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61.兄の立場

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「……君の妹って本当に規格外だよね」


 どこか感心したような主の一言に。私、エリオット・クレイストンは本心をひた隠しにし、他人から絶対零度と称される笑みを浮かべた。
 これは嫌なことがあっても簡単には表情に出さないようにするために、幼い頃から私が身に付けた技であり、自分の武器のひとつとして定着している表情だ。


「あの者はもう私の妹ではありません」


 その発言にエセルバート公爵が何とも言えない表情をしているが、事実なのだから仕方がない。

 嘗て私の妹だったロザリー。今は素性も性別すらも変え、アーサー・ロイドと名乗っている天才魔術師候補。 近い将来、我が主であるフェリクス様の手足となって働く予定の人間だ。
 もしそれが出来ない場合には、その命で己の罪を贖うことが決まっている。

 おそらくエセルバート公爵のこの表情を見る限り、色んな意味で罪悪感を覚えているのだろうが、何とも下らない理由で許されない罪を犯したのはあの者なのだから同情の余地はない。
 それに本人にはその自覚が全くなかったにしても王族に害を及ぼそうとしたことは事実であり、たった今も、一緒に旅に出ていたアルフレッド様をあのような状態にさせてしまったのだから、王族を護る役割の護衛騎士という職に就いている私からすれば許し難い所業だ。

 昔から少し変わった性格で、一家全員、普通の女性としての幸せというものには縁がないのではないかと心配してはいたが、女性の幸せ云々以前にあそこまで突拍子もない事をする大馬鹿者だとは思ってもみなかった。


 ロザリーがアーサーとして生きることが決まった日。

 表向きは『神の花嫁』。その実、男として生きることになったと聞かされた兄のジョシュアは、表面上こそ冷静さを装っていたものの、その日はずっと自分の書斎に籠り、眠れぬ夜を過ごしていた。
 領地にいた父には緊急連絡用の魔道具で事の次第を報告済みだが、それ以来何の音沙汰もない。 恐らくロザリーをあのように育ててしまったことを後悔するのと同時に、娘を失ってしまったことに少なからずショックを受けているのだろう。
 母と結婚を控えた妹には、『神の花嫁』になったと説明があったらしい。 二人共納得出来ていないようだったが、国家機密が絡むといえばそれ以上何も言ってこなかった。

 私だって血を分けた兄弟だ。
 ロザリーがこういう事になってしまった事に対し何とも思っていない訳ではない。
 しかし、私は家族の情より国家を。国家と同じかそれ以上に忠誠を誓った主が大切だ。それに仇なす者は家族でも許さない。


「……エリオットってホントにブレないよね。……そういうとこ好ましいし、信頼もしてるけど、……ちょっとだけロザリーが可哀想な気がしないでもないよ。……今回の叔父上の事は僕にも原因があることだからさ。……そんなに彼女を責めないで欲しいんだ」


 どういうことかわからず内心首を傾げる私に、フェリクス様は苦い表情で言葉を続ける。


「……さっき君も聞いていたと思うけど、彼女に付けたロイドという名の基になった『ロイド村』というのは、エセルバート公爵領に実在する場所だ。……今じゃ誰も知らない廃村になっているから、素性を隠すのに持ってこいだと思って安易に使ったことが、……どうやら裏目に出たらしい」


 エセルバート公爵もフェリクス様同様苦々しい表情をしていることから、どうやらその『ロイド村』に関する事情というものを知っているようだ。
 いくら王太子殿下の護衛騎士とはいえ、いち臣下に過ぎない私がその事を聞いてもよいものか迷っていると。


「……エリオットには聞いておいて欲しいから、後で僕から説明するよ。…………今はちょっとそういうややこしい話をする気になれないから……」


 心なしか段々と顔色が悪く気怠げな様子になっていくフェリクス様に、私はその症状がどういったことからくるものなのかということに漸く気付き、慌てて先程持ってきた魔力回復薬を手渡した。

 いつもはフェリクス様の少しの変化でも見逃さないようにしている私だが、あの妹のことで少なからず気がそぞろになっていたらしい。
 フェリクス様はといえば、物凄く嫌そうな顔でそれを眺めている。


「……僕、これ嫌いなんだよね。……だからお喋りしながらちょっとずつ自然に回復するの待ってたのに」


 子供のような事を言い出したフェリクス様にエセルバート公爵から檄が飛ぶ。


「そんな事言ってる暇はありません。さっさと覚悟を決めて飲んで下さい」

「……わかってるよ。いいよね、カイルはこれ飲んでも魔力酔いにならないんだから。……僕、結構酷いほうだと思うよ」

「だったらさっきロザリーに説明されたように少しずつ飲んだらいかがですか」


 エセルバート公爵から容赦なく飲むよう促され、フェリクス様は嫌そうな顔をしながらもそれを一口口に含んだ。

 私は魔力という物を持っていないので、魔力が枯渇した時の辛さや、魔力酔いという症状をさっぱり理解することが出来ないのだが、普段奔放に振る舞っているように見えて、その実自分の立場をよく理解し、あらゆることに我慢強く、滅多に弱音を吐かないフェリクス様がここまで渋られるとは正直驚きだった。


「うー、気持ち悪い……。ロザリーはラッキーだったよね……。とりあえずこんな気持ち悪くなるもの飲まずに済んで。挙げ句に王子様のキス付き。スッゴくお得だったと思うんだけど……」


 苦笑いしながらそう言うフェリクス様に、私はすかさず同意した。


「そうですね。私もその意見に同意です。 あの者はこういった機会でもなければ異性と唇を合わせるということもないでしょうから、むしろその最初で最後のお相手がフェリクス様であったことを喜ぶべきだと思います」


 私にしてはなかなか気の効いた事を言ったつもりだったのだが。


「……君のそういうデリカシーのないとこは嫌いだな」

「? それは失礼致しました」


 何故かほんのりと頬を染めたフェリクス様に私は訳がわからないまま謝罪することになった。


「……さて、そろそろ酔いも落ち着いてきたことだし、父上のところに行こうか。叔父上の所はその後で。
カイルは念のため、自分とこの人間動かせるようにしといてよ。クルトとディルクなら大丈夫だと思うけど念のため。一応あそこはエセルバート公爵領でしょ」


 フェリクス様はエセルバート公爵にそう声を掛けると、しっかりとした足取りで歩き出す。

 私はホッと内心大いにホッとしながら、お二方の後ろに続いたのだった。
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