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第一章
Rain 1
しおりを挟む[~光正side~]
誰もが皆んな、
優しさを求めていて。
誰もが皆んな、
優しくしたいと思っている。
でも結局、
優しくされればされるほど、
際限なくそれを欲しがり。
優しくすればするほど、
疲弊していく。
そうして結局は皆んな、
冷たくなってしまうのだ。
────
物心ついた頃から母は病室のベッドで寝ていて、俺に会うたび嬉しそうに笑っていた。
「いつになったら家に帰ってくるの?」
「もうすぐよ、もうすぐ」
「みっくんの誕生日には間に合う?」
「うん、みっくんがイイ子にしてたらね」
「やったあ!!」
「うふふふ」
幼心にもう、分かっていた。
そう言って母は何度も何度も約束を破っていたから。
誕生日、運動会、遠足、クリスマス。母は『絶対に帰るから』と嘘を吐く。『だからイイ子で頑張るのよ』と最後は必ずそう言って締め括り、俺は騙されたフリをして喜んでみせる。どんどん痩せ細っていくその姿は病状の深刻さを物語っていたが、誰もそのことには触れようとせず。明るく楽しい親子の時間を演じてみせた。
…最後の最後まで。
こうして俺は“嘘”を悪いものでは無く、優しいものだと覚えた。相手を傷つけないための嘘はどんどん使っても良いのだと。本音はどんどん嘘に埋もれ、いつの間にか俺は上辺だけの気味悪い人間になっていた。そこへ拍車をかけるかのように、
転機が訪れる。
父の再婚。
当時の俺は10歳、母の死から2年後のことだった。連れ子同士の再婚で、向こうには俺より2つ上の女の子が1人。亡くなった母は美しい人だったがこの再婚相手は十人並の容姿をしており、性格もあまり穏やかとは言えなかった。父の前と俺の前とでは別人のように態度を変えるのだ。
この義母に加え、義姉の傍若無人な振る舞いも酷かった。
>早くアイス買って来いよ!
>この役立たずがッ。
>なんか文句あんの?!
>お前、ほんとキモイよな。
この調子で毎日罵倒され、蹴られ、無視されて。それでも父には言えなかった。
>光正のために結婚したんだよ。
>家のことをしてくれる人が必要だからね。
そう以前から言われていたせいで、耐えるしか無いと思い込んでいたのだ。
それが徐々に変わったのは、身長が伸び、声変わりもして男らしい体格になった頃だろうか。とにかくこの時期から俺は急にモテ始めた。たぶんあの2人に日頃から鍛えられていたせいだろう。決して相手の嫌がることを言わず、場の空気を読んで目立つことを控える。その姿は確実に同世代の男子達とは違ったのだと思う。
そして気付けば義姉が俺に、“女”を出してくるようになっていた。
…人間というのは本当に単純で、周囲の意見に惑わされ易い生き物だ。義母はいつも俺のことを『不気味で気持ち悪い子』と言っていて。それで母娘2人が結託し、俺に冷たい態度をとっていたのだが。どうやら義姉の方は仲の良い女友達の意見を聞き、考えが変わってしまったらしい。
「ねえねえ、光正。佳代って知ってる?野崎佳代」
「え?ああ、義姉さんの友だちだろ」
「あのコが光正のことカッコイイって!アンタすっごいモテモテなんだってね。他校生が駅で待ち伏せしてるんだって?」
「ああ、たまにだけどね」
「へえ、そうなんだ、ふうん」
「……」
そんな何気ない話から始まり、徐々に俺を見る目が変わって来て。最初は気のせいだと思ったが、それは告白してくる女子達と同様の目で。
…ただただ、気持ち悪かった。
たぶん男より女の方が性に目覚める時期が早いのだろう。俺はかなり奥手だったから尚更、義姉の態度に嫌悪感を抱いてしまった。自室に籠っているとわざわざ露出の多い姿で『アレを貸して欲しい』『コレを返す』などと言ってズカズカ入って来る。玄関でシューズの紐を縛っていると、ワザと背中から抱きついてくる。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い…。
頭の中はもうその言葉で満たされ、段々と家に帰ることが苦痛になってきて。高1の夏、とうとう寝ている時に強引に唇を押し付けられたことで何かがキレた。
「うああ──ッ、もうヤメてくれ!触んな、このブスがッ!お前、鏡見たことあんのか?!きっしょいんだよッ!ほら見ろ、鳥肌が立ってるだろう?!俺は、お前がこの世で一番嫌いなんだ!」
…ようやくソレを言ってスッキリすると思ったのに。汚い言葉は自分自身も激しく汚し、その先ずっと後悔することになる。
あんな自分は知りたくなかった。
あんな自分は消してしまいたい。
俺は感情的になって誰かを罵るような人間じゃない。性的な目で見られて騒いでいいのは女だけなんだ。俺は男だから、もう二度とあんな風にはならないと固く固く決心した。
…それ以降、義姉は近寄らなくなって俺も大学進学を機に1人暮らしを始め、近寄って来る女性は多かったが誰と付き合っても長続きしなかった。皆んな一様にこう言うのだ。
>ごめんね、
>番匠くんと一緒にいても
>全然楽しくないの。
特に意見を持たず、適当に自分に合わせてくれるのがひとり遊びみたいでつまらないのだと。
だろうな、と思う。だって俺自身が自分に退屈しているのに、他人はもっとつまらないに決まっている。でも仕方ないだろ?これが俺なんだからと半ば諦めていた。
…雅に会うまでは。
幼馴染の妹が突然、紹介してくれた女のコ。俺が選ばれたのは『同じ大学に通っているから』という恐ろしくどうでもいい理由で、初対面は本当に最悪だった。いきなりダメ出しの嵐。自己啓発セミナーじゃあるまいし、説教攻撃かよ…と思って。顔では笑っていたけど、内心ウンザリしていたのに。
途中でなぜかちょっと感動し始める。
たぶん上辺ばかりの自分とは違い、本音で語っているからだろう。真っ直ぐ俺の目を見て本気で会話しようとしていた。不器用なやり方だったけど、俺の中身を知ろうとしているのが物凄く伝わってきて。こんな女は初めてだったから、この女といれば自分が成長する気がして、だからまた会いたいと伝えた。嘘だらけの自分だからこそ、嘘を吐かない雅が物凄く新鮮で心の底から信じられた。
「光正は誰にでも優し過ぎるよ。中には誤解する人もいるからね?特に女性には気を付けて」
「はいはい。何かあれば俺にはヤキモチ妬きの可愛い彼女がいますって言うから」
「もうッ、本気で心配してるのに。でもまあ、『可愛い彼女』と言うのは悪くないかな。えへへ」
「んー、ああ、もう雅は本当に可愛い。小さく出来るものなら、ポケットに入れて持ち歩きたいよ」
愛情表現が苦手な俺が、雅にだけはバカみたいに愛の言葉を注ぎまくった。不思議と恥ずかしさは無くて、次から次へと溢れてきて。人生で一番上手くいった恋愛だったから、どんなことがあっても大丈夫だと。俺たちは他のカップルたちとは違い、頑丈で壊れない関係なんだと。そんな風に過信してしまったのかもしれない。
…次第に仕事が忙しいからと会う努力をしなくなり、電話してもまるで会話が弾まなくなって、それでも雅なら分かってくれるはずだと。
そんな不安定な時期に事件は起きたのだ。
当時の指導係は豊さんという入社4年目の男性社員で、とにかく俺はこの人のことを尊敬していた。自分と違って社交的で顧客からも絶対的な信頼を得ており、しかも仕事に対する情熱とか、取り組み方がいわゆる“熱い”人で。接待が終わった後に彼の行きつけの店へつれて行かれ、仕事に対する心構えなんかを延々と語られることもよく有った。
自分もいつかはこんな風になるぞと燃えていたのだ。そう、あの頃の俺は本当に若かった。いや、単に世間知らずだっただけなのかもしれない。入社から半年もすると豊さんが指導係から外れ、代わりに主任の補助役へと抜擢された。最初は能力を認められたと喜んだのに、なんてことは無い。泥酔した主任があっけなく本心をバラしてくれたのだ。
>取引先の担当者が女だと、
>番匠のツラが武器になるんだわ。
>お前も自分の役割を自覚しとけよ?
>とにかく適当にゴマすって、
>『仕事ください』って甘えるんだぞ。
情けなかったけど『はい』と答えるしかなくて。そのうち、そんな恥ずかしい役割にもどんどん馴染んでいく自分がいて。
「相沢社長みたいな美人とこうしてお酒が飲めるなんて幸せでーす」
「番匠くんったら本当に調子イイわねえ」
「実は丸山店長だけなんですよ。俺のプライベートの電話番号を教えたの」
「やだ、もう。嬉しいこと言うじゃない」
元々、嘘だらけの人生を送ってきたから本心を隠すことはとても簡単で。相手も調子を合わせているだけだろうと勝手にそう思い込み、心の籠っていない言葉を吐き続けた。
「番匠くん?私です、ミカド食品の…」
「ああ、明美社長ですか?いつもお世話になってます!」
彼女は大手食品グループの会長の孫で、自身も関連会社の社長をしており、少し派手な外見で気の強い女性だった。粘着されているという自覚は有ったものの、主任からの『このままグループ全体を顧客に取り込めるかもしれないから頑張れ!』という言葉に後押しされ、繰り返される呼び出しにも応じた。
なにせ相手は16歳も年上でしかも既婚者だったのだ。そんな女性とどうにかなるハズが無いし、いざとなれば主任が助けてくれると気軽に考えていたのに。
…それが甘かった。
世の中には不貞なんか平気で、俺ごときの上辺だけの言葉を真に受け取る人間もいたようだ。呼び出しの回数は異常なほどに増え、電話もメールも1日に数十件。最早ストーカーの域に達し主任に助けを求めたが、それは一笑に付されてしまう。
「だってお前、男だろ?イザとなれば番匠の方が腕力は強いし、そんなもん適当に躱せよ」
適当になんて躱せるワケが無い。向こうはお得意様で性格の差も歴然としている。どんなに社交的に振る舞って見せても、実際の俺は内向的で弱い男だし、明美社長は生まれ育った環境からかとても気が強く威圧的だ。主任は続けてこうも言った。
「絶対に機嫌を損ねるなよ?俺の不利益になることをしたら、タダじゃおかねえからな。だいたいさー、向こうから言い寄ってくるんならヤッてやれよ、減るもんじゃなし。ワザワザ金を払ってそういう店に行く男だっているんだぞ。ほんとお前さあ、モテるからってイイ気になってんなよ。あのオバはんの相手が無理だと感じたら、目を瞑って可愛い彼女だと思い込め。…まあ、無理にとは言わんがな」
こういう人は最後にきちんと逃げ道を作っておく。『無理にとは言わんがな』の一言で、『最終的にはお前の判断に任すぞ』と暗に宣言されたようなものだ。退路を断たれた気がして悩んだ挙句、豊さんに相談した。
残念ながらそれが間違いだったようだ。
どこの職場でも少なからず派閥は有る。実は女よりも男の方が、陰湿でドロドロしているのかもしれない。豊さんは実力主義の課長派、主任は結果主義の部長派だった。俺のことを本気で心配し、憤った豊さんは主任に直談判する。なぜなら課長を通すと、課長に迷惑が掛かる恐れが有るからと。
このことで部長の怒りを買った豊さんは突然、物流部へ異動を命じられてしまい、その罪悪感に苛まれている俺を課長派の先輩達が更に責めるのだ。
>なんで部長派のクセして
>豊に相談するんだよッ。
>番匠のせいで
>大切な戦力を失ったじゃないか!
…もちろん、部長派の先輩からも容赦なく責められた。
>余計なことをしやがって。
>俺ら全員、
>枕営業してると思われただろ?!
>仕事もロクに出来ないクセして、
>面倒ばかり起こすなよッ。
もう、限界だった。
味方が1人もいない職場で針の筵みたいな毎日を送り、そこに例の女社長から狂ったように何度も何度も連絡が入る。
『自分さえ我慢すればいいんだよな』
…追い詰められた結果、
俺はとうとう女社長と一夜を共にした。
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