ネク・ロマンス

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9.シグマの真実

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 次の日も、イドはシグマの元へ行って彼の首に手をかけていた。呪いから記憶が流れ込んでくる。

 ――お前みたいなのは苦手なんだ、イド。

 ――隠している部分が多すぎる人間は怖いって感じるよ。

 毎度のことだが、シグマの記憶は随分と昔のことから遡る。この台詞は、イドとシグマが初めて組まされた討伐任務での言葉だった。
 シグマは勘が鋭い男だった。初対面から何かを感じ取っていたらしい。

 ――怒ったか?

 『別に』

 答える自分の声が聞こえた。微笑んでいる自分の姿が浮かび上がってくる。シグマから見たイドだ。普段と何も変わらない聖騎士の顔をしていた。

 『気にしてないよ、シグマ』

 イドにとって、苦手意識の感情を向けられることはそれほど気にするようなことではなかったから。
 聖騎士の姿さえ崩れなければ良いのだ。責務は全うしている人間だと評価されていれば。シグマの主張は勘の域を出なかったし、すぐに払拭できると思っていた。結局は自分から明かしてしまったが。

「宰相の護衛をした時のことを覚えているか? リビングデッドが多い東の道を通るっていうから、聖騎士団から私たち二人が派遣されて」

 眼を閉じたまま現在のシグマに話しかける。

「ああ……少しあやふやだけど」

 過去を語り合う時、彼はいつもそう言う。イドが話し、彼の相槌がそれを補完する形で会話が進んでいくのだ。

「7回目の共同任務だった。私はお前に会うたびに微妙な視線を向けられていて、隠し通す事はもう無理なんじゃないかって気付き始めていた。だから微笑みを消して、少しだけ打ち明けたんだ」

 目の前の彼は答えない。代わりに記憶が反応する。

 『お前が私のことを苦手でも、私はお前のことが好きだよ』

 声と共に、深淵の瞳をした無表情な自分が見える。

 『お前は誰にも言わないし。理由は分からないけれど、少しだけ気分が晴れる気がするんだ』

 思えばそれは孤独感が薄れた感覚だった。一人だけでいい、他人より多くを知ってくれている人間がいれば救われる。長らく色々なものを隠し続けてきたが、それが苦痛だったのではないかということを薄々感じ始めていた。

 ――腹の内で何を考えているか分からない奴は怖い。

 シグマの声がささやく。

 ――妹が病気だった。

 『……』

 ――死んだよ、4年前に。でも体は楽なまま逝けた。高い薬を飲めるようになったからな。聖騎士の給料って平民でもなれる職の中で一番良いんだ。

 『……ああ、確かにな』

 ――金のために聖騎士になった俺に、お前は怒りを感じるか?

 『別に』

 ――別に? へえ、どうして。

 『誰もが私のようになる必要はないし……全員に抱えているものがあることは知ってる。私は誰にも怒ってないよ』

 ――ふーん……お前って意外と人好きなんだな。

 『そうだな』

 嫌いな人間はいない。自分に視線を向けてくれる全員が好きだ。無関心になってしまうのは扱いが分からない一部の人間に対してだけだ。

 ――聖騎士になるためだけに生きてきたような、そんな人間だと思ってた。

 『当たってる』

 ――冷血な奴だと思ってたんだよ……苦手なんて言って悪かった。

 『怒ってないよ』

 記憶が途切れる。
 あの任務で話して、偶に飲みに行く仲になった。だが、二人の任務が被ったのはあれきりで、しばらく会うことはなくなった。再会したのは墓から蘇ってきたあの時。
 イドは呪いの内側を探り続けた。もう少しで核心に触れられる予感があった。

「こそこそ話してたら、あの後すぐにリビングデッドに襲われて」

「そうだったな、そういえば。どっちが倒したんだっけ?」

「私」

 記憶がうごめき、イドの指に絡む。

 ――俺が追う。

 森の中の薄暗い景色が見えた。シグマが死ぬ直前に見た光景だ。遠くを駆けていく陰にシグマが怒鳴る。

 ――止まれ!

 だが次の瞬間、近くの木の陰から泥の塊のような何かが伸びて、シグマの腕を絡めとる。
 シグマには声を発する暇もなかった。半秒後には木の後ろに引きずり込まれ、肉を突き刺す鈍い音と同時に視界が暗転する。
 暗すぎて何も見えない。だが、その時にシグマが感じたこと全てがイドに伝わってきた。彼の記憶と自身の身体がリンクする。喉から血が噴き出す感覚、急激に体温が下がり手が震えだす感覚、それとは対照的に妙なまでに熱くなる背中。

「……」

 イドは目を開け、壁に寄りかかるシグマの身体をするりと抱きしめた。指先で彼の首筋をとんとんと叩く。腕の中で彼が身じろぎする。

「どうした、急に」

 耳元で困惑が滲む声がする。どう切り出していいのか分からず、イドはしばらく黙り込んでいた。
 考えていた言葉を何度も頭で反芻する。やがて、掠れた囁き声が口から零れ出る。

「……私とシグマは、宰相の護衛についたことはない」

 彼の背中に回した右腕を、ごそりと動かす。袖から細長い何かが手のひらに滑り落ちた。仕込んでいたナイフだ。

「さっきの話をしたのは、東の道を通る行商人の護衛についた時だ。そしてあの時、私たちはリビングデッドに遭遇することはなかった」

「……」

「なのに、お前は『そうだったな』と答えた」

 反応はない。畳みかけるようにして続ける。

「私が屋敷へ戻る事を『聞いた』と言っていたな。誰から聞いた?」

「……看守だよ」

「私は上官以外の誰にも知らせていない」

 冷たい体がピクリと動く。ナイフの柄を逆手に握りこみ、吐き出すように言った。

「小説を読んだだろ。あれはシグマが生きていた頃にも音読したことがある。彼が酔った勢いで無理やりだったけれど。その時彼は『興奮する』と言った。私は『棒読みなのにか』と聞いた。シグマは『別に関係ない』と答えた」

「……」

「お前は私に『リビングデッドになってから別人みたいに愛想を無くした』と言った。けれど私はシグマが生きている間に、既に隠している部分を見せていた」

「……」

「そして、初め『リビングデッドの心臓を食って蘇った』と説明した。だが付近にいたリビングデッドの心臓に損傷は見られなかった」

「……」

「嘘をついたな」

 彼の背中にナイフを突き立てた。壁にもたれかかることで、彼がずっと隠していた部分だ。予想通り、切っ先がシグマの呪いの核に繋がる見えない操り糸に触れた。

「……嘘はお互い様だ」

 シグマを操作する何者かが言い、イドの腕を掴む。

「昨日わたしにユーイ・ユースの話を聞かせたな? アパタイトの話も」

 凄まじい力にイドの腕の骨がぎしりと軋んだ。思わず呻く。

「おかしいと思った……お前が聖騎士になった詳しい理由なんて、あの話には関係がなかったのに。聖騎士として認められなくなったらどうしようって、それだけ言えば事足りる。吐露することだけが目的なら」

「……腕を離せ」

「質問に答えたらな。死ぬほど説明口調だったのは、嘘の情報を与えてわたしを騙すためだろ?」

 イドは歯を食いしばり、ナイフの柄を更に深く押し込む。もう少しで切れる。だが腕を掴んでくる力はどんどん強くなっていく。

「言え。どれが嘘だ」

「……どれだろうな。私がお前を倒すために育てられたことかもしれない」

「まさか。お前のことはよく知っているよ、イド・ユース。お前は正真正銘、わたしを倒すためだけにユーイ・ユースに聖騎士にさせられた人間だって」 

「聖騎士にしてもらった、の間違いだ」

 そう言うと同時に、核に繋がっていた操り糸が切れた。イドを掴む手からブツリと力が抜ける。切断面から飛散したエネルギーが刀身を伝い、操り糸の先にいる人物の姿を映し出す。そしてその人物がどちらの方角からシグマを操っていたのかも。

(……違う?)

 イドは目を見開いた。
 見えたのは、細い体躯の形をしたどす黒い泥の塊……アパタイト。それは想像通りだ。だが操り糸が伸びていた方角は、予想を大きく外れたものだった。

 上官に、何故かシグマが自身の家庭事情を知っていると相談した時から、聖騎士団内で囁かれていた疑いは既に確信に変わりつつあった。
 青い炎のように光る瞳は、アパタイトに操られたリビングデッドに見られる特徴だった。だがシグマの瞳は生前から青く、通常のリビングデッドの瞳も発光性であるため、それだけで判別することは出来ない。しかし英雄の身の回りのことを把握しているかのような言動をとられれば状況が変わる。そこからシグマに対する措置が変更され、父へ警戒を求める通達がなされた。

 『食事にでも行こう、と言って渡してくれ』

 それは絶対に人目につかないと言える場所で読め、という意味のメッセージだった。どこから見られていても良いように。イドたちはユース家の屋敷の近くで、再来したアパタイトが英雄を見張っていると思っていた。そうでなければイドが屋敷に帰ってくることを知れることはないと。

 しかし今、イドが探知したアパタイトの居場所は屋敷の方向ではない。

(真逆だ。私が数日前に行った所……)

 王立学園。

 アパタイトが動きを見せたという説が濃厚になってきた時から、王家と屋敷の近辺では常に聖騎士が警戒に当たっている状態だった。学園には王太子がいる。戦力が全くいないわけではない。だが屋敷よりも警備が手薄になっていることに違いはない。

(上官に通達を……)

 立ち上がろうとした時、そっと手のひらを掴まれた。

「イド」

 弱く掠れた声。夜明けの空のように静かに光る、青い瞳がこちらを見つめている。
 本物のシグマだった。操り糸を断ち切られ自由に動けるようになったらしい。イドはハッと思い出し、背中に刺さったままのナイフの柄を掴む。

「抜くぞ」

「ああ」

 ありったけの力を込めて素早く引き抜き、反対の手で傷口を押さえた。血は出なかった。裂けた肉は、リビングデッドの回復能力によってすぐに塞がった。
 シグマが鎖を鳴らし、両腕でイドを抱きしめる。

「最初に首を触ってきた時さ。信号で知らせてくれたよな。『安心しろ』って」

 とんとん、と叩いて知らせたメッセージを、シグマは受け取ってくれていたらしい。

「さっき刺す時も『私を信じろ』って伝えてくれた」

「だって不安だっただろ」

「そうだな。意識はあるのに自由に体を動かせないって、最悪な気分だった。……気付いてくれてありがとう」

 イドは黙って、ぎゅっと抱きしめ返した。





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