ネク・ロマンス

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3.正体不明 sideシャル

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 優しい人だと聞いていた。会ってみれば実際にその通りで、酷いことは何一つされなかったし、怖いことも言われなかった。だが何故か不安になる。彼の持つ黒い瞳を見つめていると、西館の使用人たちよりずっと恐ろしい、後ろ暗い何かを感じる。


 *


 11時になるのが怖い。尋常ではない緊張に、シャルは本館に与えられた自室のソファーの上で両手を握りしめ青ざめていた。
 自分に兄がいることは知っていた。西館の使用人たちがよく言っていたからだ。お兄様は泣き言も言わず立派に聖騎士の訓練を受けていらっしゃるというのに、シャル様ときたらいつもなよなよと下を向いてみっともない……と。
 震えていると、傍に控えていた本館の使用人が微笑みながらティーカップの紅茶をテーブルに置いてくれた。

「大丈夫ですよ、シャル様。イド様はとても優しいお方です」

「うん……わかってる。お父様もそう言ってたから」

 けれどシャルにとって、顔も知らない兄は恐怖の象徴だった。
 西館での使用人たちの言葉が頭から離れてくれない。事あるごとに兄を引き合いに出され否定される日々。兄に比べ自分は徹底的に劣っている存在なのだと頭に叩き込まれた。

 お兄様はアルファなのにシャル様はオメガ。
 お兄様は一度で解いた問題なのにシャル様はいつまで経っても理解しない。
 お兄様は剣術の訓練で血を流しても平然とされているのに、シャル様は頬を打たれたくらいで泣き出す。
 お兄様はお強いのにシャル様は弱い。
 お兄様は本館でユーイ様と暮らしているがシャル様は西館で独りぼっち。
 お兄様は安産で奥様に負担をかけず生まれたのに、シャル様は難産で奥様を苦しめた末死なせた。

 熱い紅茶を流し込み、頭から追い出そうとする。抱きしめてくれた父のぬくもりを思い出す。

 ――すまなかった、シャル……私はイドにばかりかまけてお前のことを放置してしまっていた。私がこのザマだったから使用人たちが付けあがったのだ、全て私のせいだ。

 あの時そう言った父に、お父様のせいではありません、と首を振った。
 僕がお兄様に比べて出来損ないだったせいですと、そう返した。
 父は痛ましげに顔をゆがめ、そんなことはないと、私はお前を愛していると、そう言ってくれた。

「大丈夫、大丈夫……」

「ええ、大丈夫です。それに殿下も仰っていたでしょう? 何かあれば絶対に味方になってくださると」

 使用人はニッと笑って見せた。

「殿下だけではありません。ヘレン侯爵令息もガードナー宰相のご子息も、シャル様の味方です」

 彼らの顔を思い出し、震えが少し収まった。パーティーに出席した時、いち早く服の下の鞭の跡に気づいてくれた優しい人たち。

「……そうだね、ありがとう。僕行ってくる」

「行ってらっしゃいませ、シャル様」

 11時の鐘がもうすぐ鳴る。部屋を出て廊下を進み、父の部屋の前にたどり着いた。耳を澄ますと、中からは二つの声がやり取りをする様子が聞き取れた。
 一つは落ち着きのある低い声。こちらは父だ。
 もう一つは、静かな調子の少し掠れている男の声。聞きなれない。
 きっと兄だった。また震えが戻ってくる。逃げ出したい衝動に駆られたが、直後に11時の鐘が鳴ってしまった。中に入るしかなく、シャルは恐る恐る扉をノックした。

「入りなさい、シャル」

 父の優しい声がする。唾を飲み込み覚悟を決めた。慎重に扉を開け、中に踏み入った。

「し、失礼します……」

 入ってすぐ、こちらを振り返った背の高い青年と目が合った。
 彼は穏やかな微笑みを顔に浮かべている。光を吸い取るような黒髪と、夜の泉めいた黒い瞳が特徴的だった。顔立ちも肌の質感も石膏人形のように現実味のない整い方をしていた。見た目も中身も完璧な、どうあがいても勝てない存在であると瞬時に悟らされ、いたたまれなくなって視線を床に落とす。

「……はじめまして。シャル・ユースといいます」

 何とか自己紹介をする。声も体も笑われそうなほど震えていた。どんな言葉をかけられるか不安だった。視線くらい合わせろと注意を受けるかもしれない。使用人たちの視線が脳裏を掠める。情けないシャル様、鞭で打たれても仕方がないくらい出来が悪いですね……けれど予想と反して、兄は何の指摘もしてこなかった。

「イド・ユースだ。どうぞよろしく」

 シャルの挙動不審な様子をあっさりと流し、右手を差し出してくる。握り返すと、皮手袋の冷たい質感が手のひらを冷やした。そっと見上げると変わらない微笑みがあった。

(……あっ)

 背筋にぞくりと冷たいものが走る。出会ったことのない種類の人間だった。他人の腹の中にある、後ろ暗い闇には他の誰より敏感だ。感じたのは、兄の瞳の中にある砂粒ほどの無機質さ。目の前の青年は何かがおかしい。

 悪意はない。微塵も。怒りでも妬みでもない。かと言って喜びや同情もない。彼の腹の中に巣食っているものは正体不明だった。
 怖い。父は気付いているのだろうか。

「シャル。イドのことを、急には兄だと思えないことは重々承知だ。だが、いざという時には必ずお前を守ってくれる存在だ。私が保証する」

 兄の黒い瞳に意識を絡めとられ、父の声がどこか遠くに聞こえる。


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