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第二章 伊賀忍者 藤林疾風 戦国を行く

第六話 諸国行脚『甲斐の忍群』

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永禄3年 (1560年)6月中旬 甲斐甲府城下
藤林疾風


甲斐の武田家には、二つの忍び集団がある。
『三ツ者』と『歩き巫女』である。

 武田信玄は、甲賀者や信濃出自の甲斐では透波すっぱと呼ばれる忍びの者達を召し抱えていたが、天文17(1548)年に村上義清との『上田原の戦い』に敗れた際、透波を差配していた宿老の板垣信方、甘利虎泰らを失って、透波の組織を再編した。
 そして出家、町人、百姓などからも抜擢して、『三ツ者』と名付けた。
 名前の由来は、間見(間者)、見方(偵察)、目付(監視)の三職を担った者達の総称から来ている。

『歩き巫女』は、女性の忍び集団で、頭領は巫女頭の望月千代女という。
 千代女は、甲賀望月家の血筋で忍術を心得ていて「甲斐信濃巫女修練道場」を開いて『歩き巫女』を組織した。
 道場には、戦災孤児、捨て子、迷い子の中から、美しい女の子を買い取り、拾い、誘拐して集めたと言われている。

 巫女は神社の神職なので民から崇められる存在であり、関所の通行が許されたことから間者として活用された。
 巫女達は、白衣の装束に紺の風呂敷を背負って、白木の梓弓を携えて全国の祭りや市を流れ歩き、はらいみそぎを行って歩いた。


 駿河から富士川沿いの街道を経て、甲斐の城下に入る。城はなくて館だが。
 北条領も街道が整備されていたが、甲斐も伝馬制という早馬のための直線道路『棒道』があり道がいい。

「若旦那。甲斐も中々良い道ですが関所での詮議が、ずいぶん厳しいですね。
 それに日に何度も早馬が駆けて、いささか騒がしいですね。」

「戦でもあるんだろうよ。今川家が織田家に負けたからな。上杉家が動いているのかも知れん。」

「それにしても、道中、ずいぶんと歩き巫女様に会いましたね。甲斐には、巫女様の本山でもあるのでしょうか。」



「ちょいとっ、そこの若旦那っ。」

 見ると人の良さげな町人の格好をした小男が、声を掛けて来た。

「甲斐は初めですかい。あっしがご案内しやすよ。なに、ちょいとばかり心付けをいただけりゃいいんで。なにせ文無しなんでさぁ。
 助けると思ってお願いしやすよっ。」

「なぜ俺達なんだい。見てのとおり、俺達は商人で、あんたがいると商売のじゃまにしかならないと思うがね。」

「そんなこと言わないでくだせぇよ。甲斐に来たからには、善光寺。善光寺をお参りになってくださいましよっ。あっしがご案内しやすからっ。」

( 風体は町人崩れ。どこにもお調子者がいるものだな。せっかくだから乗ってやるか。)

「名前は、なんて言うんだ。」

「こりゃ失礼しやした。金次つうけちな野郎でござんす。」

「う~ん腹が減ったな。どこか一膳飯屋でもないか。案内してくれたら金次にも喰わしてやるぞ。」

「そうこなくっちゃ、七屋つう飯屋がありやす。ご案内いたしやすよ、こっちでやす。」

 七屋で昼飯を食べたが、白米はなく、あるのは『麦飯と蕎麦がき』だけで、甲斐の貧しさを痛感した。
 七屋を出て善光寺へ向かう途中で、ニ軒程商家に立寄って、鉄製の鋤や鍬の商談を持ち掛けたが、とても農民達が買う値ではないと纏まらなかった。やはり甲斐は貧しいのか。

 金次の案内で甲斐善光寺へ行く。甲斐の善光寺は信玄が戦災からご本尊を守るために、信濃の善光寺から移したものだ。
 元寺の信濃善光寺には広大な寺域があり、他にはない存在感があって寺院としては非常に珍しいが、どの宗派にも属していない。
 だが、甲斐の善光寺は浄土宗である。

 善光寺が高名なのは『絶対秘仏』と伝わる日本最古の本堂に祀られている阿弥陀如来像である。この時期、ご本尊は甲斐善光寺に移されていたのだ。



 善光寺の本堂をお参りした帰りの参道で、伴を連れた隻眼の武士とすれ違った。
 俺達は軽く会釈しながら通り過ぎようとしたが、その武士が金次に声を掛けて来た。

「金次ではないか。しばらく顔を見なんだが、どこぞへ行っておったのか。」

「これは、山本様。ちょいと駿河まで出向いておりやした。
 戦だっていうんでね、馬を仕入れて売って来やしたんですが、買ってくれたお侍様が、お討ち死になさっちまって、代金が半分しか受け取れなくて、酷い目に遭っちまいやしたよ。」

「いつもは、抜け目のないお前にしては抜かったの。ところで、連れのお人は旅の商人であるか。」

「へぇ、伊勢から見えられた商人さんでござんす。」

「ほう。良ければ今夜、儂の屋敷に来ぬか。旅の話が聞きたい、少しは物を買うてやっても良いぞ。」

「若旦那。こちらは武田様ご家中の山本勘助様にござんす。お聞きのとおりのお誘いですが、お受けしてもらえねぇでしょうか。
 山本様には、以前あっしがえらくお世話になったもんで。」

「これは。伊勢の商人 八兵衛と申します。
 大した話はできませぬが、商いの品をお買いくださるのであれば、願ってもないこと。
 お招きにあずからせていただきます。」

「そうか、楽しみにしておるぞっ。」



 
【 軍師 山本勘助 】

 武田信玄の軍師として有名な山本勘助は、三河の出で20を越えてから、10年余関東以西の諸国修行の旅を経て、武田家に仕官したと伝わる。
 その修行の成果は、戸石城攻防戦で村上の後詰めを50騎の騎馬隊で陽動し、武田軍惨敗の危機を救い、海津城など数々の城を築城し「山本勘助入道 道鬼流兵法」と呼ばれ、また、勘助の献策により甲斐の分国法「甲州法度之次第」が制定されている。

 第四次川中島の戦では『啄木鳥の戦法』での失敗の責めを負い、敵陣に向って討ち死にした。
 当て推量なことを「山勘やまかん」と言うが、山本勘助の名前が由来とされる説がある。





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