31 / 607
第一章 冒険者世界アリスト編
第29話 悪魔の誘惑
しおりを挟む国教会の建物は、地球のゴシック様式を思わせるものだった。
幾重にも重なるアーチが広い空間を支えていた。
奥の壁に掛けられた巨大なシンボルマークの下には、魔術灯が立ち並び、それにぼんやりと照らされた聖女は、まるで後光を纏っているかのようであった。
聖女の表情が暗く虚ろであることで、さらに神秘性が増しているのは皮肉なことだった。
彼女の前には、多くの信者が列をなしており、皆が「奇跡」を授かるのを待っていた。
聖女の手が光るたびに、癒された信者が喜びの涙を流す。
「今日の恩恵は、ここまでです」
聖女付き女官が、厳かな声で言い渡す。
並んでいた信者達は、係の女官から数字が書かれた順番待ちの木札をもらい、不平も見せずに教会を後にする。
教会の正面扉が閉まると、聖女は、その場に崩れ落ちた。
もともと体力がない舞子には、数日おきにある、この仕事が、かなりの負担になっていた。
史郎が王城を去ってから、ほとんど食事に手を付けていないことも、彼女の体力を奪っていた。
「運んで」
聖女付きの女官が、まるで荷物でも運ばせるように声をかけると、二人の女官が舞子の二の腕を掴んで立ち上がらせる。
舞子の頭部は、力なく、フラフラ揺れている。
人形を宙吊りにする様な形で、左奥の扉へと運んでいく。
聖女が姿を消すと、大きくため息をついた聖女付き女官も、そちらに歩き出した。
そのとき、教会内に光が差し込んだのに気付いた彼女は、いぶかし気に振り返った。
魔術灯は、すでに消えており、光が入るとすれば正面入り口だけのはずである。
案の定、扉が開いており、逆光に黒い人影が浮かび上がった。
正面扉の外で立つ、見張り役の女官を後で叱りつけることにして、今は、とりあえず声を掛けることにした。
「なにか御用でも?」
黒い影が少し前に出ると、やせぎすで特徴的な顔つきと、黒地を赤で縁取った宮廷魔術師のローブが顕わになった。
影から現れたような登場の仕方に、不気味さを覚えたが、ここでは彼女が権力である。
無礼を許すつもりはなかった。
「もう祝福の時間は終わりです」
聖堂内に響く、その冷たい声にも、魔術師はひるまなかった。
「聖女付きの方とお見受けするが・・」
「無礼ですよ。
きちんとした手続きを守りなさい」
「今日うかがったのは、あなたにとっても利益になるお話のためです」
「教会は、そのような世俗とは無縁です。
すぐに出てお行きなさい」
「お話が、聖女に関わることでも?」
聖女に関わること?
もしかするとこの男は、聖女について、私が知らない何かを知っているのかしら。
疎ましい聖女であるが、彼女に何かあれば、責任を取らされるのは自分である。
ここは、とりあえず話を聞いておいた方がいいかもしれない。
「ここでは人目があります。 こちらへ」
女官はさっき聖女が出て行った出口と対称の位置にある右側のドアへ、蝙蝠のような顔の男を導いた。
入り組んだ廊下を縫い、地下に向かう。
ある扉を選んで中に入る。
ここは、聖者の棺が並ぶ墓室。
教会関係者でも、特別な場合を除いては、ほとんど訪れることはない。
「ここならば、誰も来ません」
扉を閉めた後、部屋に備え付けの魔術灯に火を燈すと男を促す。
二つの影が、明かりに揺らめいた。
「ご配慮、感謝する」
「聖女に関するお話とか」
「聖女のご様子は、普通ではありませんね」
「・・・」
国の上層部が秘していることを知っているこの男は、いったいどういう立場なのか。
そういえば、城内で何度か目にした気もする。
「それを解決する方策があります」
「本当ですか!?」
「しかし、その方法は、同時に非常にデリケートな問題を孕んでいます」
「どんな方法でしょうか」
「・・その前に、聖女に対する、あなたの偽らざる気持ちを、お聞かせ願えますか?」
「敬っているに決まっているでしょう!」
「そのような、取り繕った言葉は不要です」
「あ、あなたが、何を知ってるというんです」
女官たちの噂話、城内で直接目にした二人の姿、魔術を使っての覗き。
そうした情報を元に引き出した結論は、まず間違ってはいまい。
「もし、仮にあなた自身が、聖女になれるとしたらどうしますか」
その言葉は、太い杭のように、女官の心を打ち抜いた。
彼女は幼いころから、自分こそが聖女にふさわしいと思ってきた。
しかし、何度挑もうと、水盤は応えてくれなかった。
自分が渇望してやまない聖女でありながら、その立場を望んでいるようには見えない少女。
押さえようのない不満が、聖女への態度に現れていた。
「そ、そんなこと。 で、できるわけがありません!」
否定しはしたが、もし万一、と思うと、一度は諦めていた心に火が点いた。
「こちらには、それをかなえる方策があります」
ああ! これは夢だろうか。
もし本当にそんな手があるなら、命を投げ出したって構わない。
「その方策とは?」
カラカラの喉から出た声は、まるで他人のそれに聞こえた。
「ご興味がおありで?」
「とりあえず話してみなさい」
コウモリ男は、女官がすでに、自分の仕掛けた釣りばりにかかったと確信していた。
「話してもいいのですが、それには一つ条件があります」
「な、なんですか」
「あなたが聖女になったら、二人の男を治療していただきたい」
たったそれだけ?
「な、何か隠していますね」
「いいえ。 事が露見すれば、あなたも私も、確実に命はありません。
そんな相手に嘘をついてどうしますか」
男の言葉には、妙な説得力があった。
そして、女官には、それが男の魔術のせいだとは見抜けなかった。
「本当に、聖女に?」
「なれますとも」
今まで感じたことのない、熱い何かが体の奥から湧き上がってきた。
私が聖女になれる・・
「いいでしょう。 話を聞かせて下さい」
ここにまた一人、悪魔に魂を売り渡した人間が誕生した。
0
お気に入りに追加
332
あなたにおすすめの小説
異世界でのんびり暮らしてみることにしました
松石 愛弓
ファンタジー
アラサーの社畜OL 湊 瑠香(みなと るか)は、過労で倒れている時に、露店で買った怪しげな花に導かれ異世界に。忙しく辛かった過去を忘れ、異世界でのんびり楽しく暮らしてみることに。優しい人々や可愛い生物との出会い、不思議な植物、コメディ風に突っ込んだり突っ込まれたり。徐々にコメディ路線になっていく予定です。お話の展開など納得のいかないところがあるかもしれませんが、書くことが未熟者の作者ゆえ見逃していただけると助かります。他サイトにも投稿しています。
5歳で前世の記憶が混入してきた --スキルや知識を手に入れましたが、なんで中身入ってるんですか?--
ばふぉりん
ファンタジー
「啞"?!@#&〆々☆¥$€%????」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
五歳の誕生日を迎えた男の子は家族から捨てられた。理由は
「お前は我が家の恥だ!占星の儀で訳の分からないスキルを貰って、しかも使い方がわからない?これ以上お前を育てる義務も義理もないわ!」
この世界では五歳の誕生日に教会で『占星の儀』というスキルを授かることができ、そのスキルによってその後の人生が決まるといっても過言では無い。
剣聖 聖女 影朧といった上位スキルから、剣士 闘士 弓手といった一般的なスキル、そして家事 農耕 牧畜といったもうそれスキルじゃないよね?といったものまで。
そんな中、この五歳児が得たスキルは
□□□□
もはや文字ですら無かった
~~~~~~~~~~~~~~~~~
本文中に顔文字を使用しますので、できれば横読み推奨します。
本作中のいかなる個人・団体名は実在するものとは一切関係ありません。
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
前世の記憶さん。こんにちは。
満月
ファンタジー
断罪中に前世の記憶を思い出し主人公が、ハチャメチャな魔法とスキルを活かして、人生を全力で楽しむ話。
周りはそんな主人公をあたたかく見守り、時には被害を被り···それでも皆主人公が大好きです。
主に前半は冒険をしたり、料理を作ったりと楽しく過ごしています。時折シリアスになりますが、基本的に笑える内容になっています。
恋愛は当分先に入れる予定です。
主人公は今までの時間を取り戻すかのように人生を楽しみます!もちろんこの話はハッピーエンドです!
小説になろう様にも掲載しています。
7個のチート能力は貰いますが、6個は別に必要ありません
ひむよ
ファンタジー
「お詫びとしてどんな力でも与えてやろう」
目が覚めると目の前のおっさんにいきなりそんな言葉をかけられた藤城 皐月。
この言葉の意味を説明され、結果皐月は7個の能力を手に入れた。
だが、皐月にとってはこの内6個はおまけに過ぎない。皐月にとって最も必要なのは自分で考えたスキルだけだ。
だが、皐月は貰えるものはもらうという精神一応7個貰った。
そんな皐月が異世界を安全に楽しむ物語。
人気ランキング2位に載っていました。
hotランキング1位に載っていました。
ありがとうございます。
貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた
佐藤醤油
ファンタジー
貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。
僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。
魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。
言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。
この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
------------------------------------------------------------------
お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
------------------------------------------------------------------
注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。
あの、神様、普通の家庭に転生させてって言いましたよね?なんか、森にいるんですけど.......。
▽空
ファンタジー
テンプレのトラックバーンで転生したよ......
どうしようΣ( ̄□ ̄;)
とりあえず、今世を楽しんでやる~!!!!!!!!!
R指定は念のためです。
マイペースに更新していきます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる