酒を飲むなら縁側で

春色悠

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お仕事の後はやっぱり一杯

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「うんうん、今回はいい感じですね。いやぁ、データ原稿の時はどうなるかと思いましたけど、大丈夫そうですねぇ。」
「はは……。」
 来ノ木満作、只今お仕事中です。
 会うのは久し振りな編集者の睦河さんは正直言って胡散臭い。
 いつ何時も笑顔を崩さない睦河さんは所謂きつね顔というやつで、根拠のない胡散臭さを醸し出すのに一役どころか二役ほど買っているのだ。
「と言うか、すみません、時間に遅れてしまって…。」
「いえいえ、こちらこそバス無くなっちゃったの教えて差し上げられたら良かったんですが……、お恥ずかしながら自分も知らなくて…。」
 普通に実際は良い人というか、仕事の出来る優秀な人なのだが、なんというか、圧があるのである。こう、逃げれると思うなよ、的な感じの。
 睦河さんが編集についた作家は誰一人として締め切りを遅刻しないというのだから、その圧を感じているのはオレだけではない、筈。
 おかげで睦河さんは何人もの作家さんの編集をしていて、いつも忙しない姿をよく見る。
 最近はパソコンの画面越しだったその姿も、久々に対面すれば変わらないそのオーラに、何も悪いことはして居ないのに正座で原稿が読み終わるのを待った程だ。
 いやでも、本当にOKもらえて良かった。
 ふと睦河さんの来る日を確認すれば一週間後に迫っていて、大慌てで応接間だけ掃除したのだ。ほんとに、原稿だけはコツコツ書いておいて良かった。
「いやぁ、でも、なんでしたっけ、黒髪の子居ないんですね。」
 黒髪、と言われて一番に出てきたのはユズだったが、話的に小説のリストラしたキャラのことだろうな。
 なんなら、横にユズは居るし。
「ああ、鈴冶のことですか?」
「あー!そうそう、鈴治くん!先生気に入ってたじゃないですか、辞めちゃったんですか?」
 ……幽霊にダメ出しされて、とは言えない……。
「え、えぇ、まあ、色々理由があって。」
「そうなんですねぇ。あ、すいません、僕これから別の打ち合わせがありまして。」
 口の端がひくひくと痙攣しそうになりながら、嘘じゃないギリギリで話す。
 睦河さんは嘘に敏感ですぐにバレるのでつかないのが得策なのだ。めっちゃ怖いんだよ、嘘がバレると。
「あ、いえいえ、こちらこそお時間頂いて…。」
「次はまたテレワークになるので、よろしくお願いしますね。来ノ木先生、新作期待してますよ。」
「はは、オレも自分の頭に期待しときます。」
 ビクビクしながら睦河さんを見送り、背中が見えなくなった所で脱力した。
【……来ノ木さん、これマジでつまらないですよ。】
 あの言葉、結構トラウマになってたんだなぁ。
 今更ながらに思い当たって、顔を手で隠して深いため息を吐いた。
『大丈夫か?』
 座り込んだオレに、目線を合わせる様にしゃがんだユズ。
 流石に心配してくれるらしい。
「だいじょーぶだよ。久しぶりに緊張しただけだから。」
『………そうか。』
 立ち上がるユズに合わせ、よっこいしょ、と勢いをつけて立ち上がる。
「ご飯にしよ、ご飯。今日は何作るの?」
『鶏の照り焼きと、ほうれん草のおひたし』
 へえ、美味しそう。
『に、しようと思ったが…。』
 どうしたのだろう。首を傾げれば、前を歩いていたユズがちらりとこちらに振り向いた。
『…今日は頑張ったみたいだから、味噌辛鶏と、ほうれん草の白和えにしてやる。』
「味噌辛?白和え?」
 普通に照り焼きとおひたしと何が違うのだろうか。
『味噌辛と白和えは、この間お前が貰ってきた瓶酒に合う。』
 …っ!!!!!
「さいっっつこう!!!ユズだいすき!!」
『うるさい…。』
「だって、だってさ、いやこんなん愛が溢れてしょうがないって!!」
 本当ならユズの事を抱きしめてから天高く掲げてぐるぐると回したいくらいなのに。
『…ほら、作るんだろ。』
 その場でわらわらと忙しないオレに、つっけんどんに声をかけてくるユズ。
 後ろからではわからないが、耳や頸はほんのり赤く染まって居て、多分顔も染まっている事だろう。
『…置いて行くぞ。』
 ニマニマとにやけていれば、ずんずんと先に進んでいくユズを慌てて追いかける。
「ありがとね、元気づけてくれて。」
『………。』
 返事は来なかったが、耳の赤さは増しているのがはっきり見えた。

『まず、デカい鍋に湯を沸かしてほうれん草を茹でる。』
「あ、洗ってたらほうれん草折れた。どうしよユズ。」
『そのまま茹でて問題ない。どうせ細かく切る。』
『茹でてる間に鶏の皮面だけ焦げ目をつけるまで焼いて、焼いてる間に調味料を混ぜる。』
「間にすること多くない?何やるか忘れそうなんだけど。」
『その都度言うから頑張れ。』

 時間はあっという間に過ぎ、もう夕食時にはいい時間。
「できたぁ!!」
『今日も縁側で飲むのか?』
「今日こそ縁側でしょお。」
 今日は応接間が綺麗ではあるが、こんな日こそ縁側で景色を見ながらがいいと思う。
 コオロギだか蝉だかの声が聞こえる夜の始まった時間。
 まだほんのり明るい空にはもう月が上がって居た。
「ふんふ~ん、ふふふ~ん。」
 鼻歌なんて歌いながら、お気に入りのグラスに酒を注ぐ。
 酒は武成のおっさんから今回の祭りの準備のお礼として貰ったものである。話によれば辛口ストレートな感じの酒らしい。あとめっちゃ美味いんだとか。
 期待に胸を膨らませながらも、まずは鶏の味噌辛をパクリ。
 うんうん、七味入れたけど味噌と合わさってまろやかさの中にピリピリ感がある感じ。美味しい。
 白和えは甘めの味付けで味噌辛とのハーモニーがやばい。一生聞いてられる。
 そしてお待ちかね、酒である。
 透明感の強い酒は覗き込めば自分の姿が見えて、ほんのりと鼻腔を匂いが掠めた。既に旨そうな予感。
 ごくり、辛口だと言っていた武成のおっさんを信じて喉で味わう為に勢いよく飲む。
 次の瞬間、鶏の味噌辛を食べたオレは、ふう、と息を吐いた。
「………ちょううめぇ……。」
 絞り出すような声が喉から湧き出る。
 ガツンとではないがしっかりと感じるピリピリとした刺激、それがとても心地よい酒だ。口から喉まで全てで味わいたい。
 もう飲んだ瞬間にわかった。これは鶏の味噌辛が合う。
 その証拠にもう箸とグラスが止まらない。
 美味すぎて逆に顔がシワシワに歪む。
「うめぇ、うめぇよ……。」
『くっ、ふふ、ふ、』
 前では愉快そうに笑うユズの姿。実に楽しそうと言うか、微笑ましそうにこちらを見てくる。
 その姿に自身の頬が酒のせいでは無い赤さに染まるのがわかった。
 
 オレはユズの事が恋愛的な意味で好きである。
 わかったのはつい最近、久し振りにべろべろに酔っ払った時、ユズに触れようと手を伸ばし、可愛いなどと宣ってしまった時である。
 随分と不毛な恋をする事になったと思う。
 しかし、数ヶ月しか一緒に居ないのにもう充分に絆されてしまっていて、胃袋まで掴まれているオレは、そこそこのダメ男であると自覚はしている。
 四六時中酒は飲んでいるし、風呂もだるければ入らない。散らかった部屋に何も気にせずに過ごせる程度にはズボラで、収入は不安定ではある。
 相手の為に何かを覚えたり、自分を変えたりなんてできる甲斐性も無いので、大事にできるかどうかなんて無理である。
 そもそもがあまり人間が好きでは無いのである。正確には人間と関わるのが、だが、どうも関わった後にこうしたら、ああしたらなんて思う時間が好きじゃ無い。
 一度だけ、ある女性に熱心に口説かれた事があった。
 その人は、オレの様なダメな男が好きらしく、口癖の様に言っていた。
「私ね、なんでもしてあげたいの。ご飯も洗濯も掃除も全部私がしたいからしてるの。」
 彼女は決まって言う。
「あなたが何もしなくても大好き。」
 何もしない大好き、の間違いだろう。
 きっとオレが家事なんてしてみろ、眉を顰めるに違いない。
 ダメ男が好きなのであって、オレが好きなわけでは無いのだ、あの人は。
 そんな事を考えている内は好きになれる筈がない。結局はオレが何も言わずに田舎に引っ込んだ事で関係は消滅だ。
 あの頃はあの人も周りも煩くて仕方がなかった。
「私みたいな都合のいい女はキープしておけばいいのに。」
 うるさい。オレはお前の思う様な屑男都合のいい男じゃない。
「あんなに一途なのに、お前応えてやれよ。あそこまでいい人中々居ないぞ?お前について来てくれる人なんてあの人くらいだろ?」
 別について来て欲しいなんて言ってない。オレは一人でも歩ける。
 肯定されるのも、否定されるのもきらいになった。
 苛ついて捻くれて、現実の恋なんてと考えた。
 だから、一人で非現実に没頭できる作家になった。
 ずっと独りで書いてた。
 
 でも、そんなオレでも惚れてしまった。
 オレが食べるところをじっと見つめるユズ。
 ユズは酒を飲むなと言わない。
 酒を好きなだけ飲んでいいよとも言わない。
 酒"ばっかり"飲むなって言う。
 料理も掃除もしてくれないけど、オレにはやれって言ってくる。
 そんなユズが、オレが旨そうに食べてると少し満足そうなのは最近わかった事。気づいた時には、得も言われぬ愛おしさで胸がキュンとしたものである。
 けれど、じっとこちらを見るユズの目にはオレが映らない。映ることはない。
 ユズがオレの事が好きとか嫌いとかは関係なく、幽霊だから。
 実体の無い瞳に、景色が反射することはないのだ。
 好きな人と見つめ合って気づいた事がそれだなんて、虚しいことこの上ない。
 まったく、自分でももう少し別の人間を好きになれなかったものかと思う。
 せめて、生きている内に会えたなら、オレはユズに告げられただろうか。
 

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