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第17話 No More Tears

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 研究所を出発した車は、伊原邸に辿り着いた。乗せられたサトシは、深い眠りに落ちている。

「連れ出せたようだな」
 車を迎えるため、アサトが邸から出てきた。

「はい。思いの外、スムーズでした」
 レイハは、運転席から返事をする。

「とりあえず、奴を車から出そう。えっと……」
 アサトは、助手席に座っているカノコを見た。

「車から出すのを手伝えって言うんでしょ。りょーかいしました。
 ちなみに、『今は』リリーだよ」
 カノコ――リリーは、アサトに改めて名乗ったあと、車から出る。

 リリーは車から出たあと、アサトと共にサトシの入ったケースを、外に出す。周りにぶつけぬように、細心の注意を払いながら。
 そうして出し終わったケースを、邸の中に入れた。



 アサトとリリーは、運び出したケースを二階の空き部屋に置く。
 アサトが部屋を出ようとすると、リリーも後に従う。

「リリーはここにいてくれないか。もしかしたら『目を覚ます』かもしれないし」
 アサトがこう言うと、リリーはこう返す。

「大丈夫だよ。すっかり眠ってるよ。ちょっと目を離すくらいなら大丈夫でしょう。だから、アタシも一緒に行くよ」
「何を根拠に……」
「アタシの方がよく知ってるんだよ。さぁ、イハラのところに行こう」

 怪訝な顔をするアサトに構わず、リリーは強引に後について行く。
 そうして、二人はウラトの元に向かった。

「よくやったぞ、リリー」
 ウラトは、リリーの仕事ぶりを褒める。

「イハラって人を褒めることがあるんだね」
「無礼な口を聞くな!」
 アサトはリリーの態度を見て、声を荒らげた。

「ハハハ。いい仕事をしたら褒める、当たり前であろう? アサトもいちいちかっかするでない。
 それはそうと、セントウダ=サトシの様子はどうだ?」
 ウラトはアサトに尋ねる。

「未だ、深い眠りに落ちているようです。我々が別室に運びましたが、ピクリともしません」
「そうか」

「アタシ、起こせるよー」
 リリーは、ウラトとアサトの会話に割って入った。

「セントウダを起こすだと?」
 リリーの発言に対し、アサトはこう返す。
「うん」

「実際に起こせるのかどうかは、ひとまず置いておく。お前は、こんなことを言っていただろう、『セントウダは眠る前に大暴れした』と。
 奴が暴れたらどうする気だ。私たちは無事ではすまないぞ」

「んー、そこはアタシがなんとかするよ」
 アサトは懸念を表明するも、リリーはあっけらかんと答えた。


***

 ウラトとアサトとリリーの3名は、サトシが入っているケースを置いた部屋に入った。

「ケース、鍵かかってるんだ。アタシが開けるね」

 リリーはカードを取り出す。それを、カードの差し込み口に挿入した。ケースの蓋がゆっくりと開いていく。

 ケースの中には、目を閉じて横になっているサトシがいる。

「起こすと言ったな。どうやっておこ……」
「起きろー!」
 アサトが言い終わらないうちに、リリーはサトシの耳元で大声を出した。

 すると、サトシは目を開いた。目は開いたが、体は硬直しているかのように動かない。しばらくそうしていたが、突如、上半身を起こす。それから、大声で叫んだ。

「ああああああああぁぁぁ! あ、頭に虫がぁぁぁ! 誰か、誰か、取ってくれぇぇぇぇ!」

 サトシは、頭を掻きむしりながら、悲鳴をあげる。
 やにわに立ち上がり、壁の方に向かって走り出す。そして、狂ったように頭を打ち付けた。部屋に鈍い音が響く。

 ひとしきり打ち付けると、その場に崩れ落ちた。また眠りに落ちたようだ。

「どういうことだ……これは……」
 サトシの身に、何が起こったのだろうか。アサトは当惑した。

「ごめーん。起こし方間違えた」
 リリーは舌を出す。

「今度は、気をつけるね」
 リリーは、床に寝そべっているサトシの元に行く。再度、耳元で叫んだ。

「ジェイ、起きろー!」

 再び、サトシは飛び起きた。今度は冷静な様子を見せている。辺りの様子を見回すように、首を左右に動かす。

「ここは……?」
 サトシは、そばに居るリリーに尋ねた。

「ここは、伊原邸だよ」
「伊原邸か……どうして私は、ここにいるんだ?」

「それを説明すると、長くなるなぁ。後で、でいい? それより、あそこに立ってる二人が誰だかわかる?」
 リリーは、ウラトとアサトの方を指差した。

「ウラトと、アサトか?」

「待て。何故、貴様は初対面である我々の名前を言い当てた?」

 アサトは、サトシとは初対面だ。自分の名前を知っている筈がない。それなのに、言い当てたのだ。アサトが驚くのも無理はない。

「アサト、私は共に行動していただろう」

「何を言っているんだ……まさか……」
 アサトは、信じられないというような表情を浮かべた。

「アサト、奴は紛うことなきジェイだ。無表情なのに何処となく惚けた面を見ればわかる」

 アサトは『見ればわかる』と言われたが、どう見ても別人だ。ジェイだと言われても、到底信じられなかった。それが、主人の言だとしても。

「ここまで言わないとわからんか。ジェイの宿主がセントウダに変わったんだ。奴は、パラサイトだ」

 アサトは右手で顔を覆った。先程のウラトの言を信じられなかった――もとより、受け入れられなかった。

「余は、奴を無名経典で呼び出したのだぞ。存在自体が反則のようなものだ。そう考えたら、おかしくはなかろう。その正体が、理解の範疇を超えたものであったとしても」

「……ウラト様。では、ジェイ『だったもの』は、セントウダに吸収された。だが、ジェイの方は吸収されることなく、身体の中に残った……ということですか?」

「そういうことになろう。宿主の方は、人の姿を留めておったから、吸収された。ジェイが残ったのは、人と異なる生物故だろう」

 ウラトとアサトは話を続けていた。

 その傍らで、リリーは、袖を引っ張られたような感覚がした。引っ張られた方を見ると、ジェイが袖を掴んでいる。

「ところで、あなたは誰だ」
「アタシ? リリーだよ」
「リリーというのか。どこかで会ったような気がする」

「どこかで会った、ねぇ。カナのことは知ってるでしょ? アタシ、カナのパラサイトなの。あんたと同じよ……。
 えーと、あんた、カナのことを吸血した時、血をあげたでしょ。あの時、カナの中にアタシが入ったんじゃないかなぁ。よくわかんないけど」

「カナが宿主になってるのか。それにしても、雰囲気が違うような気がする」
「そうねぇ。アタシ、別な所に侵入してたの。顔とか背の高さとか、ちょっと変えてるのよ」

「カナはどうしたんだ」
「カナは大丈夫。今は寝てるだけ……ていうか、あたしは特別な用がない限り、引っ込んでるよ。今のジェイと同じだね」

「ジェイ! お前に聞きたいことがある」
 ジェイとリリーの会話に、ウラトが割り込んできた。

「お前、セントウダに何をしたんだ」
「私は何もしていない」
 ジェイは断言した。

「私は何もしていない。
 以前の宿主は、ジョハンというんだ。ジョハンが、サトシに血を吸われ、吸収された後、私はしばらく意識を失っていた。

 意識を取り戻したとき、私は、見慣れぬ所にいた。そこで、サトシに『ここは何処だ』と尋ねた。そうしたら、何故か急に暴れだしたんだ。
 このまま暴れてたら、収拾がつかなくなる。なので、やむなく眠らせることにした」

 ジェイの話を聞いたアサトは、しばらく固まっていた。

「大丈夫か?」
固まっているアサトを見て、ウラトは声をかけた。

「大丈夫です! ご心配をかけさせてしまいましたっ」
 アサトはどうにかして返事をした。取り繕うのがやっとだった。
「本当に大丈夫なのか? お前まで気が触れたらどうなる。それこそ収拾がつかない」

「私は何もしていない……」
 ジェイが、身体を震わせている。目から涙が溢れてきた。

「何だ、これは……」
 ジェイは手で涙を拭っていた。目から、涙が止めどなく流れる。

「そうだな。お前は何もしていない」
 ウラトはジェイの肩を叩いた。

「あー、もう。カナに戻っていい?」
 リリーは、ウラトに尋ねた。
「用は済んだからな。戻っていいぞ」

「じゃ、戻すよ、カナ」

 リリーは頭を垂れ、全身を脱力させた。
 それと同時に、リリーの背が縮む。顔つき、もあどけなさを残したものになる。
 しばらくして、頭を上げる。リリーはカナになった。

「ええと……イハラさんの隣にいる方は……」
「ジェイだ。色々あって、外見が変わっているが」
 カナの質問に、ウラトが答えた。

「……ジェイさん?」
 カナはリリーになっている時の記憶がない。だからか、状況が、いまいち飲み込めなかった。

 カナは肩を震わせている、ジェイの顔を見た。相変わらず、すすり泣いている。

「イハラさん、ジェイさんはなんで泣いているんですか?」

 カナの問いかけに対し、ウラトは神妙な面持ちを浮かべた。

「わからん」
「そうですか……」

 カナとウラトは、すすり泣くジェイのことを見守っている。寸刻後、カナは口を開いた。

「……イハラさん。ジェイさんは、何者なんですか?」
 カナの声は震えていた。

「奴は、人間を戦闘マシーンに変える、パラサイトだ。以前の宿主は、ジョハンというらしい。詳しいことは、よくわからん。
 わかっていることは、ジョハンは、人間だった。だがある日、謀略にかかり、ヴァンパイアになった。挙句――」

 ウラトは、観念したかのように、カナの質問に答えた。

「ジェイさん、『リリーは彼の妹だ』って言ってましたけど……」
「おそらく、『彼』とはジョハンのことだ」

「……イハラさん。知ってましたよね……?」
 ウラトは、カナを見た。カナは、わなわなと震えていた。

「ひどい!」
 カナは声を張り上げた。目から、血の涙が滲み出る。

「ひどい! よくこんなことさせましたね。ジェイさんと、ジョハンさんのことを知ってて!!」
 血の涙が、カナの頬を伝った。

「エリさんが大事なのは、よくわかりました!  エリさん以外は、どうでもいいことも!」

 カナは、激しい憤りを表す。ウラトは、ここまで憤っているカナを、見たことがなかった。

「来い、アサト」
 ウラトは、アサトを呼びつける。アサトと共に部屋を出た。
 そんなウラトの後ろ姿を、カナは睨みつけた。目に血の涙を浮かべながら。


***

「……笑ってくれ、アサト。今の余の、体たらくを」
「ウラト様……」
 アサトは答えに窮してしまう。

「よくわかってるじゃないか。たかが十数年しか生きてない、小娘の分際で」

 アサトは、何時になく項垂れている主人を見る。その姿を見て、かける言葉を失ってしまった。

「エリは、ジェイを使役することを望んでおらん。そんなこと、わかっておるわ……」

 ウラトは、力なく笑っていた。目には、血の涙が浮かんでいた。
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