2 / 9
よみがえる記憶
しおりを挟む
部屋が暗いことも、気が滅入る要因のひとつかもしれない。
窓の外についている日よけ扉は閉めてあって、小さなシャンデリアのほのかな光だけが室内を照らしている。
アイスの空き袋とペットボトルがいくつも突っ込まれたくず籠、乱雑に開いたスーツケース、古びた木のドア、アンティークの箪笥。
どうせ窓を開けても風は吹き込まないわけで、それよりは、日差しを避けたほうが暑さ対策になる。
と、頭で分かってはいても、こうも長時間、ジメジメする薄暗がりに身を置き続けると、決意がくじけそうだ。
なにかに追い立てられるように、立ち上がってそーっと日よけ扉を開けてみる。
とたん、真っ白な光がカミソリの刃のように眼を切り裂き、反射的に窓を閉める。ふー、危ない。もちろんそんなわけはないが、感覚としては「死ぬかと思った」だ。
散らかった室内がほんの一瞬生々しく暴き出され、目に残像がチカチカと焼き付く。
ダメだ。
外には出られないし、窓も開けられない。猛吹雪の中、ロッジに閉じ込められたような気持ちで、ふたたびしっかりと窓にカギをかける。
振り出しに戻った。
暑い。それにしても暑い。
寝転がったままケータイをいじる。背中の汗がシーツにしみこんでいくのが感じられる。顔は毎分ごとにほてりを増していく。
さっき開いたページから日本のニュースをチェックする。
平和そうだ。ほんのひととき暑さが紛れ、次々と現れるどうでもいいニュースをポンポンと読み進めていく。
指が勝手に走り、つい勢いで新着メールの通知をタップしてしまう。
あっ。
慌てて閉じようとするけれど、こんなときだけ妙に反応よく新着メール一覧が表示される。
なんてことだ。そもそも私はこのメールを見たくないがために、わざわざアンダルシアくんだりまで来ているのに。
暗い気持ちで眺める受信メール一覧に並ぶタイトルは、どれも不動産屋さんからのものだ。
「佐々木祥子様へ物件のご紹介」。
件名が目に入るだけのことで胸の奥の方が重くなる。
喉がつかえて唾が自然と飲み込まれる。耳の付け根がぎゅっとする。
仕事熱心な不動産屋さんからのメールは、ここのところ2日に一度のペースで届いていて、その内容は見るまでもなく分かっている。
「佐々木様よりご依頼の1LDKタイプの物件、新たに何件か見つかりましたので図面をお送りさせていただきます。お手数ですが、ご覧になっていただきまして、気になったものがございましたら、内見の手はずを整えさせていただきます。その他、要望・ご質問などございましたら、お気軽におっしゃっていただけましたらできる限り対応させていただきます……」
丁寧過ぎる言葉遣いがこっけいでバカみたいなこのメールは、私に決まってある光景を思い出させる。
それは撮ったばかりのようなとても鮮明な映像だけれど、それが頭に浮かぶたびに私の心はずんと重くなる。足の力が抜けて、小さく叫びそうになる。
* * *
大きな窓から赤い西日が差し込むフローリング。リビングにはものが何ひとつ置かれていない。
がらんとしたリビングに立つ私のそばには細身の男性がいて、私たちは並んで立っている。
私は鼻の穴を少し広げ、小さくうなずく。
何かを成し遂げた達成感と、これから起こることが楽しみな期待感。
隣の人も同じ気持ちだろうな、と顔をのぞき上げると、まるで見たことがない表情をしているので、心底驚いてしまう。
お腹が痛いのを我慢しているような、力の入った、でもどこか悲しそうな顔。
「どうしたの?」とほほえみかけると、男の下唇の右端のほうが少しずつゆがんで、ゆっくりと口が開かれる……。
* * *
出かけよう! すんでのところで映像を強制終了させると、がばりとベッドから体を起こした。汗が後れ毛からぽたりと落ちてシーツにシミを作る。
危ない。ダメだ。こんな地獄みたいな部屋で地獄みたいな想像をしてるぐらいだったら、外に出よう。
水だってそろそろなくなるし、どうせいつかは外に出なくちゃいけないのだ。もしかしたら、もしかしたら、だけど、外のほうが涼しいかもしれない。さっきみた強烈な白い光はきっと幻に違いない。
そうだそうだ。そもそも私は今、旅行に来ているのだ。
ヴァカンス。レジャー。エキゾチック。
昼下がりのスペイン情緒を満喫する権利ぐらい、私にはあるはずだ。
下の短パンだけジーンズに履き替える。上は濡れたまま(一歩外へ出れば乾く)で、木彫りのフクロウがついたルームキーと財布、ケータイを持ち、帽子をかぶって部屋を出る。
出る間際、病気がちの小動物のような息を漏らしているエアコンくんに気づくが、そのまま放置する。
お前なんて当然つけっぱなしだ。
少しは頭を、いや、部屋を冷やしておけ。
窓の外についている日よけ扉は閉めてあって、小さなシャンデリアのほのかな光だけが室内を照らしている。
アイスの空き袋とペットボトルがいくつも突っ込まれたくず籠、乱雑に開いたスーツケース、古びた木のドア、アンティークの箪笥。
どうせ窓を開けても風は吹き込まないわけで、それよりは、日差しを避けたほうが暑さ対策になる。
と、頭で分かってはいても、こうも長時間、ジメジメする薄暗がりに身を置き続けると、決意がくじけそうだ。
なにかに追い立てられるように、立ち上がってそーっと日よけ扉を開けてみる。
とたん、真っ白な光がカミソリの刃のように眼を切り裂き、反射的に窓を閉める。ふー、危ない。もちろんそんなわけはないが、感覚としては「死ぬかと思った」だ。
散らかった室内がほんの一瞬生々しく暴き出され、目に残像がチカチカと焼き付く。
ダメだ。
外には出られないし、窓も開けられない。猛吹雪の中、ロッジに閉じ込められたような気持ちで、ふたたびしっかりと窓にカギをかける。
振り出しに戻った。
暑い。それにしても暑い。
寝転がったままケータイをいじる。背中の汗がシーツにしみこんでいくのが感じられる。顔は毎分ごとにほてりを増していく。
さっき開いたページから日本のニュースをチェックする。
平和そうだ。ほんのひととき暑さが紛れ、次々と現れるどうでもいいニュースをポンポンと読み進めていく。
指が勝手に走り、つい勢いで新着メールの通知をタップしてしまう。
あっ。
慌てて閉じようとするけれど、こんなときだけ妙に反応よく新着メール一覧が表示される。
なんてことだ。そもそも私はこのメールを見たくないがために、わざわざアンダルシアくんだりまで来ているのに。
暗い気持ちで眺める受信メール一覧に並ぶタイトルは、どれも不動産屋さんからのものだ。
「佐々木祥子様へ物件のご紹介」。
件名が目に入るだけのことで胸の奥の方が重くなる。
喉がつかえて唾が自然と飲み込まれる。耳の付け根がぎゅっとする。
仕事熱心な不動産屋さんからのメールは、ここのところ2日に一度のペースで届いていて、その内容は見るまでもなく分かっている。
「佐々木様よりご依頼の1LDKタイプの物件、新たに何件か見つかりましたので図面をお送りさせていただきます。お手数ですが、ご覧になっていただきまして、気になったものがございましたら、内見の手はずを整えさせていただきます。その他、要望・ご質問などございましたら、お気軽におっしゃっていただけましたらできる限り対応させていただきます……」
丁寧過ぎる言葉遣いがこっけいでバカみたいなこのメールは、私に決まってある光景を思い出させる。
それは撮ったばかりのようなとても鮮明な映像だけれど、それが頭に浮かぶたびに私の心はずんと重くなる。足の力が抜けて、小さく叫びそうになる。
* * *
大きな窓から赤い西日が差し込むフローリング。リビングにはものが何ひとつ置かれていない。
がらんとしたリビングに立つ私のそばには細身の男性がいて、私たちは並んで立っている。
私は鼻の穴を少し広げ、小さくうなずく。
何かを成し遂げた達成感と、これから起こることが楽しみな期待感。
隣の人も同じ気持ちだろうな、と顔をのぞき上げると、まるで見たことがない表情をしているので、心底驚いてしまう。
お腹が痛いのを我慢しているような、力の入った、でもどこか悲しそうな顔。
「どうしたの?」とほほえみかけると、男の下唇の右端のほうが少しずつゆがんで、ゆっくりと口が開かれる……。
* * *
出かけよう! すんでのところで映像を強制終了させると、がばりとベッドから体を起こした。汗が後れ毛からぽたりと落ちてシーツにシミを作る。
危ない。ダメだ。こんな地獄みたいな部屋で地獄みたいな想像をしてるぐらいだったら、外に出よう。
水だってそろそろなくなるし、どうせいつかは外に出なくちゃいけないのだ。もしかしたら、もしかしたら、だけど、外のほうが涼しいかもしれない。さっきみた強烈な白い光はきっと幻に違いない。
そうだそうだ。そもそも私は今、旅行に来ているのだ。
ヴァカンス。レジャー。エキゾチック。
昼下がりのスペイン情緒を満喫する権利ぐらい、私にはあるはずだ。
下の短パンだけジーンズに履き替える。上は濡れたまま(一歩外へ出れば乾く)で、木彫りのフクロウがついたルームキーと財布、ケータイを持ち、帽子をかぶって部屋を出る。
出る間際、病気がちの小動物のような息を漏らしているエアコンくんに気づくが、そのまま放置する。
お前なんて当然つけっぱなしだ。
少しは頭を、いや、部屋を冷やしておけ。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
冷淡だった義兄に溺愛されて結婚するまでのお話
水瀬 立乃
恋愛
陽和(ひより)が16歳の時、シングルマザーの母親が玉の輿結婚をした。
相手の男性には陽和よりも6歳年上の兄・慶一(けいいち)と、3歳年下の妹・礼奈(れいな)がいた。
義理の兄妹との関係は良好だったが、事故で母親が他界すると2人に冷たく当たられるようになってしまう。
陽和は秘かに恋心を抱いていた慶一と関係を持つことになるが、彼は陽和に愛情がない様子で、彼女は叶わない初恋だと諦めていた。
しかしある日を境に素っ気なかった慶一の態度に変化が現れ始める。
仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。
つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。
彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。
なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか?
それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。
恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。
その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。
更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。
婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。
生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。
婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。
後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。
「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。
骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方
ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。
注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる