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第十一章 ポータルズ列伝
マスケドニア国王編(7) 下着とマンガ、そして恋
しおりを挟む「ヒロコ、余と結婚してくれっ!」
陛下のお言葉に、布で口を拭いていたヒロコが、手からそれを落とす。
「な、なぜ、突然そんなことをっ!?」
『死の谷』から生還されて三日後、陛下はヒロコと二人で、朝食を召しあがられていた。そして朝の膳が下げられると、いきなり先ほどの発言をなされたのだ。
いくら、互いに想いあっているとはいえ、これでは性急すぎる。
側近として、ここは一言、申しあげねば。
「陛下、いきなりそのようなことをおっしゃられても、ヒロコ様は戸惑われるかと」
「ショーカよ。
お主が何と言おうが、余の心は変わらぬぞ!
ヒロコ以外の后など考えられぬ!
ヒロコ、どうか妻になってくれ!」
「ちょ、ちょっと、陛下、一体どうなされたのです!?」
ヒロコは、迫る陛下から椅子ごと一歩引いた。
「よくよく考えてのことだ。
余の目には、すでにそち以外の女性は映らぬ。
ヒロコ、どうか余の気持ちを受けとってくれ!」
ヒロコが、救いを求めるような視線を私に送る。
「陛下!
とにかく、落ちついてください!
ヒロコ様も戸惑っておられます。
まずは、どうしてそのように思われたのか、お話になられては?」
「……うむ、いいだろう。
ショーカ、お主、『死の谷』から帰ってきてから、余がいろいろ考えておったのを知っておろう」
そう言えば、確かに王宮に帰られてから、陛下はもの思いにふけっておられた。ぼうっとして、政務にも支障が出ていたくらいだ。
私がその理由をお伺いしても、何もおっしゃられなかったのだが……。
「はい、確かにおおせの通りでした」
「よくよく考えて決めたのだ。
ヒロコを妻に娶ると」
「へ、陛下、どうしてそのようなことに?
まだ、婚約の儀も済ませていらっしゃらないではありませんか」
「そんなものは必要ない!」
陛下は、きっぱりした口調でそうおっしゃった。
「どのようなお考えで、そのような次第に……」
陛下は、私にさえ今まで見せたことがない、思わせぶりな笑みを浮かべた。
「気づいたのだよ」
「何にです?」
「先日、『死の谷』の洞窟で、ヒロコ、そちが余の命を救うてくれたことにだ」
すかさず、ヒロコが口をはさんだ。
「崖から落ちた時、濁流に流されたとき、陛下は二度も私の命を救ってくれたではありませんか。
お互い様ですから、それを理由になんて――」
ヒロコの言葉は、途中で陛下にさえぎられた。
「ふふふ、余が背中に負うた傷を治してもろうたことだけを申しておるのではない。
そちはもう一度、余の命を救うておるだろう?」
「ど、どういうことでしょう?」
「川の水で冷えた、余の身体を温めてくれたのだろう?」
「えっ、ど、どうしてそのことを?!」
なぜか、ヒロコは顔を赤くし、その口を手で押さえている。
「気づいたのじゃよ。
ヒロコが、その身をもって余を温めてくれたことをな」
なぜかヒロコは顔を両手で覆い、テーブルに伏せてしまった。
「陛下、しかし、それだけでは、ご求婚なさる理由とはならないかと」
「ふふふ、さすがの天才軍師も、全てを見通せてはおらぬようだな。
ヒロコはな、余を裸にしたうえ自らも裸となり、その身体で温めてくれたのだ」
私にとって、それは衝撃的なお言葉だった。
机に伏せたまま、ヒロコが顔を左右に振っている。
しかし、そのまっ赤になった耳と首筋が、陛下の言葉を肯定していた。
「陛下、しかし、どうやってそのようなことにお気づきに?」
「王宮に帰って後、着替えるときに気づいたのだ。
余の下着は、前後ろ反対だった」
ヒロコは、とうとう赤くなった自分の耳を両手で塞いでしまった。
「それにしても、ヒロコ様まで裸になっていたなどと、どうやって――」
「ふふふ、甘い、甘いぞ、ショーカ!
そこに抜かりはないのだ。
ヒロコと二人、余についてまいれ!」
慌てて私がお掛けしたローブをひるがえすと、陛下は部屋から出ていかれる。
テーブルにしがみつこうとするヒロコをなんとか引きはがし、陛下の後を追った。
私たちが追いついたとき、陛下は自ら禁書庫の扉を開けようとされていた。
慌てて私が呪文を唱え、禁書庫への扉を開く。
木製の書架が並ぶ禁書庫は、私の記憶と変わらぬように見えた。
薄暗い禁書庫に踏みこんだ陛下が立ちどまる。
そこは書庫の中心辺りで、書架の連なりがなす通路が十時に交差している場所だった。
陛下が膝を着き、磨かれた石の床に触れる。
敷石の一つが光を放つ。
その光は、見覚えのある紋様を浮かびあがらせた。
円の上に、小さな三角が二つ並んでいる。
これは確か、シロー殿が営む『ポンポコ商会』のマークだったはずだ。
陛下の指が左側の三角形に触れた。
敷石が消え、地下への階段が現われた。
いったい、どういうことだろう。
この部屋に、地下などなかったはずだが……。
懐から灯りの魔道具を出した陛下が、それで足元を照らし、地下へと降りていく。
私とヒロコも、その後を追った。
「へ、陛下、これはいったい!?」
「な、なにこれっ!?」
私の声に、ヒロコの声が重なる。声は閉じた空間の中で幾重にも響いた。
陛下が頭上に掲げた灯りに照らしだされたのは、かなり広い部屋と、何脚かのテーブル、そして、そこに置かれた椅子だった。
壁には一面、書物がぎっしり詰まっており、高い所の書物を取るためだろう。階段状の台車まであった。
「陛下、これはいったい?」
繰りかえした私の問いに、陛下がおっしゃった。
「先の『神樹戦役』における功績に対し、シロー殿が何かくれると言うたので、『地球世界』の書をお願いしたのだ。
この部屋も、英雄殿に作ってもろうた。
ここに並んだ書籍、余はすでに半ば近く目を通しておる」
「しかし、陛下、『賢者の指輪』は、文字の読解まで可能にしてくれますが、これほどの量ならば、読むのに何十年も時間が掛かるはずですが」
陛下は、書棚から一冊の本を取った。
「これを見よ」
表紙が色鮮やかに彩色してあるそれは、図説だろうか、絵物語だろうか、とにかくこの世界では見たことのない類の書だった。
「これはな、『マンガ』と言うのだぞ。
ショーカよ、『地球世界』の事なら、すでにお主より、余の方が何百倍も詳しいぞ」
陛下は腰に両手を当て、普段しない得意げな顔をしている。
「いつの間にそのような事を?!」
「深夜、寝所から忍んで来ておった。
そのため、最近はずっと寝不足であったぞ、わはははは!」
「へ、陛下、なぜそのような事を?」
「うむ、純粋に『地球世界』の文物に興味があったのもあるが、なんと言ってもヒロコの事がもっと知りたかったのだ」
「「ええっ!?」」
再び、私とヒロコの声が重なった。
「ショーカよ、お主、ヒロコが裸になって余を助けたと知れたのはなぜか、そう問うておったな?
これを見よ!」
陛下は、迷わず壁から一冊を抜きだし、私に手渡した。
私はやけに絵が多いその『マンガ』を最初からめくっていった。
多言語理解の指輪は着けているが、私のそれでは文字まで読むことはできない。
しかし、絵がふんだんにあるその書物は、粗筋くらいなら十分物語を追うことができた。
恐らく物語の主役だろう若い男女が、荒天の中、雪山に取りのこされる。二人は十分な防寒用装備を持っていないようで、震えているようだ。
ページをめくると、暖炉の前で二人が服を脱ぎはじめた。
それは、この国なら、それこそ禁書に指定されかねない「危絵(あぶなえ)」のように見える。
ヒロコの方をチラリと見ると、彼女は陛下と私に背中を向けていた。
自分の顔が赤くなるのを自覚しながら、ページをめくる。
そこには、見開きいっぱいに、素肌で温めあう男女の姿が描かれていた。
「こ、これは……」
思わず絶句するとともに、その絵が陛下とヒロコに重なり、私の胸は強く痛んだ。
「どうだ?
これが『地球世界』の文化なのだ!」
陛下の言葉が、頭に入ってこない。
私は異世界の書『マンガ』を閉じた。
「しかし、これと同じことをヒロコがしたとは限りませんよ」
私は疑問の余地を口にしたが、自分でもそれが虚しい言葉だと分かっていた。
まっ赤になったヒロコの耳が、目の前にあるのだから。
「余は以後、狩りをやめ、魔獣を保護すると約束する。
ヒロコ、改めて申しいれる。
余の妻になってくれ」
陛下は、後ろからヒロコの肩に両手を置き、静かにそう問いかけた。
陛下の広い背中で、彼女の動きは私から見えなかったが、続いた陛下のセリフが全てを物語っていた。
「おおっ!
そうか、そうか……。
ヒロコ……」
私はその場にいたたまれず、階段を駆けあがり、禁書庫を後にした。
国王の婚礼ともなると、その手続きは山ほどある。
恋を失った悲しみを仕事で紛らすため、私は足を早めた。
――――――――――――――――――
第11シーズン『ポータルズ列伝』終了、第12シーズン『放浪編』に続く。
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