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第七話 賑やかなバイト先

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「あーおいさんっ!」

 バイトのシフト勤務を終えて、タイムカードを切っていた葵を元気よく呼ぶ声に振り向けば、にまにまとした笑みを浮かべている楽しそうな後輩が立っていた。

「リカ。お疲れ様」
「お疲れ様です! 見てください、これ!」

 首を傾げた葵に、花岡リカが両手を差し出す。
 まるで小さな子供が虫を捕まえたかのようにおわん型になった両の手に嫌な予感を覚え、思わず眉間にしわを寄せれば、その反応に気を良くしたらしいリカが「そんなに身構えなくても大丈夫ですって!」とさらに笑顔を咲かせる。その後ろから「花岡さんの大丈夫って、本当に大丈夫なときとそうじゃないときの確率が五分五分だよな」とパソコンと向き合いながら棚卸の入力をしている男性社員がこちらを見ずに口を挟んだ。しかしリカも間髪入れずに返す。

「あ、木内さんは差し入れのケーキ、要らないんですね。じゃあ代わりに私が食べますねごちそうさまでーす!」
「すみませんでしたケーキめっちゃ欲しいです」
「なんでいつも木内さんはそんなに腰が低いんです……?」
「そんでリカちゃんも自分が買ってきたみたいな感じで言ってるけど、実際にケーキ買ってきたのは俺だからね」

 パソコンからリカの方へ回る椅子ごと向きを変え両手を合わせた社員の彼の横で、大学生バイトの東が、呆れたように口を開く。そこで初めて葵は、休憩室の机の上に、近場の洋菓子店のロゴの入った白い箱が、いくつか置いてあるのに気が付いた。ひとつだけ上が開いた箱からは、ドライアイスの煙がふわりと浮かんでいる。
 時折、誰かが差し入れとしてお菓子を持ってきてくれることはあったが、どこかに旅行にいった際のお土産などがほとんどだ。なんでかな、と思ったのもつかの間「いや、大量に安売りしてたから」と身もふたもない理由が返ってきた。
 とりあえずケーキは後にするとして、葵は先ほどからにこにことこちらを見上げているリカに向き直る。

「で、結局その手の中身はなにかな」
「ふふふ、見て驚いてくださいね!」

 おそらく、虫ではないことは確かだ。リカは虫が触れない。それでも嫌な予感が葵の中から消えないということは、おそらく――。

「じゃん! モズの魔法使いです!」

 ――予感、的中。
 花が咲くように開かれたリカの手のひらから出てきたのは、葵が欲しがっていた、カプセルトイのフィギュアだった。緑色の美しい色合いの羽根。魔法使いらしいとんがり帽子。そして極めつけにそんな可愛らしいとんがりに貫かれたきつね色の焼き立てフランスパン。

「え。え、え。う、嘘だ……」

 思わず頭を抱えてその場に崩れ落ちた葵に、西村と木内の傍観者たる感想が無慈悲に突き刺さる。

「すげえ、漫画みたいに崩れ落ちた」
「いや、それは俺でも崩れ落ちる」

 見せもんじゃないんですよと若干涙目になりながら振り向いて睨みつければ、あからさまに視線を逸らしながらも笑いがこらえ切れていない東と、苦笑しつつ入力に戻る木内の姿が確認できて、葵はむむむ、と唇を振るわせた。

「私、今日でシマエナガが五体になったのに……!」

 今日も我慢できなかったのだと、葵は供述している。
 いやでもだって、五日前が給料日だったし。
 ガチャポンの目の前を通ったとき、特に理由はないけど今ここで引いたら来るんじゃないかなって予感があったし。
 いや、来たのは再びシマエナガで、葵の部屋の棚というコンサート会場で、アイドルグループ結成が決まってしまったのだけれど。
 視界の端で東がおなかを抱えるほど笑いながら、先ほどの葵のようにその場で崩れ落ちていく。失礼な同期である。しかしそんな同期よりもさらに嬉しそうな笑顔で、後輩はフィギュアを葵に見せつけながら言った。

「どんまいです! 私はですね、今日、もうこれを先輩に見せびらかすためだけにバイトに来たといっても過言ではないので、めちゃくちゃ満足です!」

 確かに、葵と違ってリカはそこまでガチャポンを引くイメージはない。ただ、葵がガチャポンを引くことが好きなのを知っていて、かつ今はこのシリーズを揃えたいこともよく知っている相手だったから、たまたま見かけて軽い気持ちで引いたのだろうことは葵もわかっていた。やはり物欲か。物欲が強いと、欲しいものを引き寄せるのではなく逆に弾いてしまうものなのだろうか。葵は呻いた。

「鬼、小悪魔、裏切者ぉ……かわいいから許すけど!」

 しかし葵は、リカには甘かった。
 たぶん、最後に残して置いた好物を横取りされても、許してしまうくらいには、リカに甘い自覚があった。
 仕方ないと思う。だってめちゃくちゃ懐いてくれてるし。可愛いし。ほら見てほしい、今この瞬間、葵の目の前でさらにぱっと華やいだ甘え上手な屈託ない笑顔を。

「やった、許された!」

 ほら、可愛い。

「いや葵ちゃんは葵ちゃんでリカちゃんに甘すぎか」

 やっと立ち上がることが出来た東に、葵は即答した。

「これがリカ以外だったら、私は末代まで祟ります」
「罪が重すぎて笑うんだわ」

 ふ、と笑いをこらえるように息を吐いた東の後ろで、こっちを見ずに木内が口を開いた。

「いや重罪だろ。俺も例えば東くんが、俺がやってるソシャゲで俺が天井しても出なかったキャラクターを十連とかで引いてかつ目の前でこれ見よがしに自慢されたら、俺たぶん、仕事以外では東くんにはしばらく話しかけないもん」
「流石にしませんけど。木内さん、大人なんだか大人げないんだかわかんないっすね」
「大人でも、腹立つもんは、腹立ちます」
「あ、いまの俳句っぽい」
「花岡さん、東さん。上がる前にちょっと確認したいことがあるんですけどいいですか?」

 わちゃわちゃと会話が飛び交い続ける控室に、ふいに涼しげな声が飛び込んできた。どき、と肩を揺らして葵が声のした方向に顔を向ければ、ホールのところから一人の青年が顔を覗かせていた。葵のひとつ上の先輩である、黒沢樹だ。まだ勤務時間中の彼は、接客を抜けてきたのかエプロンをしたまま、リカと東を窺っている。

「はーい、いいですよ!」
「おう。なーに、樹?」

 モズのつぶらな瞳が、葵の目の前から消えていった。

「それが、レジのお金が合わなくて……」
「まじか。もっかい数えてみた?」

 葵がやっているのはレストランの接客だ。今日は人も足りていたのと、すでに勤務を終えて帰ったリカの同級生だという新人バイトの子がレジに固定で入っていたから、葵はオーダー取りに徹していて会計に入ることはなかった。それで黒沢は葵のことを呼ばなかったのだろうと、頭の中で自分だけ彼に呼ばれなかった理由をはじき出す。

「あ、葵さん! 一緒に帰りたいんで、そこで待っててくださいね!」

 ぱっと顔だけを覗かせてそれだけを言い残して言ったリカに苦笑しながら、葵はウォーターサーバーから水を拝借すると、パイプ椅子を引いて腰を下ろした。リカに言われなくてもそのつもりだったし、この後は家に帰るだけだし特に問題はない。「木内さん、入力は終わりそうですか?」「まだ終わらないねえ」「ええ……」そんな会話をゆるっと交わしてから、紙コップを傾けた瞬間。ふいにそれは聞こえてきた。

『で』

 で?

『この中で、アオイはだれがタイプなの?』

 葵は思いっきり噎せた。

「藤村さん、大丈夫?」
「だい、じょばないけど、げほっ、大丈夫です」
「水は逃げないからゆっくり飲みなよー?」

 机の上にケーキの入った箱が並んでいるため、そこに口に含んだものを噴き出さなかっただけよかったかもしれない。しれないが、代わりに気管へのダメージは著しい。クリティカルである。しばらくげほげほと咳き込んでから、葵は思わずキョロキョロと辺りを見渡した。
 しかし、控室には相変わらずぱちぱちとキーボードを鳴らしながら入力作業をしている木内の姿しかない。

『残念。正解は、リュックの外ポケットだよ』

 その声に導かれるまま、葵は恐る恐る、足元に置いていた自分のリュックを膝の上に持ち上げて、外ポケットを開いた。普段パスケースなどを入れているそこに、見慣れないものを見つけて、摘まみ上げてまじまじとそれを見つめる。
 それは、キーホルダーだった。金具の先に、葵の小指の長さほどの小さなフィギュアがついている。一見、何かのアニメのキャラクターものに見えるそれだが、葵にはすぐにその正体が分かった。
 声を上げなかったことを褒めてもらいたい。

「木内さん! ちょっと電話するんで一回外に出ます!」
「はーい」
「リカが来たらお願いしますね!」

 ゆるい返事を背中に受けながら、葵は慌てて控室を飛び出した。
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