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第二章 松井田蓮
09 夜目遠目笠の内
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ブブ、とスマートフォンが震えて、画面にポップアップされたメッセージがひとつ。
『ごめんなさい。仕事が今終わりました』
『お迎えが少し遅れます』
メッセージは父親からだった。
大方、仕事先からの帰りにオレを迎えに来る算段をつけていたのに、思ったよりも長引いたといったところか。身内にも丁寧なメッセージの終わりには涙目の顔をした絵文字がくっついていて、そのあとに土下座する侍のスタンプが送られてくる。父ちゃん、また新しいスタンプを買ったな。
了解、とオレも一昨日買ったばかりのスタンプを送り返してやる。それから、はあと息をついた。
オレの吐いた息は変わらず白く宙に浮いた。暦では春に分類されるだろう三月は目前だというのに、底冷えするような寒さは健在で、足元からオレたちをキンキンに冷やしていく。
だいたい迎えの時間はこのぐらいだしな、と外に出たはいいけど、そこにこの遅れる旨のメッセージである。これならもう少し自習室にいれば良かったなと後悔した。
正直、今日だってもう頭の中はぱんぱんだ。オレの担当になっている講師はわかりやすいし優しいけど、結構量を詰め込んでくるタイプで、今日もタイムセールの詰め放題にも負けないくらいにぎっちぎちに詰め込まれた。
いや、それだけオレの挽回しなければいけない課題が多いって話なんだけどな。
(……でも)
オレはふと、隣を見た。てらてらと光る蛍光灯の下に、いつもならつかの間のお喋りと、オレだけこっそりと心躍る時間を楽しむ相手がいるのだけれど、今日に限ってその姿はない。
いままでなら残念がっていたけれど、今日だけはそれに安堵した。
(……今のままじゃ、胸を張って並べねえよな)
昨日今日で決められる進路じゃない。でも、前よりは真剣に向き合い始めたつもりだ。
とりあえずまずは、出来ることからコツコツと。
ミニテストの点数も、集中力も上がったねと講師ににこにこ褒められたそれを継続できるように。いずれは、友人たちからの羨望の目を向けられるように。
……いや、それは我妻と岡埜谷がいる限り難しいか。まあでも、夢はでっかく、希望もでっかくってことで。
今から戻って、席は空いているだろうか。今日は他の曜日よりも生徒の多い日でもあるから、ちょっと期待は持てない。
とりあえず着いたら連絡をもう一度寄越すように父親にメッセージを送って、さあ暖かな室内へ戻ろうかとスマートフォンから顔をあげたとき、ふいにわらわらと玄関口から塾生の集団が楽しそうに会話をしながら出てきた。オレと同じ制服のやつから、隣の男子校のやつまで混ざったそいつらの何人かは顔見知りで、玄関先で立っていたオレをみると「おつかれー」と声をかけてくれる。
玄関口は狭いから、オレが再び中に入るには彼らが外に出きってからでないといけない。おつかれ、と応じながら彼らが出るのを待っていれば、最後尾にいた男子生徒がふいにオレの顔を見て立ち止まった。顔は見たことあるけど、話したことないやつだ。
平坂男子高校、ブレザーなのいいな。奈々香ちゃんは学ランとブレザーどっちの方が好きなんだろうな。そんなことをぼんやりと考えていたオレは、ふいに剛速球を見知らぬ彼から投げられて、危うく審判にデッドボールの判定を叫ばせるところだった。
「……君さ、雪村のこと好きなの?」
今ここに、奈々香ちゃんが居なくて助かった。
いや、実際は奈々香ちゃんが居ないからこそ、この質問が目の前のやつから飛び出してきたんだと思うんだけど。
待って、何。唐突にお前、何!?
そもそも誰!?
突然オレの恋心を人前で暴かれたこと、それがどうして知らない相手に知られているんだということ。どちらにせよ突然の土足での立ち入りにオレの思考がぴたっと止まる。
よくよくあとから考えれば、そりゃあいつも塾終わりに一生懸命奈々香ちゃんに話しかけている姿を見ていれば、そう思ったとしても不思議じゃないよなとはなるんだけど。
しかも、迎えの車を待っているからこの場所だったとはいえ、みんなが通る玄関口で。
でも今のオレに、そんなことを考える余裕なんてなくて。
顔に集まる熱と、ぱくぱくと動くわりに言葉を発せない口のせいで、まるで金魚にでも生まれ変わった気持ちだ。
そんなオレから、否定の材料を見つける方がおそらく難しい。
「うわ、すっげー赤い」
「図星だったんじゃないの?」
「かーわいー」
「来斗、からかってやるなよ」
目の前の彼より先に外に出ていた男子や女子は、彼の取り巻きだったようで、やいのやいのとオレの様子をみてはきゃらきゃらと声をあげている。
オレの反応と、取り巻きたちの言葉を受け取ったこいつ――来斗、と呼ばれてたな――は、やっぱりね、という顔をしたあと、静かに首を横に振った。
「雪村奈々香だけは、止めといたほうがいいよ」
「……何で?」
からかう、というよりは真面目な音を持ったその言葉に、外れていたオレの中の歯車がかちりと元に戻り、思考も、身体も、元の機能を取り戻す。
頬の熱が身体に循環することでようやく言葉を取り戻した口で、なんとか真意を問うと、来斗はどこか忌々し気に言った。
「あいつ、大ウソつきだから」
『ごめんなさい。仕事が今終わりました』
『お迎えが少し遅れます』
メッセージは父親からだった。
大方、仕事先からの帰りにオレを迎えに来る算段をつけていたのに、思ったよりも長引いたといったところか。身内にも丁寧なメッセージの終わりには涙目の顔をした絵文字がくっついていて、そのあとに土下座する侍のスタンプが送られてくる。父ちゃん、また新しいスタンプを買ったな。
了解、とオレも一昨日買ったばかりのスタンプを送り返してやる。それから、はあと息をついた。
オレの吐いた息は変わらず白く宙に浮いた。暦では春に分類されるだろう三月は目前だというのに、底冷えするような寒さは健在で、足元からオレたちをキンキンに冷やしていく。
だいたい迎えの時間はこのぐらいだしな、と外に出たはいいけど、そこにこの遅れる旨のメッセージである。これならもう少し自習室にいれば良かったなと後悔した。
正直、今日だってもう頭の中はぱんぱんだ。オレの担当になっている講師はわかりやすいし優しいけど、結構量を詰め込んでくるタイプで、今日もタイムセールの詰め放題にも負けないくらいにぎっちぎちに詰め込まれた。
いや、それだけオレの挽回しなければいけない課題が多いって話なんだけどな。
(……でも)
オレはふと、隣を見た。てらてらと光る蛍光灯の下に、いつもならつかの間のお喋りと、オレだけこっそりと心躍る時間を楽しむ相手がいるのだけれど、今日に限ってその姿はない。
いままでなら残念がっていたけれど、今日だけはそれに安堵した。
(……今のままじゃ、胸を張って並べねえよな)
昨日今日で決められる進路じゃない。でも、前よりは真剣に向き合い始めたつもりだ。
とりあえずまずは、出来ることからコツコツと。
ミニテストの点数も、集中力も上がったねと講師ににこにこ褒められたそれを継続できるように。いずれは、友人たちからの羨望の目を向けられるように。
……いや、それは我妻と岡埜谷がいる限り難しいか。まあでも、夢はでっかく、希望もでっかくってことで。
今から戻って、席は空いているだろうか。今日は他の曜日よりも生徒の多い日でもあるから、ちょっと期待は持てない。
とりあえず着いたら連絡をもう一度寄越すように父親にメッセージを送って、さあ暖かな室内へ戻ろうかとスマートフォンから顔をあげたとき、ふいにわらわらと玄関口から塾生の集団が楽しそうに会話をしながら出てきた。オレと同じ制服のやつから、隣の男子校のやつまで混ざったそいつらの何人かは顔見知りで、玄関先で立っていたオレをみると「おつかれー」と声をかけてくれる。
玄関口は狭いから、オレが再び中に入るには彼らが外に出きってからでないといけない。おつかれ、と応じながら彼らが出るのを待っていれば、最後尾にいた男子生徒がふいにオレの顔を見て立ち止まった。顔は見たことあるけど、話したことないやつだ。
平坂男子高校、ブレザーなのいいな。奈々香ちゃんは学ランとブレザーどっちの方が好きなんだろうな。そんなことをぼんやりと考えていたオレは、ふいに剛速球を見知らぬ彼から投げられて、危うく審判にデッドボールの判定を叫ばせるところだった。
「……君さ、雪村のこと好きなの?」
今ここに、奈々香ちゃんが居なくて助かった。
いや、実際は奈々香ちゃんが居ないからこそ、この質問が目の前のやつから飛び出してきたんだと思うんだけど。
待って、何。唐突にお前、何!?
そもそも誰!?
突然オレの恋心を人前で暴かれたこと、それがどうして知らない相手に知られているんだということ。どちらにせよ突然の土足での立ち入りにオレの思考がぴたっと止まる。
よくよくあとから考えれば、そりゃあいつも塾終わりに一生懸命奈々香ちゃんに話しかけている姿を見ていれば、そう思ったとしても不思議じゃないよなとはなるんだけど。
しかも、迎えの車を待っているからこの場所だったとはいえ、みんなが通る玄関口で。
でも今のオレに、そんなことを考える余裕なんてなくて。
顔に集まる熱と、ぱくぱくと動くわりに言葉を発せない口のせいで、まるで金魚にでも生まれ変わった気持ちだ。
そんなオレから、否定の材料を見つける方がおそらく難しい。
「うわ、すっげー赤い」
「図星だったんじゃないの?」
「かーわいー」
「来斗、からかってやるなよ」
目の前の彼より先に外に出ていた男子や女子は、彼の取り巻きだったようで、やいのやいのとオレの様子をみてはきゃらきゃらと声をあげている。
オレの反応と、取り巻きたちの言葉を受け取ったこいつ――来斗、と呼ばれてたな――は、やっぱりね、という顔をしたあと、静かに首を横に振った。
「雪村奈々香だけは、止めといたほうがいいよ」
「……何で?」
からかう、というよりは真面目な音を持ったその言葉に、外れていたオレの中の歯車がかちりと元に戻り、思考も、身体も、元の機能を取り戻す。
頬の熱が身体に循環することでようやく言葉を取り戻した口で、なんとか真意を問うと、来斗はどこか忌々し気に言った。
「あいつ、大ウソつきだから」
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