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始の太刀 天命の魔剣
第8話 試合稽古
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エリム古流は、この世界における最古の剣術と評した。
天駆ける〈神〉を討伐するための、空を渡る剣法だと。
では、通常の剣術、つまりは対人戦が不得手かと言うと――それは否である。
むしろその逆で、奥義の一つである〈空渡り〉を習得するまでに積み重ねていく稽古で得られる成果は、対人戦においても有効に作用する。
上背がある、筋力があるといった身体的な素質だけで勝ち抜けるほど、武術の世界は甘くはない。エリム古流に術理の優位性や合理性がなければ、マルクスが王国最強の座に君臨することはなかっただろう。
ならば、エリム古流における対人剣術としての術理とは何か?
それを語るには、そもそも人間が『跳ぶ』とは、どういうことかなのかを考察しなければならない。
結論から言えば、跳躍とは『全身運動』である。
反動をつけるための腕を動かす三角筋や大胸筋。
空中で姿勢を安定させるための腹筋や背筋。
最も高い力を生み出す大腿筋。
発生した力を伝達するための大臀筋、腸腰筋。
地面を強く蹴り上げるための前脛骨筋、長趾伸筋、下腿三頭筋。
――等々、全身を隈なく網羅する筋肉を、余すことなく連鎖的に伸縮させて推進力に変換することで、初めて人間は『跳ぶ』ことができるのである。決して脚の力だけで跳んでいるわけではないのだ。
それを踏まえた上で、より高く跳ぶことを欲するのならば――普段は意識しない深層部の筋繊維さえも完全に掌握し、なおかつ、自在に動かすことができるようになることが必要である。
言い換えれば、それは『己の肉体を、己の思考通りに動かす』ということに他ならない。
言葉にするのは簡単だが、これが意外なほど難しい。
そもそも、人間は自分の肉体を思い通りに動かせていない。誰しも人生で一度くらいは、箪笥の角で小指をぶつける、という経験をしたことがあるだろう。あれは、脳が小指の位置を正しく認識していないからこそ起こる痛ましい事故だ。
身体には固有感覚が備わっており、どこの部位がどうのように動いているか脳が把握している。しかし、これは絶対的なものではなく、日常的な身体の使い方で徐々に誤差が生じていく。
例えば、足の親指などは、走ったり、踏ん張ったりと日常的に動かす部位である。それと比べて、小指はよほど意識しない限り動かすことはない。そうやって小指を使わないでいると、脳が小指があることをを忘れてしまい、ふとした時にぶつけてしまうという――というわけだ。
己の思考通りに動かせていない肉体を、それでも己の思考通りに動かすためには――ただひらすら『型』を反復するしかない。この地道な反復動作を経ずして、真の固有感覚は養われないのである。
そうして、全身の筋肉を完全に支配下に置くことで、初めて型稽古が持つ本来の意味である『動作の最適化』――すなわち、動作の無駄を極限まで削り落とし、最小の労力で最大の速度と威力を引き出す身体操作性を会得する。ここまでして、ようやく空を渡る下準備ができたと言えるだろう。
こうした効率的な身体運用の習得は、他の武術流派にも共通する根底の考え方だ。
倒すべき相手が人間か、それとも〈神〉と謳われた野生の獣か。その流派の思想が違うだけで、考えていること、やっていることはだいたい同じなのである。それがエリム古流が、対人戦が不得手ではないという答えに繋がるのである。
……ただし、その養い方は独特の一言に尽きた。
エリム古流ベルイマン派の稽古は、一般でよく見かけるような広々とした道場ではなく、あえて障害物の多い場所で行う。
実際に奥義を継承した者たちが駆け巡る裏手の森もそうであるし、未熟な門下生たちが基礎を身に着けるために集う道場もまた然り。
道場の間取りは四方三間。
木刀を持って二人が対峙した状態では、一歩でも間合いを測り損なえば、すぐに相手や壁にぶつかり合ってしまうほどの狭さだ。
だからこそ、打ち合う中で最少、最短、最速の体捌きが自然と養われていく。
紙一重の距離を制するほどの緻密な身体操作を獲得するには、むしろ広々とした空間は不要なのである。
その狭い道場の一室で、道着姿のローザリッタとまだ年若い師範代が一間の距離を開け、膝をついて向かい合っていた。
さすがのローザリッタも稽古中はしっかりとした身だしなみをしている。
丁寧に櫛で梳かれ、邪魔にならないように馬の尾のように結わえられた金髪。
禊をしてさっぱりとした肌。ぱりっと糊の利いた清潔な道着。どうしても男臭くなりがちな道場において、静かに呼吸を整えながら座す彼女の姿は一輪の薔薇のように可憐だ。
もっとも、その艶姿に目を奪われるような未熟な門下生は道場にはいなかった。この場に居合わせているのはローザリッタと師範代、そして、審判を任されたヴィオラの三人だけである。
二人は一礼を交わすと、脇に置いた木刀を取って立ち上がた。
双方、正眼の構えで合図を待つ。
「然らば始め!」
ヴィオラが声を張り上げて告げると、二人は同時に一歩下がり――双方、甲冑式の上段に構える。
肩に担ぐようなその姿勢から遠心力を利用して振り下ろす巻き打ちは、狭い空間でも十分に威力を乗せることができるエリム古流特有のものだ。
そして、立ち合いでそれを選択する意図は明白。――即ち、一撃必殺。
お互いに摺り足でじわりじわりと距離を詰め、間合いを測っていく。
両者とも肩を一切揺らさない。ローザリッタはもとより、対手である師範代もその肩書に違わず並々ならぬ遣い手であることを窺わせた。
距離が近まるにつれ、次第に二人を取り巻く空気が緊迫していく。用いているのは練習用の木刀だが、両者の気迫は真剣そのものだ。
刻々と二人の距離は縮まり、先に師範代の間合いとなった。
男である師範代と比べて、女――それもまだ発展の余地を残す少女のローザリッタはどうしても体格面で劣り、そこから生じる差はそのまま射程の不利に直結する。
しかし、一方的に攻撃を仕掛けられる位置取りであるにも関わらず、師範代は攻撃を仕掛けなかった。
優越距離とはいえ、攻勢に転じるには踏み込まなければならない。それはつまり、相手の間合いに飛び込むということでもある。エリム古流は肉体の合理を極限まで追求した剣術。この程度の射程の有利は、相手の剣速で覆されることも十分あり得た。
何より、仕掛けるということは剣筋が定まるということでもある。後の先という言葉があるように、仕掛ける時機さえ捉えることができたのなら、後手に回っていても技術で挽回することは可能なのだ。
――例えば、〈切り落とし〉という技がある。
対敵の上段に対し正対称の上段で合わせ、迎え撃った相手の刀の鎬を利用して脇へと逸らし、自分の打ち込みのみを有効にする攻防一体の絶技。
師範代が優越距離にありながら攻撃を仕掛けないのは、その技を警戒しているからだった。
とはいえ、ローザリッタからすれば、相手とって有利な距離を保ち続ける利点は何一つない。彼女は自分の間合いまで距離を詰めるしか選択がなく、それを冷静に待てる分、心理的な優位性は依然として師範代にある。
距離が更に縮まり、相撃の間に到達する。
(――ここまでだ。ここからだ)
ローザリッタは内心で呟く。
あと一歩踏み込めば完全にローザリッタの斬り間になり、同時に師範代の間合いを殺すことができる。円運動は中心に近いほど威力が減じるが道理。今度は男性ゆえの射程の長さが仇になるのだ。
無論のこと、それは師範代も承知している。
相手をやすやすと懐へ入れる愚など犯すはずもない。下手にローザリッタが踏み込めば、その動き出しを抑えるつもりだ。
加えて太刀取りは最速の上段。躱すことも、受けることも困難である。
とはいえ、それは相手も同じこと。
師範代が距離の利を取り戻そうと下がれば、即座にローザリッタが振り下ろす。
両者、拮抗状態だ。
ローザリッタの両眼は、師範代の動きを遠くに近くに捉え続ける。
観の目付け、または遠山の目付けとも呼ばれる、全体像を広く見渡す草食動物的な周辺視野だ。一点を凝視する中心視よりも感覚、知覚に優れているため外敵の接近をいち早く察知できるとされる。
エリム古流ベルイマン派においては、それを〈陽の目付け〉と呼ぶ。
肉体の働きを陽、精神の働きを陰と大別し、行動を起こす時はそのいずれかに兆しが現れるとされる。膠着状態に陥った二人は、己の予兆を消し去ることに努め、相手の手の内を見抜くことに全神経を集中していた。
ここからは精神力の戦いだ。
先に仕掛けたくなる衝動を必死に抑え込み、機を窺う。窺い続ける。
長い静寂の後、ふと、拮抗が崩れた。
――ローザリッタの重心が半歩下がったのだ。
当人の意図とは関係なく、勝手に取り戻される優越距離。
絶好の勝機が目前にぶら下げられ、師範代の肉体が本能的に懸かろうとする。
――釣られた!
――釣れた!
甲高い音を立て、二つの剣閃が交差した。
絶技が炸裂する。
鎬によって軌道が歪められた師範代の切っ先は、ローザリッタの肩口をかすめて空を切り、逆に彼女の切っ先は彼の右手首を捉え――触れる寸前、ぴたりと止まった。
天駆ける〈神〉を討伐するための、空を渡る剣法だと。
では、通常の剣術、つまりは対人戦が不得手かと言うと――それは否である。
むしろその逆で、奥義の一つである〈空渡り〉を習得するまでに積み重ねていく稽古で得られる成果は、対人戦においても有効に作用する。
上背がある、筋力があるといった身体的な素質だけで勝ち抜けるほど、武術の世界は甘くはない。エリム古流に術理の優位性や合理性がなければ、マルクスが王国最強の座に君臨することはなかっただろう。
ならば、エリム古流における対人剣術としての術理とは何か?
それを語るには、そもそも人間が『跳ぶ』とは、どういうことかなのかを考察しなければならない。
結論から言えば、跳躍とは『全身運動』である。
反動をつけるための腕を動かす三角筋や大胸筋。
空中で姿勢を安定させるための腹筋や背筋。
最も高い力を生み出す大腿筋。
発生した力を伝達するための大臀筋、腸腰筋。
地面を強く蹴り上げるための前脛骨筋、長趾伸筋、下腿三頭筋。
――等々、全身を隈なく網羅する筋肉を、余すことなく連鎖的に伸縮させて推進力に変換することで、初めて人間は『跳ぶ』ことができるのである。決して脚の力だけで跳んでいるわけではないのだ。
それを踏まえた上で、より高く跳ぶことを欲するのならば――普段は意識しない深層部の筋繊維さえも完全に掌握し、なおかつ、自在に動かすことができるようになることが必要である。
言い換えれば、それは『己の肉体を、己の思考通りに動かす』ということに他ならない。
言葉にするのは簡単だが、これが意外なほど難しい。
そもそも、人間は自分の肉体を思い通りに動かせていない。誰しも人生で一度くらいは、箪笥の角で小指をぶつける、という経験をしたことがあるだろう。あれは、脳が小指の位置を正しく認識していないからこそ起こる痛ましい事故だ。
身体には固有感覚が備わっており、どこの部位がどうのように動いているか脳が把握している。しかし、これは絶対的なものではなく、日常的な身体の使い方で徐々に誤差が生じていく。
例えば、足の親指などは、走ったり、踏ん張ったりと日常的に動かす部位である。それと比べて、小指はよほど意識しない限り動かすことはない。そうやって小指を使わないでいると、脳が小指があることをを忘れてしまい、ふとした時にぶつけてしまうという――というわけだ。
己の思考通りに動かせていない肉体を、それでも己の思考通りに動かすためには――ただひらすら『型』を反復するしかない。この地道な反復動作を経ずして、真の固有感覚は養われないのである。
そうして、全身の筋肉を完全に支配下に置くことで、初めて型稽古が持つ本来の意味である『動作の最適化』――すなわち、動作の無駄を極限まで削り落とし、最小の労力で最大の速度と威力を引き出す身体操作性を会得する。ここまでして、ようやく空を渡る下準備ができたと言えるだろう。
こうした効率的な身体運用の習得は、他の武術流派にも共通する根底の考え方だ。
倒すべき相手が人間か、それとも〈神〉と謳われた野生の獣か。その流派の思想が違うだけで、考えていること、やっていることはだいたい同じなのである。それがエリム古流が、対人戦が不得手ではないという答えに繋がるのである。
……ただし、その養い方は独特の一言に尽きた。
エリム古流ベルイマン派の稽古は、一般でよく見かけるような広々とした道場ではなく、あえて障害物の多い場所で行う。
実際に奥義を継承した者たちが駆け巡る裏手の森もそうであるし、未熟な門下生たちが基礎を身に着けるために集う道場もまた然り。
道場の間取りは四方三間。
木刀を持って二人が対峙した状態では、一歩でも間合いを測り損なえば、すぐに相手や壁にぶつかり合ってしまうほどの狭さだ。
だからこそ、打ち合う中で最少、最短、最速の体捌きが自然と養われていく。
紙一重の距離を制するほどの緻密な身体操作を獲得するには、むしろ広々とした空間は不要なのである。
その狭い道場の一室で、道着姿のローザリッタとまだ年若い師範代が一間の距離を開け、膝をついて向かい合っていた。
さすがのローザリッタも稽古中はしっかりとした身だしなみをしている。
丁寧に櫛で梳かれ、邪魔にならないように馬の尾のように結わえられた金髪。
禊をしてさっぱりとした肌。ぱりっと糊の利いた清潔な道着。どうしても男臭くなりがちな道場において、静かに呼吸を整えながら座す彼女の姿は一輪の薔薇のように可憐だ。
もっとも、その艶姿に目を奪われるような未熟な門下生は道場にはいなかった。この場に居合わせているのはローザリッタと師範代、そして、審判を任されたヴィオラの三人だけである。
二人は一礼を交わすと、脇に置いた木刀を取って立ち上がた。
双方、正眼の構えで合図を待つ。
「然らば始め!」
ヴィオラが声を張り上げて告げると、二人は同時に一歩下がり――双方、甲冑式の上段に構える。
肩に担ぐようなその姿勢から遠心力を利用して振り下ろす巻き打ちは、狭い空間でも十分に威力を乗せることができるエリム古流特有のものだ。
そして、立ち合いでそれを選択する意図は明白。――即ち、一撃必殺。
お互いに摺り足でじわりじわりと距離を詰め、間合いを測っていく。
両者とも肩を一切揺らさない。ローザリッタはもとより、対手である師範代もその肩書に違わず並々ならぬ遣い手であることを窺わせた。
距離が近まるにつれ、次第に二人を取り巻く空気が緊迫していく。用いているのは練習用の木刀だが、両者の気迫は真剣そのものだ。
刻々と二人の距離は縮まり、先に師範代の間合いとなった。
男である師範代と比べて、女――それもまだ発展の余地を残す少女のローザリッタはどうしても体格面で劣り、そこから生じる差はそのまま射程の不利に直結する。
しかし、一方的に攻撃を仕掛けられる位置取りであるにも関わらず、師範代は攻撃を仕掛けなかった。
優越距離とはいえ、攻勢に転じるには踏み込まなければならない。それはつまり、相手の間合いに飛び込むということでもある。エリム古流は肉体の合理を極限まで追求した剣術。この程度の射程の有利は、相手の剣速で覆されることも十分あり得た。
何より、仕掛けるということは剣筋が定まるということでもある。後の先という言葉があるように、仕掛ける時機さえ捉えることができたのなら、後手に回っていても技術で挽回することは可能なのだ。
――例えば、〈切り落とし〉という技がある。
対敵の上段に対し正対称の上段で合わせ、迎え撃った相手の刀の鎬を利用して脇へと逸らし、自分の打ち込みのみを有効にする攻防一体の絶技。
師範代が優越距離にありながら攻撃を仕掛けないのは、その技を警戒しているからだった。
とはいえ、ローザリッタからすれば、相手とって有利な距離を保ち続ける利点は何一つない。彼女は自分の間合いまで距離を詰めるしか選択がなく、それを冷静に待てる分、心理的な優位性は依然として師範代にある。
距離が更に縮まり、相撃の間に到達する。
(――ここまでだ。ここからだ)
ローザリッタは内心で呟く。
あと一歩踏み込めば完全にローザリッタの斬り間になり、同時に師範代の間合いを殺すことができる。円運動は中心に近いほど威力が減じるが道理。今度は男性ゆえの射程の長さが仇になるのだ。
無論のこと、それは師範代も承知している。
相手をやすやすと懐へ入れる愚など犯すはずもない。下手にローザリッタが踏み込めば、その動き出しを抑えるつもりだ。
加えて太刀取りは最速の上段。躱すことも、受けることも困難である。
とはいえ、それは相手も同じこと。
師範代が距離の利を取り戻そうと下がれば、即座にローザリッタが振り下ろす。
両者、拮抗状態だ。
ローザリッタの両眼は、師範代の動きを遠くに近くに捉え続ける。
観の目付け、または遠山の目付けとも呼ばれる、全体像を広く見渡す草食動物的な周辺視野だ。一点を凝視する中心視よりも感覚、知覚に優れているため外敵の接近をいち早く察知できるとされる。
エリム古流ベルイマン派においては、それを〈陽の目付け〉と呼ぶ。
肉体の働きを陽、精神の働きを陰と大別し、行動を起こす時はそのいずれかに兆しが現れるとされる。膠着状態に陥った二人は、己の予兆を消し去ることに努め、相手の手の内を見抜くことに全神経を集中していた。
ここからは精神力の戦いだ。
先に仕掛けたくなる衝動を必死に抑え込み、機を窺う。窺い続ける。
長い静寂の後、ふと、拮抗が崩れた。
――ローザリッタの重心が半歩下がったのだ。
当人の意図とは関係なく、勝手に取り戻される優越距離。
絶好の勝機が目前にぶら下げられ、師範代の肉体が本能的に懸かろうとする。
――釣られた!
――釣れた!
甲高い音を立て、二つの剣閃が交差した。
絶技が炸裂する。
鎬によって軌道が歪められた師範代の切っ先は、ローザリッタの肩口をかすめて空を切り、逆に彼女の切っ先は彼の右手首を捉え――触れる寸前、ぴたりと止まった。
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