三国志英雄伝~呂布奉先伝説

みなと劉

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57話

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張飛がこのようになった責任の半分は劉備にあると言っても良いのだが、だからといって責められて良いものでもない。

それに劉備も呂布や劉備の妻から頼まれている以上劉備も張飛を助けようとするのだが、劉備も張飛とは旧知の仲であり情も深い人物である。
この様に荒れ果て、まともに話すことも出来ない様な張飛であっても助けようとしているのである。関羽は関羽の忠義の為、また関羽自身も張飛の世話をする事で冷静さを保っていたと言う面もあるだろう。

呂布から見れば関羽もまた相当無理をしているのだが、それは呂布とて同様だと思われるのだが、関羽の場合は表面的にはほとんど出ていない。この辺りは見習うべきところもあるかも知れない。

呂布はその劉備に対して徐州城に留まる様に伝えるのだが、呂布の言葉を聞いているのかいないのか、とにかく首を縦に振らない。関羽の表情を見る限りは仕方ないとでも思っているようだが、劉備に対しては思うところがあるようでもあった。

おそらくは張苞の事なのであろうが、それは呂布も同様だったのでよく分かった。
こうなると陳宮に相談するしかないと思っていたのだが、ここで予想外の事態が発生した。呂布軍の中にいた徐晃の部隊と曹仁の部隊が曹操に寝返る事になってしまったのである。
これには呂布にも全く理解できなかったのだが、曹操の側に付いていた李粛が密かに曹操と内通していたとの噂があり、その噂を元に攻めてきたらしい。
呂布がそれを知ったのは全てが終わった後である。それを聞いた時は耳を疑ったが、どうやら事実だったらしく、徐州城にいた陳宮もこの情報を掴んでいたようで驚きを見せていなかった事からこれが陳宮の手引きによるものと思われたのだ。
陳宮にとって予想外なのはそこではなかった。

あまりにも都合良く寝返って来るなど考え難いのではあるが、実際にそうなっている事を考えるに何かしらの情報を得ている事は疑い得ないが、陳宮もまさかその程度の情報を得たくらいではこの状況は作れないと考えているはずだ。
つまり曹操と内通しているという情報に確信に近いモノを持っていたのではないかと考えるべきだし、それが誰なのかまでは把握出来ていないはずである。

もし陳宮がその人物を把握していれば、こんな簡単な方法で敵を誘い出せるはずが無いと警戒したに違いないからだ。
だが結果として敵の策略にはまりそうになったと言う事と、その罠があまりに巧妙であった為に呂布軍が逆に動揺してしまったと言う二点だけは確実に言える。

しかしこれで徐州城はほぼ陥落、さらに曹操軍は一気に攻めてくるものと覚悟したが、曹操からの返事はまだ無いとのことだった。
これは陳宮の考えで、曹操が劉備の申し出に応じるとは思えない為、あくまでも形だけの返答をするだけで実際には徐州城を攻めてこない可能性が高いとのことで、そうなると呂布軍の兵糧が不足し、呂布はともかく劉備やその側近たちは長くは保たないだろうと言う予測である。

その為呂布は自ら陣頭に立って戦い続け、なんとか凌いでいた。呂布軍が曹操軍の攻勢に耐えていたのは張遼が呂布軍の要であった事が大きい。
本来であれば張遼に代わって高順を入れておきたかった所ではあるのだが、張遼には引き続き呂布の副将として戦場に出てもらい高順には他の部隊の指揮を取ってもらう事になった。

そんな中、曹操軍の別働隊が北へ向かったとの報告を受け、しかもそこにいるはずの劉備の本隊がいなくなっている事も確認されたのである。
これにより敵の意図が見えてきた。敵の目的はまず間違いなく呂布である。

だが呂布は徐州城の救援に向かい、そのまま篭ってしまったため狙いを外す事になってしまう。
このままでは曹操の思惑通りにならないと判断した陳宮は呂布軍と曹操軍に偽報を流すことにした。
その内容は呂布が城内に留まっているのにもかかわらず徐州城を占拠され劉備は逃亡し、劉備の兵は離散したという物である。

この情報の真実が呂布の手元にあった。呂布としては信じられない話ではあったが、曹操軍の行動を見ても間違いなさそうである。そして今度こそ本命である。
劉備の兵を分散させる事に成功したのなら今度は各個撃破すれば良いのである。劉備の軍はもともと大軍ではないが少数での集団戦闘においては恐るべき実力を発揮すると言われている。それを有効利用しない手は無い。もちろんその前に張遼に命じて呂布の援護に向かわせたいと言うのは山々であったが、それではさらに混乱を招きかねないので張遼を後方に下げて代わりに郭嘉に兵を率いさせ呂布の援軍に向かう様に手配する。陳宮は呂布が孤立しないように注意しながらも、同時に自分の目と判断で動かせる兵を率いて張遼を追わせる。
張遼を追撃させた場合、他の将軍達は当然のように追いかけようとするだろうが、ここで重要なのは劉備を逃がす事だ。その意図を隠すための作戦だった。実際劉備はその通りに行動してくれたため張遼も安心して後を追う事が出来た。
呂布軍にはもうそれほど多くの武将がいないのだから劉備が討たれるようなことになれば呂布も劉備を助けるために出陣する事になるだろう。そうなれば曹操は必ずやそれを狙ってくる。劉備が逃げきれたならば、その後すぐに援軍を送るつもりでいたのだが──この読みは見事に当たったと言って良い。陳宮が思ったよりもかなり早い段階で劉備と陳宮の連携が取れなくなり、結果的に曹操の動きを鈍らせることに成功している。曹操にとっては予定外の展開な上に呂布や曹操軍をここまで追い込んでいながら劉備を逃す事になってしまえばこれまでの労苦がすべて水の泡になるのだが、それもこれも全てが上手く行ったから言えたことでもあり、そうならなかった時にはこの策を用いる事も出来なかった。
やはり運が良いとしか言い様がない。陳宮としても複雑な気分だったが、それに浸っているわけにもいかない。
問題はこれからどうやって曹操と戦うかと言う問題が残ることになるからだ。
劉備が敗走した後、その行先として一番考えられるのは旧劉焉の支配領域だった黄巾党が最後まで抵抗していた地、青州の東阿であろうと思われた。おそらく劉備もその辺りに向かったのではないかと言う推測もあったが、すでに劉備に逃げられた以上これ以上深入りする事は危険であり、また曹操軍も呂布軍との戦いにより戦力的にも精神的にも追い詰められており徐州攻めに回せるような兵力はないと思われた。
そこで、もしまだ劉備軍がいるのであれば呂布の配下となっている厳氏と韓浩が対応する事になり、その報告を待つ形で曹操は呂布と睨み合いを続けていた。
だがその間に徐州城は陥落したままである。劉備は徐州城を落とした後もそこに留まることなく南下した事が確認されていた為である。つまり劉備はまだ生きているどころか健在であり、しかも呂布軍はいまだ持ちこたえているという事で曹操軍の士気が回復していく恐れもあったのだがそこは陳宮にとっても予想通りの事でもあったらしい。
曹操軍の士気の低下に関しては呂布軍にも大きく貢献しているのだが、それよりも重要な事は呂布軍の兵糧不足である事だ。これは徐州城攻略時から変わっていないのだが、もし本当に曹操軍と戦おうと思うのであれば兵糧の問題を解消するところから始めなければならなかったのだ。そしてそれが出来ないうちに城を失った呂布は退路を絶たれる結果となるところであった。
ところが、である。陳宮の計算を狂わせた事があった。それは呂布自身が陣頭で指揮を取り、戦い続けていた事によって徐州城に篭っていた時以上の働きをしているのだ。
その証拠が曹操軍の攻勢に対しての善戦で有り、それがなければとっくに撤退していた事であろう。そう考えると呂布に頼り過ぎず徐州城の篭城でも一定の戦果をあげ続けた高順の存在がどれほど大きかったのか分かるという物だ。呂布軍がなんとか踏ん張っていられるのはひとえに高順の働きによるものだと言える。
だが、その均衡が崩れようとしていた。曹操軍が呂布軍を包囲下に置いているにも関わらず攻めきれない理由のひとつがそれであった。
曹操軍は袁紹軍の大軍と戦って消耗しており、なおかつ呂布軍が頑強に抵抗するのは分かっていた事なので十分な補給体制を敷いてきた。物資が不足することなど考えなくて良かったのだが、実際にはそれほど余裕がある訳でもないのだから当たり前の話でもある。
だがそれを補ってきたはずの糧食が不足し始めていた。特に曹操と許攸は兵糧の確保に奔走していたがそれでも足りない状態に陥りつつあると見て間違いない。この状態で呂布を討てば曹操の勝利は確実なはずなのだがそれも出来ないのが現状だ。その理由は曹操の陣内に病人が現れている事から来る士気低下が原因である。
曹操軍の中で疫病が流行しはじめているのだった。
本来ならばこんな状況は避けるべきだし、その為の準備も怠っていなかったはずだった。ただ今回は袁術からの救援要請を受けての事でもあり、しかも急を要すると言う事も有ったため多少無理をしても兵を戦場に送る事にした。その為の備えをしていたつもりだったが、それも足りなかったようである。陳宮の指示の元、各将軍達は城内で防戦を行い、郭嘉の率いた別働隊は城内への食糧確保に当たっていた。この手の事は張遼に任せておいた方が効率良く行えるだろうと思ったのが裏目に出た形である。その張遼からも、曹操陣営は食料が枯渇気味であり、もはや猶予が無い状態であると告げられていた。
城内の兵士達から曹操に対する反感が高まってきているとの報告も受けているのだが、今ここでそれを鎮める事が出来ない。呂布はその報告を聞く度に陳宮の元に使者を送って対策を求めるのだが陳宮自身に何か良い策を思いついた様子もない。このままではいずれ呂布といえども限界が訪れるのは明らかだったので、曹操から降伏の使者でもやって来ないかと言う事を願っている。もちろんそれでこちらの条件を全て飲むような者なら最初から曹操とは対等以上に戦えるわけも無いのだが、呂布軍にとって最も避けたい状況はそれなのである。それを望むくらいには呂布軍にも疲労の色は濃くなってきている。
そこへ、朗報が入った。
曹操軍内で蔓延しつつある病は偽情報であり、それによって動揺させて曹操の足を鈍らせる作戦であると言う。
この話を持ち込んだのは劉備であり、おそらく関羽や張飛あたりが協力したのではないかと陳宮が言う。確かに劉備がそのような謀略を好むと言うのであればその可能性は極めて高い。そもそも劉備が敵地に居ながら健在であればこのような事を仕掛けるのは当然だろう。劉備は漢王室の皇族であり、漢帝国復興の旗印として存在する人物であるのだから、自らの立場を脅かすようなものは全て排除しようとするに違いない。それはある意味、身内よりも恐ろしい存在となり得るのだが、その劉備が相手であれば仕方のない話であるとも言えるかもしれない。
実際、その策略により陳宮殿下の思惑は大きく外れた。いや、正確には想定通りと言っても良いのか。
曹操軍内の動揺を誘えた事で曹操軍の包囲網は一時的に解かれてしまったのである。呂布軍から見ればそれは絶好の機会ではあるが、同時に大きな代償を払うことになる。何しろ、徐州城攻略時から続く長い包囲戦が唐突に終わりを迎えたのである。いくら混乱していても包囲する側より、攻め込む側が優位なのは当たり前の事で、しかも呂布軍は疲弊しきっていた。その差を埋めるほどの勢いをつける為にはそれ相応の手を打つ必要があると言う事だ。
そう言った事も理解してなお呂布軍の攻勢に出るべきか否かを判断する必要があり、その為の時間を稼ぐ為だけに徐州城の呂布軍が動いていたのである。
呂布が撤退の準備を進め、呂布と陳宮は徐州城へ向けて出立の準備を進めていた時だった。高順が珍しく慌てた表情をして戻ってきた。よほど慌ててきたのだろう、鎧が汚れたままである上に返り血を浴びたままの状態で馬上にいるのはいつもの事だが、それに加えて矢が刺さっていた。高順は無造作に引き抜くと放り捨てるが出血の量が多いらしく、高順の頬が僅かに赤く染まる。
「どうした?」
陳宮はすぐに駆け寄り手当をはじめる。呂布はそれを横目に尋ねると、高順は小さく溜め息を吐いて答える。
徐州城に残されていた呂布の妻の韓氏は曹操軍に捕らわれていたのを劉備によって救出され、すでに脱出していたそうだ。だがその後、曹操軍に囚われて拷問を受けていたらしい。高順は韓氏を救出に向かい捕らえられ、さらに曹操軍に寝返った兵士に槍を投げられて負傷。追撃してきた兵を切り伏せつつなんとか撤退に成功してきたところだという。
その話は呂布軍の全員に伝える事になった。呂布が曹操と決戦を望んでいるのに対し、一部の武将達はそれに異を唱え始めている。これは先程の報告とも関連する事だが、曹操との戦いを避けて撤退するべきだと言い出しているのだ。
このまま消耗し尽くしてからでは取り返しのつかない事になるというのが主な理由だと言う。
しかしそんな事は言われるまでもなく呂布にも分かっている事だし、今の状況で勝てる保証などどこにもない事もまた事実であった。
結局その日のうちに意見はまとまらず、翌日に持ち越すことになったのだったが翌朝、城内には異様な光景が広がっていた。劉備軍からの救援が来たわけでも無く、呂布達が曹操に勝利したと言う報告が届いた訳でもない。まして呂布に援軍要請の使者が来た訳でも無い。城内にいた武将達の多くは、曹操軍に攻め滅ぼされたと思い込み曹操軍を恨んでいたがゆえに、劉備による偽りの知らせを信じ、この機を逃すまいと打って出ただけである。それが城内の兵士達が士気を高く保っている唯一の原因なのだが、その結果起きたのが、この無秩序な大騒ぎである。城内に残っている兵士達は大半が新参者ばかりで統制が取れている訳ではなく、それを劉備の援軍が来ると言う偽情報を使って焚き付けた結果がコレである。
城内の混乱を見た呂布は、ひとまず様子を見るためにも一度引き返すことにした。元々予定外の戦いであり、ここで無理をするつもりは無いのだから当然の判断と言えなくも無かった。城内は未だ戦闘状態にあるようで多くの兵士達が城内から出て行ったきり帰ってこないので、誰が味方なのかさえ分からなくなっている。城内を探索したところ劉備はおらず、袁紹軍と曹操軍が混在している始末なのでこれをまとめる事は至難を極めているようだ。
「呂布将軍はおられますか!?」
呂布が城内で迷子になっていたところを徐栄に呼び止められ、ようやく自陣に戻ることが出来たがそこからが一苦労である。呂布に会わせろと騒ぐ将兵達の先頭に立っていたのは王匡だった。
その顔つきもすっかりやつれ、以前見た覇気は無くなっているのだが、目はギラついていてとても友好的とは言いがたい。もっとも、こちらも人の事は言えないのだが。何しろ呂布軍も半数近くは戦意を失っており、まともに戦える状態ではない。しかもその半数は女性兵ばかりだ。陳宮や高順と言った男衆に付いてきている連中は精鋭であり士気も高いものの数が少なく、徐州軍全体を見るとほぼ半数以上の兵が戦いを放棄して逃げ出す寸前の状態だと言う。さすがの王匡もこの状態で戦いを続行すると言う考えはなく、むしろ自分だけなら何とかなるとして呂布の説得にかかる。
この状況になって初めて、呂布も自分がとんでもないことをしているのではないかと考え始めた。もしこのまま曹操と戦って勝利できる可能性を考えるとするならば、それはただ運に任せるだけで良いはずがない。何しろ、ここにいるほとんどの武将がそう考えている以上、他の手段を見つけなければならないのだ。
陳宮の策が通じず、劉備の援軍が無いとなると他に打てる手立ては少ない。
そんな中、一人の将が現れた。
李粛である。
一見すると人当たりの良さそうな顔をしているが、呂布に対して含む所がある人物と言う印象が強い。それと言うのも、徐州城への行軍の途中で曹操軍に捕らわれた後の李粛の態度を呂布は覚えており、その時から彼は敵視されていると感じていたからだ。
ただ今回に関して言えば、彼一人が現れて降伏すれば曹操軍はこれ以上の徐州城への攻撃は行わないと言うのが約束され、呂布としても受け入れざるをえない内容だった為、受け入れる事となる。
呂布としてはこのまま戦う事に意義を見出せないと言う事もあり、陳宮殿と高順、呂布軍の残存兵、そして曹操軍が送り込んだと言う名目で城から連れ出して保護していた徐州軍の非戦闘員達を連れて撤退する事を告げた。
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