 >長男・勇樹の誕生日です!
 >今日で3歳、スクスク育ちますように。

 >甘えん坊の亜沙美は
 >パパのことが大好き!!

 いつの間にか結婚していて、子供が2人もいるのだと。

「…うわああッ。やるじゃんトモさん!!」

 まるで自分のことのように嬉しかった。あんなに悲観していたクセになんだかんだ言って病魔に打ち勝ち、幸せになっているじゃないかと。早速、お祝いメールを送信し、淡い期待を抱くようになった。…その頃の雅は翔とかいう小デブ男と友達以上、恋人未満の関係で。なんならもう、俺との復縁を打診してみようかと考えるまでに感情は高揚していて。

 やれる、きっと大丈夫だ、
 だってトモさんだって出来たんだから!

 …でもやっぱり、夢は夢だった。

 トモさんからの返信はかなり遅れて届いた。そこには『病気が再発し、余命1年です』と書かれていて。久々の連絡は幸せな生活を報告するためでは無く、どんなに闘っても、病魔には勝てなかったことを知らせるためのモノだったようだ。

 その日、俺は初めて泣いた。

 結局、叶うことの無かった雅との未来を思い描きながら。…結婚して、子供にも恵まれ、平凡だけど温かい家庭を作り。幸せそうな俺の姿を見て、母さんも元通りになるのだ。ああ、やっぱり苦あれば楽ありって本当なんだな。皆んなが皆んな、再発するワケじゃない。その証拠にトモさんも幸せを掴んでいるじゃないか!

「あああっ、うっ、ううう、ぐ…」

 …でもやっぱり、夢は夢だった。

 結局、トモさんのしたことは周囲の人間を不幸にしただけだ。愛する女性の心にその存在を楔のように打ち込み、子供という足枷まで残して経済的にも苦労させたまま自分だけが消えてしまうのだから。

 嗚咽をあげて泣きながら、ふと考えてみる。自分はいったい、何がこんなに悲しいのだろうか。以前はむしろ『早く消えてしまいたい』と願っていたほどだったのに。未練か?だとすれば、いったい何に?突き詰めると答えは簡単だった。

 俺はまだ、満足していない。

 井崎芳としての人生を
 生き抜いていないのだ。

 何か1つでもいいから、成し遂げなくては。たっぷり有るように見えて時間は残されていない。自己満足でも構わないから俺にしか出来ないことをキッチリ成し遂げてやろう。そんな決意を固め、真っ先に浮かんだのは雅の顔だ。

「ああ、いいねえ。短い人生を終えるその瞬間に、好きな女の笑顔が思い浮かぶのって、男冥利に尽きるかもな」

 …残りの人生をすべて雅のために。最後の最後まで、愛のために生きるんだ。くっそ、俺、めちゃロマンチストじゃん。

 そう思ったら妙に笑えてきて、
 なんとか生きていける気がした。

 
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