『霧の中の約束』

4話

その冷たい風が僕の背を撫でた瞬間、窓の外に立っていた影に気づいた。最初はただの木の枝が揺れているのかと思ったが、よく見ると確かに人の姿がぼんやりと見えた。月明かりに照らされたそのシルエットは、どこか不自然で、まるで異世界から来た者のように思えた。

「誰だ…？」僕は小さな声で呟いたが、周りの二人はその言葉に反応することなく、ただ静かにその影を見つめていた。

「宗一郎、あれは…？」僕が振り向くと、宗一郎は窓の方に一瞬視線を向けた後、すぐに目をそらした。

「見なかったことにしろ。」その声はいつになく冷たく、張り詰めたものだった。「今はあんなものに気を取られている場合じゃない。」

一朗太も言葉少なに窓の方を見ていたが、顔色は青ざめていた。「あれは…あの時、見た者だ。」一朗太がうっすらと震える声で言った。

「あの時？」僕は驚きながらも、その言葉の意味を尋ねた。「あの時って、何だ？」

一朗太は一瞬黙り込んだ。どうやらその言葉を口にすることが、何かを引き起こすことになるのではないかと恐れているようだった。だが、ついに彼は口を開いた。

「俺たちがあの本を手に入れた時、あれが現れたんだ。あの者は、僕たちが知らない間に屋敷に住み着いて、あの本を待っていた。」

「本を待っていた？」僕は息を呑んだ。「どういうことだ？」

「その本はただの記録じゃない。」宗一郎が低い声で続けた。「それは、僕たちの家系にまつわる呪いの源でもある。あの本に触れた瞬間、僕たちはその呪いを引き寄せた。」

「呪い？」僕は再び驚き、頭の中でその言葉を反芻した。「でも、それなら一朗太が…」

一朗太は僕の言葉を遮るように、手を振って言った。「そう、俺がそれを隠していた。だが、隠しきれるわけがなかったんだ。あの本は、僕たちがどんなに避けようとしても、絶対に現れる運命だったんだ。」

その瞬間、再び屋敷の奥から音が聞こえた。今度はただの足音ではなく、何かが引きずられているような、鈍い音だった。まるで屋敷のどこかに大きな物体が動いているかのような、重く不吉な音が響く。

「これは…もう、止められない。」宗一郎の声に、僕は背筋が凍るのを感じた。「あの者が目覚めてしまった。お前たちも、もう気づいただろう。」

一朗太は顔をしかめ、言葉を続けた。「宗一郎、すぐにでもあの本を焼くべきだ。そうすれば、まだ手遅れではないかもしれない。」

「それでも、俺たちにはもう選択肢がないんだ。」宗一郎が静かに言った。彼の目には、かすかな絶望が見え隠れしていた。「あの本が示す未来が、今、動き出している。」

僕はその言葉に混乱しながらも、屋敷内に再び響いた音に気を取られた。その音は今や、ただの引きずる音ではなく、まるで何かが歩いているかのような音になっていた。そして、その音は明らかに僕たちの部屋へと近づいてきていた。

「何かが、こっちに来ている。」一朗太が言った。その目は恐怖に満ちており、僕はその瞬間、背筋を冷たい手で掴まれたような気がした。

「窓だ。」僕が急に思いついて、窓の方を指差した。「あの者が、窓から入って来るかもしれない。」

だが、宗一郎は一瞬目を見開いた後、すぐに静かに首を振った。「それは違う。あの者は、物理的な存在ではない。」

「じゃあ、何だ？」一朗太が息を呑みながら問いかけた。

「これはただの幻想じゃない。屋敷の中には、実体を持たない存在が、我々の意識を操り始めている。」宗一郎の言葉に、僕は息を呑んだ。

その時、再び音が止まった。屋敷の中が、まるで一瞬、時間が止まったかのように静まり返った。

そして、次に聞こえてきたのは、あの本が開かれる音だった。