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第十一章 ポータルズ列伝
リーヴァス編 夢幻の女
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この道を歩くのは何度目になるだろう。
城下町から草原へ、そして、森へ。
この森には『霧の森』という名前があるが、その名の通り、いつも霧に包まれている。
特に朝方、夕方は霧が濃く、森の中を抜ける一本道は、その時間、通る者もいない。
人々は、霧の中で魔獣に不意打ちされるのを恐れているのだ。
だから、この時間に森の中へ分け入ろうとする者はいない。
私を除いては。
この森の霧は、この世界に二つある月の運航と連動していて、それらがお互いに最も近づくときに、霧が濃くなることが知られている。
そのため、旅人はその時期を避け、森を通ることになる。
これも、私を除いては。
私は、一月に一度、二つの月が最も近づくとき、つまり霧が最も濃くなる時、森の中にある遺跡を訪れるのだ。
遺跡は、ギルドからの討伐依頼で森を訪れた時、偶然見つけたものだ。
非常に古いもので、緑の苔に覆われた数個の石が転がっているだけに見える。
しかし、近づいてよく見ると、その内のいくつかは明らかに人の手が入った形をしていた。
その中の一つ、地面から円柱形の台座だけが突き出したものが私の目的だ。
台座は人が座る椅子ほどの大きさで、わずかに見える文字のようなものから、おそらく古代魔術王国のものだと思われる。かの文明が華やかなりし頃には、台座の上に何かが置いてあったのだろう。
台座近くの石に腰を降ろし、その時を待つ。
霧が次第に濃くなり、周囲の木々が見えなくなる。
木々の匂いが、むせるように私を包み込む。
細かい粒子の雨が煙るように降りだすと、いつものようにそれが始まる。
台座が青い光を薄く帯び、その上に白い光の粒子が立ち昇る。
粒子はやがて、濃淡がつきはじめ、次第に見慣れたものが姿を現す。
それは、小柄な女性の姿だった。
長い髪、細面の顔、筆で描いたような細い眉、すっと伸びた鼻筋の下にはふっくらした唇がある。
そして、私が初めて彼女に会ったとき、一瞬で心を奪われたその瞳。薄く青みがかった瞳は憂いを帯び、一方向を眺めている。
『そなたは、たれであろう』
小さな唇の動きに合わせ、小さな声が聞こえる。
ただ、それは空気を震わせることのない、頭の中にだけ聞こえる声だった。
私は立ち上がり、女性と視線を合わせる。
彼女が発する淡い光で、周囲の雨がきらめいた。
『われを、たずねてくれ、かんしゃする。
これにて、それに、むくいよう』
女性の声が、低く細くやがて緩やかに波打つ旋律となり、流れんでくる。
その波は次第に大きくなり、心の中に複雑な形を描き始める。
三角形に、四角形に、多角形に、そして円へと。
小さく、大きく、さらに大きく、そして無限大に。
やがて、それが弾けると、声は緩やかな波を描き、そして消える。
『また、そなたに、あえんことを』
頭の中でそんな声すると、女性の姿は白い粒子となり、雨に溶けた。
私の魂を捉えて離さない彼女は、しかし、呼びかけに答えてくれたことはない。
いつも同じセリフ、同じ歌。
何度、彼女に呼び掛けただろう。
届かぬ思いは、それでも私をこの場所に連れてくる。
雨が止み、周囲の木々が見えるほど霧が薄まると、私はゆっくり歩き出す。
またここを訪れるだろう。
声も交わせない彼女を求めて。
男が立ち去ると、
再び霧が濃くなり、雨が降る。
台座が光り、光の粒子が女性の姿となった。
「愛しいあなた。
私の事はもう忘れて、自分の時を生きてください。
私は、時の中に閉じ込められた存在。
あなたに求められても応えることの叶わない幽霊」
雨の雫が一つ、女性のまつ毛を濡らし、頬を伝い流れ落ちる。
彼女の呼びかけに、霧でけぶる森は葉鳴りの音を返してくれた。
まるで、彼女を包み込むかのように。
城下町から草原へ、そして、森へ。
この森には『霧の森』という名前があるが、その名の通り、いつも霧に包まれている。
特に朝方、夕方は霧が濃く、森の中を抜ける一本道は、その時間、通る者もいない。
人々は、霧の中で魔獣に不意打ちされるのを恐れているのだ。
だから、この時間に森の中へ分け入ろうとする者はいない。
私を除いては。
この森の霧は、この世界に二つある月の運航と連動していて、それらがお互いに最も近づくときに、霧が濃くなることが知られている。
そのため、旅人はその時期を避け、森を通ることになる。
これも、私を除いては。
私は、一月に一度、二つの月が最も近づくとき、つまり霧が最も濃くなる時、森の中にある遺跡を訪れるのだ。
遺跡は、ギルドからの討伐依頼で森を訪れた時、偶然見つけたものだ。
非常に古いもので、緑の苔に覆われた数個の石が転がっているだけに見える。
しかし、近づいてよく見ると、その内のいくつかは明らかに人の手が入った形をしていた。
その中の一つ、地面から円柱形の台座だけが突き出したものが私の目的だ。
台座は人が座る椅子ほどの大きさで、わずかに見える文字のようなものから、おそらく古代魔術王国のものだと思われる。かの文明が華やかなりし頃には、台座の上に何かが置いてあったのだろう。
台座近くの石に腰を降ろし、その時を待つ。
霧が次第に濃くなり、周囲の木々が見えなくなる。
木々の匂いが、むせるように私を包み込む。
細かい粒子の雨が煙るように降りだすと、いつものようにそれが始まる。
台座が青い光を薄く帯び、その上に白い光の粒子が立ち昇る。
粒子はやがて、濃淡がつきはじめ、次第に見慣れたものが姿を現す。
それは、小柄な女性の姿だった。
長い髪、細面の顔、筆で描いたような細い眉、すっと伸びた鼻筋の下にはふっくらした唇がある。
そして、私が初めて彼女に会ったとき、一瞬で心を奪われたその瞳。薄く青みがかった瞳は憂いを帯び、一方向を眺めている。
『そなたは、たれであろう』
小さな唇の動きに合わせ、小さな声が聞こえる。
ただ、それは空気を震わせることのない、頭の中にだけ聞こえる声だった。
私は立ち上がり、女性と視線を合わせる。
彼女が発する淡い光で、周囲の雨がきらめいた。
『われを、たずねてくれ、かんしゃする。
これにて、それに、むくいよう』
女性の声が、低く細くやがて緩やかに波打つ旋律となり、流れんでくる。
その波は次第に大きくなり、心の中に複雑な形を描き始める。
三角形に、四角形に、多角形に、そして円へと。
小さく、大きく、さらに大きく、そして無限大に。
やがて、それが弾けると、声は緩やかな波を描き、そして消える。
『また、そなたに、あえんことを』
頭の中でそんな声すると、女性の姿は白い粒子となり、雨に溶けた。
私の魂を捉えて離さない彼女は、しかし、呼びかけに答えてくれたことはない。
いつも同じセリフ、同じ歌。
何度、彼女に呼び掛けただろう。
届かぬ思いは、それでも私をこの場所に連れてくる。
雨が止み、周囲の木々が見えるほど霧が薄まると、私はゆっくり歩き出す。
またここを訪れるだろう。
声も交わせない彼女を求めて。
男が立ち去ると、
再び霧が濃くなり、雨が降る。
台座が光り、光の粒子が女性の姿となった。
「愛しいあなた。
私の事はもう忘れて、自分の時を生きてください。
私は、時の中に閉じ込められた存在。
あなたに求められても応えることの叶わない幽霊」
雨の雫が一つ、女性のまつ毛を濡らし、頬を伝い流れ落ちる。
彼女の呼びかけに、霧でけぶる森は葉鳴りの音を返してくれた。
まるで、彼女を包み込むかのように。
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