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始の太刀 天命の魔剣

第9話 親戚のお兄様

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「――それまで!」

 審判役のヴィオラが腕を上げた。勝負ありだ。

 ローザリッタと師範代は所定の位置まで戻ると、もう一度深々と頭を下げる。

「……お見事でございます、お嬢様。お館様と手合わせした時は、さながら巌のような威圧感を覚えたものでございますが、お嬢様も腕前もまた遜色ございません」

 師範代――カイルが複雑そうな顔をしながら賛辞を送った。

 無理もないことだった。いくら王国最強の血を引くとはいえ、自分と一回り近い年下の小娘に、ああも見事にやられてしまえば、己の非才を嘆きたくもなる。

「いえ、紙一重でした。それに、師範代は午前の稽古を終えられたばかりですし」
「剣士たるもの常在戦場。いかなる状況においても技量を十全に発揮できなくては意味がありません。自分の完敗です」

 カイルの謙虚な物言いに、ローザリッタは思わず笑みがこぼれた。彼の控えめで、節度のある態度は昔から好感が持てる。わたしも負けてはいられない。そう身が引き締まる思いだ。

「それにしても、珍しいですね。師範代のほうから手合わせを申し込んでくるなんて」
「奥義の伝授以来、なかなか道場にお顔を見せに来られていないので。あれから、お嬢様がどれくらい成長されたのか確かめようと思いまして」

 奥義を授かった以上、ローザリッタの技は未熟な門弟たちには見せられず、稽古場を同じくすることはできない。そのため、近頃は森の中での鍛錬がほとんどで、道場に足を運ぶ頻度は確かに少なくなった。一般的な対人形式の試合稽古の回数も激減している。

 対人戦闘も視野に入れているのがベルイマン派だが、それでもエリム古流はあくまで〈神〉を倒すための流派。その神髄を極めようと思えば、どうしてもそうなってしまう。

「偉そうに言っているけど、一本取られたのはお前のほうだからな」
「確かに」

 ヴィオラの突っ込みに、カイルが苦笑を浮かべた。

 今やローザリッタを指導できる人物はほとんどいない。先ほどの試合の結果が物語るように、腕前だけで言えば師範代級の剣士でも手に余るのだ。無論、試合の実力と流派の伝位は必ずしも比例しないものであるが、もはや教えることは何もないといった状態である。

「負けているからこそ見える尺度というものがあります。最後に手合わせした時は惜敗でした。それが、今回は完敗。……更にお強くなられましたな」
「ありがとうございます」

 カイルの惜しみない称賛を、ローザリッタは謹んで受け取る。
 しかし、その表情はどこかぱっとしない。微笑みの奥に、わずかに隠れた感情がある。カイルはそれを見逃さなかった。

「じゃあ、せっかくだし、あたしとも一太刀やろうぜ。あたしとやるのも久しぶりだろ」

 うきうきしながら侍女服の袖を捲り上げるヴィオラを、カイルは制する。

「ヴィオラには近侍としての務めがあるじゃないか。もし、怪我をしたら困るだろう?」
「あたしがお前に負けるとでも?」
「そういう可能性もあるってことだよ」
「ほーん。言ってくれるじゃねぇか。後輩のあたしに先を越されたくせによ」

 言葉の端々に棘があるものの、カイルに気分を害した様子は感じられない。むしろ、勝気な態度を楽しんでいる風でもある。

 というのも、この二人はエリム古流の門下生馴染み。共に剣の腕を競い合って青春時代を過ごした間柄なのである。

「それは認めるよ。あの頃のヴィオラは本当に天才的だった。同期で勝てる奴は、本気で誰もいなかったからな。……でも、いまはどうかな?」

 先に奥義の伝授を受けたのはヴィオラが先であるが、その後、本格的に近侍としてローザリッタに仕えるようになったため、探求という意味では剣から距離を置いている。

 それに比べてカイルは、奥義の伝授こそヴィオラの後塵を拝したものの、現役で腕を磨き続け、多忙なマルクスに代わって門下生を指導する師範代を務めている立場だ。カイルの言う通り、どちらが強いのかは現時点では判断できないだろう。

「お嬢様の側仕えであることを忘れてはいけないよ。君以外に務まらないんだからな」
「……むう」

 言っていることは事実なのだろうが、どうにもヴィオラは気に食わない顔をしている。まるで、自分より背が低かった弟が、成長期に入って自分を見下ろしてくるようになった。そんな生意気さを感じているのかもしれない。

 ヴィオラの半眼をさらりと躱し、カイルはローザリッタに視線を戻した。

「ところでお嬢様。何やらお館様と勝負をされているようですね」

 カイルの言葉に、ローザリッタが驚きに目を見開く。

「もう、ご存知でしたか」
「はい。今朝、お館様よりお聞きしました。灯篭斬りに挑まれているとか。……いかがでしたか?」
「いかがもなにも……成功していたら、もう屋敷にはいませんし、手合わせもしていませんよ」

 ローザリッタが肩を落とし、重苦しい溜め息を吐いた。目に見えて落胆している。

 ヴィオラと湯浴みを済ませた後、ローザリッタは真剣を引っ提げて中庭の石灯篭と対峙した。

 疲れは取れ、願掛けも済み、愛刀もしっかり寝刃を合わせている。おおよそ最高といえる状態で、ローザリッタは事前に当たりをつけていた対甲殻生物用の奥義――〈殻断ち〉を石灯篭に向けて放った。

 しかし――

「こうなりました」

 ローザリッタはヴィオラに目配せすると、ローザリッタの愛刀を師範代に差し出した。

 カイルは差し出された黒鞘を恭しく受け取り、刀身を抜き放つ。

 官能的とさえ思える優美な曲線を備えた刀だったが――物打ものうちが大きく欠け、刃をすっかり潰してしまっている。

「……これは酷い」

 カイルはまるで惨殺死体でも見てしまったかのように顔をしかめた。

 刀において最も硬い部分は刃である。
 ベルイマン派において、相手の斬撃に対しては『受けるより躱せ。やむを得ず受けなければならない時は刃で受けろ』と指導される。

 刀という武器は構造上な問題で、峰や側面は衝撃に対して脆弱性があり、そこで受け太刀してしまうと、あっさり折れてしまうことがあるからだ。そんなことをすれば刃が潰れるのではないかと考えてしまいがちだが、実際には刃で受けたほうが刀身の損傷を最も抑えることができるのである。

 その刃の中でも最も硬質な物打処を、ここまで潰すほどの一太刀。

 繰り出したローザリッタの技と力と、そして気迫の凄まじさを物語っている。折れ飛ばなかったのは、ひとえにこの刀が名刀だからだろう。

「確か、お嬢様の刀はシュミットの作でしたな。この街一番の」
「はい。真剣稽古が許された歳に、父が特別に依頼して打って下さいました」
「彼の刀匠も、この有様を見れば悲鳴を上げたくなるでしょうな。……遣ったのは〈殻断ち〉ですな?」

 灯篭斬りという試練、そして、刀の状態から、ローザリッタが何を使ったのかカイルは一目で看破した。さすがは師範代を務めているだけはある。

「はい。ですが、どうやら、〈殻断ち〉ではなかったようです」

 頷きながら、ローザリッタは悔しそうに唇を噛んだ。

 実際に試してみて、よくわかった。

 マルクスの一太刀は、エリム古流のどの技にも該当しない。おそらく、彼が独自に編み出した技。単純な腕力でないことは理解できるが、果たして、どういう原理でどう作用したのか、さっぱりわからない。

「道具でしょうか……とはいえ、お父様が使っていたのも普段使いの刀だから、そこまで性能に差があるとは思えないんですよね」
「そもそも、刀ってそういう道具じゃねぇし。やっぱり技なんだろうよ。〈空渡り〉からの落下速度を味方につけて上から斬るとかは?」
「お父様はただの上段でしたし、仮にそれでいくとしても、わたしにはそこまで重さが……」

 ああでもない、こうでもないとヴィオラと考察を繰り返すローザリッタの姿にカイルは苦笑した。難問を前にして、目の前の少女はまったく諦めた様子がない。

(……この娘は、いつもそうだったな)

 カイルは昔の出来事を思い出す。

 若くして師範代を務めるようになったカイルが、最初に受け持った門弟が当時八歳のローザリッタだった。

 カイルはかねてよりローザリッタと面識がある。彼はマルクスの従弟いとこの息子一人で、ローザリッタにとってはに当たる親族だ。年に数回ある親族集会でしばしば顔を合わせており、歳が近い――あくまで周囲が年配過ぎるだけだが――こともあってか『親戚のお兄様』と呼ばれ、慕われていた。

 カイル自身もローザリッタのことをそんな歳の離れた妹のように思っていたが、いざ稽古が始まると、彼は師範代として厳しく対応した。

 伯爵家の血族とはいえ、傍系に過ぎない自分が家のためにできることは剣術しかないと考えている彼は、人生の大半をそれ一本に打ち込んできた。剣術こそは自分の誉。だからこそ、たとえ本家の娘が相手であっても、ご機嫌取りで手を抜くような真似はしたくない。

 いよいよ嫌われるかもしれないなと思ったが、そんな心配とは裏腹に、ローザリッタはどこまでもついてきた。どんなきつい稽古や試練を与えても、彼女は決して逃げ出さず、歯を食いしばりながら、やり遂げるまで何度も挑戦した。

 そうやって過ごしていく中で、彼に対するローザリッタの呼び方が、いつの間にか『親戚のお兄様』から『師範代』へと変わっていった。それは次期当主としての自覚が芽生えてきたことの表れかもしれない。

 兄ではなく師として見るようになったことは若干の寂しさはあったが、弟子が成長していく様はとても嬉しく、彼はますます力を入れて指導するようになった。

 そして――追い抜かれた。
 自分が十年以上かけた道のりをたった八年で駆け上がり、もう手の届かない場所まで走り抜けていった。

(なんと可能性に満ちた少女であることか。だが、そんな彼女が今まさに、人生で最大の難関に道を阻まれようとしている……某は師として、兄として、どうすればいい?)

 意を決したように、やいのやいの言い合う二人の間にカイルは口を開いた。

「……やはり、結婚は不服ですか?」

 カイルは丁寧に納刀すると、受け取った時と同様に恭しく持ち主に返した。

「是が非でも灯篭斬りを果たしたい。そういう気迫が伝わってきたす。言い換えれば、それだけ結婚するのがお嫌なのかと」
「いえ、別に結婚そのものは否定しませんよ。この家の跡取りですから。子供も産まなきゃなりませんし。……ただ、自分の中で、結婚する時は今ではないというだけです」

 ローザリッタは受け取った鞘をぎゅっと握りしめる。

「わたしはもっと強くなりたいし、実戦を経験すれば、もっともっと強くなれると思います。でも、結婚して子供を産んでしまったら、きっと今のように集中して鍛えることはできなくなるでしょう。武者修行は若い今じゃなきゃ、できないことなんです」

 伯爵家の跡取りとして生を受け、女ながらに爵位を継承し、子を産むことを義務付けられた少女。そんなローザリッタが自分の意志で、自分のやりたいことに取り組める時間は――驚くほど少ない。

 修行の旅など義務を果たした後でもいいじゃないかと、他人は言うだろう。

 だが、まだ若いからこそ飛躍的な進歩を望めるのだ。技術は時間をかけて磨くことができても、経験による成長は若いうちにしかできない。役目を果たし終える頃には、剣士としての成長期はとうに過ぎ去っている。育ち盛りを過ぎてから栄養を取っても背丈が伸びないように、この機会を逃せば――いくら伸びしろがあったとしても、剣士としてのローザリッタはきっとここまでだ。

「だから……結婚は武者修行の後で考えたいですね」

 そう言って、ローザリッタは困ったような笑みを浮かべた。
 叶えたい理想と果たすべき現実の狭間で苦しむ、思春期の少女ならではの懊悩おうのうが滲む。

「……左様ですか」

 カイルは決して、その言葉を否定しなかった。真剣な表情で頷く。

「先程、お館様から事情を聞いたと言いましたね。実は、その時にお館様から言われたのです。灯篭斬りを果たせなければ、お嬢様の元服と同時に婚姻の儀を執り行う。そして――」

 カイルはいったん言葉を区切った。

「――それがしがお嬢様の婿になるように、と仰せつかりました」

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