三国志英雄伝~呂布奉先伝説

みなと劉

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56話

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もちろんそれは張飛についても言えることであるが、だからこそ不安も大きかったと言えるだろう。とにかく生きててくれさえすれば良かったのだがまだ安否も分かっていない状態のため気がかりだったのだ。とは言え今は無事に帰ってくることを信じるしかなかった。
話が一通り済んだ所で高順に尋ねてみるとどうやら敵将だった張済を討ち取りこの場では張飛に次ぐ二番手の功績を上げており、また撤退していく陳宮の捕縛も行っているとの事なのでおそらくは問題なく戻れるはずだと言われたのである。確かに今なら陳宮も逃げることはかなわないと思われる。そう思って再び追いかけようとしたがふと思い出したように足を止めることになった。と言うのも陳登に頼まれていたものをすっかり忘れていたことに気付いたのである。
しかしそんな状態ですぐに戦場を離れるわけにも行かず仕方なく呂布が向かう事になった。しかしそこはもうすでにほとんど決着が付いており曹操軍が総崩れになっている最中であったため追撃に移るのには都合が良い状況であった。しかも呂布軍が動く前に既に撤退に移っていたのである。これを逃すともう捕まえるのは不可能に近い。
その為急ぎ呂布も撤退を開始して張飛と合流する事にした。そしてしばらくして劉備軍と合流したのだが張飛はまだ動けるような状態の体ではなく、それでも呂布の為に頑張ってついてきてくれたようで、その事だけでも感謝しか無かった。そうしているうちに張飛は倒れ伏してしまったが、幸い関羽が運んでくれるとの事で、呂布はその隙に陳宮を捕まえに行くことにする。
陳宮はすでに張飛達とは別行動を取って逃走を始めていた。おそらく張飛は討ち取られていないと信じて自分一人で逃亡を図っているに違いないと思われた。それならば早く助けないと本当に張飛の命が危険である。そうなると急いで救出しなければならないのだが、ただ闇雲に追いかけたのでは見つかるものも見つからないだろう。そこで陳宮が通るルートにあたりをつけてそこへ向かうことにし、呂布軍は移動を開始した。そしてその予想は当たりそこに追いつく事が出来たのであった。ただそこには思いもしない先客がいた。いやこの場合待っていたというべきだろうか。陳宮の前に一人の少女が立ち塞がり、こちらを見つけるなり笑顔を見せて手を振っていたのだ。呂布はそこでようやく誰だか気づくことになる。あの時の劉備と一緒に逃げていったはずの趙雲の子飼いである少女兵こと李粛であった。彼女は陳宮を追いかけてきたのだろう。そこにたまたま自分が居合わせたということのようだ。
本来であれば陳宮の方へ加勢に向かうはずなのかもしれないが相手が女性であることから多少警戒しつつも近づいていく。
そしてある程度距離が近づいた時に改めて相手を確認する。見たところかなり小柄であり年齢は十代後半と言った感じであるのだがどこか妙な雰囲気を持っていた。呂布が知っている武将の中でもこんな子はいないと思うのだが見覚えがあるような気だけはする。
と言うよりも一度会ったことのある人物と似ているのかも知れない。だが呂布の知り合いと言えば男ばかりで、そもそも女性と言うだけであまり会うこともない上にその中でもあんな娘はいなかったはずである。
となると考える限り候補は少ない。一人だけ心あたりのある者がいるのではあるがその人は既に亡くなられているはずであった。そのせいで別人だと思うことにした。だがそれも違うだろう。何しろ髪飾りをつけているのだ。あれも何か意味があるのだろうと察していた。呂布がそのことに関して質問する前に向こうから話し始めてきた。どうやら自分の方でいろいろ事情を説明したかったようである。彼女の話はこうだった。自分は父の仇を取るために陳宮の後を追っていたことを話してくれた。しかし陳宮はすぐに追っ手を振り切り呂布達の元へ向かいたいと言い出して彼女を追い返そうとしたらしい。すると彼女は素直に引き下がったもののそのまま呂布軍の陣営に潜んで機会が来るのを待つつもりでいたということだった。まさかここまで追ってくるとは思っていなかったらしく、しかもそれが味方になるとまでは思ってもいなかったらしく驚いている様子だった。
そう言うわけでとりあえずこの二人を引き合わせておけば良いと思っていた呂布はこれで役目は終わったと思って帰ろうとしたのだがそれを彼女が止めた。このまま一緒に戦うと意気込んでいた。この辺りの決断力は流石と言えるところでありそんな彼女を無下に扱うわけにも行かず連れて行く事にしたのである。
こうしてこの戦はほぼ完全な勝利と言える結果に終わるのであった。
張飛は一命を取り留めた。陳宮の機転と偶然が重なって張飛は一命を取り留める事に成功したのである。陳宮はすぐさま高順を呼び張飛の治療を始め、それと同時に劉備への伝令を走らせ劉備の元へ援軍を要請に向かった。その間呂布達が守る中張飛は徐々に回復すると、しばらく寝たきになっていた筋肉も衰えて弱っていたが徐々に元に戻ろうとしていった。そして劉備が到着するまで何とか持ちこたえることに成功し、劉備に救われる事になる。
張飛を救い出した後は追撃を行い、曹操軍も大きな被害を受けていたが、追撃戦で呂布が得たものは少なく曹操軍が態勢を整えてしまう前に追撃を終わらせるしかなかった。
この戦では曹操軍に多くの将が討ち取られたのだがその中で最大の功績を上げたのは呂布軍であると言っても良いだろう。呂布、高順、華雄、呂布軍の中でも特に勇猛で知られる武将四名は『四天王』と呼ばれ畏怖されていたほどであるがその強さを見せ付け曹操軍を圧倒している間に袁紹軍からも応援が到着し一気に戦局が傾き、ついに袁術の援軍まで来ていたこともあり、ここで撤退せざるを得なくなったのである。とは言えこれは完全に敗北ではなく戦略的撤退であると言う事もできる。
それに呂布としてはこれでひとまず陳宮が大人しくしてくれさえすればこれ以上争う必要は無いと言う思いがあった。呂布は今回のことで陳宮には十分以上に働いてくれたと思っている。もしこれが徐州軍だけの戦力での討伐だとしたらもっと苦戦した事は想像に難くない。そうなればいかに優れた用兵をする名将でも一人で全てを守ることは出来ないし、いずれは負ける事になったはずだ。そう考えると陳宮は十分な働きをしたと言えよう。
ただ陳宮がそう考えてくれるかどうかは別問題であり、そうそう簡単に引き下がる事も無いであろうこともまた、容易に想像がついたのであるがそれでも今は陳宮に降伏を促して曹操軍と和睦する事を考えるしかないと思い陳宮の説得を始めるのであった。
呂布軍が追撃戦をしている頃、劉備は徐州城に戻らず西平へ向かった。理由は関羽が張飛を連れて帰る事になったからだ。
その護衛のためと言う名目もあるが実際は関羽が陳登の元へ行くと言う事もありそちらへ付いていくと言うことになったのであった。陳登が曹操から預かっている土地と言うのはかなり広く、呂布のところにもかなりの広さの土地が下賜されておりそこから得られる税収などで、徐州の発展も早いものになっているのであった。その分、税も重くなってきているという部分もある。
元々漢王朝に仕えていた劉備や関羽がそれに不満を持つわけも無くむしろ喜んでいたくらいだが、他の家臣達も黙ってはいない。特に陳珪などはその典型とも言える男でとにかく呂布を嫌っていた。そして陳宮は陳登のところで呂布を倒す策を立てている最中なので徐州から離れることが出来ない。呂布もそのことは十分に理解していたがやはりどこか嫌な予感があり、なるべく早く決着をつけたいとも思っていた。
その為、荊州に居るはずの関羽が何故戻って来たのかと思ったら案の定だったのだ。
劉備も呂布と同じく不安を抱いていたものの、関羽が張飛を連れて帰ってきた事で少しばかり気が晴れたのである。しかし劉備と呂布では状況が大きく異なっていた。
徐州城に到着した時、徐州城はまさに焼け落ちた直後だった。
すでに消火作業は始まっていたものの燃え広がる火勢の強さに水は無意味であり徐州兵は必死に消火活動を行っていた。そんな騒ぎの中で関羽は堂々と自分の屋敷に戻り張飛はその途中で捕まえると自室に押し込んだらしい。そしてそこで大声で怒鳴ったそうだ。自分は天下の名将になりたいと喚きながら泣いている姿を見た者達は驚いているらしいのだが、それは呂布も同じ感想であった。張飛にそう思わせるほどの事を誰かやったのではないかと疑っているとそこへ徐州兵がやって来たのである。
何があったか報告を受けると、どうやら陳宮は兵法を用いて攻め込んできた曹操軍の目を欺くため、徐州城の放火を命じたとのことだ。しかもただの火事では無く城内にいる者の全てを焼き殺すための放火で、しかも火を放った者は徐州兵のふりをして中に潜入していた曹操軍の者だった。
だがそれを察していた陳宮によって事前に呂布軍に助け出されていたが、張飛だけが捕らえられていたところを運悪く見つかったらしく、慌てて連れ戻りに来たのだという。
そう言われて初めて知ったのだが、そういえば先ほど劉備の出迎えの際に居なかった者もいたのを思い出す。あれは曹操の手のものだったという事になる。しかしいくら何でもタイミングが良すぎる。これも何かあるのではないだろうかと呂布は疑いの目を向ける。
とは言え呂布にはそれが真実なのか偽情報なのかどうかを見極める術はない。そんなわけが無いと思うにしても情報が無さ過ぎる上に確証は無い以上判断できないと言うところなのだが、陳宮は本当に何を考えているのだか分からない。
しかし張飛の方はと言うとすっかり落ち着いたらしく張飛を捕らえた兵士の報告によると張飛の部屋には大量の酒瓶が転がっていたのだとの事である。
「え? 酒浸り?」
あまりにも意外な言葉だったので呂布はすぐに反応出来なかった。
あの気性の荒さと性格を考える限り酒を呑むとは思えない。確かに以前張遼が張飛から聞いた話では子供の頃に母と一緒に暮らしており母親は病気がちな為、家計を助ける為によく山へ狩りに出ていたと言う話を聞いたことがあるのであるが、それにしてもありがたい事に母親の看病をしなくても良い立場になった今になっても、なお母親の為に働かねばならないと考える様な人間なのだ。
そもそもその話を呂布自身も聞いていたので間違い無いはずなのにどうして張飛はこうなったのであろうか。
劉備と共に張飛の元に行けば事情が聞けるだろう。
関羽は既に張飛から詳しい話を聞いているらしく、張飛は部屋に引きこもりっぱなしのようで、劉備はそこに行こうとしていた。劉備も張飛の様子を知りたかったようだ。劉備だけでなく関羽までも、この有様であると言う事は、それだけ今回の一件は衝撃的だったという事だろう。その証拠とも言えるように、屋敷の使用人や警備の兵達に劉備の顔を知る者がおらず、門番には関羽の配下のものが対応していて、劉備達は直接張飛に会いに行く事が出来ないでいたのである。
仕方ないので呂布と劉備と劉備の部下数人だけで劉備の弟である趙雲の部屋に寄る事にした。
こちらは関羽より使用人の数が少ないせいか劉備が来ても何も怪しまれることは無かったのだが張飛と違いあまり使われていない様な雰囲気を感じさせつつもそれなりに綺麗にしている部屋であり、おそらく掃除だけはしっかりとしているのだと思われる。
そこにはいつも通り、馬一族としての気品を持ちつつどこかおっとりとした雰囲気を持った美しい女性がいた。名前は関平といい、年齢は二十二歳で、まだ未婚だと聞いており、美人で有名な関羽の妹と言う事と武勇に優れている事から張飛が見初めたと言われているが、当の張飛はまだ会わせてもらっていない。
また、関羽の娘であり張飛の姉でもある張苞とその婚約者の王匡、同じく関羽の娘である孟獲と言った面々からも、関羽や張飛とはまるで違う扱いを受けていた。張飛はその腕力を恐れられていたが、それに比べ張苞、王匡の両名は見た目麗しい容姿をしており張飛の様な恐れも無く、どちらかと言えば関羽に近い武人であるにも関わらずである。
ただこれは必ずしも悪いことでは無く、もし張飛と同じ扱いであれば張飛はますます暴れまわり関羽達の立場がなくなってしまうところである。関羽が二人を守ってくれていたのかも知れないが。
ともかくそんな状況下でありながらも相変わらず穏やかで優しい表情をたたえ、丁寧な態度を崩さないのが、関羽との違いとも言えるところであろう。関羽の息子達が皆このような状態なのは不思議であるのだが、実はそれこそが陳宮の仕業であった。つまり陳登のところに逃げ込んでいたのはこの日に備えてのことであり、それに気付いたのは当然のことながら劉備である。
元々曹操軍は荊州からの帰り道に徐州を攻めてくるものと思われており、そこで徐州の城を落とし曹操軍が逃げ帰る前に追撃を行うと言う戦略を立てていた。それは呂布軍の徐州入りの時点でほぼ確定されていたものであり、呂布は曹操軍とぶつかる可能性が極めて高いと考えていたが、呂布が想像するよりも早く事態は進んでいたのだ。その為、陳宮はまず劉備に対し恩を売りにかかったのであった。
関羽に留守を任せてきた事で劉備に貸しを作り、さらに袁紹と手を組み曹操と戦う事で恩義を与えようとしたのである。曹操を討てば、徐州、揚州、冀州と三国を手に入れられる可能性が高まるだけではなく、徐州、青洲、涼州の三地は全て袁術の領地である。曹操に味方する者がいなければ、曹操を討ち取った後には袁術は呂布と手を組まざるを得ないはずである。
もちろん陳宮にとって計算外もあった。徐州城に火を放つ必要など無かったのだが、そうする事で曹操軍を誘い出すという意図があった。だが陳宮が思った以上の効果があり、曹操軍の侵攻を阻む事が出来ただけでなく徐州城の放火で曹操軍に動揺を与える事も出来た為陳宮にとっては満足のいく結果ではあった。だが呂布にとっても想定外の事は起きていた。
まず、予想以上に曹操軍の士気が高かったと言う点がある。これは徐州軍のほとんどが戦意を失っていなかったという事だが、その要因の一つに黄巾党の乱の時に張梁が使っていたとされる謎の兵法があったらしい。陳宮がその秘密を知っているとすれば曹操軍の士気が高すぎた理由も分かる。
曹操と曹操の軍の兵は、かつてないほどの大軍であったが、それでも数の上で有利とは言えなかった。
何しろ敵の方が倍近く多かった上に兵力の差が大きかっただけでなく、こちらの主力とも言える将がほとんど参戦していない状況だったのである。
もっとも劉備からすると張飛や関興といった武将がいるし関羽には程普もいると言う事を考えれば充分な援軍と言えるであろう。実際、関羽の配下は質、量ともに呂布に匹敵すると言われていた。
しかし張飛に関しては言うまでもなく一騎当千の豪傑であるし関羽にしても呂布には劣るものの精鋭部隊を率いる事が出来る程の力量を持っているのである。
呂布自身としては劉備の援軍があればそれで良かったのであるが、実際には劉備が到着する前に張飛が捕らえられていた。しかも、どうもそれが計画的だったように思えると言う。いくら酒浸りになっていて判断力が鈍っているとしてもそんな簡単に捕えられるわけがないのである。その疑問はすぐに氷解することになった。
捕らえられたと言う割には張飛の部屋の前には大量の酒瓶が転がっており、そのせいで劉備達の来訪を悟るのが遅れたと報告を受けることになった。
そして劉備が部屋に入ると張飛が酒を浴びるように呑んでいる姿が見られたのだとか。それも、ただでさえ粗暴な性格であるにも関わらずまるで狂犬のような有様になっているそうだ。その姿を見かねた劉備は止めようとしたが、張飛が掴みかかって来たと言う。その時すでに劉備は張遼や張飛配下の者に助けを求めていたが、間に合わず危うく斬られかけた。そこを劉備が守ったため、大事には至らなかったとのことである。
「……兄者、本当に申し訳ありません」
関羽は劉備の前で頭を垂れた。
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