三国志英雄伝~呂布奉先伝説

みなと劉

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95話

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「陳宮か!」
その姿を見て、呂布の全身に衝撃が走る。
陳宮は、袁紹軍にいる。これは徐州攻めの時に知った事実だが、まさか袁紹軍に加わっていたとは。
呂布も驚いていたが、曹操や袁紹軍の兵達も驚愕していた。
それも無理はない。徐州軍から呂布を奪った事で袁紹軍内ではかなりの恨みを買っており、それ故に徐州侵攻作戦では徐州城の外に布陣させられた程なのだ。
しかし、そんな事は意に介さず、呂布軍に対する報復攻撃の真っ最中に自ら最前線に現れる武将が他にあるだろうか。少なくとも呂布の知る限りにおいては他に例が無い。
呂布軍の諸将が驚き呆れる中、袁紹軍では袁術が声を上げる。
「何をしておるか! 早くそいつらを片付けろ!こっちにもいるぞ!」
袁術の指差す先にいたのは、曹豹である。曹豹は張飛と激闘を繰り広げたが、ついに討たれてしまった。それでも呂布軍の攻勢を止める事が出来ず、袁術軍の本隊と合流出来ていなかったのだ。
この三人は、袁術軍の中では突出した実力者だと言える。もし呂布が三人とも相手取る事にでもなれば、いかに呂布と言えども手に余ったはずだ。
この三人は、袁紹軍の中でも最強を誇ると言える。特に呂布がもっとも警戒したのは、陳宮ではなく曹豹だ。
曹豹は徐州軍にいた頃から、その実力は群を抜いていた。おそらく呂布を除けば呂布軍最強の武力を持つのは、おそらく徐晃であり趙雲だろうが、総合力で考えるなら間違いなく呂布軍最強の武将であるのは間違いない。
その武人としての能力はもちろん、智謀も超一流であり、さらに言うならば曹操の知己として名高い。曹操は袁紹軍に対しての人質としていると言うよりは、自らの片腕として扱うべき器の持ち主だと評価している。
実際曹操の配下には曹洪がいるものの、曹洪はあくまで曹操が抱える私臣であり袁紹軍の武将と言う訳ではない。しかも曹操の参謀的役割を務める事もあるので、その戦闘能力には不安がある。その点曹豹であれば、呂布軍において黄巾賊の時代から前線に立って戦い続けていた事もあり、戦闘力の高さに関しては疑いようも無いほどである。
張飛にしても曹豹にしても、その武勇を呂布はよく知っていた。張飛は劉備軍の武将の中で、最も恐れられている男の一人でもある。曹豹に至っては、呂布軍の武将である臧覇や張済などと比べてみても遜色は無い。いや、呂布が知らぬ間にそれだけ腕を上げている可能性を考えるのなら、曹操軍における夏侯惇や荀攸といった存在よりも遥かに高い。それほどに、袁術軍の武将は強敵揃いであった。だからこそ、曹操軍の主力部隊は苦戦を強いられた。袁紹軍主力部隊の猛攻は凄まじく、呂布軍の精鋭部隊である張遼隊も苦戦する事になった。
それでも呂布は袁紹軍の主力部隊を撃退し、曹操軍と共に袁紹軍主力部隊を壊滅させる事に成功する。
袁紹軍主力部隊との戦いは曹操軍にとっても苦しい展開だったが、その袁紹軍主力部隊を破った事は大きい。
これによって、曹操軍、呂布軍共に袁紹軍の士気は一気に下がる事になる。袁紹軍は大軍ではあっても連戦続きであり、すでに疲労の色も見え始めている。
そこに、徐州軍が姿を現した。
張飛率いる袁術軍は壊滅寸前にまで追い込まれており、もはやまともに戦える状況ではなかったのだが、張飛は撤退しようとせず最後まで戦う姿勢を見せている。
その張飛の前に、陳宮が現れたのだ。
張飛はこれまでの戦いでも、一度として負けた事が無かったと言われている。その張飛を打ち負かしたのが陳宮なので、その力量には疑い様がない。その陳宮が戦場に現れたのだ。これで張飛も降参してくれるだろうと呂布は期待していたが、陳宮はその期待を裏切った。陳宮は戟を振り回し、張飛を討ち取った。それはまさに一瞬の出来事だったと言う。陳宮は張飛の首を手土産に、降伏を申し出たのだ。
張飛を失ったとは言え張勲や高覧などの将士はまだ戦意を失わずに残っていたが、陳宮によってことごとく討ち取られ、袁術軍は総崩れになった。
ここで、袁紹軍は完全に浮足立った。勢いだけでここまで来た袁術軍と違い、袁紹軍の兵達は実戦経験豊富とは言えない者が多かった。呂布軍の猛将張遼、高順、呂布自身を相手にした事もあったのだから当然だろう。その袁紹軍の主力部隊が呂布軍に圧倒されているのを見た袁紹軍の将は皆が恐怖を抱き、戦意を喪失してしまった。袁紹軍の総大将袁紹もこの時はすでに陣頭には無く、袁紹軍の将達が我先に逃げ出して袁紹自身が逃げ出す頃にはもう戦意を持っている者はほとんどいなかったという。
こうして、袁術軍に続いて袁紹軍も壊滅し、この日の戦は終結した。
袁紹軍の大敗と、呂布軍の大勝利。その報告はすぐに曹操の元へ届けられたが、曹操はそれを喜ぶような表情は見せなかった。
「袁紹め……。あの時徐州城から出てこなければ、まだ何とかなったものを」
呂布がそう呟いたように、袁紹は決戦の場に出てしまった事が袁紹の命運を決めた。
呂布軍と曹操軍の戦いは、一日にして決する事はなかった。
しかし袁紹軍にとってみればそれは絶望以外の何物でもないはずで、袁術軍と同じように逃げ帰るか、さもなくば降伏した方がマシであるはずだった。
だが、この袁紹軍はそのどちらも選ぼうとはしなかった。それどころか袁紹と袁術が戦場に残っているのに、袁紹軍から逃げ出した兵が続出するという異常事態に陥った。
その混乱の最中、袁紹軍から突出してきた者が一人いた。それが誰なのか呂布にも分からなかったが、曹操は分かったらしい。
「あれは、陶謙殿です!」
「陶謙? あの陶商の息子の?」
それは呂布が知る限りでは、ただの一武将に過ぎないはずだ。
「彼は陶謙の長子なんですが、あまり才能が無いとかで養子に出されましてね。その後紆余曲折あった末に、袁紹軍に仕えていました。彼の父である陶謙はかなりのやり手でしたからね。その息子ともなれば多少は能力があると思われていたのでしょうが、どうも袁紹軍はその程度の人材しか集められなかったようで。それでも一応は将軍の地位を与えられて、そこそこの待遇を受けていたようですね。それで、袁家の名ばかり大将軍の下で働いてきたのですが、その袁家に見切りをつけたのでしょう。呂布奉先を討つのが自分の役目だとでも言わんばかりの様子で飛び出してきたところを見ると、それなりの野心はあるみたいですね。まあ、それも無駄に終わった訳ですが」
曹操が呂布に向かって説明してくれている間に、その陶謙と言う男は袁術のいる本陣へ駆け込み、そしてそのまま斬り捨てた。袁術は呆然としていただけだったが、その首はその場で胴体と永遠の別れを迎えたと言う。
これにより袁術軍は全軍が崩壊し、さらに徐州軍は敗走中の袁術軍を追撃すると言う展開になり、呂布軍が勝利した。
この結果だけ見るのなら呂布の勝利と言う事にもなるのだが、実際に戦ってみるとその戦果には疑問符が付く。そもそも呂布が戦ったのは徐州軍ではなく、徐州の民衆であり徐州の武将ではない。
それに徐州軍は戦いたくても、まともに戦える状態ではなかったのだ。呂布軍が戦えたのは、あくまで張遼の指揮があったからだと言える。
一方曹操は、呂布軍との戦いに勝利した後、呂布にこう言ったと言う。
『私と貴方は敵同士。しかし、私にとっては友である』
この言葉を額面通りに受け取って良いものかどうか呂布には分からない。曹操が呂布を試しているのか、あるいは本当にそう思っているのかも。
だが、曹操がそんな事を言ってきたと言う事は、呂布は認められたと言っても良いだろう。曹操としては認めざるを得ない、と言った方が正しいかもしれない。
いずれにしても曹操軍は呂布軍に完勝した事で勢いづき、その勢いを持って曹操は自らの本拠地である許昌に凱旋した。
袁紹軍は袁術、劉表と共に降伏する事になったのだが、袁術と袁紹が素直に降伏したのに対して、高覧などは最後まで抵抗の意思を見せていた。
そこで陳宮は、張遼に命じて高覧を討ち取った。その行動に対し張遼は陳宮を叱責するが、陳宮は全く悪びれる様子が無かった。
陳宮には、呂布軍に対する恨みや憎しみはないらしい。それは陳登も同じだったらしく、むしろ陳登は袁術軍と戦うより早く降伏した事にホッとしていたようだ。
降伏して捕虜になったとしても、高順、臧覇、成廉などの武勇の優れた将士が揃っていた事もありそれほど酷い扱いは受けず、むしろ袁術軍と戦って敗れた兵達の保護をする為に働く事が命じられたくらいだ。
呂布も張遼も、袁術軍の将達の処刑を行う気は無かった。特に呂布軍にとって問題になったのは、やはり高順の事である。
袁術は張勲、宋憲、魏越の三将軍が処刑されたのに対し、高順と馬超の二人は助命された。これは呂布に対しての意趣返しだろう。
その二人の処分に関しては呂布だけでなく、他の諸将も納得していない。もちろん、呂布自身もだ。
「高順、お前は張勲と戦わなければならなかったのだ。何故、戦わなかった?」
呂布は高順に尋ねる。
袁紹軍主力部隊の将として戦った高順が、なぜ張勲と戦いもせずに降ったのか。
それは呂布も聞いておきたかった。
呂布もそうだったが、袁紹軍の主力部隊は袁紹が総大将となって指揮をしていたにも関わらず壊滅してしまった。その袁紹も討たれてしまったのだから、総大将は呂布になっていたとも言える。だが、その時に高順がいたのだから戦っていたならば結果は変わっていたはずだ。
その問いに対し、高順は無言で首を横に振る。
「袁紹軍の将帥の中で、俺が一番下っ端だからだよ」
意外な答えに、呂布は一瞬言葉を失った。
「……どういう意味だ?」
「袁紹軍の主力は袁術、公孫賛、韓遂の三人。こいつらが総大将格なんだが、その下で張楊、橋玄、王匡、袁遺の四人が補佐役を務める。袁紹の幕僚団みたいなものだな。この四人は袁紹の子飼いで袁家四天王なんて言われてて、かなりの地位にある。で、俺はこっち」
そう言って、高順は袁術軍の武将を示す。
呂布はその事実が、意外で仕方なかった。袁紹軍と言えば名門であり、その幹部には袁紹の血族が多いと思っていた。実際袁紹の一族は多い。その中でも、袁紹と血が繋がっているとなればかなりの重要人物になるはずだ。しかし、その袁家の幹部にすら数えられない武将がいるという事の方が呂布には驚きだった。
俺、呂布奉先は驚きを隠せないでいたのだ。目の前にいる男は袁術配下ではあるようだけど、それでも呂布から見れば十分に強者であると言える。
それが袁術の部下だと? しかも、袁紹軍の中では一番の使い手だと噂されていると言う。とてもではないが信じられなかった。
高順と言う男に抱いていた印象は、『野卑』の一言に集約される。
粗暴であり粗雑であり野蛮であり乱暴。
およそ品性に欠けるところがあり、教養と言うものと無縁の存在。呂布が思いつくところ、おおよそこのような人物像である。
ところが今、目の間にいる男は、その真逆の人物であった。
顔立ちは整っているし背は高いが、その雰囲気は荒々しいと言うよりは精練されており、動作の一つを取っても洗練されていて隙が無い。粗暴どころか洗練された美を感じてしまうほどなのだ。
その見た目だけなら女性にもてそうな容姿でありながら、女遊びの気配が全く無いのは不思議なところではあるが。
いや……それどころか色恋事に興味が一切無いような、そんな感じさえ受ける。そして何よりも、その強さ。
高順の武人としての力量は計り知れないものがあった。少なくとも一対一で戦う事を避けたい相手だと言える。それほどまでに圧倒的な存在であり、そしてその強さの片鱗は既に何度も見せつけられている。
その男の実力を認めざるを得なくなる。
しかし、袁術軍において呂布が恐れていた人物がもう一人存在した。それが馬超だ。高順が言うように、確かに馬騰の実子であり、西涼軍の中心人物であると言う点では、袁術軍の誰よりも強いと言う事になる。
だが、馬超と言う男にはどうも苦手意識が抜けきれないのだ。
それは以前馬騰と戦った際に、彼の騎馬隊の突進力に翻弄された記憶がある為だ。もしあれをまともに受けたら、いかに呂布と言えども耐えきれる自信はない。
高順と馬を並べても遜色がないのではと思われるほどの武勇の持ち主。その事を加味すると、正直呂布にとっては厄介な存在である。
「高順殿は袁紹軍の出身だ。袁紹軍の中では馬騰の息子でもある。だから袁術軍の中でも立場が低いって訳か?」
張遼は興味深そうに聞く。
張遼は元々高順とは面識があって多少なりとも親交はあったが、そこまで詳しい事情までは知らなかったらしい。
「まあ、そんなとこ。俺が馬騰の息子だって事はみんな知ってるんだけど、高順と俺じゃあまりにも差がありすぎるんだよなぁ。袁術軍の連中にとっては面白くないだろうよ」
「そうなのか?」
張遼の言葉は意外そうだった。
呂布から見ても、高順の強さはかなり高いと思うのだが。
「袁紹軍でも精鋭の将であるお前や徐栄と比べたら雲泥の差だろうが、袁術軍や公孫賛軍に比べりゃ遥かに腕は立つぜ。なにより、呂布将軍の片腕として戦場に出た事もあるくらいだしな」
高順は張遼の問いに対し、苦笑いしながら答える。
「あの時の俺はただの兵卒だったけどな」
「それで呂布将軍と共に戦えたんだから大したもんじゃないか。呂布将軍と一緒に戦った事があるってだけで、お前は名将だ」
張遼は感心しているようだが、それは過大評価だと思う呂布である。
あの時はまだ徐州も健在で曹操は徐州城まで攻めてきてはいなかったのだから、高順が戦える状況ではなかったはず。高順自身もそれはわかっているようで、「それはどうかなー。それに俺は兵卒じゃないぞ。軍師だ」
などと言っている。
高順と言う男を見ていると、不思議で仕方がない。荒くれ者の傭兵のような出で立ちでありながら、言葉遣いや仕草に教養を感じさせるものがある。
粗野な雰囲気はあるが、その言動は教養のある者しか発する事が出来ないようなものである事がわかるのだ。
それが呂布にはとても不自然に見えてならなかった。
陳宮と言う少女についても同様であった。
彼女は呂布の知らない、呂布軍にいた頃の呂布の事を多く知っているらしく、それを事あるごとに話題にしては嫌味を言うのである。
特に高順に対しての当たりが強く、いつも喧嘩腰になっている。その割に高順の方も負けてはいないし、二人の関係は常に平行線のままである。
そして、もう一人の少女についても気にかかる。呂布の娘、玲華と仲が良いらしくよく一緒にいるところを見かけるが、何故かこちらを見る目は鋭い。まるで値踏みするような目付きで、時には睨まれているような気がする事もあった。
高順にしろ、娘にしろこの二人が何故自分に興味を持ってくるのか。そして、なぜこんな自分を警戒して近づいてくるのか。その理由がわからなかった。
呂布軍にとって大きな問題となったのは、袁紹軍から離反してきた韓遂を迎え入れる事になった件だった。元々呂布軍と袁術軍は反目し合っていたが、それが袁紹軍という共通項を持つ事で、より一層険悪になってしまったのである。
呂布は袁術軍からの要請に応える形で兵を出そうとしたが、それに対して袁紹軍が反対の姿勢を示したので、袁紹軍からの離反者を説得する形でようやく許可されたのだ。
もっとも、袁術軍からも裏切り者を出せと言う要求があり、それに応じる形にもなった。呂布は趙雲に五千の軍を与え、さらに援軍で劉岱、王匡の軍を迎え入れる事になった。
呂布軍の中で一番袁紹軍に敵対的であったのは高順であり、その先鋒に自ら志願していた。その事に呂布は驚いたのだが、同時に心配でもあった。
「高順。お前が行く必要はないんじゃないか? ただでさえ袁紹軍は手強い相手なんだぞ?」
「呂布将軍こそ何を言っているんです? これは漢の大事。その要とも言える総大将たる呂布将軍の出陣に、俺がついていかないなんてありえないでしょう?」
高順は笑顔で言うが、どう見ても無理をしている。高順は元々董卓配下で、それが原因で李粛らには恨まれているはずだ。
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