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第八話 ひだまりに憧れて

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 店の裏口で、葵はスマートフォンを取り出す。それから、操作するわけでもなくただ自分の耳に当てて、先ほどのキーホルダーを自分の目の前に持ち上げた。

「……一応聞くね。これ、アスター?」
『キーホルダーになってもイケメンな僕を捕まえておいて、ほかに誰だっていうの』
「アスターだ……」

 葵は力が抜けたように壁に背を預けた。キーホルダーについていたフィギュアが、つい最近鮮烈に目に焼き付いた鴇色の髪の毛の魔法使いの姿そのままだったのに加えて、同じ部屋にいた木内には聞こえていなかったらしい声。まさかとは思ったが。ずる、と背中が壁と擦れると同時に、アスターの声が頭に響いた。

『ふふん、すごいだろう僕は。無機物を動かすだけではなく、自分を無機物にも出来てしまう。一端の魔法使いだってなかなかこれはできることじゃない。アオイ、褒めてくれてもいいよ?」
「付いてくるなら、最初から言ってくれないと困る」
『あれ、これ僕、叱られてる?』

 ゆら、とキーホルダーを揺らすと、不貞腐れた声が頭に響いた。

『だって、仕方ないだろ。君の願いを手っ取り早く叶えるためには、まず君の周りにどんなひとがいるのか確かめなきゃ』
「私の願いって……まさか、「彼氏がほしい」ってやつ?」
『君がそう言ったんだよ』
「……確かに、言ったけど……」

 思い出して、気恥ずかしさが葵を襲う。ぐ、と喉から声が漏れて、同時にスマートフォンを持った手に力が入った。

「……あのあと、その願いじゃなくてもいいって、私、言ったじゃん」
『言ったね。けど、その後に何も代案が思い浮かばなかったのは君だし』

 よろしく、と言った言葉通り、あの後アスターは葵の家までやってきた。葵にも家族が居る。流石に、異性だし、格好はファンタジーだしなアスターを玄関先から堂々と迎え入れるわけにもいかず、昨日は二階の窓から招き入れたわけなのだが、こうして無機物になれるというのなら昨日の葵の苦労は何だったのだと小一時間ほど問い詰めたいところだ。こっちは、初めて男の子を部屋に入れたし、部屋に泊まらせたしで、正直いつもよりも眠れていないというのに。
 それはそれとして。部屋に入れた際、叶えてもらう「願い」について葵はアスターと話した。そのときは、「彼氏がほしい」という願いはとりあえず無かったことにして、別の願いで代替えすると話が付いたはずだったのだが。

『君は不本意かもしれないけれど、あれだって立派に君から零れ落ちた願いのひとつだ。僕としては一刻も早く願いを叶えて刑期を終わらせたいからね。現時点で分かっている願いをさっさと叶えたいと思うのは、おかしいことではないよね?』
「それは……そうかもしれないけど……」

 葵は目線を自身の手首へと向けた。スマートフォンを固定する手首には、葵にしか見えない黒い痣が一蹴している。それとなくリカの前で手首を出してみたけれど、目ざとく何か変化があればすぐに指摘してくるリカに何も言われなかったから、おそらくこれも葵とアスター以外には見えていないようだった。
 今度は独りでにキーホルダーが揺れた。

『で、誰がタイプ?』
「タイプって言われても……」
『彼氏が欲しい、って漠然とした願いだった時点で、特定の好きな人がいるわけじゃなさそうだったから』

 ああ、もう、だから掘り下げられたくなかったのに。
 この魔法使いにはデリカシーがないのかと眉間にしわを寄せながら、葵はため息をつくと、そっと空を仰いだ。
 今日も夏日だ。空が高い。雲はゆったりと尾びれをうねらせてくじらのように泳ぎ、その目的地だろう進行方向には、高い入道雲の塔がそびえたっている。天気予報は晴れのち雨。夕方には、遠雷が聞こえ始めるのかもしれない。
 日向にはみ出していた靴の先っぽを、日陰に引っ込める。

「……友達に彼氏がいるんだ。その子が、すごく幸せそうだなって思ったんだ」

 目をつむって、昨日ガチャポンにつき合わせた友人の顔を思い浮かべる。最初は、りっくんとかいう彼氏さんに、友人を取られた気持ちでいっぱいだったけれど。最近は、それでもいいやと思っている自分がいる。だって幸せそうに笑うのだ。好きだって、教えてくれる声が、可愛いのだ。友人が幸せそうであるなら、それだけで葵は嬉しい。

「それが、なんか、いいなあって思った。それだけ」

 嬉しい。けど、どこか羨ましい。
 それは、妬みみたいな、どろどろしたものじゃなくて、太陽を見上げて目を細める様な、ひまわりの気持ちによく似ている。

「……悪い?」

 拗ねたように放った声は、思いのほかフラットに受け止められた。

『いいや? 立派に願いの動機だよ。むしろ、可愛い』

 それどころか、思ってもいなかった言葉を返されて、思わずスマートフォンを取り落とすところだった。

「かわっ……」

 異性に免疫がないわけではない。例えばクラスメートにも何人か話す男子生徒はいるし、こうしてバイト先でも、年の近い異性なら東や黒沢あたりとはリカを交えてよく話している。けれど、どの人物も仲が良いがそれまでで、それ以上はない。
 可愛い、だなんて。それが、見た目を指していようが中身を指していようが関係なく、たとえ言ってきた相手が素性のわからない魔法使いだったとしても、男の子に言われたのは初めてだった。
 内心大きく動揺した葵に、しかしアスターは何事もなかったかのように続けた。

『じゃあ続き。アオイ、質問を変えるよ。あのなかで、彼氏にするなら誰がいい?』
「あのなかで、って……」

 葵は先ほどの控室の様子を思い浮かべた。
 タイムカードを切ってからあの場所に居たのは、葵のほかに、リカ、木内、東、それから最後に顔を出した黒沢だ。
 まず、可愛い後輩であるリカは除外する。それから、大きく年が離れていて、かつ既婚者である木内も除外だ。そうすると、必然的に残るのは大学生一年生の東と、高校三年生である黒沢の二人になる。

『まあ、結構大所帯な会社っぽいですし、アオイにこのひとがいい、ってひとがいるなら、僕が見てないひとでも別にいいですけど』

 アスターの付け足しに、葵は唸った。確かに、ほかにも年の近い異性はいるけれど、葵が話すのは間違いなく東と黒沢がダントツだ。
 考えて考えて、やがて絞り出すように葵は言った。

「………黒沢さん」
『ああ、最後にお金が合わないって呼びに来たやつか』

 東とは確かに仲が良いが、どちらかというと面倒見の良い兄のような存在だ。逆に黒沢は話す時、少し緊張する。でも、どこか目が離せない憧れの先輩だった。これを恋かと尋ねられると葵はどうだろう、と首を傾げてしまうのだけれど、それでも彼氏という言葉を二人の前に重ね合わせたとき、そうなったらいいなと思うのは黒沢の方だった。

『確かに、優しそうな雰囲気だったし、顔も良いもんね、彼』
「実際、優しいしカッコいい人だよ」
『へえ』

 まあ、僕の方がカッコいいけどね。謎の張り合いを始めたアスターに、本当にこの魔法使いは自身のことに関しては自信満々だなと感心してしまった。魔法の腕は勿論、どうやら外見にも自信があるようだ。まあ、確かに顔は良かったなと葵がぼんやり思ったところで、アスターのどこか意外そうな声が葵の頭をこつんと叩いた。

『というか、アオイ、意外と面食いなんだね』

 手に持ったキーホルダーをこれから投擲でもするかのようにぶんぶんと振り回していると、がちゃりと背後で扉の開いた音がした。葵が振り向けば、細く空いた隙間からリカがそっと顔を出しこちらを窺おうとしているところで、葵は通話を切るふりをしながら、キーホルダーを回す手は背に隠しつつそのままに、リカに笑いかけた。

「ごめんねリカ、いま終わったとこだよ」
『いや、ちょ、なんも、終わって、な、ウェッ、ない、んだけど』
「良かった! 私たちも今終わったところです!」
「お金、合ってた?」
「ハイ! 床に百円が落ちちゃってて」
「あー、あるあるだね」
『アオ、アオイっ!』

 十分に回し切って声がへろへろになったキーホルダーをパーカーのポケットに隠して、葵は控室に戻る。そうすると、入力に区切りをつけたのか体を伸ばしている木内と、ケーキの箱を開けている東と、一緒にそれをのぞき込んでいる黒沢の姿が合った。葵が戻ってきたことに気付いた黒沢が、困ったように眉を下げた。

「ごめんね、藤村さん。帰るところだったのに、花岡さんを借りちゃって」
「大丈夫ですよ、特に用事も無かったし」

 そう言って葵が笑えば、安心したように黒沢も笑った。見ていてホッと安心するような笑みに、いつもならばつられて安堵するのだけれど、ふいにアスターの言葉と、それに答えた自分の言葉を思い出して、ぴ、と背筋が伸びる。――彼氏にするなら。
 これが、意識ってやつだろうか。なんだか胸のあたりが、ちょっぴりむず痒い気がする。

「そ、それより。お金が合ってたみたいで、良かったです」
「本当にね。ちょっとひやひやしたよ」

 自分の中でざわつき始めた何かをやりすごしながら会話を続ければ、苦笑する黒沢の向かいにいつの間にか座っていたリカが、足をばたつかせながら言った。

「というか、やっぱりうちも自動精算機導入しましょうよー。じゃらじゃらーってお金入れたら、あとは勝手に色々計算してお釣りもじゃらりんって出してくれるやつ」
「んー、じゃあ次の管理会議で提案してみるかなあ」
「お、流石木内さんっすね、頼みましたっ」
「俺からもよろしくお願いします」

 木内がパソコンをシャットダウンさせながらのんびりとそう言うと、東と黒沢がそろって頭を下げる。期待しないでねーとそれとなく言った木内にそろって悲しみの声を上げたのもつかの間、東がふいに葵の方を向いた。

「そうだ葵ちゃんたち、帰る前にケーキ選んでって」
「あ、そういえばそうでしたね! 東さん、ごちそうさまです!」
「ごちそうさまです」

 葵はリカと一緒に東に頭を下げてから、机の上の白い箱をのぞき込んだ。

「葵さん、どれにします? ショートケーキとチョコケーキとモンブランとタルトがあります!」

 長方形の箱には、ぎゅっと色々なケーキが敷き詰められている。苺が大きいショートケーキに、表面が濃いチョコと少しの金箔で飾られたオペラチョコケーキ。それからそびえたつようなモンブランと、宝石のようにつやめいた果物たっぷりのフルーツタルト。本当に安売りされてたのか疑問に思うラインナップである。

「うーん……。……リカ、先に選んでいいよ」

 葵は迷った。どれもこれも、葵のことを期待した目で見上げてきていて、美味しそうだ。どれにするか、考えて考えて――余計なことまで考えて――のろのろと顔を上げた葵は、リカに選択権を譲った。

「え、いいんですか? やったー!」
「あー、ごめん葵ちゃん、好きなの無かった?」

 気まずそうに東が頭の後ろを掻く。それに、葵は申し訳なさそうに笑って、首を横に振った。

「いえ、どれも好きなんですけど。……決められなくて。たぶんこのままじゃ、日が暮れちゃう」
「あ、じゃあじゃあ、私が葵さんのも選びましょうか?」
「……なら、リカ、お願いしていいかな?」
「勿論! 任せてください! でも、文句はなしですからねー!」

 そうして、葵の手にお土産として渡されたのは、宝石箱のようなフルーツタルトだった。
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