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第20話 My Bloody Valentine

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 ――1年前。

 サトシは警備員として、研究所に回されていた。異動して数週間経過した時のことである。サトシは一時的に、本社に戻っていた。

「セントウダ君。開発中の薬の被験者になるって? それ本気で言ってるの?」

 コウゾウは信じられないという顔をしている。

「治験のサンプルは、多いに越した事はないでしょう」
「君がいいっていうなら止めないけど……」

 研究所では、現在、とある薬を開発している。どんな薬なのかは、社内でも最高機密だ。詳細は、極一部の人間にしか知らされていない。

 サトシが本社に戻っていたのは、コウゾウに新薬の被験者になるための許可を得るためである。

「セントウダ君、君の考えは尊重するよ。でもね、俺は反対だよ。だって、君の身になんかあったとしよう。上司の俺が、責任取らされるんだよ」

「それは僕の一存です。会社だってわかってくれるでしょう」
「わかったよ。俺からはもう何も言わないよ」

 コウゾウはサトシの決意の固いのを見て取る。それ以上は、何も言えなかった。

『社員を――しかも、特殊総務部を――被験者にする』ことに、反対する研究員はいた。しかし、サトシが言うように「治験のサンプルは多いに越したことはない」という賛成意見の方が上回った。

 以後、研究所はサトシを被験者として、新薬の研究を進めていくことになる。


「お疲れ様です」
 サトシは、目の前の研究員に挨拶をした。歳は40代で、人当たりの良さそうな男である。研究員も、笑顔で挨拶を返す。

「調子はどうですか?」
 研究員は、サトシに体調を聞く。

「いつも通り、変わりはありません……研究の方はどうですか?」

「そうですか、ならよかった。研究の方、ですか。捗っておりますよ。セントウダさんのおかげです」

 研究員は自分の仕事に戻る。サトシは、彼の後ろ姿を見ていた。しばらくして、サトシも自分の仕事に戻った。

(なんで僕は、ユウジさんと話すとこんなにドキドキするんだ。小学生じゃあるまいし)

 サトシは研究所に来た時、そこでイチジョウ=ユウジと会った。

 ユウジはヒラの研究員だ。これといって秀でたところもない。特に、印象に残るような人物ではなかった。サトシにしたら、ただそこで働いてる自分より年上の研究員でしかない。

 あるときのことだ。ユウジが、他の研究員と楽しそうに談笑している様を見ていた。それを見て以降、サトシは、心が動くのを感じた。

(なんでユウジさんは、こんなドス黒いところで働いてるんだろうな)

 ユウジの笑顔は屈託がない。それは、ミドリ製薬というところには、あまりにも似つかわしくないものだった。

 何故、サトシはこう思ったか。というのも、特殊総務部という、ミドリ製薬の闇そのものに身を置いていたからである。

(ユウジさん……ここがどういう会社か、知らないで入ったんだろうな。かくいう僕もだけど)

 ミドリ製薬は、新進気鋭の製薬会社である。だがそれは、裏の顔が巧妙に隠されたものだった。
 もっとも、社長は戦中、満州で人体実験を行っていた部隊の残党の親戚だ。
 中には、そのことで社長を批判するものも、いないわけではなかったが。

(ああ、なんてものを開発してるんだ……)

 今開発中の薬は、とても世に出していいものではない。
 なにせ、人間をヴァンパイアに変えてしまうのだから。サトシは身をもって、それを体感した。

(僕は、ユウジさんを守れるんだろうか?)
 自分はとっくに闇の者だ。せめて、ユウジは守ろう。闇に取り込まれないように。

 サトシが被検体になったのは、ただそれだけのためだった。


***

 サトシは被験者となって、いく日か経った。実験は順調に進んでいる。

 ユウジが、研究所内の食堂にて、遅めの夕食を取っていたときのこと。その日は、サトシも食堂に来ていた。

「ユウジさん、ここ、いいですか?」
 サトシはユウジに声をかける。

「あぁ、いいですよ」
 ユウジは了承した。

「では、失礼します」
 サトシはユウジと向かい合わせの席につく。サトシは、卓に血液パックを出した。

「気を悪くしたら、申し訳ありません。ですが、一人で黙々と取るのも、それはそれでなんか嫌なもので……」

 サトシはユウジと一緒にいたかった。だからあえて、向かい合わせに座ったのだ。

 人が食事をしている所に、血液パックを出す。それは、気が引けるものだろう。

 サトシは、特殊総務部に配属される前は、営業部にいた。だからか、我を通す度量が備わっていたのだろうか。サトシはそんなことを考える。

「構いませんよ。僕も一人はちょっと寂しいな、って思っていたところですから」
「ありがとうございます」

(本当に、ユウジさんは優しいな)
 サトシは、ユウジの言葉を噛み締めていた。

「そういえば、イチジョウさん。以前は、お弁当持ってきてませんでした?」
「よくそんなこと覚えてますね」
「これが、仕事ですから」

 警備の仕事には、研究員の監視も含まれている。なので、研究員がなにを食べているのか、まで見ていたというわけだ。

(まぁ、なにを食べてるのか、まで見る必要ないけど)
 サトシは、公私混同しないように務めてはいた。それでも、隙あらばこんな風に、ユウジと話そうとしてしまうのである。

「持ってきてたお弁当ですけど。もしかして、愛妻弁当ですか?」
「愛妻弁当かー。ハハハ、息子の弁当のついでですよ」
 ユウジは照れ隠しか笑いながら話す。

(家族の話をしてる時が、いちばんいい顔するんだよな)

 サトシはこの笑顔が好きだった。でも、この笑顔はサトシに向けられたものではない。
 サトシにとっては、命に変えてでも守りたい存在であった。けれども、ユウジにとっては単なる仕事仲間である。

(別にそれでいいんだ。ユウジさんが幸せなら、僕はどうなっても構わない)
 サトシは自分に言い聞かせた。



 太陽が登らないうちに、サトシは自宅としている社員寮に帰った。

 玄関を開け、中に入る。単身者であるため、当然、室内は暗い。施錠はするものの、点灯はしなかった。ヴァンパイアになってからというもの、暗闇の中でも物を見ることができるからである。

(来週、バレンタインデーか)
 サトシは、スマホでカレンダーを見ていた。スマホのライトが、サトシの顔を照らす。

(チョコレートか、何がいいんだろうな……ヴァンパイアになったから、試食できなくなっちゃったし。元々、甘いの好きじゃないけど……)

 続いて、サトシは『バレンタインデー チョコ』で検索する。画面に次々と、煌びやかなチョコレートの画像が出てくる。

(別に、愛の告白したい訳じゃないし……ただユウジさんに感謝の意を伝えたいだけで……)

 バレンタインデーは、恋人、もしくは意中の人に愛を伝える日だ。そんな日に、既婚者にチョコレートをあげるというのは如何なものか。

 もし、ユウジが自分の気持ちに答えてくれたら――絶対、有り得ないことだ。
 それでも、もしかしたらと期待してしまう、そんな自分が嫌だった。

(なんで僕は、ユウジさんのことを好きになってしまったんだろうか)

 ユウジは同性だ。おまけに、既婚者だ。
 しかも、配偶者と不仲だという話は、ついぞ聞かない。いくら勇気を振り絞っても、サトシの願いは届きそうになかった。

(僕は、一条家にとって、邪魔な存在なんだよな……)
 それでも、チョコレート探しをやめることはできなかった。


「お疲れ様です」

 サトシはいつも通り、研究所に出勤する。ただ、今日はいつもと違い、緊張していた。
 鞄には、チョコレートの包みが入っていた。今日は、バレンタインデーなのである。

サトシは、ユウジと二人きりになれるタイミングを見計らっていた。

 スマホで調べたところ、仕事仲間に渡したい場合は外食に誘うのがよいとあった。

 とはいうが、勤務時間は夜だ。そもそも、サトシは夜間以外、外出できない。オマケに、血液以外の食物は受け入れられない身体になっていた。

 そのため、どうしても渡したいとなると、研究所内で渡すしかないからである。

 職務上、サトシはユウジの行動パターンを把握済みだ。二人きりになれるタイミングは、掴んでいる。

 確実に二人きりになれるところは、エレベーター内だ。
 ユウジがエレベーターを使うであろう時間帯を見て、近くで待機する。

 ユウジが現れ、エレベーターを操作した。

(よし、今だ)
 サトシは誰もいないことを確認する。タイミングを見計らい、ユウジと共にエレベーターに乗った。

「あの、いきなりで申し訳ありません。これ、ほんの気持ちです」

 サトシは、チョコレートを渡す。ユウジはチョコレートを受け取った。どこかのデパートで買ったのだろうか。包みからして、高級そうだ。
 ユウジは、困惑しているように見える。

「失礼しましたっ」
 エレベーターのドアが空いた瞬間、サトシは返事を待たず、外に出た。

(とうとう渡してしまった……)
 サトシの心臓は、早鐘を打っていた。

(一個1500円のブロガリのチョコだ。どう見ても義理じゃないよな……)

 サトシが渡したのは、時計が有名な高級ブランドのものだ。
 元々、甘いものが苦手である。チョコレートのこともあまりよく知らない。だからあえて、高級ブランドのものを選んだのである。

(ユウジさん、迷惑だろうな。でも、渡しちゃったんだからしょうがない)
 サトシは、気持ちを切り替えることに務めた。


***

 「セントウダさん、話があります」

 ユウジから話を切り出された。昨日のチョコレートの件だろうか。サトシは内心、穏やかではなかった。

「話ですか……今の時間帯、ここなら二人きりになれますよ」
「わかりました。それじゃあ、行きましょう」
 サトシはユウジを連れて、地下に向かった。


「で、話というのは……」

「セントウダさん、誠に申し訳ありませんでした」
 ユウジは深々と頭を下げる。

「やめてください。なんで頭を下げるんですか」
「セントウダさん、あなたの気持ちはよくわかりました。私がこんな研究をしたばっかりに……」

「なんで、イチジョウさんが謝るんですか。だいいち、被検体になろうと思ったのは、僕の一存です。後悔はしておりません。」

 ――そもそも、この研究は本社が決めたことだ。一介の研究員であるユウジには、どうしようもないだろう――。

 サトシの口から、こんな言葉が出かける。余計、自責感が強まるかもしれない。そんなことを考え、言葉を飲み込んだ。

「それに、僕が被検体になったことで研究が捗った。そう仰ってたではありませんか」

「ああ、だから間違ってたんです。人を犠牲にするような研究は間違っています……なので、決めました。内部告発します!」

「内部告発!? イチジョウさん、そんなことしたら、ただではすみませんよ」

 ここで行われている研究が明るみに出れば、ミドリ製薬はただではすまないだろう。
 もし内部告発しようものなら、ユウジは物理的に消される可能性さえある。

「内部告発なんてやめてください。もしかしたら、僕がイチジョウさんに手をかけることになるかもしれません」

 汚れ仕事を一手に引き受けるのが、特殊総務部だ。
 もし、ユウジを消すとなった場合、特総が駆り出される。その際、サトシが手を下す可能性は、充分に有り得ることだった。

「家族さえ無事なら、私はどうなっても構いません。

 ……私には、家族がいるんです!」

 サトシの中で、何かが切れた。サトシはユウジの首に手をかけた――。

 ――ユウジの身体は、床にできた血溜まりに転がっている。サトシは、ユウジの頭を手にしていた。

 その日から、サトシは、研究所の一室に閉じ込められることとなる。
 そして、ユウジの死は、事故として処理された。

「僕が殺したんだ! 僕がユウジさんを殺したんだー!!!」

 サトシは、あらん限りの声を張り上げた――。


***

 ――撃たれたジェイは、一階にある医務室で目を覚ます。

「ジェイさん!」
 ジェイの様子を見ていたカナは、歓喜の声をあげた。

「僕の、記憶を、勝手に、覗き見るな!」
 ジェイはガバッと身体を起こし、頭を抑えながら喚く。

『ようやく、正気に戻ったか。
 それと、別に好きで覗いた訳ではない。撃たれた時、勝手に流れてきたんだ』
「黙れ! 喋るな!」

「…ジェイさん?」
 ジェイの様子を見て、カナは当惑する。

「奴はもうジェイではない。セントウダ=サトシだ」
 傍らにいたウラトは、そう断言した。
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