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第1部

声が聞こえる

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「ーーー7時か……
宮原、遅いな…」

沢海は蒼敬学園の正門前でしゃがみ込み、溜息と共に呟いた。

沢海の脇に聳える瀟洒な街灯が夕暮れに佇む沢海の足元をぼんやりと照らし始める。

顔を上げると既に東の空は僅かばかりの太陽の残影と濃紺色の夜空が広がり、暗闇が直ぐ近くにまで訪れようとしている。
アスファルトに映る影も闇夜に紛れ込むと配色の同化が進み、見分けがつきにくくなる。

花冷えも終わり、まだ春先を少し過ぎたばかりの季節は寒暖の差が激しく、日中の日差しの強さが消えてしまう程のひんやりとした風が、沢海の身体を擦り抜けていく。

沢海は蒼敬学園のネームが入ったチームバッグの中からピステを取り出すと、ジャージの上から羽織った。
一緒に持ち歩いていた宮原のチームバッグの中を勝手に確認してみると、折り畳まれたピステがまだそのままの状態で入っている。

「ーーー宮原……
風邪、引いちゃうだろ…」

トイレに行ったきり、10分、20分と時間だけが経過し、沢海は一向に戻って来ない宮原を気に掛けていた。

沢海は何度も、何度も自分のケータイを立ち上げ、現時刻とLIMEの着信とメッセージを確認する。

宮原の携帯を鳴らしてみても、直ぐに留守電に切り替わり、応答はなく、折り返しの着信も鳴らない。
LIMEを送ってみても一向に既読にはならず、未読のメッセージのみが画面に繋がっていくだけだ。

校門で待っていると伝えた筈なので、宮原に限って先に帰るという事は選択肢としては考えられない。

だが、何故かこの現状に酷く焦燥感が募り、訳もなく苛立ちを覚えてしまう。

自分でも抑えられない欲求に日々苛まれ、その衝動に駆られて過度な束縛を宮原に差し向けないように十分に気を付けている筈だ。

宮原の水を含んだ黒曜石のような瞳の中に沢海以外の存在を映さないように仕向け、その場所にしか
いられないのだと、苦しい嘘を吐きたくなる。
自分の中の外殻を破って直情のまま身体が動いてしまい、求める事も与える事も傷付ける事も失う事も、全てがこの中にあるのだと実感する。

『オレだけの大切な存在なのだと、もっと欲しがって、もっと感じて、もっと触れて。
ーーーオレだけを好きだと言って』

気持ちの余裕が消えたあからさまな嫉妬に似た感情に、沢海は苦笑いを漏らしてしまう。

「ーーーらくしないな……
宮原が関わると、本当、オレはダメだな…」

鳴らないケータイをもう一度確認すると沢海はLIMEを立ち上げ、チームキャプテンの藤本のアイコンをタップする。

数コールの後、直ぐに藤本と電話が繋がる。

「あ、藤本?……オレだけど…
そこに宮原、いる?」
『え?
ーーー宮原はお前と一緒に帰っているだろ?
今、部室にいるけど、こっちには戻ってきていないぞ』
「ーーーそうか……ありがとう」
『宮原に会ったら、お前に電話するように伝えておこうか?』
「あぁ。頼むよ」

通話ボタンを押すと沢海は自分自身を落ち着かせるように深い溜息を吐き、ケータイを握り締める。

「宮原、何処行ったんだよ…
ーーー電話に出ろよ…」

沢海が不意に視線を上げると宮原が向かった実習棟の校舎の渡り廊下を警備員が懐中電灯を照らしながら歩いており、実習室の施錠と廊下の消灯をしていた。
その様子を見て沢海は急いで校舎内に向かい、警備員に声を掛ける。

「すみません!
オレの後輩がトイレに行っていて、こっちに戻ってくる筈なんですけど…」

そう話をした瞬間、ガシャン!と何かが床に叩き付けられたような激しい物音がし、反射的に沢海は視線を動かした。

沢海は考える余地もない程、素早く体躯を反応させると自分の目の前の警備員を乱暴に押し除け、物音がした場所へ走っていく。
沢海の後方から警備員が何か声掛けをしていたようだったが、故意に無視をした。

渡り廊下に面して実習室と準備室が2部屋ずつ連なって並び、廊下の突き当たりを右折すると屋上まで続く階段とその階段の後ろにトイレがある。

建物の設計から丁度死角にもなる為に、授業中であれば講師や生徒の出入りもあるが、それ以外では殆ど人の出入りはない。
放課後を過ぎた時間帯では時折、屋外を利用する部活動の部員が利用をする程度が現状だ。

廊下の曲がり角で、沢海は歩いていた野球部のユニフォームを着た男と肩がぶつかりそうになり、男が声を荒げる。

「…あっぶねーなぁ」
「すみません!」

見知らない男の顔に沢海は会釈すると視線を合わせる事もなく過ぎ去り、急いで走っていく。

「ーーーソウミセンパイ、ねぇ…」

小声で呟く男の口角がニヤリと歪曲し、実習棟の渡り廊下を歩いていく。


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