酒を飲むなら縁側で

春色悠

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ユズ

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「あ゛あぁぁ~……、頭おっっもい…。」
 久々の二日酔いである。屋台飯と旨い酒で羽目を外し過ぎた。
 ムシムシと暑い朝に布団の上で唸る。掛け布団はそこらに散らばっているのでかぶっていない。多分寝ている間に足で蹴飛ばしたか、そもそもかぶって寝なかったか。
 にしても頭が重い。本当に久々だ。むしろよく今までは控えれていたな。
 ……でも、腹減ったなぁ。
 今にも怪獣の様な唸り声をあげそうな腹に、頭の重さが負けた。
 のそのそ、と起き上がり、あ゛あー、と唸りながら台所に向かった。
『二日酔いか。水も飲まずにどかどか日本酒を飲むからだぞ。』
「ゆず…、おはよぉ。お腹減ったー。」
『昨日のたこ焼きの余りをお茶漬けにする。二日酔いのおっさんにはピッタリだぞ。』
 たこ焼きのお茶漬けって、たこ焼きにお茶かけるのだろうか。たこ焼きがふやけたら美味しくない気がするのだけれど。
 ただ、旨いのなら食べたい。この二日酔いの頭と屋台飯の脂っこさにやられた胃に茶漬けは嬉しすぎる。
「ご飯は昨日の朝のおにぎりがあるけど、お茶はどうすんの?ないよ家にお茶なんて。」
『お湯注ぐだけで十分だ。おにぎり自体に塩気があるし、たこ焼きにも味がついてる。』
「へぇー。」
 間の抜けた声を出しながら、冷蔵庫からおにぎりとたこ焼きを取り出す。
 何故かあるヤカンを洗ってから湯を沸かして、丼に入れたたこ焼きとおにぎりにかけた。
 ホカホカと湯気の出るお茶漬け(たこ焼き)に、たまらなくなったのか腹がぐぅ、となった。
 流石に今日は縁側も暑いので、この間掃除した応接間で食べることにする。応接間にはクーラーがあるのだ。
「腹減ったぁ。いただきまーすっ!」
 きちんと手を合わせてからたこ焼きを崩して食べ始めた。
「……けっこういけるッ…!!」
『なんでちょっと悔しそうなんだよ。』
 ううぅ、たこ焼きはたこ焼きのままの方が美味しいと思ってたのにぃ…。こっちも旨い。
 2個のたこ焼きに対してデカめのおにぎり一つ、それらがある程度沈む程度に入れたお湯のお陰で、とても胃に優しい味になった茶漬け。
 しかしそもそもの味が濃く、ソースやら塩やらがかかっているので物足りなさを感じない。なんならタコとかの風味も感じる。
 いやあ、美味しい。
 というか、本当に以外だ。
 目の前の男が屋台飯のアレンジなんてものを知っていることが。
 相変わらずオレの食べる所を見るユズは、生活力のあるタイプの人間だ。
 自炊して、洗濯も掃除もこまめにやってと、何か買い食いなんてしそうなタイプには見えないのである。
 まあ、ユズの味の好みなんてわからないので偏見になるのだが。
 何が楽しいのかオレの食べる所を見続けるユズを見つめ返す。普段縁側で並んでいるので、こうやって向かい合って座るとすぐに顔が目に入って来てびっくりする。
 やっぱり黒くて艶々とした目が印象的なユズ。
 本当にその瞳に自分が映らないのが残念で仕方がない。
 そういえば、花火も残念だった。ユズの瞳に浮かぶもう一つの夜空をもう一度見たかったのに。

 _____…、もう一度、?
 どうしてオレはそう思った、考えた。
 ユズと会ったのはユズが幽霊になった後だ。
 一度だって生身のユズと会ったことはない。ないはずだ。 
 ___じゃあ、何故ユズの瞳に花火が浮かんだ光景が頭をよぎる?
 ただの妄想か?
 でも、確かに見たことがある。
 別の誰かの瞳に映ったものじゃないのか?
 そうかもしれない。別の、別の誰かの。
『どうした?大丈夫か?』
 様子の可笑しいオレをユズが覗き込んでくる。
 その瞳には、やっぱりオレが映っていない。
 _____しかし、オレは、瞳に映ったオレを見たことがある。

 カラン、軽い音をたてて箸が丼に当たって落ちた。
 
『お、おい、大丈夫なのか?』
 思い出した、全部。
_____「すずや…。」
『っ、!!?』
 同様で見開く目を、顔を、仕草を、オレはよく知っている。
 ユズは、いや鈴治すずや


_____一年前に死んだオレの恋人だ。
 
 手元に水滴がどんどんと落ちて来た。
 オレの目から落ちているらしい水は、何故か止まるところを知らない。
 ボロボロ流れる水で歪む視界に、鈴治の葬式の日を思い出した。
 鈴治は、酔っ払って運転していたバスに轢かれたらしい。鈴治の母親から説明を受けた。
 その後当のバスは運行停止になった。
 そこからは悲惨な毎日だ。
 酒に溺れようとした。
 安い缶ビールを大量に買って、一人で全部飲んでしまえば悲しくなくなると思った。悲しみを忘れられると思った。
 ____でも、飲めば飲むだけ辛かった。
 もう横で、酒がそんなに強くないからと一口だけ味見で飲む人はいない。
 もう台所で、酒だけでは体に悪いからと美味しいご飯を作ってくれる人はいない。
 もう目の前で、一緒に話しながら食卓を共にしてくれる人はいない。
 もう仕事をしている後ろから、掃除しろと怒ってくれる人は居ない。
 居ない、居ない、居ない。
 もう、居ないのだ。
 酒を飲むのをやめた。飲む気にならなかった。
 小説を書かなくなった。いや、正確には書けなくなった。
 小説の人物全てに面影を感じて、視界が滲むせいで文字が書けないのだ。
 忘れたいけど忘れたくない。
 悲しみは忘れたいけれど、その人の存在まで忘れたくなかった。
 だから、紙に書いた。
 名前も、性格も、特徴も、声の雰囲気も。
 これだけ書いていれば、忘れないと、思った。安心した。
 そして一年が経った頃、鈴治の墓参りに行った帰りに軽トラに引っ掛けられ、頭をぶつけたオレは記憶を無くしたのだ。
 鈴治に関する記憶の全てを。
 
「……なんでオレっ、鈴治のこと忘れてたんだろ、…っ、さいあくだ。」
 一番忘れたくなかったのに、忘れちゃ生きていけなかったのに。
『…本当に、最悪だ。』
 呟く声に、はっと顔を上げた。
「っすずや、」
『ほっっつとに、俺がどんな気持ちでっ!!
 お前のこと見てたと思ってんだっ!!
 なんなんだ!?
 俺が居なくなったくらいで酒を飲むのやめやがって…!
 あんだけやめろって言ってもやめなかったくせに!
 料理もしないどころかどんどん少食になりやがって。
 どんだけお前に料理の作り方教えたと思ってんだ。
 挙げ句の果てに急にケロッとした顔で帰って来たと思えば俺の事見えてるのに忘れてるし、変な名前つけてくるし、でも段々元気になってくし、ほんとに、ほんとに……。』
 ぽろぽろ、ほろほろ、次から次に伝う涙は空中で消えていく。
 オレが流させてしまった涙。
 オレの拭うことのできない涙。
 触れられなくても、それでも近くに居たくて、机を挟んだ向こう側、鈴治のそばに行った。
「ごめん、ほんとに、ごめん。ごめんね、鈴治、すずや、すきだよ。すきだから。」
『うるせえ、忘れてた奴のことなんか知るかっ!お前なんてもう30まじかのおっさんだからな…!』
「うん、そだね。そうだった。」
 鈴治と出会った時からの記憶が無くて、3年弱の記憶が無いオレが25歳と主張していたのだから、今のオレは28歳、そろそろおっさんだ。
 殴れないけれど、ぽかぽかとオレをぶってくる鈴治はぼろぼろ泣いていて、オレも人様には見せられないくらい泣いていた。
 鈴治の話し声は乱れていなかったけど、オレの声は酷い涙声だ。若干鼻声気味でもある。
『もう、忘れないな?』
「うん。忘れない。」
『飯もきちんと三食食べる?』
「うん。自炊もできる。お酒も飲む。」
『酒は控えろ。掃除は?』
「き、気が向いたら…?ぜ、善処するよ?」
 ジトーっ、とした視線にオロオロと目を泳がす。 
 そらした先で、鈴治の足先が消え掛かっているのが見えた。
「っ!!?鈴治っ、足がっ。」
『……未練が無くなってしまったからだろ。』
 オレはこんなに焦っているのに、鈴治は冷静に自身の足を見やる。
「未練って…。」
『お前が俺を思い出す事。あとちゃんと生活していける様になること。』
「やだよ、やだ。消えちゃダメ。消えるならオレも連れてっ、『嫌だ。』なんでっ!」
『死んでまでお前みたいな奴の面倒見れるか。』
 …っ!
 ……幽霊になってまでご飯のレシピ教えてくれる奴が言うセリフじゃ無いよ…。
「やだ、やだよぉ、やだぁ…。」
 言っている間にも、どんどん鈴治の体は薄くなっていく。
『多分草葉の影から見守ってたりすると思うから頑張れよ…。』
「オレの傍で見ててよぉ…。」
『ほ、ほら、土産話とかな?持って来て欲しいな~って…。』
「土産話なんてしない!鈴治も一緒に体験してっ!」
 今度は鈴治が目を泳がせる番だった。
 鈴治が困ったっていいのだ。一緒にいて欲しいのだ。離れたく無いのだ。
 それでも、困った様にオレの頬に手を添えてくる鈴治に胸が苦しなる。
 ひっく、ひっくと、止まらない涙で嗚咽が漏れる。
『……やっぱりさ、リアルにハッピーエンドなんて物は無いんだよ。』
 一緒に居たいだけなのに、そう言っているだけなのに、残酷な事を鈴治は言う。
「オレ、おれは、鈴治とどんな形であれ一緒で居られればしあわせなの、ハッピーエンドなんだよっ…!」
 だから、もうちょっと、もうちょっとでいいから、一緒に…!
『俺も、メリバは好きだけどな。でもやっぱり、もう未練は無いんだよ。消えるしかない、できない。』
 どうして、どうして?
 鈴治の体はまた薄くなって、もう消えかけている。
『俺はさ、お前に覚えてもらってる時に消えたいんだ。忘れられる前に、今度こそ。』
「もう忘れないっ!!忘れないからっ!!だから、だから……!」
 必死に縋るオレを無視して、ニッと向日葵みたいに笑った鈴治はついにパッと消えた。
『ごめんな?』
 最後の瞬間、泣きそうな顔をしてそう言ってから。
 まるで何も無かったかの様に、そこには畳しかない。
 ぱたぱた、ぱたぱた、と落ちる水滴で湿っていく畳。
 歪む視界を無視して、家中を探し回る。
 全ての部屋を探して、棚をひっくり返して、ゴミも片付けて。
 出て来たのは、沢山の写真と鈴治の面影。
 料理道具が揃ってるのは鈴治が揃えたから。
 なーさんが来るのは、鈴治がよく餌をあげてたから。
 写真には、夏に遠い所に花火を見に行った写真があった。
 浴衣を二人でレンタルして撮った写真。
 ついでに海にも行って砂だらけになりながら撮った写真。
 なんと無くそこらの喫茶店で撮った写真。
 公園、家の中、どこかの路端。
 色々な所で、鈴治を、鈴治と、映っている写真があった。
 ポタリ、ポタリ、また水が垂れて来て、写真に落ちてしまう。
 急いで拭っても、拭っても止まらなかった。
 

 
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