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29.異変

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    王太子殿下から隣の部屋で着替えてくるよう言われた私は、独りになるなり、自分のこれからの人生の事を考えて憂鬱な気分になっていた。


 いきなり天才魔術師になれって言われても、『はい、そうですか。頑張ります!』なんて気持ちには到底なれないし、物語の主人公のように自分の運命を受け入れて、『与えられた能力を最大限活かして、絶対にのし上がってやる!』という気にもなれない。

 しかもだいぶ鬼畜な王太子殿下によって、努力するだとか、成果を出すだとかいうことは、当たり前のこととして考えられているため、その果てにある『天才魔術師としてデビューする』という結果も、絶対に辿りつかなきゃならないチェックポイントでしかない。

 そういえば、『天才魔術師としてデビューする』という話は聞いたものの、その後どうするという話は聞いていない。


 デビューした後は一体どうなるんだろ……??


 …………。


 ──まあ、解放されるってことだけは絶対ないだろうな……。


 少しの間、王太子殿下がどんな無茶振りをしてくるか考えてはみたが、凡人の私には高貴な方の黒い考えなんて想像もつかず、すぐに考えること自体が面倒になってしまったためにやめてしまった。


 とりあえず今は、命があっただけ良かったと思おう。

 ──家族には何の咎もなかったことだし。


 その事に安堵する一方、ロザリー・クレイストンという自分の人生が閉ざされてしまったことが無性にもの悲しくなってきた。


「……着替えようかな」


 そう小さく呟いてから、次の行動に移ることで、無理矢理気持ちを切り替えた。


 テーブルの上に置かれた箱の中には、貴族の少年が着るようなチュニックとズボンが。テーブルの脇には焦げ茶色のブーツが用意されている。

 私はそれを見ながら、これから先はずっとこういう服装で過ごすようになるのだなと、ぼんやり考えてしまった。

 もう一生、今着ているようなドレスどころか、ワンピースすらも着る機会はないのかもしれない。
 そう思うと、妙にこのドレス姿が名残惜しかった。

 今まで大して興味もなかったし、たまに着る機会に恵まれても、窮屈なだけのドレスなど一刻も早く脱ぎ捨てたいと思っていたのに、人生最後の機会となるかもしれない今日ばかりは、思わず脱ぐのを躊躇ってしまうほどに名残惜しい。


 しかし、いつまでもこうしていても埒が明かないどころか、また王太子殿下に嫌味のひとつでも言われかねない事に気付いた私は、ターニャが丹念に着付けてくれたドレスを、意を決して脱ぎ始めた。

 丁寧にドレスを脱いで下着姿になったところで、ふと気付く。

 ──あれ?そういえば下着は?

 着替えが置かれている箱の中を見てもそれらしき物は見当たらない。
 代わりに何の加工もされていない白い生地が、巻かれたままの状態で置いてあった。


 ……何コレ?


 広げて確認してみても何の変哲もない、ただの長い布だった。


 これで下着を作るとか?


 そうも考えてみたが、今から作るのは現実的ではないし、そもそも男性がどんな下着を着けているのかよく知らないことに気が付いた。


 知識を総動員して、この布の活用法を考えた結果。


 以前読んだことのある物語に、男装した令嬢が女性だということを隠すため、胸を平らに見せる方法として幅広の布を身体に巻き付けるというものがあったことを思い出した。


 ──それだっ!!


 私は早速、ターニャが執念でかき集めてくれた肉で形成されていた胸を今までかろうじて維持してくれていた、コルセットとビスチェを外していく。


「あーあ」


 すっかり解散して元の位置に戻ってしまった肉達を惜しむ声をあげながら、白い布を手に取った。


 ところが。


 布を巻こうとしたところで、自分の胸の様子がいつもと違うことに気付いてしまう。


 あれ……?………ない。


 思わず下を向いてじっくり自分の胸を見ながら、両手でその感触を確かめる。

 しかし、何度往復しても、そこには何の凹凸もない平坦な土地が広がっているばかりだった。


 …………………え?


 一瞬自分の身に起きたことが信じられず、周りの肉を寄せては『胸はここだよ』と言い聞かせてみたのだが、どうやっても元の控え目なサイズにすら戻る気配はない。


 ──私の胸、無くなった……。


 そう認識した途端。


「ぎゃぁぁぁーーーっ!!」


 あり得ない現実を目の当たりにして、気が動転してしまった私は、ここがどこで、今どういう状況かということもすっかり忘れ、つい大声で可愛げの全くない悲鳴を上げてしまったのだった。
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