神様なんていない

浅倉あける

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第二章 松井田蓮

08 馬よ生き延びろ

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 我妻あがつまに何故か褒められた『気持ちがいいほどの』神頼み。
 いや、本当になんで褒められたのかよくわかんないな。男らしく潔いってことだろうか。相手は我妻あがつま伸也しんやだし、とりあえずそういうことにしとくか。オレたちの友情に乾杯。

 それはそれとして。神様にお願いをするなら、やっぱりちゃんとした場所でしないと、ちゃんと神様の耳に届いた気がしない。
 家に帰ってからなんとなくそう思ったオレは、次に迎えた休日の午後、ふらりと朝凪神社に足を向けていた。
 気持ちの問題なのはわかってるんだけど、なんか、家でじっとしてるのも違うなって思った。というか、じっとしていられなかった。

 今日は雪もなく、疎らに散った雲の間からさらりと刺しこむ日差しはぽかぽかと温かい。
 それでも防寒具を手離すには惜しくて、首元をチェックのマフラーが固く覆っている。道の端っこには今日のような気弱な太陽では溶けない雪が固まっていて、縁石を覆い隠すかのように氷の塊がごろごろと転がっていた。
 大通りを歩いて、神社の入り口を踏み越える。相変わらず広い敷地と参道だ。大晦日のあと、一目惚れの残り香を探して頻繁に通っていたのがなんだか懐かしく思えてくる。まだ、たったの一か月も前の出来事だというのに。二月になってから一度もここに立ち寄る機会がなかったから、余計にそう思うのかもしれない。

 参道を辿った先に現れた階段を上る。頂上にたどり着くまでが長いこの階段を、休日のトレーニングに使っていると言っていたのは広瀬ひろせだったっけ、岡埜谷おかのやだったっけ。
 二人ともしれっと努力家だから、どっちもかもしれない。ただ上るだけでも足にくるのに、それを意識して上るっていうのはどれだけ負荷がかかるのだろう。想像もできないし、いまここで実践するには、午前の練習で走りに走って疲れた後ということもあってちょっとオレには憚られた。
 というか、部活動でもかなりみっちり練習をやっているというのに、部活動の時間以外にトレーニングをするって時点で、あの二人はオレとは違うんだなって思う。単純にすごいなって感心する。

(――謹啓、神様。どうか――)

 頂上に到着し、茅の輪の無くなった上の参道を通って鈴緒を鳴らす。
 賽銭箱に小銭が落ちていく音を聞きながら、オレはぱちんと両手を合わせ、昨日、グラウンドで口に出していたらしい神頼みを今度こそ心の中で強く願った。ついでに、進級もかかっているため次の期末テストの結果についても図々しく願っておく。何卒なにとぞよろしくお願いします。

 それから、深く一礼。
 二礼、二拍手、二礼って間違って覚えていたから、二礼、二拍手、一礼って賽銭箱の隣に大きく参拝の順序を並べた看板があって助かった。

 神社で働くひとにも感謝を抱きつつ、顔をあげれば、ふいに、オレの耳が猫の鳴き声を拾い上げた。

(そういえば、ゆきちゃんが言ってたな。この神社、人なつっこい猫がいるって)

 聞いたのは大晦日だ。並ぶのが嫌だと参拝を断固拒否した広瀬を授与所の前に一人置いて、オレ、ゆきちゃん、我妻、岡埜谷の四人だけで参拝の列に並んでいたときに教えてくれた。
 参拝のあと、広瀬と合流する前にゆきちゃんと二人でさりげなく辺りを探してみたけれど、その時は境内に人がたくさんいたこともあって、見つけることは出来なかった。

 でも、今日なら見つけることが出来るんじゃないだろうか。

 朝凪神社は大きな神社だ。土日でも、わりと人が散見されるし、小さな赤ちゃんを連れた家族がいたり、結婚式が行われていたりも珍しいことじゃなかった。オレが奈々香ちゃんにもう一度会いたくて神頼みのために通っていたときも、一度だけ、名前も知らない誰かの結婚式の場面に遭遇して、失礼ながら見とれてしまったものだ。
 今日も境内には、オレ以外の参拝客の姿は当たり前のようにあった。それでも今日は特に何もない日なのか、特別混んでいるわけじゃない。もう一度聞こえてきた甘える様な鳴き声を追って、オレはゆきちゃんに教えてもらった猫とのエンカウントポイントなるところへとふらっと足を向けた。

 ひし形をたくさん連ねて張り合わせたような、紙垂というらしい白い紙のついた紐でぐるっと覆われた太い木が、境内に祀られている神様の説明と共に敷地内の端の方にある。その裏側が、猫がよくいる場所らしい。
 実際にその方向からにゃあにゃあと猫の声は聞こえてきていた。こんなに猫って鳴くんだっけ。
 どんな猫なんだろうなと模様を想像しながら歩いていけば、ふいに澄んだ声が猫の鳴き声に交じって聞こえてきて、オレは思わず足を止めた。

「……でも」

 どく、と心臓が大きく脈打つ。聞き覚えのあるその声に、まさかと思う。

 そんな偶然があるのか。やっぱりこれも神頼みのなせるわざなのか。
 目的だった参拝を終えた今の俺は、ただ気まぐれに猫に会いにきただけで、だからその、ありがとうと感謝するには、オレ、まだ心の準備が! なにひとつ! 出来てないんだけども!

 錆ついて、地面に固定されそうになった足を、ぎこちない動きで前に出した。
 心臓がうるさくて、さっきまで聞こえていた風の音とか、針葉樹の囁き声とか、他の参拝客の鈴緒とか、そういうのが全部上からかき消されてしまう。ぎゅ、と拳を握る。
 ゆっくりと大木に沿って回り込んだオレは、たどり着いた猫スポットで一匹の猫と向き合うようにしてしゃがみ込む、一人の女の子を見つけた。
 間違いない、上品な制服も、ましてや巫女服も着込んでいないけれど、そこにいるのは雪村ゆきむら奈々香ななかだ。
 何かを抗議するようににゃあにゃあと鳴き続ける猫を相手に、彼女は膝丈のスカートを膝裏に挟んで留めたまま、至極真面目な顔をして猫に話しかけている。

「……駄目ですよ。この間だって、あなたにご飯をもってきたせいで、私が怒られたんですから――」

 人の気配に、彼女が顔をあげた。呆然としたまま彼女を見つめるオレをみて、彼女もまた驚いたように表情が固まる。

「……あ、と。こんにちは」
「……どうも」

 お互いの間に横たわった沈黙が気まずくて、とりあえず挨拶を投げかけてみたが、返事はどうもよそよそしい。そりゃそうだよな、奈々香ちゃんからすれば、なんでオレがここにいるんだって話になる。いや、今回ばかりはオレだって奈々香ちゃんがここにいてものすごくびっくりはしているんだけど。
 オレが一歩彼女たちに近づくと、彼女は気まずそうに目をそらしてしまったけれど、彼女と一緒にいた猫は特にオレを警戒した様子もなく、ごろりとその場でくつろいでいた。

「え……と。……猫と話してた?」

 普段ならぺらぺらとよく回る口が、やっぱり彼女の前だとうまくいかない。さっきまで鳴いていたのが嘘のように大人しくなった猫を指差しながら言えば、彼女は躊躇うように視線を泳がせたあと、ぐっと顔をあげ、こちらを睨むように目を細めた。

「……そうだ、って言ったらどうする」

 どうするって。雪村奈々香が、猫と話していたら。え、そんなの。
 いや、さっきも鳴き続ける猫と、そんな猫を諭すように喋っている彼女を同時に視界に入れた時点で、ストレートに思っちゃったけど。

「……すげぇ可愛いなって思う……」
「かっ……」

 いや、だって、猫は可愛いし。奈々香ちゃんには、オレ、一目惚れしちゃってるわけだし。
 そんな一人と一匹が揃ったら、可愛い以外の言葉って出てこないと思うんだけど。
 それはそれとして、あまりにも自然にぽろっと口からこぼれた言葉は、時間を置いてじわじわとオレに照れくささみたいなものを連れてきてしまった。うわ、恥ずかし。頬、熱い。

 拝啓、数分前のオレへ。もっとこう、なんか、良い感じの言葉を選べただろ。敬具。
 いやもう飾りだなこの敬具は。

 奈々香ちゃんが黙り込んでしまったのも相まって、居た堪れなくなったオレは、矛先を猫に向けることにした。
 地面に寝転がっているのは大きなキジトラだ。顔の前にそろっと手を持っていくと、キジトラはオレの手に鼻を寄せた。様子を見るようにオレの手を検分すると、許可したとばかりに頭をこすりつけてくる。それを受けて、オレはキジトラの顎の下を指先でさりさり撫でた。それから、背中も掌を滑らせる。

「つーかこいつ、毛並みがめちゃくちゃ良いな? 本当に野良か? どこかの飼い猫じゃね?」

 首輪はないが、誰かが毎日ブラッシングをしているのかってレベルで、綺麗な猫だ。指どおりもよい。
 というか、本当に人懐っこい猫だなと感心しながら撫でていれば、ふいに猫がころんと横になって腹を見せた。犬みたいだ。

「……その。飼い猫ではないのは、確かだけど……」

 恐る恐るオレと猫とを伺うように奈々香ちゃんが言う。ここでバイト経験のある彼女がそう言うのなら、本当に野良なんだろうな。そう思いながら手触りの良さに溺れてなでるのを続行していたオレは、ふいにとある事実に気付いてしまって、愕然とした。
 よく見ろ、松井田まついだれんよ。この野生を忘れたへそ天キジトラは。

「……………、立派だな……」

 同性ゆえに思わずしみじみと呟いたら、まるで何のことを言ったのかお見通しとばかりにキジトラから容赦ないねこぱんちを喰らったし、一部始終を見ていた奈々香ちゃんが、我慢できなかったみたいに噴き出した。


 犬派か猫派かって尋ねられたとき、オレはどっちも好きと答えていた派閥の者だったが、今日からは猫派になってしまうかもしれない。オレと奈々香ちゃんの間で暇そうに欠伸をするキジトラを見ながらそう思ってしまうのは、オレと彼女との間にあった透明な壁が、彼のおかげで崩壊を迎えたからだ。

 ありがとう神様、ありがとう猫様。貢物は油揚げと猫缶で良いでしょうか。
 え、野良猫に餌を与えるな? それは……そうだな……。

 とはいえ流石に猫の話とは言え女の子の前で口にすることではなかったんじゃないかとバツの悪くなったオレだったのだが、隣でひとしきり笑った彼女からは、今までずっと感じていたぎこちなさとか、警戒とか、そういうのが薄れていた。

「松井田くんは、なんでうちの塾にきたの?」
「オレ? あー、そのー……大学進学したいなら、もうちょっと成績あげなきゃだなって思って」
「そうだったんだ。……どこに行きたいの?」
「ええと……まだ、悩んでて……」

 我妻の前でだとあとで決めればいっか、などと楽観視していたことが、なんだか奈々香ちゃんの前だと居た堪れなくなってくる。まるで足元がふわふわとしたスポンジにでもなったみたいだ。
 オレは不安定な足場に立たされた上、これ以上深いところまで彼女に採掘される前にと、あわてて口を開いた。

「奈々香ちゃんは? 奈々香ちゃんも進学?」
「うん。進学だよ。私、行きたい大学があって」
「……何処に行くのか、オレ、聞いていいやつ?」

 胸を打つどきどきが、なんだか今、別のものへと変容しているような気がした。恐る恐る、オレは奈々香ちゃんを見る。
 奈々香ちゃんはキジトラを見ていた。器用にスカートごと膝を抱えたまま、彼女は伏せていた瞼をあげた。
 視線が交わる。まっすぐな視線が、オレを見る。

国学院こくがくいん大学」

 なんとなく名前を聞いたことがあるような、ないような。
 いまいちピンときていないオレから、正面へと視線を戻すと、彼女は瞼を下ろしながら補足した。噛みしめるように。誇らしそうに。

「……わたしね、神職になりたいんだ」


『――神様って、いると思う?』

 いつかの質問が、不意にオレの頭の中で再生された。
 あのとき、質問を向けられたのはオレたちだ。
 けれど、もしも、あの質問を向けられたのが、雪村奈々香だったら。

 もしもに対する答えが、教えてもらった進路からなんだか透けて見えた気がして。
 オレは口元を手で覆って、彼女から顔を背けた。

 かっこいいな、と思った。
 ちゃんと自分のしたいことを見つけて、将来を見据えて前に進もうとしている彼女のことが。

 同時に、恥ずかしくも思った。
 面倒くさいことを後回しにしたまま、神頼みばっかりで、実際はのうのうと何も考えずに日々を過ごしていた自分自身が。

(やべえな、オレ)

 このままじゃ、彼女の隣に並べない。
 本気で、そう思った。
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