真冬のカランコエ

ももくり

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第一章

サヴォタージュ 3

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「えっ、1カートン12個なんですか?このカタログには10個だと記載が…。じゃあ発注数を早急に訂正するのでもう暫く発送を待ってください」
「おーい、高橋さーん。もうそろそろ定時だし、帰っていいぞ~」

「有難うございます、滝沢主任。でも発注書の訂正が必要なので、これを片付けてから帰りますね」
「そうか?あまり無理するなよ」

 芳が入院してから3日が経過した。精密検査の結果はなんとか無事で、それでも大事を取って退院は明日になるそうだ。ゴールデンウィーク直前の書き入れ時に有能な人材が1人欠けたせいで、ただでさえ“超”が付くほど忙しいのに。私が芳の様子を見るため定時で帰りたいと申し出たところ、皆んな快く承諾してくれたのである。

「…でもまあ、このまま連休に突入して幸運だったのかもしれないな。芳にゆっくり休むよう伝えておいてくれ」
「はい主任。じゃあお先に失礼します!」

 訂正分の注文書をFAXサーバで送信し、自分でも驚くほどの素早さでオフィスを後にした。それから自分のマンションでシャワーを浴び、食事を済ませてから化粧もせずに電車に乗って病院へと向かう。綾さんからは『数時間程度で構わない』と言われていたにも拘らず、私は毎晩病室に泊まり込んでいた。

 とにかく少しでも長く芳と一緒にいたかったからだ。私のことを好きだと告白したせいか最初の頃は少しギクシャクしていたものの、次第にいつもの調子を取り戻した芳は自然と憎まれ口を叩くようになっていた。

「雅~、さっき検温に来た新人看護師がメッチャ可愛いかったぞ。お前、俺の代わりに連絡先を訊いて来い」
「やだよ」

「はあん?俺はお前の命の恩人なんだからな!もっと敬えっつうの」
「ああ、もう仕方ないなあ。ちょっと待ってて訊いて来てあげるから」

「…おっ?雅のクセに仕事が早いじゃん」
「本当にもうっ!今回だけだからね。名刺を貰って来てあげたよ。ここに携帯電話の番号も載ってるから」

「ははは、ヤリィ!!って雅、お前ッ」
「何よ、文句あんの?」

「コレ、婦長の名刺じゃん。あの人、絶対に50代くらいだよな?!」
「あはは。芳が好意を持ってますってきちんと伝えておいてあげたよーだ」

「アホか!俺は熟女好きじゃねえしッ」
「ごめーん、うっかり間違えたのー」

「もう、何なんだよ、お前」
「そっちこそ、何なのよ」

 睨み合った挙句、ぶふっと吹き出す2人。単なる現実逃避なのかもしれないが、それでもこの何でも無い時間がとても貴重に思えた。

 …コンコン。
 そんな時、ノックの音がして。

「はい、どうぞ」
「あ…っ」

 面会時間終了の20分前に、光正と瞳さんがやって来たのである。

「ごめん、こんな遅い時間にやって来て」

 申し訳無さそうな光正の背中に隠れるようにして、瞳さんは小さくペコリと会釈した。その姿を見ても、自分でも意外なほど心は動かない。たぶん芳の病気のことを知ってから、大抵のことには驚かなくなっていて。人間、死ぬこと以外はそんなに大問題ではないと悟ってしまったからだろう。この人から向けられた憎悪は確かに衝撃的だったが、だからと言って死ぬワケじゃない。

 …私にとって一番怖いのは、芳を失うことだ。

 ん、平気、平気。そう思いながら、無意識のうちに瞳さんを凝視していたのだろう。『大丈夫だよ』と言わんばかりに光正が私に向かって微笑み、それからゆっくりとこちらに近づいて来た。

「ほら、瞳さん。言いたいことがあるんだろう?」
「う…っ、あ…、そ、そうなのッ」

 光正に押し出されるような形で瞳さんはおずおずと芳に近寄り、それから深々と頭を下げながら謝罪の言葉を口にする。

「ごめんなさい!誠に申し訳ありませんでしたッ!」

 人の本心なんて分からないけれど、偽りでは無いように思えた。理由なんて特に無いが、なんとなくその表情からそう受け取ったのだ。

「あのっ、芳…。警察沙汰にしないでくれて有難う。自分の不注意で足を滑らせたことにしてくれたって、番匠くんから聞いたの」
「え…ああ、だって仕方ないよ。これから連休でガツンと売ろうって時に、社内のイザコザで評判落としたくないし」

「それと、病気のことも聞いたわ。私ね、この世で自分が一番不幸だと思っていたの。…でも、違った。お金は生きていればまた貯められる。恋愛だって生きていれば何度でも出来る。生きていれば、どんなことでもやり直せるんだよね。なのに芳は、いつ終わりが来るか分からないでしょ?…違う、嫌味とかじゃないんだよ、本当に反省したの!私だったら絶対に怖くて堪らない、今日死ぬのか明日死ぬのかって何もヤル気が起きないと思うんだ。でも芳は違う。一日一日をすごく楽しそうに生きてて、その強さが凄いな…って。

 私、実は今月末付けで退職するんだ。もちろん怪我をさせたことも一因だけど、これを機に自分を見つめ直してみるわ。なんだか不思議なの。あんなに怒りで満ちていた心が、憑き物が落ちたみたいに軽くなって。私も芳みたいに一日一日を楽しんで暮らしていけたらなって思う。…えっと、そんなワケで雅も…いろいろと迷惑掛けてゴメンッ」

 人はこんなに変われるものなのだろうか。ついこの前までの瞳さんとは、まったく別人だ。驚き過ぎて言葉を失っていると、それを『許さない』と受け取ったのか更に頭を低く下げて謝罪された。

「簡単に許して貰えないのは分かってる。でもね、私はここから始めたいの。自己満足でも構わないから、気が済むまで謝らせてちょうだい。ごめんなさい、本当に私が悪かったです」
「い、いえっ、そうじゃなくて。許すとか許さないとかより以前にこれほど人って変われるんだと思ったら、う…えっと…そう、ビックリしちゃったんです」

 私の言葉に、瞳さんは照れ臭そうに笑う。

「あはは、それはきっと番匠くんにずっと説教されてたせいかなあ。この人ね、芳に怪我をさせた当日の晩にいきなり私の家までやって来て、自分の過去を話してくれたの。雅も知ってるんでしょ?…その…女社長にセクハラされたこととかさ。なんかね、あれを聞いたらさすがに私も『自分だけ』という言葉は使えないよね。トドメに芳の病気のことまで聞かされて、皆んな頑張ってるんだなあって。だから私も頑張ろうって。ここで変わらずに、いつ変わるのよね?神様がくれた好機だと思って、一旦リセットしてみるわ。だからまずは雅に謝罪することから始めさせて」

 穏やかな笑みを浮かべて芳は答える。

「じゃあもう、許します。瞳さんには助けられたことも有ったから。そんな悪い思い出ばかりじゃないですよ」
「あ、ありがとう!」

 …単純だな、と思った。そして素直だな、とも思った。そうか、こうして人は成長するのか。私も逃げてばかりいないで、そろそろ向き合う時期なのかもしれない。そんな決心を煽るかのように、院内放送が鳴り響く。まずは面会時間終了5分前を告げる音楽。その後に帰宅を促すアナウンスが続き、私達3人は芳に別れを告げて病室を出た。

「あ…れ?あれれ」
「どうした、雅?」

 夜間通用口のドアを開けながら、ふとポケットが軽いことに気づく。

「あ、スマホ置いて来ちゃった…」
「どこに?」

「芳の病室で充電させて貰ってたから、多分そのままになってると思う」
「仕方ない、取りに戻るぞ」

 私と光正は再び病室へと向かい、瞳さんは呼び出しておいたタクシーで先に帰って貰う。看護師さんに事情を説明すると病室に戻ることを快く許可して貰えた。

「雅は肝心なところで抜けてるからなあ」
「シッ!院内では静かにしましょうね!」

 そんな軽口を叩きながらドアをノックしようとしたその瞬間。

 …うっ、ぐっ、ふ、ううっ。

 嗚咽が聞こえたのでそっとドアを開けると、
 芳が必死に声を押し殺して泣いていた。

 
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