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2巻
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◇
そんな事情から、急遽王太子宮に滞在することになったわけだけど。
――正直不安でたまらない。
ドルマキア王国の第二王子として。そして王族を守る立場の近衛騎士団の団長としての役割を第一に考えなければならないユリウスとは、当分のあいだ会えないことくらい覚悟している。
ただでさえ大変な状況になってるユリウスに心配かけたくなくて、さっきはつい『大丈夫』とか言っちゃったけど、ひとりになるとやっぱり心細いっていうか、不安な気持ちばかりが込み上げてきて、自分の弱さが嫌になるばかりだ。
ユリウスが言う通り、今さら逃げ出したところで、権力も支持していた人間たちも、帰る場所さえも失っている王妃に、できることがあるとは思えない。
でも王妃は自力で幽閉場所から逃げ出したわけではなく、外部の人間により連れ出された可能性が高いって話だから、国王崩御の混乱に乗じて、その人間たちと結託してなんらかの行動に出る可能性も捨てきれないのが地味に恐い。
それにこの一件は、現体制の不手際とも言えるため表沙汰にするわけにもいかず、王太子殿下とユリウスは国王の葬儀の準備と並行して秘密裏にこの件を解決しなければならない。
なのにこのタイミングで俺がドルマキアにいて、もし俺になにかあったらマレニセンにいる兄上たちが黙っているわけがない、どころか今度こそドルマキア王国が完膚なきまでに滅ぼされるかもしれないわけだから、なにがなんでも俺を守らなきゃいけないっていう。
――まるで仕組まれたかのようにすべてが一気に重なっちゃったんだよな。
そこで万が一のことを考えて王太子殿下が俺のために用意してくれたのが、人の出入りが制限されていて、なおかつ警備が厳しい王太子宮だったのだ。
俺の滞在を公にするわけにはいかないので、表立って警護をつけるわけにもいかないし、ってことで苦肉の策だったんだろうけど……
王妃の支配の痕跡を感じる恐れがある王太子宮で過ごさなきゃならないのかと思うと、気が滅入る。
せめて少しでも嫌なことを考えずに済むように、気を紛らわせることができたらなぁ。
座ってくつろぐ気にもなれず、かといって後でこの王太子宮の侍従が来るとわかっているのに、隣の寝室で寝てるわけにもいかず。
俺はだだっ広い部屋の入り口付近に立ち尽くしたまま、これからの過ごし方について考えることしかできなかった。
ここに来てからどのくらい時間が経ったのか。
なんだか疲れたなぁ、なんて思いはじめたその時。
控えめなノックの後、俺の返事を待ってから、ゆっくりと扉が開けられた。
姿を現したのは、濃い灰色の髪の壮年の男性。先ほど王太子殿下の命令で俺たちを宿屋に迎えに来てくれた人で、名前はユーグ・ダリエ。かつて俺の本当の父親であるバルシュミーデ大公の部下だった人で、現在は諜報部のトップを務めているらしい。
ユーグは一見穏やかで人好きのしそうなタイプに見えるけど、諜報部なんていう国の秘密機関でトップにまで上り詰めただけのことはあって、どこか油断ならない感じがして、つい無意識に身構えてしまう。
苦手じゃないけど、緊張するっていうの?
なんかそういう感じの雰囲気。
それがなんとなく、ボスが持っていた雰囲気に似てる気がして。ちょっとだけ懐かしいような、複雑な気持ちにもさせられるから、余計に身構えちゃうのかも。
俺がかつてボスと呼んでいた、グリーデン歌劇団の団長リヒター・グリーデン。
瀕死の俺を拾って介抱し、行くあてのなかった俺を劇団員として置いてくれた、いわば命の恩人。
ジェイドである俺の保護者代わりで、俺を『身代わり屋』という裏稼業専門の役者に起用した人でもある。
ボスも人当たりがよく見えて、その目の奥にはいつも鋭い光が宿っていたし、懐が広い人だとは思うが、時に薄情にも思えるほどの冷徹さも持ち合わせていた。
――この人もそんな感じの印象を受ける。
まあ、ボスは表面上だけは、もっと軽い雰囲気を装ってたけど。
「失礼致します。王太子殿下よりジェラリア殿下の護衛の責任者に任命されました、ユーグ・ダリエでございます。あらためてご挨拶に伺いました」
「わざわざご丁寧にありがとう。ジェラリア・セレナート・リンドバルです。いつまでになるかわからないけど、しばらくお世話になります」
王子様モードで言葉を返した俺に、ユーグは穏やかな笑みを見せた。
「殿下の護衛の任に就く者は、有事の際を除き、基本的に私以外殿下の御前に姿を現すことはございませんのでご安心ください」
ってことは、陰からこっそり見守ってるってことかな?
笑顔でサラッと言われたけど、なんか嫌だ。
もともといる王太子宮の護衛のほかに、俺個人にも護衛をつけてくれたのはありがたいけど、これはこれで、ずっと監視されてるみたいで落ち着かなそう。
ウィステリア宮にいたときのクラウドみたいに適度な距離感でそばにいてくれるほうが、心の準備っていうか、そういうもんだと思える分、自分なりに対応のしようがあるんだけど。
「いかがされましたか?」
「……いえ、先ほど王太子殿下から、なにかあったら後から来る侍従に聞くようにと言われたことを思い出しまして」
本当のことを言うわけにもいかず、思いついたというか、思い出したことを口にする。すると。
「殿下付きとなる侍従も、護衛同様すでにこちらで待機しております。ご紹介させていただいてもよろしいでしょうか」
「……お願い致します」
王太子殿下が侍従も俺専用の人を用意してくれたらしいことが判明した。
侍従か……。ハウルさんどうしてるかな……
以前この王宮にいた際、暴漢に襲われた俺を庇ってケガをしたハウルさん。ユリウスからは大丈夫だって聞いてるけど、叶うならドルマキアに滞在しているうちに、ほんの少しの時間でもいいから会ってお礼を言いたいと思っている。
そう簡単にはいかないだろうけどさ。
「失礼致します。殿下にお仕えする侍従を連れて参りました」
ユーグの声に思考を中断し、扉のほうに視線を向ける。
そこにいた人物を見て、俺は完全に固まった。
「本日よりジェラリア殿下付きの侍従となりました、ハウルでございます」
たった今、脳裏に思い浮べていた、よく見知った姿が目の前にあることに驚きを隠せない。
「ハウル、さん……?」
「はい。お久しぶりでございます、ジェラリア殿下。どうか、『ハウル』とお呼びください」
俺はこれを現実だと実感したくて右手を伸ばし、深く頭を下げるハウルさんの肩にそっと触れた。
温かな感触に目頭が熱くなる。
ユーグが一礼して静かに部屋から退出していくさまを視界の端に捉えながら、俺はさっきまでの不安も忘れて、ただただ、ハウルさんとの再会を喜んだ。
「顔を上げて。ケガは……? もう身体は大丈夫なの?」
「おかげさまですっかり回復しております」
「そう、……よかった。…………本当によかった……」
心から出た呟きに、顔を上げたハウルさんが泣き笑いのような表情を見せる。その顔を見た瞬間、俺もつられて泣きそうになった。
「これもすべて、ジェラリア殿下をはじめ、マレニセンの方々に過分なるご恩情を賜りましたおかげにございます。本当に、本当にありがとうございました」
「俺のほうこそ……、ずっとハウルさんに、ありがとうを伝えたいって思ってた。――あの三カ月間、ずっとそばで支えてくれて……、俺を守ってくれて……、本当にありがとう……」
ずっと伝えたくて、でも絶対に口にすることはできないと諦めていた言葉。ちゃんと本人に言えてよかった。
今の状況がよくないことに変わりはないけれど、ハウルさんのおかげでずいぶん気持ちが上向いた気がする。
信頼できる人が近くにいてくれることは、こんなにも心強いものなのだと、あらためて実感した。
「――また俺のところに来てくれて本当に嬉しいよ。しばらくのあいだよろしくね、『ハウル』」
さっきより明るい声でそう言うと。
「はい、ジェラリア殿下に快適にお過ごしいただけるよう、精一杯努めさせていただきます!」
頼もしい言葉が返ってきて。
俺はここに来てから初めて、作り物じゃない笑顔になれた。
第二章 新たな問題
俺が王太子宮で引きこもり生活を送ることになってから三週間が経過した。
国王の葬儀は一週間前に無事に終わり、王宮内は王太子殿下の戴冠式に向けて本格的に動きだした。
国王の死は、亡くなった翌々日には国民に公表され、葬儀当日は国全体が喪に服すための休日となった。国内の貴族はその日に合わせて王都入りし、葬儀に参列したらしい。
国交がある諸外国にも知らせがいき、近隣の国の中には葬儀のためにわざわざドルマキアを訪問する国もあったとか。
でもほとんどの国はドルマキア国王の葬儀よりも、三カ月後に行われる戴冠式のほうを重要視してるために、葬儀に直接参列する国は少なかったみたいだ。
マレニセン帝国も弔慰を表す文書を送りはしたものの、葬儀への直接の参列はなかったと聞いている。
もしかしたら、葬儀のついでに俺をマレニセンに連れ帰ってくれたりするのかな、とか思ったりもしたんだけど、そんな話は微塵もなく。
その代わりと言ったらなんだが、マレニセンの皇帝陛下であるブルクハルト・ヴァルター・マレニセンから俺あてに手紙が届いたのだ。
そこには。
『今、こっちはゴタついていてお前のことにまで手が回らない。戴冠式には誰かしらが行けると思うから、それまでそっちで預かってもらえ。王太子殿下にも頼んでおく。お前の兄たちもそれで納得してるから心配すんな』
と皇帝陛下からの手紙とは思えない文体で、必要事項だけが簡潔に書かれていた。
兄上たちが納得してるなら俺に否やはないし、俺は一応マレニセンの人間だから、皇帝陛下の指示には当然従うべきだと思う。
でも、あと三カ月もここで過ごすのかと思うと、ちょっとどころか、かなり気が滅入るんだよなぁ。
今のところ。ハウルが一緒にいてくれる安心感からか、想像以上に護衛の人たちが気を遣って気配を消してくれていたおかげか、ウィステリア宮にいた時みたいな精神的な負担は思ったよりも軽い。
実際、意識を失って倒れることもないし、食事もまあ、わりと普通にとれてるし。演技をしてないと自分を保っていられないってこともないから、俺的には前回よりはずいぶん楽に過ごせてると思ってる。
……ただひとつ問題があるとすれば、ここに来てからというもの、ちょっと不眠ぎみになってるってことくらい。
そのことに気づいているらしいハウルは、俺が少しでも快適な睡眠をとれるように工夫してくれてはいるものの、不眠の原因が環境の問題じゃないってことがわかってる俺としては、いろいろさせてしまうことが申し訳なくてしょうがない。
不眠の原因は、…………たびたび見る悪夢。
過去にあったことを夢で見て目を覚ますこともあれば、その経験から来る不安が見せる悪夢もある。
最近その頻度が上がっていて、眠るたびに同じような内容の夢を見ては目を覚ますことの繰り返し。
このままじゃさすがに体力的にもちょっとヤバいかな、とは思ってるんだけど、この悪夢がなにに由来するものかわかってはいても現状どうすることもできない。
だから起きてる時はなるべくそのことを考えないようにしてるんだけど……
原因はおそらく、三週間が経ったというのにいまだに所在どころかその足どりすらもわからない王妃の存在。それがずっと俺を苦しめ続けていて、俺の精神をじわじわと追い詰めている感じ。
王妃と直接対峙したらどうなっちゃうんだろうという恐怖は、ここに来た当初からある。
でもそれよりももっと恐れているのは、ハウルのお兄さんのように、理不尽な暴力でハウルが傷つけられる可能性があるかもしれないことだ。
俺さー、自分が傷つけられることに対しての耐性はわりとあるほうだと思うんだ。自分が我慢してりゃどうにかなることだったら、無駄にあがいたりせずに、最悪じっと嵐が去るのを待ったっていい。
でも目の前で誰かが酷い目に遭わされる姿を見せつけられるのは、自分が傷つけられる以上に辛いし、できることならもう二度と体験したくない。
王妃の仕業ではないけれど、ハウルも俺の目の前で、勝手に押し入ってきた人間によって傷つけられたことがあるだけに、その光景がリアルに夢に出てきてしまう。
また突然あの扉が開いて、俺がなにもできないうちに誰かが犠牲になるなんてことは真っ平だ。
それなのに、なにもできないまま自分の無力さだけを思い知らされ目が覚めることの繰り返し。
最近じゃ起きてる時でも、それが現実として起こる可能性をつい考えてしまうため、常に警戒しながら過ごしていたりして、まったく気が休まらない状態になっている。
◇
「ジェラリア殿下、王太子殿下とユリウス様がお見えになりました」
『久しぶりに時間が空いたから、そちらを訪れてもいいかな?』
という確認を受けたのが一時間ほど前。
ここはもともと王太子殿下の住まいだし、丁寧にそんな先触れなんてしてくれなくてもいいのにな、と思いつつ、もちろん『お待ちしております』という返事をしておいた。
あの王太子殿下のことだ。ただ時間があいたっていう理由だけで俺に会いに来るとは思えない。
一応マレニセンの皇帝陛下に頼まれてる手前、気にしてくれてんのかなー、とも思わなくはないけど、なんか用事があるから忙しい合間を縫ってここへ来たと考えたほうがよさそうだ。
「やあ、なんだか久しぶりな気がするね。ずっとバタバタしていたせいで、なかなかこちらに来ることができなくてごめん。これからはもっと頻繁に会えるように鋭意努力するよ。不自由はない? 必要なものがあったら遠慮なく言って」
「ごきげんよう。王太子殿下、ユリウス様。お忙しい中、気にかけていただきありがとうございます。おかげさまでなに不自由なく過ごさせていただいております」
「そう。それならばよかった。君の滞在が当初の予定より長くなってしまったから、少し心配していたんだけれど……」
王太子殿下はそこまで言うと、俺の顔を見ながらわずかに表情を曇らせた。
もしかしたら睡眠不足が顔に出てるのかも。
「お気遣いありがとうございます」
俺は王太子殿下が言葉を続ける前にニッコリ微笑み、暗に大丈夫だということをアピールしておく。
ユリウスがさっきからずっと俺をガン見してきてるのがわかるけど、俺はあえてそちらを見ずに、王太子殿下だけに視線を固定した。
だってさ。今、ほんのちょっとだけユリウスの顔を見て、微かに香ってくるアイツの爽やかな柑橘系のフレグランスの匂いを感じただけで、ホッとしたような、妙に泣きたいような気持ちになっちゃったし。今、ユリウスと視線を合わせたら、なんか俺自身の情緒がヤバくなりそうな気がしたから。
ユリウスの前だけならまだしも、王太子殿下の前で素の感情をさらす気にはなれない。っていうか、さらしたくない。
まあ、裸の付き合いまでしてるユリウス相手でも、まだ全部をさらけ出すのは難しいからな。
――こういう感情ならなおさら。
俺は不自然にならないよう、そっと目を伏せる。そうしてこっそり感情のリセットをはかってから、再び王太子殿下に視線を戻した。
◇
王太子殿下の勧めで、リビングスペースの中央に置かれている立派なテーブルセットの豪華な椅子に着席する。ユリウスはあくまでも護衛という立場なのか、王太子殿下の斜め後ろに立ち、俺たちの会話を見守るようだ。
ハウルは俺と王太子殿下の分のお茶を用意した後、静かに部屋を後にした。
扉が閉まり、少し経ってから王太子殿下が口を開く。
「今日ここを訪れたのは、君の様子を見に来たということもあるのだけれど、一度君とじっくりと腹を割って話したいと思ってね。人払いはしてあるし、ユリウスがいるから護衛も外している。安心して本音で話してくれていいよ」
本音で、ねぇ……
やっぱりこれは単なるご機嫌伺いじゃないらしい。
「まずは私のほうから話をさせてもらってもいいかな?」
「もちろんです」
即答した俺に王太子殿下が苦笑いする。
だって、特に俺から話したいことなんてないし、世間話をするような間柄でもないんだから、仕方なくない?
「君がすぐにでも手続きしたがっている王位継承権の放棄についてだけれど、戴冠式が終了するまでのあいだ、王位継承権に関係するすべての手続きが一時凍結されることになった。だから、あと三カ月はこのままになる」
これはある程度予測していたことだから特に驚きはない。宿屋であんなにまったりせずに、すぐにでも王宮で手続きしてたら、と思わなくもないけれど、今さら過ぎたことをアレコレ言ってもしょうがないしな。
「……わかりました」
「もう少し猶予があると思っていたから、ユリウスにも君の体調を優先するようにと言っていた。配慮が足りずに申し訳ない」
「いえ。国王陛下のご容態があまり芳しくないという話を伺っておきながら、すぐに行動しなかった私にも非がございますので」
そもそも王太子殿下が余計な真似をしなければこんなことにはなってないんだけど、さすがに責任を全部押しつけようとは思っていない。
宿屋にいる間、ユリウス相手にさんざん他人様に言えないような爛れた生活を送った挙げ句に、体力の回復を遅らせてたの俺だし。
なんて考えていたら、話の雲行きが怪しくなってきた。
「……確かに侍医からは、もう長くはないだろうと言われていたんだけれど。――でも亡くなった時の様子にどうも不自然な点があってね」
王太子殿下は神妙な顔つきで深い溜息を吐いた後、ひどく言いづらそうな様子で言葉を続ける。
「何者かが意図的に国王の死期を早めた可能性があるんだ」
思いも寄らない話に、俺は思わずユリウスのほうに視線を向けた。
ユリウスは俺たちの会話に口を挟むつもりはないらしく、厳しい表情のまま黙り込んでいる。
まさか、国王の死が病死ではなく、誰かの手によるものかもしれないなんて……
イグニス公爵にいいように操られていたとはいえ、国王はずいぶんと自分勝手で傲慢な性格だったみたいだから、恨みを持っている人間は、それこそごまんといるだろう。
でも国王が健在だった時ならともかく、余命幾ばくもないとわかっている人間をあえて亡き者にするメリットって、一体なに?
よほどの強い恨みがあって、絶対に自分の手にかけなきゃ気が済まなかったとか?
それとも、このタイミングで国王が亡くなるということになにか意味があったのか。
犯人の狙いがわからずに考え込んでいる俺を気にかけつつも、王太子殿下は話を続けた。
「これはあくまでも私の推論だけど、犯人の狙いは『国王自身の死』というよりも、『国王の死によってもたらされるもの』だったんじゃないかと思ってるんだ」
もたらされるもの……。もしかして。
「――国全体の一時的な機能の停止、でしょうか?」
「うん、そう。あの男は本当にろくでもない人間だったから人望なんてものはないし、最後にはあんなに固執していた権力すらも失っていたけど、国王という地位だけは死ぬまで失うことがなかった。我々国の中枢にいる人間にはもはやお飾りの存在でしかなくとも、事情を知らない人間にとっては強いドルマキアの象徴だった人だからね。それが崩御となれば、国をあげての葬儀になることくらいは予測がつくだろうから」
俺の言葉に同意しつつも、淡々と国王のことを語る王太子殿下。
その口調が、俺が自分の母親を語る時と似たような温度に感じられ、この人もまた親との繋がりが薄かった人なんだな、とあらためて実感した。
だからって、急に親近感を覚えるってことは絶対にないけど。
「もしかしてその機に乗じて、実際になにかが起こっていたのですか?」
俺の質問に王太子殿下が首を横に振る。
「いいや。一応様々な可能性を考えて警戒はしていたんだけど、特になにも起きてはいない。王妃に関しても、そこでなにか動きがあるんじゃないかと踏んでたんだけどね……」
王妃の話が出たところで、俺は気になったことを聞いてみた。
「王太子殿下は、国王陛下の死と王妃殿下の失踪に、なにかしらの繋がりがあるとお考えなのですか?」
「はっきりそうだとは言えないけど、偶然という言葉で片づけるのは危険だとは思っているよ」
明言を避けてはいるが、やっぱりふたつの出来事が繋がるなにかがあるんだろう。
まるで仕組まれたかのようにすべての出来事が重なったな、と思ったりもしたけど、まさか本当に仕組まれた可能性があるとは。
俺がドルマキアに滞在しているタイミングで起こった、ということまでは、さすがに偶然だと思いたいけど、それさえも相手の計算のうちだったりとかしたら……
一体ソイツの、ソイツらの目的はなんなんだろう?
これ以上ドルマキアの事情に深入りする気はないし、厄介事に巻き込まれるのも御免だとは思うけど、さすがに自分の身に降りかかるかもしれない火の粉を見て見ぬふりをして、誰かに払ってもらおうとまでは思わない。だからあえてここでハッキリさせておきたいことがある。
「この一連の出来事は旧王妃派によるもので、王妃の復権を狙ってのことだとお考えですか?」
「いいや。王妃や王妃派にそんな力は残っていない。それこそ徹底的に叩き潰してやったからね」
「ではやはり個人的な復讐が目的なのでしょうか?」
「今回のことが王妃自身の意思で行われたことであったのなら、復権が目的というよりも、そちらのほうがしっくりくるね」
王妃が実際に国王の死を利用してまで復讐しようと思うかは謎だが、過去に行った俺への執拗なまでの虐待行為を考えると、相当執念深い性格だってことが窺えるから、最後の悪あがき的に捨て身でなにかを画策してたって不思議には思わない。
そう考えたところで、最近俺を悩ませている不安の影が色濃くなった気がして、気分が悪くなってきた。
「大丈夫。君の懸念を現実にはさせない。だから君は休暇だと思って、ここでしばらくゆっくりしていればいいよ」
まるで俺の不安を見透かしたかのように、王太子殿下が優しい言葉をかけてくる。
「さんざん君のことを利用した私の言うことなんて信用できないと思うから、私がこの世で最も信頼するユリウスの名に懸けて誓うよ。――もう悲劇は繰り返させないって」
どう答えたらいいのかわからないまま、再びユリウスに視線を向けると、ユリウスはなぜかひどくバツの悪そうな顔をしていた。
「私は今まで国王という地位になんの価値も見出していなかったけど、こんなに厄介なことになるのなら、さっさと覚悟を決めて国王になっていればよかった。王妃にしても、もっと早くに病死してもらうべきだったんだ。――今回の件で、つくづく自分の甘さを思い知ったよ」
王太子殿下はさっきとは打って変わったような低い声でそう呟く。
そこには、今までの自分の行動を後悔する言葉とともに、次代の王としての覚悟が強く滲んでいる気がした。
◇
「そういえば、確認したいことがあるのだけれど」
お互いに若干冷めてしまった紅茶で喉を潤し、ひと息ついた後。
先にティーカップを置いた王太子殿下が、そう切り出してきた。
たぶんこっちの話が本題なのかな、なんて思いつつも俺は特に構えることもなく視線を合わせる。
「……なんでしょう」
「あのさ、君、結婚願望ってある?」
「は?」
書類上だけで実態はないとはいえ、元夫からそんな質問をされるとは。
しかも、さっきまでの話題と方向性が違いすぎて脳の処理が追いつかず、思わず素で聞き返してしまった。
「そんなに驚くことかな?」
王太子殿下がさも意外そうな反応を返してくるが、そんな反応されることのほうが意外なんだけど。
ほら、ユリウスだってさすがにちょっと面食らった顔してんじゃん。
そんな事情から、急遽王太子宮に滞在することになったわけだけど。
――正直不安でたまらない。
ドルマキア王国の第二王子として。そして王族を守る立場の近衛騎士団の団長としての役割を第一に考えなければならないユリウスとは、当分のあいだ会えないことくらい覚悟している。
ただでさえ大変な状況になってるユリウスに心配かけたくなくて、さっきはつい『大丈夫』とか言っちゃったけど、ひとりになるとやっぱり心細いっていうか、不安な気持ちばかりが込み上げてきて、自分の弱さが嫌になるばかりだ。
ユリウスが言う通り、今さら逃げ出したところで、権力も支持していた人間たちも、帰る場所さえも失っている王妃に、できることがあるとは思えない。
でも王妃は自力で幽閉場所から逃げ出したわけではなく、外部の人間により連れ出された可能性が高いって話だから、国王崩御の混乱に乗じて、その人間たちと結託してなんらかの行動に出る可能性も捨てきれないのが地味に恐い。
それにこの一件は、現体制の不手際とも言えるため表沙汰にするわけにもいかず、王太子殿下とユリウスは国王の葬儀の準備と並行して秘密裏にこの件を解決しなければならない。
なのにこのタイミングで俺がドルマキアにいて、もし俺になにかあったらマレニセンにいる兄上たちが黙っているわけがない、どころか今度こそドルマキア王国が完膚なきまでに滅ぼされるかもしれないわけだから、なにがなんでも俺を守らなきゃいけないっていう。
――まるで仕組まれたかのようにすべてが一気に重なっちゃったんだよな。
そこで万が一のことを考えて王太子殿下が俺のために用意してくれたのが、人の出入りが制限されていて、なおかつ警備が厳しい王太子宮だったのだ。
俺の滞在を公にするわけにはいかないので、表立って警護をつけるわけにもいかないし、ってことで苦肉の策だったんだろうけど……
王妃の支配の痕跡を感じる恐れがある王太子宮で過ごさなきゃならないのかと思うと、気が滅入る。
せめて少しでも嫌なことを考えずに済むように、気を紛らわせることができたらなぁ。
座ってくつろぐ気にもなれず、かといって後でこの王太子宮の侍従が来るとわかっているのに、隣の寝室で寝てるわけにもいかず。
俺はだだっ広い部屋の入り口付近に立ち尽くしたまま、これからの過ごし方について考えることしかできなかった。
ここに来てからどのくらい時間が経ったのか。
なんだか疲れたなぁ、なんて思いはじめたその時。
控えめなノックの後、俺の返事を待ってから、ゆっくりと扉が開けられた。
姿を現したのは、濃い灰色の髪の壮年の男性。先ほど王太子殿下の命令で俺たちを宿屋に迎えに来てくれた人で、名前はユーグ・ダリエ。かつて俺の本当の父親であるバルシュミーデ大公の部下だった人で、現在は諜報部のトップを務めているらしい。
ユーグは一見穏やかで人好きのしそうなタイプに見えるけど、諜報部なんていう国の秘密機関でトップにまで上り詰めただけのことはあって、どこか油断ならない感じがして、つい無意識に身構えてしまう。
苦手じゃないけど、緊張するっていうの?
なんかそういう感じの雰囲気。
それがなんとなく、ボスが持っていた雰囲気に似てる気がして。ちょっとだけ懐かしいような、複雑な気持ちにもさせられるから、余計に身構えちゃうのかも。
俺がかつてボスと呼んでいた、グリーデン歌劇団の団長リヒター・グリーデン。
瀕死の俺を拾って介抱し、行くあてのなかった俺を劇団員として置いてくれた、いわば命の恩人。
ジェイドである俺の保護者代わりで、俺を『身代わり屋』という裏稼業専門の役者に起用した人でもある。
ボスも人当たりがよく見えて、その目の奥にはいつも鋭い光が宿っていたし、懐が広い人だとは思うが、時に薄情にも思えるほどの冷徹さも持ち合わせていた。
――この人もそんな感じの印象を受ける。
まあ、ボスは表面上だけは、もっと軽い雰囲気を装ってたけど。
「失礼致します。王太子殿下よりジェラリア殿下の護衛の責任者に任命されました、ユーグ・ダリエでございます。あらためてご挨拶に伺いました」
「わざわざご丁寧にありがとう。ジェラリア・セレナート・リンドバルです。いつまでになるかわからないけど、しばらくお世話になります」
王子様モードで言葉を返した俺に、ユーグは穏やかな笑みを見せた。
「殿下の護衛の任に就く者は、有事の際を除き、基本的に私以外殿下の御前に姿を現すことはございませんのでご安心ください」
ってことは、陰からこっそり見守ってるってことかな?
笑顔でサラッと言われたけど、なんか嫌だ。
もともといる王太子宮の護衛のほかに、俺個人にも護衛をつけてくれたのはありがたいけど、これはこれで、ずっと監視されてるみたいで落ち着かなそう。
ウィステリア宮にいたときのクラウドみたいに適度な距離感でそばにいてくれるほうが、心の準備っていうか、そういうもんだと思える分、自分なりに対応のしようがあるんだけど。
「いかがされましたか?」
「……いえ、先ほど王太子殿下から、なにかあったら後から来る侍従に聞くようにと言われたことを思い出しまして」
本当のことを言うわけにもいかず、思いついたというか、思い出したことを口にする。すると。
「殿下付きとなる侍従も、護衛同様すでにこちらで待機しております。ご紹介させていただいてもよろしいでしょうか」
「……お願い致します」
王太子殿下が侍従も俺専用の人を用意してくれたらしいことが判明した。
侍従か……。ハウルさんどうしてるかな……
以前この王宮にいた際、暴漢に襲われた俺を庇ってケガをしたハウルさん。ユリウスからは大丈夫だって聞いてるけど、叶うならドルマキアに滞在しているうちに、ほんの少しの時間でもいいから会ってお礼を言いたいと思っている。
そう簡単にはいかないだろうけどさ。
「失礼致します。殿下にお仕えする侍従を連れて参りました」
ユーグの声に思考を中断し、扉のほうに視線を向ける。
そこにいた人物を見て、俺は完全に固まった。
「本日よりジェラリア殿下付きの侍従となりました、ハウルでございます」
たった今、脳裏に思い浮べていた、よく見知った姿が目の前にあることに驚きを隠せない。
「ハウル、さん……?」
「はい。お久しぶりでございます、ジェラリア殿下。どうか、『ハウル』とお呼びください」
俺はこれを現実だと実感したくて右手を伸ばし、深く頭を下げるハウルさんの肩にそっと触れた。
温かな感触に目頭が熱くなる。
ユーグが一礼して静かに部屋から退出していくさまを視界の端に捉えながら、俺はさっきまでの不安も忘れて、ただただ、ハウルさんとの再会を喜んだ。
「顔を上げて。ケガは……? もう身体は大丈夫なの?」
「おかげさまですっかり回復しております」
「そう、……よかった。…………本当によかった……」
心から出た呟きに、顔を上げたハウルさんが泣き笑いのような表情を見せる。その顔を見た瞬間、俺もつられて泣きそうになった。
「これもすべて、ジェラリア殿下をはじめ、マレニセンの方々に過分なるご恩情を賜りましたおかげにございます。本当に、本当にありがとうございました」
「俺のほうこそ……、ずっとハウルさんに、ありがとうを伝えたいって思ってた。――あの三カ月間、ずっとそばで支えてくれて……、俺を守ってくれて……、本当にありがとう……」
ずっと伝えたくて、でも絶対に口にすることはできないと諦めていた言葉。ちゃんと本人に言えてよかった。
今の状況がよくないことに変わりはないけれど、ハウルさんのおかげでずいぶん気持ちが上向いた気がする。
信頼できる人が近くにいてくれることは、こんなにも心強いものなのだと、あらためて実感した。
「――また俺のところに来てくれて本当に嬉しいよ。しばらくのあいだよろしくね、『ハウル』」
さっきより明るい声でそう言うと。
「はい、ジェラリア殿下に快適にお過ごしいただけるよう、精一杯努めさせていただきます!」
頼もしい言葉が返ってきて。
俺はここに来てから初めて、作り物じゃない笑顔になれた。
第二章 新たな問題
俺が王太子宮で引きこもり生活を送ることになってから三週間が経過した。
国王の葬儀は一週間前に無事に終わり、王宮内は王太子殿下の戴冠式に向けて本格的に動きだした。
国王の死は、亡くなった翌々日には国民に公表され、葬儀当日は国全体が喪に服すための休日となった。国内の貴族はその日に合わせて王都入りし、葬儀に参列したらしい。
国交がある諸外国にも知らせがいき、近隣の国の中には葬儀のためにわざわざドルマキアを訪問する国もあったとか。
でもほとんどの国はドルマキア国王の葬儀よりも、三カ月後に行われる戴冠式のほうを重要視してるために、葬儀に直接参列する国は少なかったみたいだ。
マレニセン帝国も弔慰を表す文書を送りはしたものの、葬儀への直接の参列はなかったと聞いている。
もしかしたら、葬儀のついでに俺をマレニセンに連れ帰ってくれたりするのかな、とか思ったりもしたんだけど、そんな話は微塵もなく。
その代わりと言ったらなんだが、マレニセンの皇帝陛下であるブルクハルト・ヴァルター・マレニセンから俺あてに手紙が届いたのだ。
そこには。
『今、こっちはゴタついていてお前のことにまで手が回らない。戴冠式には誰かしらが行けると思うから、それまでそっちで預かってもらえ。王太子殿下にも頼んでおく。お前の兄たちもそれで納得してるから心配すんな』
と皇帝陛下からの手紙とは思えない文体で、必要事項だけが簡潔に書かれていた。
兄上たちが納得してるなら俺に否やはないし、俺は一応マレニセンの人間だから、皇帝陛下の指示には当然従うべきだと思う。
でも、あと三カ月もここで過ごすのかと思うと、ちょっとどころか、かなり気が滅入るんだよなぁ。
今のところ。ハウルが一緒にいてくれる安心感からか、想像以上に護衛の人たちが気を遣って気配を消してくれていたおかげか、ウィステリア宮にいた時みたいな精神的な負担は思ったよりも軽い。
実際、意識を失って倒れることもないし、食事もまあ、わりと普通にとれてるし。演技をしてないと自分を保っていられないってこともないから、俺的には前回よりはずいぶん楽に過ごせてると思ってる。
……ただひとつ問題があるとすれば、ここに来てからというもの、ちょっと不眠ぎみになってるってことくらい。
そのことに気づいているらしいハウルは、俺が少しでも快適な睡眠をとれるように工夫してくれてはいるものの、不眠の原因が環境の問題じゃないってことがわかってる俺としては、いろいろさせてしまうことが申し訳なくてしょうがない。
不眠の原因は、…………たびたび見る悪夢。
過去にあったことを夢で見て目を覚ますこともあれば、その経験から来る不安が見せる悪夢もある。
最近その頻度が上がっていて、眠るたびに同じような内容の夢を見ては目を覚ますことの繰り返し。
このままじゃさすがに体力的にもちょっとヤバいかな、とは思ってるんだけど、この悪夢がなにに由来するものかわかってはいても現状どうすることもできない。
だから起きてる時はなるべくそのことを考えないようにしてるんだけど……
原因はおそらく、三週間が経ったというのにいまだに所在どころかその足どりすらもわからない王妃の存在。それがずっと俺を苦しめ続けていて、俺の精神をじわじわと追い詰めている感じ。
王妃と直接対峙したらどうなっちゃうんだろうという恐怖は、ここに来た当初からある。
でもそれよりももっと恐れているのは、ハウルのお兄さんのように、理不尽な暴力でハウルが傷つけられる可能性があるかもしれないことだ。
俺さー、自分が傷つけられることに対しての耐性はわりとあるほうだと思うんだ。自分が我慢してりゃどうにかなることだったら、無駄にあがいたりせずに、最悪じっと嵐が去るのを待ったっていい。
でも目の前で誰かが酷い目に遭わされる姿を見せつけられるのは、自分が傷つけられる以上に辛いし、できることならもう二度と体験したくない。
王妃の仕業ではないけれど、ハウルも俺の目の前で、勝手に押し入ってきた人間によって傷つけられたことがあるだけに、その光景がリアルに夢に出てきてしまう。
また突然あの扉が開いて、俺がなにもできないうちに誰かが犠牲になるなんてことは真っ平だ。
それなのに、なにもできないまま自分の無力さだけを思い知らされ目が覚めることの繰り返し。
最近じゃ起きてる時でも、それが現実として起こる可能性をつい考えてしまうため、常に警戒しながら過ごしていたりして、まったく気が休まらない状態になっている。
◇
「ジェラリア殿下、王太子殿下とユリウス様がお見えになりました」
『久しぶりに時間が空いたから、そちらを訪れてもいいかな?』
という確認を受けたのが一時間ほど前。
ここはもともと王太子殿下の住まいだし、丁寧にそんな先触れなんてしてくれなくてもいいのにな、と思いつつ、もちろん『お待ちしております』という返事をしておいた。
あの王太子殿下のことだ。ただ時間があいたっていう理由だけで俺に会いに来るとは思えない。
一応マレニセンの皇帝陛下に頼まれてる手前、気にしてくれてんのかなー、とも思わなくはないけど、なんか用事があるから忙しい合間を縫ってここへ来たと考えたほうがよさそうだ。
「やあ、なんだか久しぶりな気がするね。ずっとバタバタしていたせいで、なかなかこちらに来ることができなくてごめん。これからはもっと頻繁に会えるように鋭意努力するよ。不自由はない? 必要なものがあったら遠慮なく言って」
「ごきげんよう。王太子殿下、ユリウス様。お忙しい中、気にかけていただきありがとうございます。おかげさまでなに不自由なく過ごさせていただいております」
「そう。それならばよかった。君の滞在が当初の予定より長くなってしまったから、少し心配していたんだけれど……」
王太子殿下はそこまで言うと、俺の顔を見ながらわずかに表情を曇らせた。
もしかしたら睡眠不足が顔に出てるのかも。
「お気遣いありがとうございます」
俺は王太子殿下が言葉を続ける前にニッコリ微笑み、暗に大丈夫だということをアピールしておく。
ユリウスがさっきからずっと俺をガン見してきてるのがわかるけど、俺はあえてそちらを見ずに、王太子殿下だけに視線を固定した。
だってさ。今、ほんのちょっとだけユリウスの顔を見て、微かに香ってくるアイツの爽やかな柑橘系のフレグランスの匂いを感じただけで、ホッとしたような、妙に泣きたいような気持ちになっちゃったし。今、ユリウスと視線を合わせたら、なんか俺自身の情緒がヤバくなりそうな気がしたから。
ユリウスの前だけならまだしも、王太子殿下の前で素の感情をさらす気にはなれない。っていうか、さらしたくない。
まあ、裸の付き合いまでしてるユリウス相手でも、まだ全部をさらけ出すのは難しいからな。
――こういう感情ならなおさら。
俺は不自然にならないよう、そっと目を伏せる。そうしてこっそり感情のリセットをはかってから、再び王太子殿下に視線を戻した。
◇
王太子殿下の勧めで、リビングスペースの中央に置かれている立派なテーブルセットの豪華な椅子に着席する。ユリウスはあくまでも護衛という立場なのか、王太子殿下の斜め後ろに立ち、俺たちの会話を見守るようだ。
ハウルは俺と王太子殿下の分のお茶を用意した後、静かに部屋を後にした。
扉が閉まり、少し経ってから王太子殿下が口を開く。
「今日ここを訪れたのは、君の様子を見に来たということもあるのだけれど、一度君とじっくりと腹を割って話したいと思ってね。人払いはしてあるし、ユリウスがいるから護衛も外している。安心して本音で話してくれていいよ」
本音で、ねぇ……
やっぱりこれは単なるご機嫌伺いじゃないらしい。
「まずは私のほうから話をさせてもらってもいいかな?」
「もちろんです」
即答した俺に王太子殿下が苦笑いする。
だって、特に俺から話したいことなんてないし、世間話をするような間柄でもないんだから、仕方なくない?
「君がすぐにでも手続きしたがっている王位継承権の放棄についてだけれど、戴冠式が終了するまでのあいだ、王位継承権に関係するすべての手続きが一時凍結されることになった。だから、あと三カ月はこのままになる」
これはある程度予測していたことだから特に驚きはない。宿屋であんなにまったりせずに、すぐにでも王宮で手続きしてたら、と思わなくもないけれど、今さら過ぎたことをアレコレ言ってもしょうがないしな。
「……わかりました」
「もう少し猶予があると思っていたから、ユリウスにも君の体調を優先するようにと言っていた。配慮が足りずに申し訳ない」
「いえ。国王陛下のご容態があまり芳しくないという話を伺っておきながら、すぐに行動しなかった私にも非がございますので」
そもそも王太子殿下が余計な真似をしなければこんなことにはなってないんだけど、さすがに責任を全部押しつけようとは思っていない。
宿屋にいる間、ユリウス相手にさんざん他人様に言えないような爛れた生活を送った挙げ句に、体力の回復を遅らせてたの俺だし。
なんて考えていたら、話の雲行きが怪しくなってきた。
「……確かに侍医からは、もう長くはないだろうと言われていたんだけれど。――でも亡くなった時の様子にどうも不自然な点があってね」
王太子殿下は神妙な顔つきで深い溜息を吐いた後、ひどく言いづらそうな様子で言葉を続ける。
「何者かが意図的に国王の死期を早めた可能性があるんだ」
思いも寄らない話に、俺は思わずユリウスのほうに視線を向けた。
ユリウスは俺たちの会話に口を挟むつもりはないらしく、厳しい表情のまま黙り込んでいる。
まさか、国王の死が病死ではなく、誰かの手によるものかもしれないなんて……
イグニス公爵にいいように操られていたとはいえ、国王はずいぶんと自分勝手で傲慢な性格だったみたいだから、恨みを持っている人間は、それこそごまんといるだろう。
でも国王が健在だった時ならともかく、余命幾ばくもないとわかっている人間をあえて亡き者にするメリットって、一体なに?
よほどの強い恨みがあって、絶対に自分の手にかけなきゃ気が済まなかったとか?
それとも、このタイミングで国王が亡くなるということになにか意味があったのか。
犯人の狙いがわからずに考え込んでいる俺を気にかけつつも、王太子殿下は話を続けた。
「これはあくまでも私の推論だけど、犯人の狙いは『国王自身の死』というよりも、『国王の死によってもたらされるもの』だったんじゃないかと思ってるんだ」
もたらされるもの……。もしかして。
「――国全体の一時的な機能の停止、でしょうか?」
「うん、そう。あの男は本当にろくでもない人間だったから人望なんてものはないし、最後にはあんなに固執していた権力すらも失っていたけど、国王という地位だけは死ぬまで失うことがなかった。我々国の中枢にいる人間にはもはやお飾りの存在でしかなくとも、事情を知らない人間にとっては強いドルマキアの象徴だった人だからね。それが崩御となれば、国をあげての葬儀になることくらいは予測がつくだろうから」
俺の言葉に同意しつつも、淡々と国王のことを語る王太子殿下。
その口調が、俺が自分の母親を語る時と似たような温度に感じられ、この人もまた親との繋がりが薄かった人なんだな、とあらためて実感した。
だからって、急に親近感を覚えるってことは絶対にないけど。
「もしかしてその機に乗じて、実際になにかが起こっていたのですか?」
俺の質問に王太子殿下が首を横に振る。
「いいや。一応様々な可能性を考えて警戒はしていたんだけど、特になにも起きてはいない。王妃に関しても、そこでなにか動きがあるんじゃないかと踏んでたんだけどね……」
王妃の話が出たところで、俺は気になったことを聞いてみた。
「王太子殿下は、国王陛下の死と王妃殿下の失踪に、なにかしらの繋がりがあるとお考えなのですか?」
「はっきりそうだとは言えないけど、偶然という言葉で片づけるのは危険だとは思っているよ」
明言を避けてはいるが、やっぱりふたつの出来事が繋がるなにかがあるんだろう。
まるで仕組まれたかのようにすべての出来事が重なったな、と思ったりもしたけど、まさか本当に仕組まれた可能性があるとは。
俺がドルマキアに滞在しているタイミングで起こった、ということまでは、さすがに偶然だと思いたいけど、それさえも相手の計算のうちだったりとかしたら……
一体ソイツの、ソイツらの目的はなんなんだろう?
これ以上ドルマキアの事情に深入りする気はないし、厄介事に巻き込まれるのも御免だとは思うけど、さすがに自分の身に降りかかるかもしれない火の粉を見て見ぬふりをして、誰かに払ってもらおうとまでは思わない。だからあえてここでハッキリさせておきたいことがある。
「この一連の出来事は旧王妃派によるもので、王妃の復権を狙ってのことだとお考えですか?」
「いいや。王妃や王妃派にそんな力は残っていない。それこそ徹底的に叩き潰してやったからね」
「ではやはり個人的な復讐が目的なのでしょうか?」
「今回のことが王妃自身の意思で行われたことであったのなら、復権が目的というよりも、そちらのほうがしっくりくるね」
王妃が実際に国王の死を利用してまで復讐しようと思うかは謎だが、過去に行った俺への執拗なまでの虐待行為を考えると、相当執念深い性格だってことが窺えるから、最後の悪あがき的に捨て身でなにかを画策してたって不思議には思わない。
そう考えたところで、最近俺を悩ませている不安の影が色濃くなった気がして、気分が悪くなってきた。
「大丈夫。君の懸念を現実にはさせない。だから君は休暇だと思って、ここでしばらくゆっくりしていればいいよ」
まるで俺の不安を見透かしたかのように、王太子殿下が優しい言葉をかけてくる。
「さんざん君のことを利用した私の言うことなんて信用できないと思うから、私がこの世で最も信頼するユリウスの名に懸けて誓うよ。――もう悲劇は繰り返させないって」
どう答えたらいいのかわからないまま、再びユリウスに視線を向けると、ユリウスはなぜかひどくバツの悪そうな顔をしていた。
「私は今まで国王という地位になんの価値も見出していなかったけど、こんなに厄介なことになるのなら、さっさと覚悟を決めて国王になっていればよかった。王妃にしても、もっと早くに病死してもらうべきだったんだ。――今回の件で、つくづく自分の甘さを思い知ったよ」
王太子殿下はさっきとは打って変わったような低い声でそう呟く。
そこには、今までの自分の行動を後悔する言葉とともに、次代の王としての覚悟が強く滲んでいる気がした。
◇
「そういえば、確認したいことがあるのだけれど」
お互いに若干冷めてしまった紅茶で喉を潤し、ひと息ついた後。
先にティーカップを置いた王太子殿下が、そう切り出してきた。
たぶんこっちの話が本題なのかな、なんて思いつつも俺は特に構えることもなく視線を合わせる。
「……なんでしょう」
「あのさ、君、結婚願望ってある?」
「は?」
書類上だけで実態はないとはいえ、元夫からそんな質問をされるとは。
しかも、さっきまでの話題と方向性が違いすぎて脳の処理が追いつかず、思わず素で聞き返してしまった。
「そんなに驚くことかな?」
王太子殿下がさも意外そうな反応を返してくるが、そんな反応されることのほうが意外なんだけど。
ほら、ユリウスだってさすがにちょっと面食らった顔してんじゃん。
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