神様なんていない

浅倉あける

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第三章 岡埜谷俊一郎

13 しのぎも削れない

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 そんなおれの考えとは裏腹に、広瀬ひろせ晃太こうたが陸上部を辞めることはなかった。

 おれが知っているだけでも、冷ややかな視線も言葉は指の数よりもあった。広瀬だって、それを感じ取れないほど鈍感だったわけじゃない。
 それでも広瀬は喰らいついた。おれの指導にも、先輩たちの背中にも、次々に見直されていった目標タイムにも、全てに。
 見えるところでも、見えないところでも、おれたちの倍以上の努力を重ねて。いつの間にか、初心者という印象を遠く向こうに置き去りにして、おれとタイムを競うほどまでに。

 おれは未だに、広瀬がどうして陸上部に途中入部したのかの理由を知らない。
 あの高橋たかはしゆきが選手ではなくマネージャーとして入部したこと。そんな高橋と広瀬が幼馴染みだということ。そこから、なんとなく自論のようなものは胸の中にいるけれど、確信はなく、直接尋ねる度胸もなければ、広瀬に尋ねたとしてはぐらかすことなく答えてもらえる自信もない。
 ただ、これだけはおれは確信を持って言えた。

 広瀬晃太には、天賦の才がある。
 勿論、おれの兄や、高橋ゆきとは違う。最初の一歩から、グラウンドの土を蹴ったその瞬間に周りの人間を惹きつける様な、この競技のために生まれてきたのだと思わせる様な華やかなものではない。

 見ているおれたちが苦しくなるほどに、血がにじむような努力。たった短期間で中学から陸上をやっていたやつらに追いつくような、途方もない研鑽。絶え間ない努力。
 努力って、才能のひとつだとおれは思っている。
 遊ぶことすら切り捨てて、あそこまでストイックに走りに全てを打ち込めるなんて、才能でもなければやっていけない。少なくとも、おれには無理だ。

 だから、
 広瀬は、おれとは違う。


 ずず、と。

 松井田まついだが、ジュースを吸い上げる音でおれは我に返った。
 もうほとんど氷しか残っていないのだろう。残念そうな顔でストローから口を離した松井田は、ふいにおれを見て、なんだか眩しそうに目を細めながらこう言った。

「でもやっぱりさ、お前もすごいよ」

「……うん?」

 正直、その言葉を呑み込むのに、時間がかかった。
 松井田のやつ、今、なんて言った?

(……は? なんでおれ?)

 間違いなく、今さっきまで広瀬の話をしていたはずなのに、なんで突然、話の中心におれが置かれた?

 瞬きをしたおれの反応を特に気にしている様子のない松井田は、おれを置いてぺらぺらと喋り続ける。

「シュンだって、入部してから、ずっとうちのエース張ってるだろ。そういうのを、ずっと維持できるのってすげえことだと思うんだよな、オレ」

 今日も大会明けだっていうのに練習してたわけだしさ、と松井田が言う。そこで、やっとおれの頭は自分に向けて言われた言葉の意味をかみ砕き始める。
 のみ込んだ瞬間、ずしんと胃が重くなった。
 確かにおれは、朝凪高校陸上部のエースだ。その自負だって、確かに持っていた。
 持っていたんだ、昨日まで、ちゃんと。
 そうだ、昨日のことだ。忘れたわけじゃない。
 目を閉じれば何度だって蘇ってくる、練習の時のあいつ。
 一瞥もくれることなくおれを追い抜いていく、広瀬の後ろ姿。

「……エースって言ったって、昨日とうとう広瀬にタイムを抜かれたけどね。もうあいつの方が相応しいんじゃない?」

 練習で広瀬に抜かれることは最近になって何度かあった。それでも、このエースという言葉はおれが手離すことのないプライドで肩書だった。本番では抜かれたことは無かったから。
 でも、昨日は本番でタイムを抜かれた。記録として、確かに残った。
 残ってしまった。
 それに、さっき神社で我妻あがつまが言ってたことを、松井田だって忘れた訳じゃないだろう。大会明けの今日、街を走っていたのはおれだけじゃない。広瀬だってそうだ。
 しかもおれは、ただ気晴らしに走っていただけであって、広瀬みたいにストイックに、技術向上のために走っていたわけじゃない。

 すごいのは広瀬だ。おれじゃない。

 そうだよ、おれなんかじゃ――。


「そうか?」


 夜が訪れるように、徐々に暗くなっていく思考のなかに、ふいに、松井田の声が彗星のように光の線を引いていった。
 いつの間にか下がっていた顔をあげる。綺麗な瞳が、まっすぐな視線で、おれの瞳孔をまっすぐに打ち抜いた。

「一回負けただけで、エースって呼べなくなるの?」
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