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第五章 地球一時帰国編

第5話 報告? 坊野家 --史郎の生いたち--

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 史郎の実家は、学校が建つ町から見て、舞子の家がある小山を越えたところにある。

 そこは、町の喧騒は届かないが、やや隔絶された感がある。ほとんど周囲に人がいない環境で彼は育った。

 彼の最初の記憶は、白い部屋で横たわる母の姿だ。ヤクザの抗争の巻きぞえで死んだと、本当の事を聞かされたのは後(のち)の事で、子供の頃は交通事故で亡くなったと聞かされていた。
 記憶の奥深くに残る、温かいものに包まれる感覚。それが彼を「くつろぎ」に走らせたのかもしれない。

 彼の父親は、人格破綻者だった。
 それなりの会社に勤め、ある程度の出世をしていたが、それは仕事に限ったことで、彼には人としての大事な何かが欠けていた。

 史郎の母親が死ぬとすぐ、既につきあっていた女性と結婚した。この女性と父親の間に子供が生まれたことが、史郎にとって本当の不幸の始まりだった。
 父親は、その子を溺愛した。義理の母親は、事あるごとに史郎をイジメた。

 小さいころからぼーっとしたところがあった彼が小さな過ちを犯すと、まるで鬼の首を取ったかのように、それを父親に報告した。
 食事の席は、いつも彼をつるしあげる断罪の場だった。母親の言葉をそのまま鵜呑みにした父親は、彼に殴る蹴るの暴行を加えた。山奥の木に縛られ、置きざりにされたこともある。

 普通なら近所の通報で児童相談所か警察が介入したはずだが、何分、隔絶された環境にあったため、誰もそれに気づかなかった。

 史郎自身、どの家でもそれが普通なんだと思っていた。加藤の両親と舞子の両親だけが、薄々気づいて、事あるごとに彼を助けてくれた。

 小学高学年になると、さすがに彼は自分の家庭が持つ異常性に気づきはじめた。妹と自分の扱いの差がよけいに激しくなる。
 彼は自然の中に身を置くことが多くなった。これは、彼とくつろぎとを強く結びつけることになる。
 救いがあるとすれば、史郎がおのが身を不幸だとは思っていなかったことである。

 こうして史郎の興味は、「くつろぎ」に向けられるようになっていった。

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 中学生になると、ぼーっとした性格が災いして、史郎は勉強で落ちこぼれるようになる。
 
 彼が勉強で振るわないと、父親は今までにも増して暴力を振るった。世間体が悪いから、というのが理由である。
 妹は月謝が高いと有名な塾に通っていたが、お金がもったいないという理由で彼は習い事に通わせてもらえなかった。

 ある時、史郎は一念発起して学習に打ちこむことにした。しかし、それは父親が怖かったからではない。このままでは、くつろぎを手に入れることはできないと悟ったからだ。
 父親は、すでに知人の商売人に、彼の丁稚奉公を打診していた。

 覚えることも理解することも並外れて苦手な彼が「普通」になるには、血のにじむような努力が必要だった。
 これは比喩ではなく、英単語を覚えるため何千回も同じ単語を書いた彼の指はタコができ、そのタコがつぶれて紙に血がにじんだ。
 こうして、彼は普通より少しマシな成績を取ることが出来るようになった。

 公立高校しか許されなかった彼は、なんとか地元高校の合格を勝ちとった。
 そのとき彼が思ったのは、これでやっとくつろげるということだけだった。

 父親に合格を知らせた史郎は、彼の異常性を確信した。

 「そんな学校へなぞ入りゃがって!!」

 吐きすてるように放たれた父親の言葉は、史郎の内側にある何かを壊した。

 彼は家族を避け、ますます野外で過ごす時間が増えた。少なくともそこでは、いつも家で感じる緊張が無かったからだ。
 毎週一度は、必ず野外でキャンプした。この時間が無ければ、彼の心は壊れていただろう。

 あのタイミングで異世界に転移したのは、もしかすると史郎にとって僥倖だったかもしれない。

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 史郎は、自分の家の呼び鈴を鳴らした。

 出てきたのは、10歳くらいの目つきの悪い少女だった。
 ああ、これがかつて「妹」と呼んでいた存在だった。他人ごとのようにその考えが脳裏に浮かんだ。

 「あんた誰? 外人さん?」

 「俺はシロー。お父さんかお母さんいるかな?」

 少女は、奥に戻っていった。
 少しして、奥から、くたびれた中年の男性が現れる。

 「こんな遅くに誰だ……」

 「ああ、シローって言います。息子さんの消息が分かったので、お知らせしようと思って」

 「息子? 誰の事だ。ウチには、息子はいないぞ」

 俺は、その言葉に心から感謝していた。これで、完全に彼らと他人になれる。

 「ああ、そうですか。こちらの勘違いでした。夜分失礼しました」

 「まったく、迷惑な奴だ」

 「良い風を」

 「え?」

 「では、失礼します」


 俺は後ろ手に引き戸を閉めると、自分の内側から喜びが沸きあがってくるのを感じた。今こそ、本当に自由になったんだ。
 足取りも軽く歩く少年の顔は、彼がブレットと呼ぶ友人のものだった。


 しかし、モーフィリンって、舌が痺れるほどまずいな。
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