真冬のカランコエ

ももくり

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第一章

サヴォタージュ 2

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 救急車のサイレン、遠巻きにこちらを見ている人達の囁き、部長に状況を説明する光正の声、大勢の足音。そんなものに紛れて一瞬だけ芳が目を開けて私に問う。

「み…や…び?だい…じょ…ぶ…か」
「うん。芳のお陰だよ、本当に有難う」

 自分は全然大丈夫そうじゃないのに、こんな時まで私の心配をしているのかと思ったら余計に泣けてきた。ぎゅっと手を握りしめると弱々しく握り返してくれて、それから嬉しそうにニカッと笑う。

 …ああ、もうダメだ。
 どうしよう、もう隠しておけない。

 やっぱり芳が好きだ。

 次から次へと溢れ出てくる涙の粒が、まるで『好き』という気持ちを具現化しているみたいで。私は気持ちを伝えるかのようにして、どんどん涙を流す。

「芳ィ、死なないでよお」
「バ…カ、し……よ」

 たぶんそれは、『バカ、死なないよ』と言ったのだろう。その言葉を信じてひたすら私は泣き続ける。ぽとりぽとりと、“好き”を落としていく。




 …そして気付けば、病院の待合室にいた。


「…もしかして、雅ちゃん?」
「綾さん!」

 隣に座っている光正に、目の前の優し気な女性が芳の姉であることを紹介する。それから綾さんにひたすら詫びた。

「あの、全部私のせいなんです。私を庇って芳は階段から落ちて…。本当に本当にごめんなさいッ」

 笑うと芳にソックリなその人は、ポンポンと私の背中を撫でながら言う。

「いま聞いたらね、奇跡的に外傷は左足首の骨折と左腿打撲だけだって。さすが元バスケ部って感じだわ」
「ほっ、本当ですか?!」

「うーん、でも問題は頭の方かなあ?取り敢えず明日、精密検査するって。ほら、知ってると思うけどあの子2回も手術してるから…」
「手…術?」

「えっ?!やだもう、あの子ったら。雅ちゃんに言ってないの??」
「あのっ…芳は何の病気なんですか?」

 私の視界にはもう綾さんの唇しか映っていなくて、その唇がゆっくりと動く。

「脳腫瘍よ」
「脳腫瘍?!」

 そして突然早口に変わり、一気に説明が始まる。

「腫瘍ってね、雑草みたいなもので、根っこを取らないと繰り返し何度でも出来るらしいの。芳の場合は面倒な位置に根っこが有って、定期的に手術するしか無いんだって。その腫瘍も毎回違う形で出来るから、場合によっては失明とか全身麻痺とか最悪の時は死ぬとも言われているわ。20代で発症して60代まで生きた人もいるし、逆に1年しか生きられなかった人もいる。頭に爆弾を抱えた状態で芳は暮らしているのよ」


 それを聞き、私は全ての謎が解けた気がした。

 ああ、そうか。
 芳は私だけを選ばなかったのでは無くて、

 …選べなかったのだ。

 ねえ、そうなんでしょう?芳。

 アナタは多分、私を大切に思ってくれているからこそ、悲しませたくなかったんだよね?だから友達のままでいるため、他に彼女を作って牽制した。そのくせ、彼女よりも私を優先し、何度も何度も破局して。

 …ああ、きっとそうに違いない。だって時折見せたあの目は、言葉よりも雄弁だった。

 芳は私のことが好きなのだ。

 ずっと…そう、ずっと。
 もしかして初めて会ったあの日から…。

 まったく。絶望と共にこんな喜びを用意しておくなんて、神様もなかなか粋なことをしてくださる。

「あの、綾さん。もしかして芳の病気が発覚したのは高3の時じゃないですか?」
「えっ?ええ、そうよ。確か夏休みに体調を崩して、それで…」

 あの嘘吐き男め、そんな昔から私を騙していたんだな。

 綾さんの話では、地方の大学病院だったせいか手術室の予約が半年先まで埋まっていて、実際に手術したのは卒業後だったそうだ。その1年後に再発し、もう一度手術したのだと。

「あ!えっと、どうしようかな…。実は幼稚園のお迎えの時間なの。ウチの主人、出張で暫くいないから雅ちゃんに芳のことをお願いしていい?」
「はい、もちろん大丈夫ですよ」

「それから、その…言い難いんだけど、ウチの両親は頼れないというか…」
「オジさんとオバさん、どうかしたんですか?」

 昔よく見たあの人懐っこい笑顔を思い出す。芳の家に遊びに行くと、毎回お菓子と飲み物を持って『邪魔するわよ』と笑いながら乱入して来たオバさん。たまにトランプで遊んでくれたオジさん。地方とはいえ、飛行機や新幹線で来れない距離では無い。そんなことを考えながらもう一度訊ねた。

「もしかしてどちらかが病気に…?」
「え、ああ…うん。お母さんの方がね芳のことを気に病んで、その…精神的に参っちゃって」

「精神的に?」
「早い話が鬱なんだけど、寝ないし食事も摂らなくなって。医者に見せたら『このままでは死ぬ』と。だから仕方なく入院させているの。退院はするけどまたすぐ元に戻っちゃう」

 驚きの余りに声を失った。

「そんなこと、芳からは聞いてないです」
「うーん…原因が原因だからねえ。『そんな体に産んだ自分が悪い』って、母さんが自分自身を責めてしまうのね。だから芳も弱音を吐けなくなっちゃったみたい」

 私の記憶の中の芳は、どんな時でも笑っていて。だからその笑顔の裏にそんな葛藤が有ったのかと思うと自然に泣けてくる。

「…えっ、やだ雅ちゃん、泣かないで。きっと大丈夫だから、あの子。それでね、取り敢えず今後の相談をしたいんだけど」
「うっ、…はい」

 これ以上、泣いてはダメだ。だって姉である綾さんが泣いていないのだから。とても仲の良い姉弟だったから、この人だって悲しいに違いない。でも、母親がそんな状態になって、ずっと泣き言が言えなかったのだろう。今だって、私を責めるワケでも無く、淡々とこれからのことを話し合おうと。

 私も強くならなくては。芳を支えられるほど、もっともっと強く。すべきことは山のように有る。

「申し訳ないんだけど、ウチの子がまだ小さくて預ける先が無いのね。だから明日の精密検査は私が会社を休んで付き添うけど、今晩と明日の夕方から芳の面倒を見て貰えないかな?明日だけじゃなく、これから仕事終わりに様子を見に来てくれると助かる。何かあれば私を呼び出すよう、看護師さんには伝えておくから。図々しいお願いで心苦しいんだけど、目覚めた時に雅ちゃんがいれば芳も絶対に喜ぶと思うのよね」

 もちろんハイと即答した。すると隣にいた光正も、ここに残ると言う。断る理由も無いのでそのまま綾さんとは別れ、光正と2人で病室へ。点滴の管が腕に刺さっている以外はいつも通りの芳で、顔色も随分明るくなったような気がする。スウスウという寝息に安心し、私達は付き添い用の長椅子に腰を下ろした。

「この椅子がベッド代わりなんだろうな。雅はここで寝ろ。俺は丸椅子で平気だ」
「いいよ、光正がこっちで寝て。私は丸椅子で大丈夫だから」

「じゃあ2人揃って長椅子にしようか。壁にもたれれば何とか寝れそうだし」
「でもきっと光正のことだから、私が寝た後にコッソリとこの長椅子で寝かせるつもりじゃない?」

「う…。そんなことしないよ」
「絶対すると思う」

 そんなやり取りを続けていると、芳の頭が微かに動いた。

「み…やび…?」
「芳!ごめん、煩かったかな?!」

 弾けるように彼の元へと走り、その頬をそっと撫でる。

「ごめ…ん、もしかして…付き添ってくれんの?」
「うん、綾さんは明日の朝イチに来るよ。今のところ目立った外傷は、左足首の捻挫と左腿の打撲だけだって。それと…脳の方に影響が無かったか、念のため明日は精密検査しますってさ」

 『うん』と芳が小さく頷き、そして自分でも驚くほどサラリとそのことを話していた。

「ねえ、聞いたよ、病気のこと。バカだなあ…隠してるなんて」

 一瞬だけ困った表情をしたかと思うと、芳も平然と答える。

「そっか、バレちゃったのかあ」

 この調子で淡々と会話は進められていく。

 そうでもしないと
 泣いてしまいそうだった。

「そんなの絶対にバレるって。なんで教えてくれなかったのよー」
「だって、お前、態度変えるだろ?」

「変えないよ、たぶん」
「変えるんだって、無意識のうちに。家族でさえ、そうなんだから」

「へ、…へええ」
「井崎家の人気者だったはずの俺が、そのうち俺の顔を見ると皆んな笑顔を消しちゃうんだぞ?」

「そ、そうなんだあ」
「こっちはまだ生きてるっつうのに、毎日がお通夜状態になってさあ」

「あはは、お通夜~」
「…ほんと、キツかった。だから雅と再会して嬉しかったんだよ」

「……」
「普通に接してくれることがさ、ほんと楽しくて…幸せだった。久々に生きてて良かったと思ったなあ」

 もう、相槌を打つことは出来なかった。グニャグニャに歪む視界を、必死で元通りにしようとしていたから。『泣いちゃダメだ、芳の方が何倍も何十倍も辛いのだから』と思うのに、身体が言うことを聞いてくれない。静かに葛藤していると隣りで光正が口を開く。

「井崎君、正直に答えてくれ。雅のことが好きなんだろう?」

 こんな時に何故そんな質問を…と思うが、よくよく考えるとこんな時にしか訊けない気もする。歪んだ視界の中で、芳は黙り込み、思案しまくり、それから意を決したように返事する。

「うん、はい」

 薄っすらと感じていたはずなのに、改めて本人の口からそれを聞かされると、思わず頬が緩んで心臓が波打つ。そして芳は顔の向きを光正から私に替え、ゆっくりと掠れた声で話し続ける。

「自慢じゃないけどな、雅のことを世界で一番好きな男は俺だぞ。だって、俺は譲れるから。雅の幸せの為なら、他の男にお前を譲れるんだ。…番匠さん、雅のことをお願いします。俺、番匠さんなら許せるんで。だってアナタは雅を大切にしてくれる。絶対に雅を泣かせたりしないでしょ?俺の出来なかったことを雅にしてあげてください。

 どうか2人で幸せに。うんとうんと幸せに…」


 その言葉でグニャグニャの視界がいつの間にかクリアになった。何故なら涙が一気に零れ落ち、視界を遮るものが無くなったからだ。話し疲れたのか、芳はゼンマイが切れたようにたどたどしく言葉を絞り出す。

「み…やび?泣…くなよ…」
「い、いいじゃないの。悲しくて泣いてるんじゃないよ、コレ。嬉しくて泣いてるんだから」

「は…は…。強が…り」
「芳とこうして一緒にいられることがすごくすごく嬉しいの。ねえ、芳」

「…ん、…なに?」
「生きていてくれて、ありがとう」

「バー…カ…、そんな簡単に死なね…」
「うん、うん、生きて。もっともっと、たくさん生きて」

 一瞬だけ微笑んだかと思うと、もう限界だったのか芳はそのまま眠ってしまい。無意識に私はその右手を握っていた。向こう側に引っ張って行かれないように、私の元に残ってくれますようにと、強く強く願いながら。ふと世界に2人きりのような錯覚に陥り、突然肩に置かれた手の感触でハッと我に返る。そこには光正が静かに微笑んでいて、そして私に言うのだ。

「…俺、急用を思い出したから、今日はこれで帰るよ。雅、悪いけど後は頼む」

 それは優しい嘘だと分かりながら、作り笑顔で頷いた。私の気持ちを察しながら、それでも芳と2人きりの時間をくれると。本当にこの人はどこまで優しいのだろうか。


 …ほどなくして私と芳だけになり。

 規則正しい寝息を聞きながら、ひとつひとつ思い出を掬い上げてみる。

 付き合っていた頃、バレンタインにあげたチョコレートが豪快に割れていたこと。真冬はいつも手を繋いで芳のコートのポケットに入れていたから、いつの間にか2人とも手袋を片方無くし、それに気づいて大笑いしたこと。再会後も、2人でクッキングスクールの体験教室に行ってみたり、禅寺で修行をしたり。バーベキュー、キャンプ、海水浴、流しそうめんや鮎を食べに遠方まで行き、焼き肉食べ放題やケーキバイキングでお腹が破裂しそうなほど食べたっけ。

 たくさんの楽しかった思い出が、まるで小さな花が咲くかのようにポンポンと私の心を埋めていく。ふと何かに似ている気がして、ようやくそれが何かを思い出す。

「そっか、カランコエだ…」

 その昔、芳が誕生日にくれた花。

 小さくて可愛いその花は、まるで私達の思い出みたいにたくさん集まって。


 いつしか“幸せ”という名に
 変わってしまったようだ。

 
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