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第1部

不安定な心

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宮原は沢海が重ねて伝えてくる言葉を一瞬理解し難く、それでも伝えようとしている意味が分かると慌てて首を横に振る。

「ここ!部室だよっ!!
もう人が来るって!」
「ーーーそうだよ…
分かってる。
…分かって、云ってるよ」

熱情を孕んだ沢海の眸に宮原は気圧されてしまい、拒絶をする言葉が続かずに酷く驚愕してしまう。
耳元で囁く沢海の低い声音は宮原の身体を見えない鎖で緊く拘束し、抵抗する術を奪い取ってしまう。

真っ直ぐに自分を見詰めてくる沢海に宮原は一時も目を離す事が出来ず、目線を外す事さえ躊躇ってしまう。

「悠はオレのだって、オレだけのだって…
みんなに見せ付けてやりたい。
ーーーいいだろ?」
「……な、直哉……
で、でも・・・
……オレ……」

沢海の力強い腕の中に包まれる純粋な温かさに宮原はどうしたらいいのかも分からず、紅く色付く下唇を噛み締める。
そして、身勝手な我儘に激しく困窮し、再び口付けようとする沢海の胸を力無く押し返し、目に一杯の涙を浮かべる。

「…どうして、そんな・・・
意地悪、するんだよ…」

宮原は水が捌ける眸のまま沢海を睨み付けると、そのままゆっくりと視線を落とし、顔を横に背ける。
自棄が孕む溜息と共に身体を弛緩させ、目蓋を閉じると顳顬に溢れた涙が流れていく。

宮原の頬を静かに伝う一雫の涙を沢海は指先で払うと宮原は堪えるように背中に敷かれたジャケットを握り締めた。

沢海の指が前髪を梳くと眉根を寄せ、緊く目を閉じる宮原の顔を不躾に覗き込む。
拒絶される理由が分からずに優しく慰撫しても止まらない宮原の涙に沢海は困惑し、目蓋に指先を這わせた。

濡れる長い睫毛に次々と涙が重なり、鮮やかな黒曜石の眸を沢海に見せる事もなく、閉ざしてしまう。

「……触らな、いでよ……
…ヤダよ…
こんなの……ヤダ、よぉ…」

沢海は宮原の頬を汚す涙を柔らかい口唇で拭き、宮原の涙の理由を探す。

触れていたいから、触れたい。
ーーー好きだから、ただそれだけの言い訳を。
求めていたいから、求めたい。
ーーー好きだから、ただそれだけの言い訳を。
決して沢海の髪に絡ませる事のない宮原の指先がその意味を教えてくれる。

一方的で自己中心的な自分の感情なのだと分かっていても、飢える程の咽喉の乾きに似た衝動を抑える事が出来ない。

『宮原悠』という1ピースが存在するだけで自分の中にある空っぽの器が温かく満たされる感覚が分かるからこそ、その存在を求めていたい。
絡む視線が解けるまで、見詰めていたい。
身体が溶け合うまで、抱き締めていたい。
そして、火照る肌の熱を貪り、波打つ下肢を食い、陶然と身震いする程の圧倒的な悦楽を何度でも味わいたい。

不器用な純粋さは好餌を目の前にすると激切な性欲に変わり、心も身体も全て手に入れたいと細胞のひとつひとつが渇望してくる。
迸る激情に苛まれ、泥沼の快感に溺れ、堕落していく事がどれほどの甘美を教えてくれるのか。

「ーーー不安に、なるんだ…
…もっと…
もっと、オレの傍にいてよ…
・・・悠を、触ってたい…
悠を、感じていたい…
…悠が、ここにいるんだって、覚えていたいんだ…
キスだって…
…セックスだって…
全然、足りない…
全然、満たされてない…
もっと・・・もっと、したい…
ーーーもっと、悠が欲しいんだ…」

『欲しい』と直情的な沢海の言葉を吐露され、宮原は更に身体を拘縮させたまま、再び目頭を潤ませてしまう。

宮原の身体の奥底に眠っていた火種が燻り、チリチリとした熱い疼きを誘う。
歯止めを失った痩身が泥濘の肉欲に溺れ、深い爪痕を残して欲しいと口を開け、待ち望む。
芳醇な毒の香りに惑わされると恍惚感に掻き乱され、とろりとした酩酊に陥る。

沢海とのセックスは限りなく狂気を孕む行為として全身に擦り込まれ、一瞬で蕩ける快楽の坩堝に嵌まる。
『欲しい』と宮原自身の中にも存在している貪汚な感情が擡げる。

宮原は大きく息を吐き出すと枯れた咽喉から濁った悲鳴を上げる。

「……自分だけが不安だなんて…
なんで、そう思うんだよ。
ーーーオレだって…
凄く、不安だよ…
…でも…
直哉が好き……
直哉が大好き……
この気持ちがあるから、信じていられるんだ。
ーーー不安でも、信じているんだ…
なのに・・・なんで、直哉は信じてくれないんだよ!
どうして、オレを信じてくれないんだよ!
こんなの、イヤだよ!!」

すると突然、部室の扉がガチャリと開き、リュックを背負い、ノートパソコンを脇に抱えた藤本が入って来る。

「おはよう。
お前ら、早いな…って、あれ?
どうした?」

沢海は宮原を押し倒したまま、感情を伴わない憮然とした表情で藤本に視線を流し、嘯くように答える。

「ーーーあ、あぁ…
宮原の左足の具合を見てからテーピングしようかと思って、ね。
ーーー膝、曲げてみてよ」

理不尽な嘘を目の前で吐かれ、宮原は湧き上がる途方もない怒りに握り締めた手を震わせてしまう。
衝動的に覆い被さる沢海の身体を利き足で蹴飛ばし、無表情であるが故に端麗さの際立つ薄い頬を引っ叩く。

パンッ、と乾いた音が室内に響き、現状が全く読み込めない藤本が何事かと1人で周章ててしまう。

「ーーー馬鹿っ!
そこ、退けよっ!」

宮原は自分のリュックを胸に抱えるとロッカーの奥にあるトイレへ裸足で駆けていく。

取り残されてしまった沢海は僅かに赤い左頬を押さえ、大した痛みでもない筈なのに酷くひりつく感覚に茫然と佇んでしまう。
そして、意想外なこの状況を把握すると重怠く気が削がれる身体を支える事が出来ず、ズルズルと床の上に座り込む。

その一連の様子を見ていた藤本は沢海のあまりに情け無い形貌に盛大な溜息を吐き、ゆっくりと歩み寄る。

「ーーーおい、沢海。
あんまり、宮原を虐めんなよ。
…って、酷いツラしているな。
ご自慢のイケメンが台無しだ」

藤本の揶揄するような嫌味にも笑わず、沢海の表情が一気に暗澹な色彩を落としていく。

「…最悪…
ーーー宮原、泣かせた…」
「そうだな。
よく、分かってんじゃん。
…どうせ、お前の自業自得なんだろう?」
「ーーーあぁ、そうだよ…
オレが悪いって分かってる。
…でも、さ…
分かっていても、どうすればよかったんだよ?
どうしたらよかったんだよ?
…くそっ!」

歪んだ独占欲を剥き出しにした行為は宮原を執拗に束縛し、感情の領域を犯し、只管に追い詰めていく。
自分自身が宮原に対して異常な程の非妥協的な一線を引いているからこそ偏向した考え方を抑える事が出来ず、直情に走ってしまう。

ーーー離したくない。
自分だけを求める存在に変えてしまいたい。
ーーー離れたくない。
自分だけを求める存在に変えてしまいたい。

自分の中にある固執した感情が滾り、溢れ、そして薄汚れた醜悪な欲望だけが残り、宮原の心も身体も壊してしまう。
大切にしたいのに、大事にしたいのに腕の中で拒絶され、唾棄され、掻き乱されていく。
伝わらない感情は歪曲し、雑然と引き千切られ、単純な怒りが吐出する。

「…ったく、なんだよっ!
イラつく!」

早朝からの下らない喧嘩に藤本は頭を掻き、癪に障る鬱陶しさにジロリと沢海を睨み付ける。

「お互いに理由があるんだろうけど。
……お前が宮原を泣かせたのは事実なんだから、後でちゃんと謝っておけよ」

藤本は手にしていたノートパソコンで俯く沢海の後頭部をガツンと叩いた。
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